遺品としての映画、あるいはすべての未来へ向けられた手紙
孤児であるとは、ある意味で想像された喪失を生きることであり(ジェシーの「失踪」はその予行練習ともいえる)、それはやがて訪れる未来から現在を見つめることでもある。宇宙人=外部者から「垂直の視点」として捉えられた人間は、過去・現在・未来という水平に進む時間軸を生きていると同時に、彼ら自身が積み重ねてきた垂直軸の時間と歴史を持ち、その中を生きている。日記をつけるように日々の出来事をカメラに収めていく『20センチュリー・ウーマン』のアビーもまた、自らが歩んでいるそのような垂直の時間を意識しつつ、子宮頸がんを患う彼女にとっての未来=死をも予感している。だからこそ、「寂しい」と形容される彼女の写真は「遺品」としての意味を帯びてくるのだ。そして、そのように撮影されたアイテムの写真によって人物を物語る手法は、ミルズ自身の方法論でもある。ミルズが残された「遺品」としての日記=映画を綴るのは、彼自身もまた二度とは戻らない「時間の川」の流れをたゆたい、誰にも訪れる「死」と「喪失」の予感を痛切に感じ取っているひとりの孤児だからだろう。
「私の青空」とあどけない少女のように笑ってくれたお婆さんは、会うたびに私のことを忘れていた。「皆、すべてを忘れる。君は今回のことを思い出せなくなる」と、ジェシーに向かってジョニーは言う。生きるとは変化し続けること、つまり忘れることだ。本作で「もし両親があなたの子どもだったら、どんなことを学んでほしい? どんなことを教えたい?」とインタビューに応えていた子どもたちが、将来、子を持つ大人になったときに再び本作を見たら、いったい何を感じ、何を思うだろう。本作が制作された後、インタビュー対象者の一人だった9歳のデバンテ・ブライアントは、ニューオーリンズの街角に座っていたところを流れ弾に当たって亡くなっている。「起きると思うことは絶対起きない。考えもしないようなことが起きる」。そう、子どもがみな大人になれるわけではない。しかしだからこそ、映画は意味を持つ以前の言葉にならない言葉、沈黙のなかにある声や叫びを封印し、不滅のものにする。それは鍵をかけられたパンドラの箱であり、すべての未来へ向けて投函された手紙であり、開け放たれた窓である。その窓から見える風景に、聴こえてくる声に、目と耳を澄ませてみること。観客はいつでもその可能性の先にある「宛先」になることができるのだ。だから私は、ジョニーが語りかけた言葉をもう一度、自らの声で唱えてみる。「僕がすべてを思い出させてあげる」と。
映画『カモン カモン』本予告
【ストーリー】
NYでラジオジャーナリストとして1人で暮らすジョニーは、妹から頼まれ、9歳の甥・ジェシーの面倒を数日間みることに。LAの妹の家で突然始まった共同生活は、戸惑いの連続。好奇心旺盛なジェシーは、ジョニーのぎこちない兄妹関係やいまだ独身でいる理由、自分の父親の病気に関する疑問をストレートに投げかけ、ジョニーを困らせる一方で、ジョニーの仕事や録音機材に興味を示し、二人は次第に距離を縮めていく。仕事のためNYに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決めるが…。
監督・脚本:マイク・ミルズ 『人生はビギナーズ』『20センチュリー・ウーマン』
出演:ホアキン・フェニックス、ウディ・ノーマン、ギャビー・ホフマン、モリー・ウェブスター、ジャブーキー・ヤング=ホワイト
音楽:アーロン・デスナー、ブライス・デスナー(ザ・ナショナル)
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
2021年/アメリカ/108分/ビスタ/5.1ch/モノクロ/原題:C’MON C’MON/日本語字幕:松浦美奈
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