(「石川九楊大全」後期【状況編】言葉は雨のように降りそそいだ)

前期の【古典編】遠くまでいくんだにつづく、後編の「石川九楊大全」後期【状況編】言葉は雨のように降りそそいだがはじまる。

本展示会は、五つの部屋に分かれています。

〈第一室〉Room1
下部へ、下部へ、根へ、根へ、暗黒のみちるところへ(谷川雁)

〈第二室〉Room2
わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか(マルコ伝)

〈第三室〉Room3
関係双曲、革命円環、生活楕円、人間不能(石川九楊)

〈第四室〉Room4
ローマの花 ミモーザの花 其花を手に(河東碧梧桐)

〈第五室〉Room5
国の名の下で凶悪犯罪は合法という、御伽話からの卒業が必要だ(石川九楊)

  1. まず、最初の部屋では、〈第一室〉Room1
    下部へ、下部へ、根へ、根へ、暗黒のみちるところへ(谷川雁)へとご案内いたします。

「書の表現のうえでも書の作品の題材のうえでも、「古典に戻る」ことになったのは、大学卒業と同時に就職した化学会社を辞めて独立したことも深く関係しています。日々齷齪(あくせく)と企業活動とともにある会社員にとっては否応なく、ひしひしと目の前の経済に伴う時代と向き合わざるを得ず、「古典に戻ろう」という意識は芽生えてはこない。経済活動の最前線から退いたときに「古典」と向き合うことを余儀なくされたのです。

「カラマーゾフの兄弟」に入る前に、もう一度、谷川雁、吉本隆明、田村隆一ら戦後詩の書に取り組みました。」(『わが書を語る 石川九楊 自伝図録』「第五章 ふたたび、時代を書く」より)

(「鮎川信夫 落葉樹の思考」より 1967年 32×23cm×4  和画箋)

春から夏にかけて

芽を出し、枝葉をひろげ

花を咲かせた樹木が

いま、別れを告げようとしている。

生命の奔流は丘をくだり

黄昏の寒い灰色の

死の季節がやってくるから

自分自身と世界との別れを告げるときがきた、

生命の一循環を終えたのだから

生れかわるためには、死なねばならないと、

根が考え、幹が感じている。

そうして、秋風に身ぶるいして

落葉の雨を降らせている。
                (鮎川信夫「5 落葉樹の思考」より)

(「吉本隆明「固有時との対話」 1974年 70×25cm 和画箋)

固有時との対話

街々の建築のかげで風はとつぜん生理のようにおちていった その時わたしたちの眠りはおなじ方法で空洞のほうへおちた 数かぎりもなく循環したあとで風は路上に枯葉や塵埃をつみかさねた わたしたちはその上に眠った  (吉本隆明詩集『固有時との対話』)

谷川雁の作品では、「道」、「原点が存在する」、「無〈プラズマ〉の造形」、「おれは砲兵」などが展示されている。

  1. さて、つぎの部屋では、〈第二室〉Room2
    として、わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」マルコ伝)から二つの作品群を紹介いたします。

「漆黒に浸して染めあげた『灰色の紙』の発見は『生きぬくんや』(1976年)『エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ(わが神わが神何ゆえ私をお見捨てになったのですか)』(1972年)という十字架のイエス最後の叫び、『言葉は雨のように降りそそいだ』(1975年)などの言葉が次々と姿を現わした。(略)帰宅後の書の制作で辛うじて精神の均衡を保っていた渦中で生まれた『はぐれ鳥とべ』(1978年)が、たどりついた新しい段階への脱出の糸口であった。」(『図録 石川九楊大全』「はじめに」)

(前方の「エロイエロイラマサバクタニ又は死編」1980年 69×8525cm 和画箋 後方に架けられているのが「エロイ・エロイ・ラマサバクタニ」1972年 270×341cm 和画箋)

「エロイエロイラマサバクタニ/わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか/ 神の子などとは幻想にすぎなかった」(「エロイエロイラマサバクタニ又は死編」冒頭)

(前方の「エロイエロイラマサバクタニ又は死編」1980年 69×8525cm 和画箋と後方に架けられた「はぐれ鳥とべ習作」1978年 33×24cm×18 和画箋と「はぐれ鳥とべ」1978年 275×69cm×4 和画箋)

