俺にも監督ができると思って、助監督をやめた(白石)

――白石監督は助監督をやりながら、市井監督は自主映画を撮りながら、そのプロセスの中でプロの映画監督になりたいという気持ちが強くなっていったわけですね。

白石 そうですね。僕は助監督が作業として本当に楽しかったから、10年ぐらい続けていて。特に若松さんや行定勲さん、PFF出身の監督では犬童一心さんや小松隆志監督、山川直人監督のように面白い映画を撮る人たちの現場はやっていて楽しかったんですよね。でも、中には一生懸命やってはいるんだけど、なぜコイツが監督をやっているんだろう?って思うこともあるんですよ。やっぱり人と人なので、折り合いが悪くなるときがあるんですよね。28、9歳のときにそういうことが重なる時期があったんです。で、コイツらが監督をやれるんだったら、俺にもできる、監督をやってみようと思って、助監督の仕事をバッサリやめて、そこから本格的に準備を始めたんです。

左より白石和彌監督、市井昌秀監督

――その決意と覚悟はスゴいですね。助監督をやめたら、収入もなくなるわけですからね。

白石 そうですね。ただ、そのときにいまはC & Iという名前に変わりましたけど、IMJエンタテインメントという製作会社の社長が僕のことを気に入ってくれて。IMJもすごく勢いがあって、大きな金額の出資もしていたから、いろいろな企画が舞い込んできていて、社内だけではまかないきれないから、脚本開発チームを作って、僕らを外部から呼んでくれたんです。そのときIMJに脚本家として在籍していたのが、僕の『ロスト・パラダイス・イン・トーキョー』(10)や『サニー/32』(18)、『ひとよ』(19)の脚本を書いてくれている高橋泉くん。助監督出身で『孤狼の血』(18)の脚本を書いてくれた池上純哉さんも僕と一緒に脚本開発チームにいたんです。

――話を聞けば聞くほど明確になったんですけど、おふたりは監督に向かうプロセスがまったく違いますね。白石監督は、自主映画を映画塾以降に撮ったりはしなかったんですか?

白石 助監督を始めてからは撮ってないですね。自主映画というよりも、劇場映画のデビュー作をちゃんと撮ろうという意識の方が強かったかもしれない。周りの助監督たちもそうだったからかな。

――デビュー作の『ロスト・パラダイス・イン・トーキョー』は、何がきっかけで撮ることができたんですか?

白石 IMJの組織内の事情で脚本開発チーム全員の契約が終了になって、どうしようかな?
と思っていたときに、製作会社のシネバザールが「小さい予算だけど、映画を作れよ」って言ってくれたのがきっかけでした。

――市井さんの場合は、映画監督になるために、自主映画でPFFのグランプリを獲ることを最初から狙っていた感じですか?

市井 正直、そうですね(笑)。映画を始めたのが27歳だったので、助監督から始めていたら間に合わないと思って。逆に、オリジナルで脚本を書けるのが自分の武器だと思ったし、それしか武器はないと思ったので、日中は映画とまったく関係ない仕事をして、夜は脚本を書くことに集中する日々を送っていました。その上で、PFFが映画制作をサポートしてくれる“スカラシップ”の権利を勝ち取ろうと思っていたんですけど、僕はそれに2度落ちまして(笑)。

白石 スカラシップに2度落ちているんですか?

市井 そうなんです。だから、どうしようかな~?と思ったりもしたんですけど、キノフィルムズのプロデューサーの方が、PFFでグランプリを獲った僕の『無防備』(06)を当時観てくれていて。その方から5年ぶりに連絡があって、商業映画のデビュー作『箱入り息子の恋』(13)を撮ることができたので、PFFでの出会いは非常に大きかったと思います。

白石 PFFの出会いはやっぱり大きいんじゃないですかね。若松さんと犬童さんは確か同じ年に一緒に(最終)審査員をやっていて、そのときに高橋泉くんが自分の脚本で監督した『ある朝スウプは』(04)でグランプリを獲っているんですけど、犬童さんはその場ですぐIMJの久保田修プロデューサーに「高橋泉という人は本当に天才だから、契約した方がいいよ」って電話していて、それで高橋くんはIMJの専属脚本家になったんです。で、若松さんは若松さんで『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)を撮るときに、『ある朝スウプは』を観て印象に残っていた並木愛枝さんをキャスティングしているので、そういう出会いは本当にすごく大きいです。

左より白石和彌監督、市井昌秀監督

PFFのときの伊藤俊也監督の言葉が有り難かった(市井)

――白石さんはPFFのことをどのように見ていたんですか?

