国内外の現代美術において、書への注目度が年々高まる中、

長年にわたり書の美を追求してきた書家の石川九楊(いしかわ・きゅうよう、1945年~)。

このたび、「上野の森美術館」を会場に2カ月にわたって大規模な個展を開催する。

書を世界大スケールの表現に深化させた、石川九楊の全書業を一堂に。

現代における書の美を追求し、言葉と格闘し続けてきた書家の石川九楊の書業を一堂に公開する大規模展覧会を開催。

前期・後期と2つの展覧会で、全書作品2000点の中から厳選された300点の作品を展示する。

(会場の作品展入り口にある「石川九楊大全」の案内)

会期の前半、2024年6月8日(土)~30日(日)の前期開催の「【古典篇】遠くまで行くんだ」では、代表作「歎異抄」「源氏物語」をはじめ「李賀詩」「徒然草」「方丈記」など、日本・中国の古典文学を題材にした作品群を展示する。

*「良寛詩」の展示はございません

「【古典篇】遠くまで行くんだ」と題されたこの展示では、既成の書的情緒を否定・拒絶してきた石川が、古典文学に挑む姿が、「歎異抄」「源氏物語」など、日本や中国の古典文学を題材に書かれた「書の宇宙」を感じさせる作品群によって鑑賞できる機会である。

(「石川九楊大全」前編【古典篇】遠くまで行くんだ)

「書は『筆蝕(ひっしょく)』の芸術である」として、書の構造や歴史を読み解き、評論家としても活躍してきた石川九楊。

書の創作活動と、日本語論・日本文化論などの執筆活動の双方で、書の最前線への取り組みを続けてきた。

「書は亀甲や獣骨に刻りつけた甲骨文、また金文そして石刻を前史としています。石を鑿で刻るという書字の基本に通じる隠れた表現がまざまざと生まれてきた。ぼくが筆触にとどまらず、筆蝕=「蝕(むしば)む」という言葉にこだわるのは、この体験もあってのことです。」(『石川九楊自伝図録 わが書を語る』)

〈第一室〉は、「天は暗黒。地は黄色。宇宙は広く広漠である」(千字文)が主題です。

(「千字文 遊鵾獨運 凌摩絳霄 2003年 47×30cm 雁皮紙」)

「大学生時代、作品「ドクドクと血の流れ出るに任せよ」(1963年)が生れたときから、私の本格的な書の歴史は始まった。」(図録「はじめに」)

「筆というのは基本的にこれは刀であり、刃物である。それは万年筆であれ、鉛筆であれ、ボールペンであれ、筆記用具はなんでも同じことなんですが、刃物であるということです。これは比喩としてもそうだし、発生としてもそうだし、さらに言えば事実としてもそうだと言いたいのですね。」(吉本隆明・石川九楊対談『書 文字 アジア』石川九楊)

〈第二室〉は、「長安に男児あり。二十にして心すでに朽ちたり」(李賀)が主題です。

(「李賀詩 感諷五首」其三 1992年 89×22cm×10 中国画箋  個人蔵)

中国唐代の「夭折の天才詩人」である李賀の詩を、東アジア特有の美学であるニジミを多用して会場いっぱいに作品化した。

「開いた筆毫から広がる墨はニジミとなって四方八方に滲出するのみならず、文字の書き痕に侵入し、これを消し去る。李賀詩を書いた「墨痕の海」とでもいうべき一連の表現は、前者の発見の帰結である。」(図録「はじめに」)

(「取材陣と石川九楊氏の会場風景」)

「亡くなった父への追悼・慰霊のために「朝に紅顔ありといへども夕には白骨となれる身なり」で知られる文章を書いたとき、一方では筆は刷毛となって、紙の繊維に沿って墨が平面的に広がってゆく水平の世界、また他方では鑿とも錐ともなった筆蝕が紙の奥深くまで立体的に斬り開いていく垂直の世界とを発見した。」(図録「はじめに」)

〈第三室〉は、「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」(親鸞)が主題です。

(「蘭亭叙(未完) 1981年 136×35cm 和画箋」)

「わたしは九楊が伝統的な書家のあいだで、どう評価され、どう遇されているのかまったく知らない。だがそれがどうであれ、誰もが否応なく九楊の作品を認めざるを得なくなったのは、この時期(80年代初頭・筆者記)からではないかと推測できる。」(『書 文字 アジア』(吉本隆明)

(「伊勢物語 No.7 1988年 36×81cm 雁皮紙」)

書とは言葉の表現であり、ゆえに書は文学である−。

現代書道の前衛的存在として、既成の書的情緒を否定・拒絶してきた九楊が、なぜ古典文学に挑んだのか−。

石川九楊にとって古典への挑戦は新領域への序章でもあった。

日本・中国の古典文学を題材に、墨と紙のもたらすニジミ、カスレといった「東アジア的情緒」を極限まで突き詰めることで見えてくる現界を見定めること。

それは新たな表現の地平切り開くためには必要なことであった。

書は「文字をかくのではなく、言葉を書く表現」である−。

「書字の微粒子的律動である筆蝕を構成して字の画がうまれるわけです」(『書 文字 アジア』石川九楊)

(「歎異抄 No.2(未完) 1983年 94×85cm×2 雁皮紙」)

「ぼくは河東碧梧桐と中村不折、それに中林梧竹、副島種臣に出会います。それぞれに近代の書の歴史に重要な足跡を刻んだ人物ですが、なかでも副島種臣は別格です。」(『石川九楊自伝図録 わが書を語る』)