「はぐれ鳥とべ/瞼/可能性が可能性のまま凝固してしまう/ほっそりと青く国を抱きしめて(以下略)」(「はぐれ鳥とべ習作」)

これらでは、タブーへの挑戦を模索していた時代の代表作「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」や85cmに及ぶその続編「エロイエロイラマサバクタニ又は死篇」などの超大作をご覧いただけます。

  1. つぎのふたつの写真は、〈第三室〉Room3
    からのものです。

関係双曲、革命円環、生活楕円、人間不能

ここでは、石川九楊自身の言葉による作品群のユニークな造形の筆蝕が楽しめます。

(左から「無限地獄・一生造悪」1981年 138×35cm×2 中国画箋 「無門」1994年 34×57cm 中国画箋 「大道」1994年 34×57cm 中国画箋 下が「呵凍」1981年 35×91cm 中国画箋 個人蔵)

「あえて書のタブーに挑むかのようにときには灰色に染めた紙に

鉛筆やペンのような筆蝕と速度で書き連ねるなど、

可能な限りの筆蝕の冒険によって『書的情緒』への抵抗を試みた初期作品から

現代社会の混沌と病理を痛撃にえぐる最新の自作詩作品まで、

石川九楊の普遍のテーマである『言葉の表現』は、時代を描く行為へと結びつく。」

(左は「単闘」1978年 130×30cm 和画箋 「太陽はさっさと素裸で海に帰る」1978年136×34cm 和画箋 「触手」1985年 78×45cm 中国画箋 右は「逆説・陰影・十字架(三幅対)」1982年 140×17cm 140×22cm 140×17cm 中国画箋)

(「第三室から第四室への階段を登ると、そこには、石川九楊の言葉がある)

さて、次の部屋をご案内いたしますが、階段を登らなければなりません。

「夜の沈黙の中でひとり静かに墨を磨れ

 心細かったら今もどこかで同じように

 生きることの悲しみと苦しみを

 折り込むように仕事をしている人が

 間違いなくいることを信じて墨を磨れ」(石川九楊)

  1. さて、皆さんは、俳人の河東碧梧桐という人を知っていますか。

〈第四室〉のRoom4は、 ローマの花 ミモーザの花 其花を手に(河東碧梧桐)として、百点以上もの河東碧梧桐の俳句を作品化したのが、この部屋の舞台です。

河東碧梧桐(1872-1937)は、俳人として有名ですが、四国の松山市に生まれています。正岡子規の門下として俳句革新運動を助けますが、その後、高浜虚子と俳壇の双璧となった人物です。その俳句の特徴は、「新傾向俳句」として知られ、その中心的な存在です。特に名高く現在に大きな影響を与えているのが、のちの「自由律俳句」の創作です。紀行文集『三千里』のほか、句誌「海紅」「碧」「三昧」などを創刊しています。

しかし、この河東碧梧桐というひとは、単に俳人であるだけではなく、ジャーナリストとして、政治、社会、美術、演劇、文学一般の評論や、小説や随筆も書き、与謝蕪村の研究もしています。その他、屈指の旅行家、登山家でもあり、能楽は玄人の境に入るほどのものでした。

石川九楊の書との関係で言えば、書道において当時はやっていた六朝書によって、一家をなすほどになるという、大変な多芸多才な人物でした。

(「河東碧梧桐 月の雨静かに雨を聞く夜かな」 2020年 24×34cm 中国画箋)

「『月の雨』−中秋の名月の夜だというのに今日は雨降り。期待は裏切られた。その失望落胆とともに、やむなく静かに雨の音を聞いているという凡庸な句。

 だが、この表現は矛盾を存在原理とする言語にのみ可能。絵画や漫画では表現することができない。中秋の名月の日の雨が『月の雨』。『月』と書くことで、いったん月の姿を見せた上で、『雨』と打ち消し、月を見る代わりに雨の音を聞いている二重写しの映像を喚起する。」(石川九楊『俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』より)

「句が書であり書が句である」と評する自由律俳句の俳人の句からなる「碧梧桐一〇九句選」のオンパレードを観覧できます。

  1. それでは、最後の部屋をご紹介いたします。

〈第五室〉Room5
は、国の名の下で凶悪犯罪は合法という、御伽話からの卒業が必要だ(石川九楊)です。

(「田村隆一 立棺(II−3)1996年 94×61cm  雁皮紙」)

