本特別展は、ガンダーラからバーミヤンを経て日本へと仏教および仏教美術が伝播し、そうしたひとつの弥勒信仰が、釈迦像や菩薩像や如来像によって密教や阿弥陀信仰などとも習合していく様子が、詳細な資料によってわかりやすく展示されている。

第1章 バーミヤン遺跡と東大仏の太陽神

第2章 西大仏の兜率天と弥勒

第3章 アジアに広がる弥勒信仰

第4章 弥勒信仰、日本へ

(入り口を飾る「特別展 文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 —ガンダーラから日本へ—」のインフォメーション)

中央アジアに位置するバーミヤン遺跡。

その石窟に造営された、東西2体の「大仏」。

それはインドの釈尊の滅後、悟りのための小乗仏教と衆生を救済する多仏信仰の大乗仏教のなかで、未来仏である弥勒信仰の流れを原点とする。

本展覧会は、こうした弥勒信仰の流れを、インド・ガンダーラの彫刻と日本の法隆寺など奈良の古寺をはじめ、各寺院に伝わる仏像、仏画による紹介によってその足跡をたどる。

(「地図 ガンダーラからバーミアンの周辺図」)

バーミヤン遺跡は、アフガニスタンの中央部を東西に走るヒンドゥークシュ山脈の中にある。

この地域は、古くからユーラシア各地の文化が行き交う「文明の十字路」と呼ばれていた。

渓谷の崖に多くの石窟が掘られ、その中には東西二体の「大仏」がそびえていた。

しかし、記憶している人もいると思う。

2001年、イスラム原理主義組織・タリバンによって破壊された「大仏」である。

「大仏」の周囲の壁面には、太陽神と弥勒の姿が描かれていた。

本展覧会は、まず、この東西二体の「大仏」を原点とする太陽神と弥勒の世界に迫る。

(「上空から望むバーミヤン遺跡 左手に西大仏 右手に東大仏がわずかに見える」)

バーミヤン遺跡は、アフガニスタンの首都・カーブルから西北西に約120km、標高2500mの高地にある。約1.3kmにわたる崖には、800近い石窟群が掘られており、東西には高さ38mの「東大仏」と高さ55mの「西大仏」がそびえ立っていた。

「仏教歴史地図」によれば、バーミヤン地方は、6世紀頃から交通の要所であり、東のカイバル峠を越えると、ペシャワールを中心とするインドのガンダーラ地方である。多様な人々や文化が行き交い、そこに独自の文化が生まれたため、「文明の十字路」とも称されている。

(「写真とパネル バーミヤン遺跡と東大仏の太陽神」)

遺跡は、バーミヤン渓谷の崖にある。そこには、約800の石窟と東西にふたつの「大仏」が彫られ、周囲には壁画(六世紀末から七世紀初頭)が描かれていた。中央に描かれていた弥勒菩薩は、二十世紀初頭には、失われていた。

「東大仏」の頭上には、長剣と槍をもった太陽神であるイランのミスラがマントを翻している。ゾロアスター教の太陽神は、ヴェーダのミトラを起源とする契約神の未来仏である。

「西大仏」の周囲には、弥勒が住む兜率天の様子が描かれていた。多くの菩薩、天人、天女とともに、描かれた弥勒菩薩は、兜率天に住み、釈迦の入滅後の56億7千万年後にこの世に下りてきて、衆生を救う未来の仏だ。

(「写真とパネル 西大仏と弥勒信仰」)

弥勒信仰は、インド中部のガンジス河のベナレスを中心とする地方に起こっている。釈迦滅後の救済者の弥勒と『瑜伽師地論』の著者である弥勒が混同されるなどしながら、中国と日本の法相宗によってさらに盛んとなった。その信仰の中心は、弥勒のいる兜率天に生まれ変わる上生信仰と弥勒がこの世に下って衆生を救済する下生信仰の独自の信仰形態である。

弥勒は、小乗仏教と大乗仏教の種々の経典にでてくる菩薩であった。現在、「菩薩」として兜率天に住み、釈迦入滅後の56億7千万年後に、「仏」となって衆生を救済するために、この世に下生する救世主だ。しかし、実在の人物としては、『瑜伽師地論』『大乗荘厳経論』『弁中辺論』などの書物があり、兜率天で無着に唯識を教示した師として、インド大乗仏教の「瑜伽行派」の開祖の位置にある。

(「写真とパネル 破壊された西大仏と東大仏(2003年)」)