白石 助監督をやっている間はあまり行った記憶がないし、さっき挙げた監督のほかにも、成島出監督とか、PFF出身の方の現場につくことはありましたけど、自分のいるところとは違う世界なんだろうな~って思っていたんです。でも、IMJで高橋泉くんと出会って、彼の映画を観てから、ちょっと意識が変わったんですよ。なるほど、PFFは作家を育てているところなんだっていうことをすごく感じたし、若松さんも審査員をやったときに何か浄化されて帰ってきていて。「何とかっていう映画がヘタクソなんだけど、面白いんだよ」って言っていたから、その姿を傍らから見ながら、そういうところなんだ~って思っていたんです。

――市井さんはPFFでグランプリを獲ったときは、スカラシップでデビューするんだ!
という未来だけを見ていたのでしょうか?

市井 スカラシップの企画やプレゼンを頑張ろうとは思っていましたけれど、PFFで有り難いのは、授賞式後の懇親会で審査員の方々からコメントをいただけることなんですよね。僕の場合は、『女囚701号 さそり』(72)や『誘拐報道』(82)などの伊藤俊也監督から言われた言葉がすごく心に残っています。「すごくパッションはあるけど、冗長だ」とか、悪いところも指摘してくれて。その後も映画監督協会などでお会いすることがあったんでけど、「君の映画はしつこいよね」って何度も言われて。でも、そういった言葉が本当に有り難いんです。

白石 分かるな~。

市井 それに、いまはお金をいただいて撮らせてもらっていますけど、自分の意識が1作目の『隼』(05)や2作目の『無防備』に戻っていく感覚があるんですよ。そういう意味では、自分の大事な作品が多少は認められたPFFのあの時間はとても貴重なものだったと思っています。

PFFアワード2008グランプリ作品『無防備』

――『無防備』でグランプリを獲られたときは香取慎吾さんも審査員でしたね。

市井 そうですね。石井岳龍監督からはボロクソ言われて、その言葉もちゃんと覚えているんですけど(笑)、香取さんは僕の『無防備』をすごく推してくれたようなので、本当に感謝しています。

白石 僕はさっきから言っているようにPFF出身の監督の助監督もやっているけれど、その人たちに飲みに連れて行ってもらうと、だいたい「あのときの審査員は誰々で、こんなことを言ってもらえたのが嬉しかったんだよな」とか、「酷評されて、じゃあ、オマエの映画はどうなんだよ!って喉元まで出かかった」みたいな話になって(笑)。だから俺、去年、審査員をやるときにどうしよう?
参ったな~って思った(笑)。

――どんな想いから、審査員を引き受けられたんですか?

白石 高橋泉くんと知り合って、彼が脚本を書き、廣末哲万さんが監督したPFFのスカラシップ作品『14歳』(07)を観たり、高橋くんと一緒に脚本を作ったりしていく中で、彼と熱い議論を交わすことがあったんです。そのときに、こういう議論はもうなかなかできないと思っていたけれど、たぶんまだあるんだろうなと思って、そういう意味でPFFにちょっと触れてみたかったんです。まあ、さっき言ったように、懇親会で受賞者の人たちにちゃんと記憶に残ることを言ってあげないといけないという責任と、それができるかなという怖さもあったんですけど、若松さんもPFFの人たちにはお世話になっているので、僕にできることならと、やらせていただきました。

――やってみていかがでした?

白石 これがね、ビックリするぐらいいい経験だったんですよ。自主映画をやってなかったからなんでしょうけど、ある意味、追体験できたと言うか、審査員をやらせていただいてから半年以上経ちますけど、未だに1本1本のいろいろなシーンが脳裏に焼きついていて。初期衝動で撮っている作品が多かったし、その衝動の強さに圧倒されたんでしょうね。初期のころのPFFは大島渚監督がずっと審査員をされていますけど、それはたぶん楽しくて仕方がなかったからだと思います。僕も新しい才能に出会うのがこんなに豊かなことなんだなって心から思ったし、未だにあの作品を推しておけばよかったな~って後悔することがありますからね。

――白石監督は入選作の18作品をご覧になって、どんなところで新しい才能を感じられたのでしょうか?

白石 自分が思いつかないような、なぜ、こんなカットを撮っているのかな?って感じる瞬間ですかね。そこを考えても分からないし、答えは出てこない。ただ、ヘタクソなだけなのかもしれないけれど、そのカットを撮って編集で入れているということは、彼らなりの何か必然があるんですよね。細かいことで言うと、そういうところです。

左より白石和彌監督、市井昌秀監督

――懇親会ではちゃんと記憶に残る言葉をかけてあげられましたか?

白石 みんなキラキラしていたし、僕はいいことだけを言ってあげようという意識がわりと強いので、いいところだけを褒めてあげていたんです。そしたら、「白石さん、それじゃあ、ちょっとユルいです。ダメなところも言ってください」つて逆に言われちゃって(笑)。

市井 言って欲しいんですよ。絶対に忘れないですから、ああいう場での言葉は(笑)。