膨大なフィルムに目を通し、無数の光と影を身体に通過させてきた者だけが辿り着ける場所がある。筒井武文は、誰よりも映画を見てきた。だからこそ、批評においてはショットの構造、語りの配置、時間と空間のねじれを、精密な言葉で解体し、映画史を編み直す。そして同時に、彼はその眼差しを保ったまま、作り手としての自由も手放さない。予期せぬ光、偶然の揺らぎ、レンズの向こうに立ち上がる未知の気配──そこにこそ映画の愉しさがあると、筒井は知っている。
『映画のメティエ 欧米篇・日本篇』は、こうした批評と創作の交差点に立つ著者による、映画という営みの根源をもう一度見つめ直す旅の記録である。リュミエール兄弟から田村正毅まで、批評によって現在と映画史を接続させながら、作り手として同時代を生きてきた地点から立ち上がる、もうひとつの映画の地図。映画は記録する=語る装置であると同時に、その神秘に驚き、発見する観客のための見る装置として生まれた。そして見ることとは、まだ名づけられていない可能性のほうへと手を伸ばすことなのだ。
『映画のメティエ』刊行の発端
筒井武文(以下、筒井)
もともとは2016年頃、羽田野さんと野本さんが私の映画批評集を出そうとおっしゃってくれて、各出版社を回っていただいたところから始まっています。だけど、あまり芳しくなかった。その後、森話社の五十嵐さんという編集者の方から「うちで出版を検討したいので、一度お会いして打ち合わせをしたい」と連絡がありました。その時点で、野本さんが僕の原稿をまとめておいてくれたので、それを活用できた。だから、原型は野本さんと五十嵐さんに作っていただいた形です。
当初はまず「欧米篇」を出した後、「日本・アジア篇」、そして「ドキュメンタリー篇」を刊行するという3部作構成でした。ただ、各篇とも膨大な分量があり、「日本・アジア篇」を1冊で収めるのは無理となったので、まずは「日本篇」だけにして、とりあえず「欧米篇」と「日本篇」の2冊構成になりました。
装幀は敬愛する鈴木一誌さんに是非ともお願いしたかったので、五十嵐さんと一緒に鈴木さんのデザイン事務所を訪ねました。それで2019年頃には「欧米篇」の初校までのレイアウトを出してもらってたんです。ちょうど同じ時期に、僕はイランで『ホテルニュームーン』(19)を撮影していました。それが2020年に公開が決まったので、それに合わせて1冊目の「欧米篇」を出そうと準備してたんです。ただ、まだ内容的に少し不満だったので、書き下ろしをいくつか入れたかった。そうしているうちに、まだ納得できる書籍として完成していない段階で、コロナが始まってしまった。だから、映画の公開もそうですが、出版に関しても、決していい時期ではなかったんです。
『ホテルニュームーン』は9月に公開が決まりましたが、公開までには出版が間に合わない。そこに出版社側の諸事情も重なり、出版自体が一度宙に浮いた状態になってしまいました。やがて2023年の山形国際ドキュメンタリー映画祭のときに、参加されていた五十嵐さんと再会して、改めて出版の企画が復活することになった。本格的に再始動したのは2024年に入ってからですが、僕の方でも中断していた2020年から2024年までの間に新しい原稿が増えていた。だから、最新の批評も取り入れつつ、欠けている部分は新たに書き下ろすという形で、僕なりに映画史の流れが再構成できるように本の構成をもう一度組み直しました。
『ホテルニュームーン』予告編
映画史を立体的に浮かび上がらせる
⸻1冊目の「欧米篇」を出される予定だった2020年当初の構成と変わった点などはありますか。
筒井
大筋は一緒です。例えば、「欧米篇」の第Ⅲ部「ジャン・ルノワール」、第Ⅳ部「ポスト・ルノワール」という構成は、五十嵐さんが提示してくれたものです。ルノワールの影響を受けた映画作家たちが、その後どう展開していったのか。ただ、2冊目の「日本篇」は「欧米篇」を出した上でどう構成するかを考えていたので、2024年の段階でほぼ新しく作りました。
⸻映画史の中で必ず出てくる「ヌーヴェル・ヴァーグ」という名称や区分が使われていませんね。
筒井
