それは神話だ。街も部屋も窓も、そして蒸気の煙を吐きだしている街路も。誰にとっても、いや、すべての人にとっても、それぞれ異なる神話であり、やさしい緑と悪意に満ちた赤をまばたきかわす信号機の目をそなえた偶像の頭である。川面にダイヤモンドの氷山のように浮かぶこの島を、ニューヨークと呼ぼうがなんと呼ぼうがかまわない。名前はたいして重要ではない。なぜなら、ほかの現実世界からここに入り込むと、人がひたすら探し求めるものはひとつの街であり、自分を隠し、自分を見失い、自分を発見する街であり、フォードが行き交う玄関前の階段に腰を下ろして考えていたように、ひとつの街を探し求めようと計画したとき考えていたように、結局自分は醜いアヒルの子ではなく、素晴らしい、愛に値する存在であるという夢を思い描ける街であるのだから。

トルーマン・カポーティ「ニューヨーク」(『ローカル・カラー』収録)

ニューオリンズに生まれ、4歳のときに両親が離婚。「母親に捨てられ」てルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ州に住む親類の家を転々とした幼少期を送った若きトルーマン・カポーティにとって、ニューヨークという都市は華やかな憧憬の対象であると同時に、作家として自立するという野心を叶えるために、落伍者となる恐怖と孤独に耐えながら日々研鑽を積む苛酷な戦場でもあった。

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カポーティがニューヨークに抱いていたその両面を投影させた小説のなかでも、おそらく最も有名な作品が、後に映画化された『ティファニーで朝食を』(1958)だろう。ホリー・ゴライトリーを演じたオードリー・ヘプバーンは、マリリン・モンローを候補に挙げたカポーティの意思に反して、高級娼婦という肩書きや、夫のいるテキサス州の片田舎から逃げてきたという過去を感じさせないがゆえに、この大都市が象徴する夢と自由の永遠のアイコンとなる。

ジバンシィの高価な黒いロングドレスとサングラスを身にまとい、ショーウィンドウの前でデニッシュをかじりながら五番街を「颯爽と渡り歩く(=ゴー・ライトリー)」彼女の姿は、お転婆な少女のようにも、洗練された女性のようにも見える。過去を持たない妖精のような謎めいた存在だからこそ、ヘプバーンのホリーは今でも世界中の人々を魅了し、憧れの存在たりえている。

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翻って、カポーティと同じく作家になる野心をあきらめきれず、虚ろな日々を過ごしている本作の主人公トーマス・ウェブ(カラム・ターナー)は現代のニューヨークの象徴だ。思いを寄せる古書店員のミミ(カーシー・クレモンズ)にとって、彼は「危険もなく。救済もない。居心地はいいが、恋の相手には退屈だった。謎めいたところが何もない」。

自由と創造性が百花繚乱していた黄金時代に青春を謳歌した両親の世代と違って、現代のニューヨークは今や商業主義が席巻し、もはやその魂は失われてしまったと、物足りなさを覚えながらトーマスは悲嘆している。自身の退屈と凡庸な「無難さ」を嫌というほど自覚している彼は、それでも大学卒業を機にアッパー・ウエストサイドの上流社会に属する両親の実家から離れ、ひとりロウワー・イーストサイドの安アパートで日々を過ごしている。そんな彼が、ある日「謎めいた」男、W.F.ジェラルド(ジェフ・ブリッジス)に声をかけられ、父イーサン(ピアース・ブロスナン)の浮気相手であるジョハンナ(ケイト・ベッキンセール)に接近していくうちに、事態は思わぬ方向へと転がっていく。ヘプバーンのホリーとは逆に、その眼差しは自らの過去=ルーツへと向けられていくことになるのだ。

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本作と同じトム(=トーマスの愛称)を主人公にした長編『(500)日のサマー』(2009)で映画監督としてデビューしたマーク・ウェブは、現在に至るまで、青年や親子の自己形成や成長物語を描いてきた。『アメイジング・スパイダーマン』(2012)で端的に示されているように、それは「物語のテーマはひとつしかない。それは自分とは誰か(="Who am I ?")ということ」、つまりはアイデンティティ(自己同一性)の探求がつねに主題となっている。さらにいえば、それは「物語=フィクション」という形そのものの探求といってもいいだろう。

スパイダーマンの仮面を被ることは、いいかえればヒーローというひとつの役割=フィクションを引き受けることにほかならない。監督ウェブによる「スパイダーマン」シリーズ1作目において、ピーター・パーカーは危機に瀕した子どもを救い出すために、何のためらいもなくスパイダーマンの仮面を脱ぎ捨てる。顔の見えないヒーローではなく、ヒーローもまた同じ人間であると証明するために。そして、それを受けるようにして、続編『アメイジング・スパイダーマン2』(2014)ではヒーローの仮面を被った子どもが、与えられた勇気と力を信じて新たな一歩を踏み出すのだ。ひとつの役割を自らに課したその瞬間から、子どもはもう大人への階段を上り始めている。