わたしの屍体を火で焼くな

おまえたちの死は

火で焼くことができない

わたしの屍体は

文明のなかに吊るして

腐らせよ

  われわれには火がない

  われわれには屍体を焼くべき火がない

わたしはおまえたちの文明を知っている

わたしは愛も死もないおまえたちの文明を知っている

どの家へ行ってみても

おまえたちは家族とともにいたためしがない

父の一滴の涙も

母の子を産む痛ましい歓びも そして心の問題さえも

おまえたちの家から追い出されて

おまえたちのように病める者になるのだ

  われわれには愛がない

  われわれには病める者の愛だけしかない

わたしはおまえたちの病室を知っている

わたしはベッドからベッドへつづくおまえたちの夢を知っている

どの病室へ行ってみても

おまえたちはほんとうに眠っていたためしがない

ベッドから垂れさがる手

大いなるものに見ひかれた眼 また渇いた心が

おまえたちの病室から追い出されて

おまえたちのように病める者になるのだ

  われわれには毒がない

  われわれにはわれわれを癒すべき毒がない 

 (田村隆一詩集『四千の日と夜』「立棺」Ⅲより)

(「追悼吉本隆明「もしもおれが死んだら世界は和解してくれ」と書いた詩人が逝った」 2012年 60×95cm 雁皮紙)

「だから夜はほとんど眠らない 眠るものたちは赦すものたちだ」と書いた詩人が逝った

「ぼくを気やすい隣人とかんがへてゐる働き人よ/ぼくはきみたちに近親憎悪を感じてゐるのだ/ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」と書いた詩人が逝った

「あたたかい風とあたたかい家とは大切だ」と書いた詩人が逝った

「詩は 書くことがいっぱいむあるから/書くんじゃない/書くこと 感じること/なんにもないから書くんさ」と書いた詩人が逝った

「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる/もたりあふことをきらった反抗がたふれる」と書いた詩人が逝った

「だから ちいさなやさしい群よ/みんなのひとつひとつの貌よ/さようなら」と書いた詩人が逝った

逝った「もしも おれが革命といったらみんな武器をとってくれ」と書いた詩人が。嗚呼

(石川九楊「追悼吉本隆明」より)

この会場には、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟I・Ⅲ」、吉増剛造「オシリス石ノ神I」、「9.11以後I・Ⅲ」その他の作品が、展示されています。

(「石川九楊の直筆原稿と該当の書籍風景」)

(「石川九楊の直筆原稿と該当の書籍風景」)

「吉本隆明ら荒地派の言葉は、時代に翻弄され、敗戦で何もかも失った深い絶望のなかから届けられた言葉です。そして、これらの詩人たちから、絶望こそが起点だとぼくらは教えられた。」(『わが書を語る 石川九楊 自伝図録』「第二章 人生の冒険 時代を書く」より)

(「世界の月経はとまった」(1979年 207×555cm 和画箋 個人蔵)の前で解説を聞く内覧者」)

「なぜドストエフスキーなのか。1970年代以降、移り変わる時代のなかでも80年代から90年代に入るとおかしな時代が訪れます。いわゆるバブルの時代。このときテーマとして浮かび上がってきたのが『罪と罰』の世界でした。敗戦後の労働運動や学生運動が昂揚した一時期、そして60年代末にパリのカルチェラタンから始まる世界的な学生たちの反乱が敗北するまでの時代は、労働者や学生たちが連帯することによって世界をつくりかえることが可能だと信じられていました。ところが90年代になると、世界を変えることはもはやできない、という諦念が蔓延してきます。」(『わが書を語る 石川九楊 自伝図録』「第五章 ふたたび、時代を書く」より)

(石川九楊本人が代表作のひとつとして記念撮影に臨む「エロイ・エロイ・ラマサバクタニ」1972年 270×341cm 和画箋)

「だが1990年代以来、馬鹿げた虚構を背景に深化した錬金術的博打資本主義によって、人々のかけがえのない生活の内実は浅薄化し、機会な犯罪が横行し始めていく。2001年、ニューヨーク、マンハッタンのツインタワーの崩壊の出来事は、『罪と罰的現在』という声が私の耳に囁かれ続けていたこの頃の『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』(ともに1999年)の中に既視感があった。」『2001年9月11日晴−垂直線と水平線の物語I・II』(2002年、2003年)『戦争という古代遺制』(2006年)『2011年3月31日雪−お台場原発爆発事件』(2012年)『「ヨーロッパの戦争」のさなかに−人類の未熟について』(2023年)(『図録 石川九楊大全』「はじめに」)