それは他の人にも言われました。「ポスト・ルノワール」までは五十嵐さんと共同で作った構成です。一番変わったのは第Ⅴ部です。五十嵐さんは「映画のポリティクス」というタイトルをつけていましたが、少しそれには抵抗があったので、単純に「ヨーロッパ映画」、第Ⅵ部「アメリカ映画」というふうに分けました。
第Ⅳ部まではほぼ時系列順ですが、Ⅴ部、Ⅵ部はヌーヴェル・ヴァーグ以降の世代が中心ではありますが、時系列順にはなっていません。例えば第Ⅴ部の「ヨーロッパ映画」だったら、アンゲロプロスから始まってオリヴェイラで終わるように、ヨーロッパの東と西の端という地政学的な枠組みで固めました。その両端の間は、時間的にも空間的にも、あちこちに行くわけです。ただ言えるのは、ヌーヴェル・ヴァーグ以降の世代を中心にした映画、要するに現代映画として見る価値のあるものだけを選んでいます。
これが第Ⅵ部の「アメリカ映画」になると、もう少し複雑になります。ヨーロッパ映画では、どちらかというと空間的、地政学的な意味での区分でしたが、アメリカ映画の方は時間軸的に、過去や現在を行き来するんですね。その中から映画史を浮かび上がらせようとしています。だから、最後に蓮實さんのジョン・フォード論の書評を持ってきて、それに対してアメリカ映画をデイヴィッド・ロウリーで締めくくるというのは、2025年に出版したからこそできた構成ですね。
「ジョン・フォード監督生誕120年!」予告編
デヴィッド・ロウリー監督『グリーン・ナイト』予告編
また、ジョン・フォード論にいきなり行くのを和らげるために、その前に撮影監督の章を持ってきています。撮影技術の進展というのが、ジョン・フォード論の前振りになっている。言い換えれば、「欧米篇」、特に第Ⅵ部は間接モンタージュをしていると言えます。「アメリカ映画」の第1章はキャサリン・ヘプバーンの自伝について語っていますが、ここでは彼女とジョン・フォードとのロマンスが出てくる。これも伏線になっています。だからこの本は、どこから読んでもらってもいいし、読む人が気になる所から読んでもらえばいい本ではあるけれど、全体を通して読むと映画史が立体的に見えてくるんじゃないかと思っています。
ただ、やっぱり依頼された原稿を中心に書いているので、抜けているジャンルもたくさんあります。例えばホラー映画はまったく入っていません。僕はジョージ・A・ロメロが大好きだから、本当はロメロ論を書きたいんですけれど。第Ⅱ部は「コメディ映画」ですが、コメディ映画史の裏にはホラー映画史があるわけで、本当はそこが両方なければいけない。そして、その両者を繋ぐのが「特撮映画」なんです。だから「コメディ映画」にチャーリー・バワーズが入ってくる。コメディと特撮をあわせ持つ映画作家バワーズを介してホラーへ行くと、キングコングのような南洋ものやフランケンシュタインなどの「ホラー映画」にも繋がっていくわけです。その点では「ミュージカル映画」も入っていませんが、先日上梓したヴィンセント・ミネリ論(『Stranger Magazine Vol.9 特集:ヴィンセント・ミネリ』に所収)で、ミネリにおけるミュージカルと非ミュージカルについて語っています。本当はミュージカルやメロドラマといったジャンルの章立てがあるとよかったですけどね。
「NOBODY KNOWS チャーリー・バワーズ 発明中毒篇」予告編
映画の可能性を探求する
⸻今回「欧米篇」と「日本篇」の2冊を通して、筒井監督は映画というメディアが初めて誕生したときに持っていた可能性を探求されていると感じました。「実は映画にはこんな道もあったんだよ」と示唆されている。本書で取り上げられてる杉田協士監督の作品もそうですが、いわゆるハリウッド映画とは違った可能性を感じさせる映画が、監督の好みとしてあるのではないかと。
筒井
それはこの本の裏テーマですね。効率性を主眼とするハリウッド映画自体は好きなんですが、それだけではつまらないと思ってしまうわけです。ハリウッドが語りの効率性を追求した道を進んだということは、歴史の必然ではあったと思います。映画を一般大衆の娯楽として確立させるために、誰が見ても分かるもの、誰が見ても満足させるもの、誰が見ても幸福感を得られるもの、そういう幻想を作る装置として必要だった。