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だが、自己を形成する思春期の葛藤が往々にして陥るように、アイデンティティとしての過去=ルーツや物語=フィクションの探求は、その道を踏み外せば二度と現実へと戻れなくなる命がけの跳躍である。カポーティは調査と執筆に6年もの歳月を費やし、殺人者ペリーに自らの影=分身を見ることで『冷血』(1966)を完成させたが、その後、ゆっくりと自滅への道を歩んで行くことになる。役割=フィクションに飲まれることなく、それを統御できることが大人になることだとすれば、母親の面影を求め、『遠い声 遠い部屋』(1948)で「父の不在」という真実に直面したカポーティは、生涯「アンファン・テリブル=恐るべき子供」のままだったのかもしれない。

『冷血』の後に刊行されたカポーティの短編集『カメレオンのための音楽』(1980)に、マリリン・モンローを描いた『うつしい子供』というスケッチがある。共通の友人である女優の葬儀を抜け出して、ニューヨークを彷徨うカポーティとモンロー。死の影に覆われて、ふたりは失われた愛とイノセンスを求めて彷徨う孤児になる。他愛のないひとときが永遠の時空へと結晶化したその掌編はあまりにも儚く、美しい。そこにいるのは、物語を生きることができず、現実に打ちのめされたホリー・ゴライトリーと“弟のフレッド”だから。

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「グリーティングカードも、映画も、ポップスも、嘘ばかりだ。心の痛みも」と、『(500)日のサマー』のトムは悲痛に告発する。まったくその通りだ。人生には嘘や偽善が満ちている。本作の結婚披露宴の場面で唐突に挨拶に登場する新郎の叔父バスター(ビル・キャンプ)は、嘘や偽善に塗り固められ、「戯曲」と化した人生の滑稽と悲惨をシェイクスピア劇の道化さながらに語りだす。演技と素顔の見分けがつかなくなった人生。短い場面ながら、極めて印象的な客観と冷笑に満ちたこの箴言は、本作や『(500)日のサマー』に決定的な影響を及ぼしている青春映画『卒業』(1967)の監督マイク・ニコルズの眼差しを彷彿とさせもする。

だがしかし、とマーク・ウェブは虚偽や欺瞞としての物語=フィクションとなお対峙する。『gifted/ギフテッド』(2017)の最も美しい場面のひとつである病院での出産シーン。7歳の少女メアリーと叔父のフランクは、見知らぬ家族とともに新しい生命の誕生を祝福する。生命が生まれた瞬間に立ち会うことで、メアリーもまた物語=フィクションとして自らのルーツに思いを馳せてはいなかったか。その無条件で圧倒的な存在の肯定は、彼女に生きる喜びをもたらさなかったか。そう、自分自身が「誰」であるかを証明することは、自分ひとりではできないのだ。映画やポップスが奏でる物語=フィクションを見たり聴いたりすることで、人は再び生き直すことができる。そして、その生き直された時間のなかでしか、私たちは自分が「誰」であるのかを確証できないのだから。

父親の涙に触れたトーマスは、南米へと旅立っていったホリー・ゴライトリーのようには、もう窓を見つけても飛び出したりはしないだろう。ある意味で、彼はイノセンスを代償に父親を乗り越え、そこに同じひとりの不完全な人間の姿を見つけたのだ。彼はもう真に親を必要とする子どもではない。しかしだからこそ、私たちは親子のあいだに不完全な人間だけが持ち得るかけがえのない愛と叡智が伝授されていると分かるのだ。映画という物語=フィクションは、現実を再び生きるためのひとつの愛の形にもなり得るのだと、マーク・ウェブはもうひとりの青年ウェブを通じて私たちに教えてくれる。

マーク・ウェブ監督『さよなら、僕のマンハッタン』

マーク・ウェブ監督『さよなら、僕のマンハッタン』予告映像

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【ストーリー】

人生迷走中のトーマスが【おかしな隣人】と
【父の愛人】との出会いによって見つけた“本当の自分”とは?

大学卒業を機に親元を離れたトーマスは、風変わりな隣人W.F.ジェラルドと出会い、人生のアドバイスを受けることに。ある日、想いを寄せるミミと行ったナイトクラブで、父と愛人ジョハンナの密会を目撃してしまう。W.F.の助言を受けながらジョハンナを父から引き離そうと躍起になるうちに、彼女の底知れない魅力に溺れていく。退屈な日々に舞い降りた二つの出会いが彼を予想もしていなかった自身と家族の物語に直面させることになる・・・。

監督:マーク・ウェブ
脚本:アラン・ローブ
出演:カラム・ターナー、ケイト・ベッキンセール、ピアース・ブロスナン、シンシア・ニクソン、ジェフ・ブリッジス、カーシー・クレモンズ
劇中曲:「ニューヨークの少年」 サイモン&ガーファンクル
提供:バップ、ロングライド
配給:ロングライド
2017年/アメリカ/英語/88分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/
原題:The Only Living Boy in New York/日本語字幕:髙内朝子
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4月14日(土)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国順次公開

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