「ヨーロッパの戦争」のさなかに−人類の未熟について』(2023年)は、ウクライナ戦争を題材に「なぜ戦争はなくならないのか」と問いかけた最新作のひとつです。これまでに獲得した技法を総結集して作品化されたものです。中央上下に走る黒い円の砲弾。このように、「9・11」作品以降、現代社会を痛撃する試作詩文の作品を状況を感受しつつ発表し続けてきました。

「そしてあの光景を現実に目撃します。

 タワーに飛行機が突入するあのシーンは、そこに人びとが生々しく仕事に勤しみ生きていたという背景を想像せずにあえて言えば、非常に美しい。真っ青な空のもと、垂直な構造物に吸い込まれるように入っていった水平線。その事件を目撃して、ぼくははじめて本格的な自作詩を書きました。詩と書を書かずにはいられない衝動に突き動かされた。それはかつての軍国少年たちが、敗戦によって信じていたすべてを奪われ、価値観喪失のなかで詩を書かずにはいられなかった、荒地派の詩人たちに似たようなものだったかもしれません。とにかく無性に書かなければ書かなければ、と思って、ノートに詩のごときものを書き留めた。そして書にした。」(『わが書を語る 石川九楊 自伝図録』「第五章 ふたたび、時代を書く」より)

その他、9・11事件や東日本大震災、東京オリンピック、戦争、領土問題など、世界で頻発する危機をテーマに、状況ととともに製作された自作詩文作品が並びます。

「石川九楊大全」

言葉と格闘する書家の全容。前期・後期、全作品総掛け替えの大規模展覧会

公式ウェブサイト ishikawakyuyoh-taizen.com

2024年7月3日(水)〜28日(日)後期【状況論】言葉は雨のように降りそそいだ

会場 上野の森美術館(東京都台東区上野公園1-2) www.ueno-mori.org

開館時間 10時〜17時(入場は16時30分まで、各会期中無休。ただし、7月1日、2日は展示替えのために休館)

入場料 一般・大・高生2,000円

主催 石川九楊大全実行委員会 日本経済新聞者 上野の森美術館

協賛 株式会社思文閣 サントリーホールディング株式会社 八海醸造株式会社 三洋化成工業株式会社 笠原健治(株式会社MIXIファウンダー) 株式会社グラフィック 株式会社SCREENグラフィックソリューションズ 株式会社モリサワ キンキダンボール株式会社 吉田浩一郎(株式会社クラウドワークス) 株式会社サムエムカラー 大塚オーミ陶業株式会社 カモ井加工紙株式会社 京都精華大学

協力 株式会社ほぼ日 株式会社竹尾 株式会社ミネルヴァ書房 株式会社左右社 市之倉さかづき美術館 文字文明研究所

「シネフィルチケットプレゼント」

下記の必要事項をご記入の上、「石川九楊大全後期」シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上3組6名様に招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんように、よろしくお願い致します。

応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com


応募締め切りは2024年7月15日 月曜日 24:00まで

記載内容
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1.氏名 
2.年齢
3.当選プレゼント送り先住所(応募者の郵便番号、電話番号、建物名、部屋番号も明記)
4.ご連絡先メールアドレス
5.記事を読んでみたい映画監督、俳優名、アーティスト名
6.読んでみたい執筆者
7.連載で、面白いと思われるもの、通読されているものの、筆者名か連載タイトルを、
ご記入下さい(複数回答可)
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9.シネフィルのこの記事または別の記事でもSNSでのシェアまたはリツイートをお願い致します。

以上の内容は、内覧会当日の「ニュースリリース」および『図録 石川九楊大全』(展覧会公式図録)、『石川九楊自伝図録 わが書を語る』(2019・左右社)、『石川九楊作品集 俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』(2022・左右社)、吉本隆明・石川九楊対談 書 文字 アジア』(2012・筑摩書房)、『二重言語国家・日本』(1999・日本放送出版協会)その他を参考に作成いたしました。

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。

                                  以 上