四天王立像・多聞天 平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) **重要文化財** 令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

とりあえず、とにかくカッコいい。

四天王は東西南北の四方の方位神であり、彫刻としては寺院の祭壇である仏や菩薩が安置される須弥壇の四方を守護する像として、日本では古代・飛鳥時代から多く造られて来た。

四天王立像(多聞天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

北方の守護者、南向きの須弥壇では北東を守る多聞天は、サンスクリット語でヴァイスラヴァーナという音から日本では「毘沙門天」とも呼ばれ、観音菩薩の使いにして分身の救済者、やがては軍神として単独でも信仰されて来た。本来の意味は「世の多くを聞く者」だが、奈良・興福寺に伝来したこの多聞天は、何かを聞いているというより腰を大きくひねって右手に宝塔を高々と掲げ左手には武器を低く持つ対角線状の動きがダイナミックで…まあ、なんとカッコいいことか。

東の守護者、須弥壇では南東に置かれる持国天、サンスクリット語ではドゥリタラーシュトラ、「国、ないし(仏)法を守る者」は、颯爽と、軽やかに、天上から舞い降りて来た瞬間を切り取ったかのような姿が、これまた実にカッコいい。

四天王立像(持国天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 滋賀・MIHO MUSEUM (興福寺旧蔵) 重要文化財

明治39年まで興福寺にあったほぼ等身大の一具、ワンセットだった四天王のうち、広目天だけが興福寺に残され、紆余曲折を経て増長天と多聞天はかつて興福寺の敷地だった場所に立つ奈良国立博物館に、持国天は滋賀県甲賀市のMIHO MUSEUMで守られて来た。

このたび、多聞天と増長天は大規模な修理が行われ、そのお披露目で28年ぶりに四体が一堂に会している(3月15日まで、奈良国立博物館・仏像館)。

四天王立像(増長天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良国立博物館 (興福寺旧蔵) 重要文化財
令和6年度保存修理 助成:バンク・オブ・アメリカ 施工:公益財団法人美術院

南の守護者で、須弥壇では持国天と対になって南西・前方左に置かれる増長天はインド神話のインドラ神、帝釈天の変化神でサンスクリット語では「大きくなるもの」「成長」を意味するヴィルーダカ。持国天と左右対称になるよう造形されながら、対照的に重々しく、胸を反らせて前に立つものを威嚇する。

興福寺に残された広目天だけ、右手が欠損していて、手のひらを上に向けた左手も持物がない。

四天王立像(広目天)平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 奈良・興福寺(奈良国立博物館寄託) 重要文化財

西の方位神で南向きの仏堂では北西を守る「全てを見る者」、サンスクリット語でヴィルーパークシャは、日本では平安時代以降、守護神としての役割から矛など武器を持って表されるのが通例になった。しかしなくなっているものは想像するしかない憶測ではあるが、この静かながら毅然とした立ち姿のポーズは、武器を持っていたようには思えない。