イスラム原理主義組織・タリバンによって、このバーミヤンの大仏と壁画は、2001年3月に破壊されてしまった。

こうして東西の「大仏」も壁画も破壊されてしまったが、破壊以前に行われた調査隊による調査時のスケッチと写真によって、壁画の描き起こし図が新たに完成した。調査隊(京都大学・龍谷大学・中部大学)による調査の写真やスケッチをもとに、新たに10分の1の縮尺で描き起こした図である。

本展覧会では、「描き起こし図」(「バーミヤン東大仏・西大仏龕天井壁画 「描き起こし図」宮治昭監修・正垣雅子筆 2022年・2023年 龍谷ミュージアム)を初公開している。

(「唐の仏教僧玄奘の足跡を辿る掲示」)

玄奘三蔵といわれた唐の仏教僧・玄奘(602〜664)は、『西遊記』の三蔵法師のモデルとして知られている。

玄奘は、20年近くにわたって、中央アジアからインドへと唯識経典の原典『瑜伽師地論』を求めて旅をした。

インドへと唯識原典を求めて旅する途中、玄奘一行は、630年頃にバーミヤンに滞在している。だから、この「大仏」の姿も実際に目撃しているのだ。

玄奘が書いた旅行記は、『大唐西域記』(会場には、『大唐西域記』6冊 江戸時代・承応2年(1653)刊 龍谷大学図書館が展示されている。)である。そこには、「東大仏」と「西大仏」の二体の大仏を含めて、当時のバーミヤンの風景と信仰の様子が書かれている。

玄奘は、『大唐西域記』の中で、バーミヤンの「東大仏」は「釈迦仏」であると明言している。しかし、「西大仏」については、不明だったようだ。そこで、絵画の内容からその後の研究者たちは、それが「弥勒仏」である可能性を明らかにしていく。

会場には、「玄奘三蔵像」(重要文化財 鎌倉時代・13~14世紀 東京国立博物館)、「玄奘三蔵坐像」(日本 鎌倉時代・13~14世紀 奈良・薬師寺)が、展示されている。

なお、玄奘はインドのナーランダ寺院で、戒賢(シーラバトル)に学び、唯識の諸理論に通じて、護法(ダルマパーラ)の学問を自己解釈して『成唯識論』により有相唯識を中国に伝える。日本の法相宗は、この流れの系譜をもつ。

(頭部と右腕を欠いているが、七頭立ての馬車に乗る「スーリヤ像 マトゥラー 4~6世紀 龍谷ミュージアム」)

インド地域では、ミスラと同じ語源をもつミトラ神が古くから存在していた。「東大仏」の頭上に描かれていたのは、ゾロアスター教の太陽神のミスラである。

紀元前2世紀頃には、ギリシアの太陽神ヘリオスの図像がインドに伝わり、スーリヤはそうした太陽神が融合したものとして、後世まで信仰されていた。

本展覧会では、こうした太陽神と仏教の関わりについても、詳細に紹介している。

(ガンダーラ彫刻では数少ない「風神像 インド北部 グプタ朝・5~7世紀 平山郁夫シルクロード美術館」)

(釈迦に説法を懇願する帝釈天と梵天を描いた「仏伝浮彫」の「梵天勧請」ガンダーラ 2~3世紀 半蔵門ミューズアム」)

弥勒は様々な経典に登場する。

弥勒の上生・下生信仰を説いた「弥勒六部経」のほか、『法華経』類には弥勒が住む兜率天の様子やそこへの往生が描かれ、阿弥陀信仰では阿弥陀如来が住む阿弥陀浄土への往生が説かれる。

本展覧会では、弥勒の信仰・造像に影響を与えた経典や、様々な弥勒の像容を収めた図像などを展示している。

(禅観経典のひとつで、弥勒三部経に含まれる「観弥勒菩薩上生兜率天経 日本 鎌倉時代・13~14世紀開版 京都国立博物館」)

弥勒菩薩像の図像には、インドやガンダーラでの髪を結い上げ、左手に水瓶をもつ姿が通例である。その後、時代が下ると、西域、シルクロードや中国などで足をクロスさせた「交脚」の例が多く見られる。

(中国・朝鮮・日本で流行した弥勒菩薩は、ガンダーラでは観音菩薩と結びつきが強かった「観音菩薩半跏思惟像 ガンダーラ 3~4世紀 平山郁夫シルクロード美術館」)

弥勒信仰は、2〜3世紀頃のインドのガンダーラにおいて広く信仰されていた。

ガンダーラ地域は、パキスタン北西部からアフガニスタンの南東部にかけて、ヘレニズム彫刻の影響を受けた仏教美術で有名な歴史上の土地である。現在のペシャワール、タクシラなどを中心とする地域だ。

