四天王立像・多聞天 平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) **重要文化財** 令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

近代の荒波の中で守り抜かれた流転の四天王、そして守り続けるための保存修理

展示風景

四体とも、往時の華やかさを偲ばせる彩色や金がかなりよく残っている。つまり元はかなりの財力が投じられた仏像で、それも四天王ということは須弥壇の四方の守護像、つまりメインの仏像ではない。

四天王立像(増長天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

広目天以外の三体も明治39年までは興福寺にあったことは古写真からも確認される(その明治39年の古写真が、会場で配布される豪華リーフレットにも掲載されている)が、当時は腕が取り外され、頭部と胴体の組み合わせが間違っていたりして、かなりの混乱があったことが見て取れる。

古写真 奈良・興福寺(リーフレットに掲載)
Ⓐは頭部が多聞天、体部が持国天。 Ⓑは頭部が増長天、体部が多聞天。 Ⓒは頭部が持国天、体部が増長天

興福寺が明治維新に伴う神仏分離令と廃仏毀釈で大きな打撃を受けたことは、本サイトのいろいろな展覧会紹介記事で何度か触れて来た。一時は廃寺にされて僧が隣接する(春日興福寺として一体化していた)春日大社所属の神官にされ、寺として再興が許された後も寺領や境内地が政府に没収されたために経済的な苦境が続く。奈良国立博物館の敷地をはじめ奈良公園の大部分や、今日の奈良県庁や地方裁判所、奈良ホテルなどもかつては興福寺やその塔頭寺院の境内で、今日のならまちの一部にまで広がっていた。年貢収入が経済基盤になった寺領も大和国を中心に広大だった、その全ての財源を失ったということは、これまで伽藍や寺宝を守って来た資金もなくなるということだ。

四天王立像(増長天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財

明治以前に、四体が興福寺のどこにあったのかは、分かっていない。

これほどの大きさと完成度、豪華さの四天王だが、今日の興福寺の主要な伽藍の四天王がいずれもちゃんと揃っていることを考えると、主だって宗教上重要な堂宇とその安置仏を維持するための経費を捻出するためにも、三体が維持管理しきれずに寺外に流出したのも背に腹は代えられない、やむを得ないことだったのだろう。

四天王立像(増長天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財

多聞天・持国天・増長天は、興福寺の文化財維持のために多額の寄進をした実業家の益田孝(鈍翁 1848〜1938)に、その寄進のお礼のような意味で引き取られたそうだ。明治大正の茶の湯を代表する近代数寄者の茶人で古美術コレクターとしても知られた三井財閥の大番頭で日本経済産業の重鎮だ。

四天王立像(増長天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財

そんな経緯から逆に考えると、この四天王はかつて今の奈良公園やならまちの一部に林立していた興福寺の数多い塔頭のひとつための造られたのかも知れない。

四天王立像(増長天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財

ほぼ等身大の大きなものだからには、この四体の守護していた須弥壇はそれなりの大きさで、本尊などの仏像群も含めてかなりの規模だったはず、中世の興福寺はそれだけの財力と権勢と権威を持った、日本のひとつの大きな中心のような寺院だったことも想像できる。

四天王立像(広目天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良・興福寺 重要文化財

またリーフレットにある古写真のある意味悲惨な状態が、三体が寺外に出た後で頭と体の組み合わせも元に戻され、修理されて本来の形でその後100年以上維持されて来たのは、この四天王にとっても良いことだった。

今回、奈良国立博物館の所蔵の増長天と多聞天は110数年を経て、本格的な大修理が行われた。

四天王立像(多聞天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

聞いたところびっくりするような額の資金は、バンク・オブ・アメリカの助成金で賄われた。修理の詳細は先述のリーフレットや会場のパネルで写真付きで詳しく説明されている。

保存修理の解説パネル。同様のパネルは増長天にも。また配布リーフレットにも詳細な写真と解説が

こうした何百年も前の文化財の保存修理は、元の部分を決して傷つけてはいけないので汚れのクリーニングでも表面の彩色などを剥がさないよう、慎重に慎重を重ね、手間も時間も膨大にかかる。

四天王立像 平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 興福寺伝来 重要文化財
左)広目天 奈良・興福寺 右)増長天 奈良国立博物館

四天王立像(増長天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

四天王立像(広目天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良・興福寺(奈良国立博物館寄託) 重要文化財

四天王は経典に基づき、顔と手の肌の色がそれぞれ異なっている。多聞天は顔と手が青いことが以前の仏像館での展示ではなかなか見えなかったのが、今回の修理で兜の影になる部分と左手に、同じ青が鮮やかに甦っている。

四天王立像(多聞天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財

背中に回ると見える金箔の紋様もびっくりするほどまばゆい。

四天王立像(多聞天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財

比較すると、持国天はやはり全体的に白っぽく、表面に艶や輝きがなく鈍い感じになり、鎧の腰から下の前面を覆う部分や衣の裾の精緻な紋様はよく残っている一方で、その上のベルトや袖の彩色は輪郭がぼやけてしまっている。

四天王立像(持国天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 滋賀・MIHO MUSEUM (興福寺旧蔵) 重要文化財

四天王立像(多聞天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

両腕と胴体の接合部は上からかすがいで止めていて、そのかすがいが浮き上がって目立ち、胴体との間に隙間が出来てしまっている。

四天王立像(持国天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 滋賀・MIHO MUSEUM (興福寺旧蔵) 重要文化財

やはりこうした日本の文化財は何十年かに一度の修理が欠かせず、逆に言うなら何百年ものあいだ、そうやって時代ごとの熱意や根気で守られて来たものでもある。

四天王立像 平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 興福寺伝来 重要文化財
左)持国天 滋賀・MIHO MUSEUM 右)多聞天 奈良国立博物館

時代を超えたこのカッコよさが今に伝わるのも、そうした努力の結晶でもある。

四天王立像(多聞天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

修理完成記念 特別公開「興福寺伝来の四天王像」
名品展「珠玉の仏たち」2025年12月23日(火)~2026年3月15日(日)

会場 奈良国立博物館 仏像館 https://www.narahaku.go.jp/info/access/

展示風景

開館時間 午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
今後の休館日 毎週月曜日、2月24日(火)※2月9日(月)、2月23日(月・祝)、3月2日(月)、3月9日(月)は開館

四天王立像(増長天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

観覧料金[仏像館、西新館、中国青銅器館の全展示を含む]
 一般  700円
 大学生 350円
※高校生以下および18歳未満、満70歳以上、障害者手帳またはミライロID(スマートフォン向け障害者手帳アプリ)所持(介護者1名を含む)は観覧無料
※高校生以下および18歳未満の方と一緒に観覧される場合、子ども1名につき、同伴者2名まで一般100円引き、大学生50円引き。

Webサイト https://www.narahaku.go.jp/exhibition/usual/202512_kofukuji/

四天王立像 平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 興福寺伝来 重要文化財
手前)持国天 滋賀・MIHO MUSEUM 奥)多聞天 奈良国立博物館
写真:藤原敏史、主催者の特別な許可を得て撮影 ※転載厳禁
photos: ©2026, Toshi Fujiwara. Canon EOS RP, RF50mm F1.2L, RF85mm F1.2L, RF35mm F1.8