⸻第七芸術としての映画は「大衆」というたくさんの人々に見てもらわないといけない。それはある種、映画のアドバンテージですが、弱みでもあります。例えば、観客の理解力や想像力を信用した映画は「志が高いけれど分りにくい映画」と言われてしまうこともある。そこが諸刃の剣ですよね。
筒井
「商業映画」と「芸術映画」という区別があるけれど、本当はそんなものはないんです。ないけれど、そういうふうに分けることで、映画というメディアの方向性を作っていった。効率性を重視したハリウッドの「商業映画」の基礎を作ったのは、もちろんグリフィスです。ただし、やがてグリフィス自身もそこから排除されていく。その後に出た映画作家としてはシュトロハイムがいます。シュトロハイムは、肥大化したアメリカ映画、いわば究極のハリウッド映画とも言えるものを作りますが、さすがに上映時間が10時間もある映画はカットされざるを得ない。そして彼は完全にハリウッドから排除されて、ヨーロッパに行ってしまうわけです。
だから、いわゆる「ショットの凄さ」か「語り口、説話の効率」のどちらを取るか、という問題になってしまう。本当は両方あっていいんだけど、撮影にお金も時間もかかるショットにこだわった作家は排除されていく。そこで、彼らに代わってより安く、より早く面白い映画を撮る人たちが出てきます。
ただ、映画は大衆の娯楽でもあると同時に、大衆を洗脳する装置でもあります。やがて世界大戦の時代を迎えて、そうした映画が必然的に持っているプロパガンダ機能が強化されていくことになる。だから、リーフェンシュタールを含めたナチズムの映画が大衆を洗脳化していったのと同じように、ハリウッドに代表されるアメリカ映画もその機能を活用して、人々を洗脳していきます。そうすると、同じショットが構成によって、まったく違う「意味」を持つことになっていく。
エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督『愚かなる妻』抜粋映像
⸻映画は受動的に見るもののように思われていますが、実は能動的に見ると、もっと面白くなるものですよね。
筒井
そこがアニメーションと映画の違いです。つまり、アニメーションは絵画をはじめとした従来の芸術の延長なんです。そこでは現実を観察して、それをどう表現にしていくのかという、作家自身のセンスが問われている。だから、絵画が時間化されたものがアニメーションで、これは芸術の発展としては非常に正統的なものです。ところが、アニメーションができる前にリュミエールが実写映画というもの作ってしまった。実写映画は目の前にあるものをすべて映し取ってしまう、つまり「レンズの自動性」です。それまでにこのような芸術はなかった。もちろん、映画以前に動かないものとしての写真があったわけですが、写真が誕生したことによって、絵画の表現も正確さを追求したもの、つまり写実主義から変化していく。つまり、必然的に抽象絵画への道が開かれていきます。
しかし、実写映画というのはそれまで人類が経験したことのないものだったはずです。画面に向かって突進してくる汽車に観客が驚いたという逸話がありますが、もしあれがアニメーションだったら、そこまで驚くことはなかったと思います。アニメーションは作家によって描かれた絵がスライドしているものですから。でもキャメラのレンズは普段私たちが見逃しているものも含めたすべての現実を捉えてしまうもの。だから、映画とアニメーションは一見似ているんだけど、発展のプロセスが逆なんです。
そのようなキャメラやレンズの自動性は、同様に「映写の自動性」に繋がっていきます。ところが、映画が怖いのは、その自動性を徹底しているがゆえに、観客の思考を導びくものとして機能することなんです。特にスクリーンの前では観客の受動性が大きい。キャメラや映写機は自動的に動いているように見えますが、それに関わる人の能動性を引き出すものとして反転する。だから、映画が生まれたことで、哲学や文学、音楽も含めた人類の思考全体が変化したのではないでしょうか。
『リュミエール!リュミエール!』予告編
映画の物質性、編集の身体性