ここでは、紀元前から数世紀に渡り、インド的伝統とヘレニズム様式が融和していた。ギリシア的要素の強い前期の石像美術と後期の塑像美術を中心とする。その後、これらの仏教美術や彫刻とともに、弥勒信仰はバーミヤンを含む中央アジア、西域、砂漠、敦煌などのシルクロードそして中国・朝鮮半島へと東漸していく。

本展覧会では、弥勒信仰の源流とアジアへの広がりについて紹介している。

(「日本に伝えられた「弥勒信仰」の仏像に見入る内覧会の参加者」)

さらに、ガンダーラや中央アジアで観音菩薩と深い関係をもちながら発展した弥勒信仰は、半跏思惟像とも関係深い関わりをもちながら、中国・朝鮮を経て日本に伝わってくる。

道昭(629-700)という僧がいた。奈良時代に遣唐使として中国の唐に渡った法興寺の僧である。道昭は、インドの旅を終えて経典の漢訳に努めていた玄奘とその弟子である窺基に師事し、そこで法相宗(中国の唯識を中心とする学問)を学んで、帰国する。道昭は、奈良の興福寺、薬師寺、法隆寺にそれらを伝えた人物であり、日本法相宗の開祖である。彼は、その与えた影響から行基の師でもあった。

会場には、「弥勒菩薩半跏像」(重要文化財 日本・白鳳時代・天智5年(666)大阪・野中寺)、「弥勒菩薩坐像」(重要文化財 日本 平安時代前期・9世紀 奈良・法隆寺)、「弥勒菩薩立像」(日本 鎌倉時代・12~13世紀 和歌山・霊現寺)などが展示されている。

また、日本では、末法思想の影響の中で、平安時代の後期以降も未来仏として「釈迦」が「転輪聖王」になって衆生の救済を説くという弥勒信仰は一層の高まりを見せた。たとえば、吉野金峯山の上生信仰や末法の世を救う下生信仰の活動のほか、「法相曼荼羅」「唯識曼荼羅」などの密教や「阿弥陀浄土曼荼羅」「当麻曼荼羅」などの阿弥陀信仰とも関連をもちながら、独自の展開を遂げている。

(「文明の十字路であるガンダーラとバーミアンに関するさまざまな資料やグッズを販売している」)

日本では、6世紀の仏教伝来当初より弥勒菩薩の存在が重視されていた。特に奈良時代に発展した唯識の立場から諸法のあり方を究明することに務めた法相宗では、南寺の元興寺や北寺の興福寺を中心として弥勒信仰が非常に盛んになっていた。法相宗とは、中国の玄奘がインドからもち帰って翻訳した『成唯識論』に基づいて、それを弟子の窺基が大成した唯識を中心とする宗派である。中国仏教十三宗のひとつであり、日本南都六宗のひとつである。南都六宗で最も勢力があった唯識派の流れには、弥勒から無着・世親への伝説的な経緯とともに、法相宗が継承する唯識学の歴史がある。

本展覧会では、こうした日本の弥勒信仰を背景に生み出された仏像や絵画など、様々な弥勒の姿を展示している。

以上、三井記念美術館では、「特別展 文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰—ガンダーラから日本へ—」を、9月14日(土)〜 11月12日(火)まで開催している。

会  期

2024/9/14(土)〜11/12(火)
※会期中展示替えを行います。

開館時間

10:00〜17:00(入館は16:30まで)

休館日

9月24日(火)、9月30日(月)、10月7日(月)、10月15日(火)、10月21日(月)、10月28日(月)、11月5日(火)

主催

三井記念美術館、読売新聞社

入館料

一般1,500(1,300)円
大学・高校生1,000(900)円
中学生以下 無料

※70歳以上の方は1,200円(要証明)。

※20名様以上の団体の方は( )内割引料金となります。

※リピーター割引:会期中一般券、学生券の半券のご提示で、2回目以降は( )内割引料金となります。

※障害者手帳をご呈示いただいた方、およびその介護者1名は無料です(ミライロIDも可)。

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「ネフィルチケットプレゼント」

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下記の必要事項をご記入の上、「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰
—ガンダーラから日本へ—2024」シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売のないように、よろしくお願い致します。

応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com


応募締め切りは2024年10月8日 火曜日 24:00まで

記載内容
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以上の内容は、内覧会当日の「ニュースリリース」および図録「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰—ガンダーラから日本へ—」を参考に作成いたしました。

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。