「答えなしに生きる力」とネガティブ・ケイパビリティ

「男は解決できないときにただ寄り添うことができない」と『20センチュリー・ウーマン』のドロシアは言う。「意味がある」と思ってかけた言葉が、かえって相手に枷を負わせてしまったとき。「答え」てくれると期待してかけた問いかけの返事が、まったくの的外れだったとき。同作で、ジェイミーが思いを寄せる幼なじみのジュリーは「あなたが思う私は私じゃない」と彼にきっぱりと言い放つ。そして同作の最後を締めくくるのは、飛行機で空を駆けるドロシアの美しい姿とともに、父となったジェイミーが息子へ宛てた次のモノローグだ。「祖母(ドロシア)がどんな人間だったかは、伝え切れないだろう」。相手を理解できたと思うことと、理解しようとすることとの断絶と差異。その間で迷いながら、ミルズはただ寄り添い、響きあうことの美しさを描き続けてきた。

「大切なのは、答えなしに生きる力だ」。『サムサッカー』で指しゃぶりの治らない青年ジャスティンに歯科医であるペリー(最高のキアヌ・リーヴス!)はこう忠告する。ケアの分野において、再び注目されている概念のひとつに「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉がある。詩人ジョン・キーツが記し、先述の『ケアとは何か』や『ケアの倫理とエンパワメント』でも言及されているこの概念は、不確実で「答え」のない事態や状況を受け入れ、耐える能力のことを指す。この概念とペリーの台詞の符合は、ミルズ作品におけるケアという主題がいかに本質的なものであるかを端的に表している。

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