⸻筒井監督は数々の評論のみならず、多彩な映画人にインタビューもされています。本当はそれらインタビュー集でも一冊まとめてほしかったと思います。
筒井
そうですね。作り手として、おそらく国内外問わずこれだけ映画人に話を聞いている人はあまりいないと思います。エドワード・ヤンなど、本に採録されていないものもある。依頼されたけど流れてしまって、残念だったのは、山田五十鈴さんでした。
⸻映画人へのインタビューとは、いわば映画史を継承していく作業でもあります。継承という意味で、これからの映画制作の環境についてもお伺いしたいと思います。今回の評論集と同時期に刊行された『声(ポリフォニー)の映画史 東京藝術大学大学院映像研究科講義録』でもおっしゃっていますが、筒井監督は「映画の物質性」や「編集の身体性」の重要性を説かれています。形のある「フィルム」が持っている物質性や身体性は、「デジタル・ネイティブ世代」にとって、映画制作にどのような意味を持つのでしょうか。
筒井
映画の撮影でも編集でも、デジタルでうまくやるのは大変なことだと思います。フィルムというのは、3分あるいは10分しか連続して撮影できないというロールの長さがあります。その規定された時間の中で何テイク撮れるのか。例えば、あとロールが2分しか残っていないけれど、もうワンテイクこれで回せるのか。それとも、新たにマガジンを取り替えるのか。マガジンを取り替えるとなると、1回休憩してもらわなきゃいけない。ただ、1回休憩を入れてしまうと、今の流れが変わり、テンションが下がるかもしれない。デジタルの撮影は、そうした駆け引きや緊張感がないということです。
芝居もテイクを重ねるごとに役者は慣れてきてしまうから、新鮮さはどんどん失せてしまう。だから本当はリハーサルなしのぶっつけでやりたいぐらいなんだけど、現実はそうもいかない。本当は『自由なファンシィ』(15)もフィルムで撮りたかったんですが、予算やその他の条件で無理だった。それならと発想を切り替えて、デジタルでやれることの面白さを追求する方向に持っていきました。
田村正毅というキャメラマンの存在
⸻映画の持っている可能性の探究という意味では、「日本篇」で論じられているキャメラマン、田村正毅さんの姿勢にも一脈通じるものがあると思います。
筒井
まず、僕が映画批評を執筆し始めたのが1990年代だったということの幸福があります。70年代、80年代はとにかく批評なんか書こうと思わずに、ひたすら映画を見るだけだった。その蓄積があって、やがて90年代に批評を書き始めたわけですが、1995年という年は映画生誕100年を記念する節目の年でした。その年を境に、これまで見られなかったリュミエール兄弟やメリエスをはじめとする初期映画やその流れを大衆化したゴーモン社の作品や、エディソン社にはじまるアメリカの初期映画が体系的に見られる時代になった。
それに加えて、僕は94年の暮れからNHK制作の映画誕生一〇〇年の記念番組を撮影するために、フランスへ取材に行ったんです。そこで改めて映画史を原点から見直すことができたのがすごく大きいですね。それで、これは本当に偶然なんですが、96年に『図書新聞』に書いたメリエス論「物質的な映画の可能性〜反遠近法の饗宴としての『層』の映画」(『映画のメティエ 欧米篇』に所収)で、そうした始源の映画に影響を受けた存在として、当時、青山真治監督の『Helpless』(96)や、諏訪敦彦監督の『2/デュオ』(97)のキャメラマンを手掛けていた田村正毅さんに言及しました。田村さんは、リュミエールやメリエスの映画に興奮なさっていたんです。ここが伏線になって、「日本篇」の第Ⅳ部「世紀末の静かな革命」の田村正毅論「『フレーム』の内側と外側」(『映画のメティエ 日本篇』に所収)に繋がっていきます。
ご存知の通り、田村さんはドキュメンタリーから出発した人ですが、本当はフィクションを撮るのがお好きな人でした。ただ、フィクションを撮るのも、いわゆる「フィクション的」に撮るのは嫌いな人なんです。監督が頭の中でこしらえたコンテ通りに撮るのが、とにかく嫌な人。
諏訪敦彦監督『2/デュオ』予告編
