四天王立像・多聞天 平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) **重要文化財** 令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

修理と科学調査で逆に深まったミステリー、平安時代後期? それとも鎌倉時代の盛期?

多聞天の脚は膝から下が、なぜか鉤の手状に段差があるつなぎめで別の部材を取りつけているが、その下の邪鬼まで含めてほぼ木目が一致し、元は同じ材木を切ったものを繋いでいるようだという。非常に珍しい手法で理由はよく分からない。

四天王立像(多聞天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

須弥壇上の配置では前に出る持国天・増長天で、邪鬼の頭で高低差をつけて外側の片足を上げて膝を曲げ、ポーズに左右対称の動きを出すのも鎌倉時代の四天王によく見られるが、奈良時代の東大寺戒壇堂の四天王が、すでにそうなっている。

四天王立像(持国天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 滋賀・MIHO MUSEUM (興福寺旧蔵) 重要文化財

平安時代中期・後期の四天王では、例えば京都府南部・南山城の名刹・浄瑠璃寺の国宝の四天王では、邪鬼を踏みつけていてもその身体は上部が平坦な面で、四天王は安定的な直立不動のポーズで立つ。比較するならこの四天王の場合は鎌倉時代の新しい表現にも見えるし、奈良で作られたからこそ奈良時代の古い表現を復活させた、と考えることもできる。

四天王立像(増長天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

優れて個性的というか鎌倉時代的なダイナミックなリアリズムというか、とにかくカッコいいのは、足の位置に高低差がない多聞天でも、大きく腰をひねって右手を高く掲げた迫力ある身体の躍動感を生み出しているので脚から腰までが大きく右に傾いているのはある意味で当然としても、その多聞天と須弥壇の後方・北端の左右で対称の位置関係になる広目天が、筆と巻物を持つ静的なポーズは直立不動でもおかしくないのに、こちらは右足を半歩踏み出して脚から腰にかけて大きく左に傾き、左足に重心を置いた動きのある立ち方になっているところだ。

四天王立像(広目天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良・興福寺 重要文化財

片膝を上げて矛を手にする武装神の増長天より、筆と巻物を持つ観察者・記録者としての広目天の方が、一見ただ静かに立っているからこそかえって、リアルな身体性の緊迫感と運動性、力強さを秘めた姿になっているところも、この四天王像の表現が成熟して考え抜かれ…つまりは、とにかくカッコいいと思わせる理由のひとつだ。

日本の仏像表現ルネサンスの決定的な瞬間…なのかも知れない

四天王立像 平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 旧興福寺伝来 重要文化財
左)広目天 奈良・興福寺 右)奈良国立博物館

この200〜300年後の西洋、ヨーロッパの新しい文化潮流「ルネサンス」は文字通りの意味が「再生・再誕生」で、昔は「文芸復興」という訳語もあった。実のところミケランジェロもダビンチも、斬新でリアルな人間表現を模索して近代の先駆者となったのは、元をただせば古代ローマや古代ギリシャ時代の発掘品に触発されたからだった。ローマを中心にイタリア半島では、そうした古代の遺物がかなり残っていたのだ。

四天王立像(広目天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良・興福寺 重要文化財

彫刻における人間的・身体的リアリズムという点で日本の中世芸術の始まり、平安末期から鎌倉時代はその「ルネサンス」よりずっと早かっただけでなく、大和(奈良県)という「日本」の始まりだった地域で、かつての首都・平城京だった南都・奈良の特別な歴史から、古代的な表現の復興と古代からのインスピレーションが契機になった点でも、同じようなことが起こっていたのではないか?

四天王立像(広目天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良・興福寺 重要文化財

改革や革新とは、ただ単純に「新しい」わけではなく、そしてだからこそ過去の「革命的な表現」が、時代を超えて現代でも力強く感じられるのだろう。

四天王立像(増長天・部分)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院