その日はその時間にたまたま、伊丹さんが傍にいなかったのでしょう。急遽、私に声がかかりました。このような突然のお忍び行動に同行したのは、後にも先にもこの一回だけです。
「フレディ・肩車・画像」でネット検索すると、ダースベーダー、スーパーマンなどさまざまな扮装をした男性に肩車をされて舞台に登場するフレディが見られます。日本の舞台でも、ツアーに同行した大男のボディガード氏の肩に乗り、英国国旗を両手で大きく広げて必ず舞台に登場していました。
その大男のボディガード氏、フレディと私の三人で、常時待機しているフレディ専用のハイヤーに乗り込みます。どこか特定の行きたい場所があるのかと聞くと「普通の人が普通に買い物に出かけるところに連れて行って欲しい」と言われました。
その日の宿泊ホテルは、新宿の京王プラザでした。駐車場が地下にあるので、ロビーなどで「出待ち」をするファンに見つかることなくすんなり、ホテルを出ることが出来ます。姿を見つけられてファンが走りより、キャアキャア騒がれ、サインをねだられるのを喜び楽しむ若手ミュージシャンも時々いますが、大物の場合、ホテルの正面から出入りすることはまずありません。クイーンも例外ではありません。雨が振っている日には、車の手配をする私たちには本当にありがたい、地下駐車場です。
その日も、雨が降っていました。伊勢丹か三越のどちらかのデパートにしようかと一瞬考えましたが、新宿の地下街、サブナードに行くことにしました。
このような場合、ピックアップの場所をどこにするか。時間はどれほど後にするか。とても大事なポイントですが、フレディの日頃の動きを知らない私は、大男氏に相談しました。
「30分くらい後でいいのでは」
「場所は?」
「さあ」
私は新宿通りの降りたところから丁度一周出来る辺りの、靖国通りで待って貰いたいと運転手さんに伝えました。車を離れる時、運転手さんの名刺を貰い忘れたら大事です。携帯電話がない時代ですから名刺には、車に搭載された電話番号が入っています。
フレディはともかく、大男氏はかなり目立った存在だったと思います。二人は色々な店に入っては、すぐに出てきます。そうして10分か15分ほどした時、店の外で立っていた私に大男氏が店内にフレディを残して近づきました。
「もう帰りたいと言っているので、車を用意してくれ」
繰り返しますが、携帯電話のない時代です。私は慌ててまず近くの店員さんに、一番近い公衆電話の場所を聞き、そこへと走り、ハイヤーの運転手さんに電話をかけ、約束の場所に今すぐ向って欲しいと言いました。
電話をかけて二人の所に戻るとフレディはつまらなそうに店の外に立っていました。
私は二人に近づきながら、待ち合わせの出口のほうを指差します。二人が黙って出口へと歩き出します。二人の後を小柄な私は小走りで追いかけながら、心の中で祈っていました。「待ち合わせ場所に着いた時に、ハイヤーが到着していますように」
地下街の階段を上り靖国通りの約束の場所に出ると・・・ほっ。ハイヤーの運転手さんが大きな黒い傘を差し出し、フレディに笑顔を向けました。
行きもそうでしたが、帰りの車の中でも、フレディは一言も発しませんでした。
いつものようにファンに気付かれず、地下の駐車場から部屋まで送り届けて、大男氏と部屋のドアの前で顔を見合わせました。
「お疲れ様。サブナードが気に入らなかったのかなあ」
「気にしなくていいよ、良くある事だから」
「誰もあなたたちに気付かなかったね」
「それも良くある事だよ」
なぜ、そんな風に考えたのか。
クイーンのメンバーも喜んだエレベーターでの出来事
コンサート会場に向おうと、メンバー全員とそれぞれのボディガードに私が、京王プラザホテルの荷物用エレベーターに乗り込み、地下の駐車場へと向っていました。荷物用エレベーターなので時々、仕事用具を持ったスタッフがボタンを押します。その度に、エレベーターが止まります。止むを得ない事です。クイーンはみな、そのような事には特に寛容で、あわててエレベーターのドアを閉める作業着のスタッフに手を振ったりして楽しんでいました。
あれは何階だったのでしょうか。
エレベーターが止まり、ドアが開き・・・そこには、網タイツをはいて最高のセクシーなおしゃれをしたファンの女性が二人、立っていました。私たちはみんな一瞬ビックリ、彼女たちは大喜びで飛び跳ねます。ボディガードの一人があわてて、エレベーターのドアの「閉じる」ボタンを押しました。
エレベーターが動き出してもしばらく、今、目にしたものの衝撃に一瞬沈黙が流れました。それからどっと笑いが広がり、誰もが口々に話し出しました。フレディの隣に立っていた私にフレディが「あの子たちは何回、この偶然を狙ってエレベーターを往復したのだろう。よくホテルの人間に捕まらなかったね。」と言ってから付け加えました。「僕が彼女たちには興味がない事を知らないのかなあ」
フレディの後ろに居たブライアンが「彼女たちは僕たちみんなに会えてとても喜んでいたね。一生懸命待ってくれたんだ。凄いね」
ロジャーのジョンに話しかける声が聞こえてきました。「見たかい、あの網タイツ。あんなの初めてだよ」
網タイツの二人の女性ファンの話は、しばらくメンバーの話題の中心で、ロジャーが特にスタッフに何度も話して聞かせていました。
クイーンとの一番の思い出は何かと言えば、パンフレット用の対談でも話した、武道館での体験です。夜通し続く、オペラのような舞台造りの下のアリーナ席で椅子を3つ並べて寝ていると、朝5時頃に「終わったぞ!」という掛け声と共に、当時最新の照明機器バリライトが舞台に顔を上げます。私は椅子から体を起こし上を見上げると・・・照明が降り注ぎ、全身が光に包まれました。
もう一つ、忘れられない思い出。それは事務方も裏方も全員で、札幌のビール園に出かけた事です。
当時はまだ、舞台専門の足場作りスタッフは居ませんでした。多少の事は大道具さんが作りましたがクイーンのツアーでは、京王プラザホテルに足場を立てて働いたトビさんが4,5人参加していました。ローディーと言われるコンサート・ツアーのスタッフとは違う意味で、トビさんたちは実に愉快な楽しい人たちでした。そして、クイーンのツアーという、日頃とはまったく異なる世界の仕事を、とても楽しんでいました。
ビール園の打ち上げには、そんなトビさんも参加。もちろんメンバーも参加。ブライアン・ロジャー・ジョンは、スタッフの集まりなどに顔をよく出していましたが、フレディだけ居ない、という事は地方ではよくある事でした。ですがその時は、フレディも参加。その時も始めはあまりみんなと交わる風でもなかったのですが、飲み比べが始まると、メンバーとしてはもちろんいつも最初に登場するのがロジャー。その時もロジャーが美味しそうにビールを飲みました。そしてブライアン?と思っていると、みんなの間から「フレディ」コールが始まりました。「フレディ・フレディ・フレディ」
さあ、どうなるかと思ってみていると・・・
フレディがみんなの前に出て、トビさんの一人とビールのみ競争をし始めました。
誰もが大声で「イッキ・イッキ・イッキ」と叫んでいました。かく言う私も。
小林禮子 (通訳・翻訳者)
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