『二十四の瞳』(木下恵介 54)
8年前、東銀座の東劇でロードショー公開された『二十四の瞳』デジタルリマスター版を観た時の感想です。
『二十四の瞳』(54)を公開当時に観ていた方も、作られて53年が経って違う面が見えたのではないではないかと思いました。
初めて『二十四の瞳』を観た人の多くは、木下恵介監督や高峰秀子さんを知っていることで起きる先入観から自由になって、新鮮な印象を持ったのではないかと思います。
僕は『二十四の瞳』のラストで戦後再び、高峰さん演じる大石先生が教職に就いて、雨の中を自転車で岬の分校へ向かう場面になると泣いてしまう。
木下監督が同時期に撮った作品には、家族の絆が薄れて、それぞれがエゴイズムに走る姿を描いた『日本の悲劇』(53)、全寮制の女学校で起きた民主化運動に巻き込まれて自殺に追い込まれていく女学生の悲劇を描いた『 女の園 』(54) がある。
この2作品がリアリズムに徹して現実を厳しいタッチで描いたのに対して、『 二十四の瞳 』は忘れてはならない人間としての原点、自分達がそうでありたいと思う姿が観る人の心を惹きつけ温かくしてくれます。
戦後、戦争が二度と起きて欲しくないという強い願いで制定された日本国憲法をなし崩し的に改憲する動きが盛んになり、同時に戦争中に起きたことを都合の良いように解釈して、戦争が起こした悲劇を忘れさせようとする考えが多くなってきています。
『二十四の瞳』が持つ澄み切った清水のような美しい平和への願いは、20世紀前半に起きた悲劇を知る人が少なくなっていく中、当時の生きていてた人々の思いを僕に届けてくれます。
厳しい時代の渦中にあっても見失わずに信じた真摯なヒューマニズム 、『 二十四の瞳 』を観てもし気恥ずかしさや照れがあるとしたら、今の社会から目を逸らしている恥ずかしさかもしれないです。
木下監督が活躍した戦後すぐの時代は、何を表現するのか見えやすい時代だったという意見もあるかもしれないので、戦争中に撮った『陸軍』(44)に触れておきたいです。
ラストシーンで母親が出征する息子の隊列を追って延々と走り続ける場面。先が見えなかった戦争中に、軍部の意図したはずの「勇ましい出征」ではなく、「 母の想い」を撮ることで、現実の社会と向き合い人間性の大切を描ききった作品です。
『二十四の瞳』を含む木下監督の作品は、僕にとって人間を見つめているかどうかを問われる存在としてますます大切な映画になってきています。