青山真治監督『EUREKA ユリイカ』予告編(撮影:田村正毅)
⸻『トリュフォーの思春期』(76)の撮影監督だったピエール=ウィリアム・グレンさんも、「現場では次に何が起きるか分からないから、それに対応できるキャメラでなければいけない」というラウル・クタールの言葉を大切にしていました。田村さんにもそれと同じ姿勢を感じます。シナリオをなぞっただけの撮影ではなく、何が起きるか分からないキャメラの前にある状況を撮るということ。
筒井
この前のアテネ・フランセでの「映画のメティエ」出版記念上映会のトークで、諏訪敦彦さんが「僕が講評で、カチンコを褒める」と言及されましたが、学生の実習作品のラッシュを見て、カットの頭のカチンコが素晴らしい場合があるんですよ。そのあとの役者の芝居やアクションよりも、そっちの方が面白い。なぜかと言うと、撮影側は別にカチンコを「綺麗に撮ろう」とか「ちゃんと撮ろう」と思っていないからです。カチンコというのは、それが打たれた瞬間が映っていればいいだけです。カットナンバーも読めた方がいいから、キャメラマンや助手はフォーカスも合わせますが、場合によってはボケていたりする。あるいは、緊張している助監督が少し震えていたりする。
つまり、ドキュメントとしてもちゃんと撮ろうとしているわけではなくて、とにかくまず機能的に撮らなければいけない。でも、美的に美しく撮ろうなんて全然思っていないのに、むしろそれが故に、その時に映ったカチンコは、「もの」としての存在感が見事にすくい取られているわけです。物の存在感、それからその瞬間の時間が映っている。
学生の作品でもう一つ褒めることがあるとすれば、例えば画面の手前で役者さんが芝居をしている背景の樹々の向こうで、通行人がすーっと通り過ぎたり、ベビーカーを押し歩いてる人が通ったりする。そこに素晴らしい時間が定着されているんですよ。同じ画面の中にフィクションとドキュメントが同居しているんですが、どう見てもドキュメントの方が素晴らしい。だから映画は難しいとも言えるわけですが(笑)。
エキストラを使うにしても、そのエキストラが本当に偶然映った人なのか、演出されているエキストラを動員したのか、分からないほど面白いはずなんです。役者の演技がいけないと言っているのではありません。役者の演技が素晴らしくて感動する場合ももちろんあります。増村保造のように徹底された「嘘」も面白い。ただ、それはあくまでも一つの方法論だということ。本来「リアリズム」なんてないのに、無自覚にそれがあるつもりで撮っている監督が多すぎるのはいかがなものかと思います。
(聞き手=羽田野直子、野本幸孝)
(文・構成=野本幸孝)
筒井武文
筒井武文(つつい・たけふみ)
1957年生まれ。映画監督、東京芸術大学名誉教授。東京造形大学時代から、映画製作を始める。卒業後はフリーで、助監督、映画編集をやりながら、自主製作を続ける。劇場デビューは、1987年公開の『ゆめこの大冒険』。監督作品に、『レディメイド』(82)、『学習図鑑』(87)、『アリス イン ワンダーランド』(88)、『オーバードライヴ』(04)、『バッハの肖像』(10)、『孤独な惑星』(11)、『映像の発見=松本俊夫の時代』5部作(15)、『自由なファンシィ』(15)、『ホテルニュームーン』(20)。著書に『映画のメティエ 欧米篇』、『同 日本篇』(森話社、2025)、編著書に『声(ポリフォニー)の映画史』(東京藝術大学出版会、同)がある。
筒井武文監督『自由なファンシィ』予告編
『映画のメティエ 欧米篇』
映画の誕生から映画史の発展を、あくなき探求と取材を通して縦横無尽に展開。とびぬけた映画狂であり、映画については知らざることなしという博学多才、同時に映画監督でもある著者の多彩な映画論が躍動する、筒井武文初の著作。
発行:森話社 価格:4180円(税込)
『映画のメティエ 日本篇』
2025年3月に刊行された好評の「欧米篇」に続く「日本篇」。溝口、小津などの古典映画から現代映画へと視点を移しながら、個々の映画に注がれる繊細な眼差しが、新たな日本映画史の流れを形づくる。「欧米篇」同様、多彩な映画論が躍動する。
発行:森話社 価格:3960円(税込)