「編と旁がありますし、またその編のなかのいくつかの字画があるわけです。さらにまたその一画のなかにも、起筆して打ち込む、送筆する、さらに終筆で止めるという過程がある。そこでは、さらにもっと微細な書字の微粒子的律動である筆蝕がおのおのの起筆・送筆・終筆に隠れているわけですね。だとすれば、やがてできあがる文体の全体が未発の形態で筆蝕や字画に書き表わされているんではないか。その書字の微粒子的律動である筆蝕のひとつひとつが文章と文体を構築し、支えているわけです。それを「書体」と呼べば、書体が文体を支えている構造にその深みや厚みというのがあるんじゃないかと思っているんです。」 (『書 文字 アジア』石川九楊)

(「陶版作品『歎異抄No. 18』 2024年 159×104cm 陶版 制作・大塚オーミ陶業株式会社)

「日本製の雁皮紙と円錐形の剛毫を芯とする兼毫の唐筆を見つけ出し、筆先と紙との摩擦によって出来上がった筆跡の変容を一切排し、ほぼ書きつけたとおりの墨痕によって切り込む送筆、終筆を定着する。その達成が、いつかはと思い続け、満を持して文庫本一冊分の全文を書き上げた「歎異抄 No.18」(一九八八年)である。」(図録「はじめに」)

〈第四室〉は、「世の末なれど、仮名のみなん今の世はいと際なくなりたる」(源氏物語)が主題です。

(「源氏物語I 真木柱 2008年 59×94cm 雁皮紙」)

源氏物語五十四帖に加えて、表題のみで本文のない「雲隠」帖をくわえた全55点による「源氏物語書巻」シリーズ。

「この時期、切実な緊張感と共なる揮毫の避けられない現代文と異なり、いくぶんか余裕をもって接近できる古典文を書きつづけることからさまざまな試行と表現法の発見に遊ぶことができた。」(図録「はじめに」)

「ぼくは、伝統書、前衛書という戦後の書の流れがあって、その先の方に自分がいる。ぼくなりに書の可能性を開いているんだって思っているんです。(略)書くテーマとしてはいま古典文学をしきりにやっているのです。古典の方に一度退却すれば、見えてくるものがひょっとしたらあるかもしれないと思ってですね。同時代の言葉はあまりにも生々しくて言葉の意味が即刻立ち上がってしまうから、なかなか書としての意味をのせることがむずかしい。古典であれば、現代文に翻訳するような形である種の意味をのせられるかなと思うんですね。」(『書 文字 アジア』石川九楊)

(「源氏物語I  空蝉 1991年 59×94cm 雁皮紙」)

「「書は書である」という東アジア的伝統芸能に自閉することなく、漢字語を共通語とする東アジアの文明文化の中心に位置する書をもってこの時代を捉えんと欲し、少なくとも時代との接触、最低限、時代と摩擦もしくは擦過せんと試みてきた。」(図録「はじめに」)

(「源氏物語」五十五帖の展覧会場の内覧者)

「その結果、現代美術か現代音楽の図形楽譜と見まごうばかりの姿へと変貌を遂げた。」(図録「はじめに」)

〈第五室〉は、「そこはかとなく書きつくればあやしうこそものくるほしけれ」(徒然草)が主題です。

(「徒然草 No.9 1988年 11×59cm 雁皮紙」)

日本の古典や近代作品に挑戦する石川九楊。そこには、「蓮如」や「歎異抄」との出会いがある。

「歎異抄、徒然草、方丈記、葉隠、枕草子、そしてひらがなの大河物語・源氏物語の日本古典文学を書き進めていくことになる背景には、「蓮如御文」(一九八一年)に出現した、これまで見たこともない文字の姿の発見があった。」(図録「はじめに」)

「これが東アジアのさらにその東海の孤(ゆみ)なりの島を生きてきた私の六十年の表現の歴史である。」(図録「はじめに」)

(「徒然草 No.5 1987年 15×28cm 雁皮紙」)

「文学や評論は言葉から上昇し、書は言葉から下降する。」

「書は、未明の暗部に蠢く、不定形の胎児以前を直截に明るみに出す未然形の文学としていまもなお生きつづけている。」(図録「はじめに」)

(「方丈記 No.3 1987年 15×97cm 雁皮紙」)

「石川さんが言われた〈自然性〉っていうこと、紙という自然でもって、そこに何か「書」を書くことは自然に対して異和を打ち込むことだという観点がいいんじゃないか」(『書 文字 アジア』(吉本隆明)

「書というのは書字筆蝕ですから、臨場−書いているその場−に負う部分が多いですね。意識的に速度や深さ、構成法を組み立てられ、意識的にやるべきだと思いますが、それでも臨終に依存せざるを得ない部分は多い。」(『書 文字 アジア』(石川九楊)

(「取材陣に向かって、会見に臨む石川九楊氏」)

石川九楊は、1945年に石川県に生まれる。両親は、ともに地元の出身であったが、東京での空襲のために疎開先で誕生した。京都大学法学部卒業。京都精華大学名誉教授。五歳から書塾に通い、京大在学中は学生書道で活躍。1978年に書に専念するために石川九楊研究室を設立。「筆蝕」や「書の文学的表現」に着目した独自の書論を展開。1990年、『書の終焉』でサントリー学芸賞、2002年、『日本書史』で毎日出版文化賞、2009年、『近代書史』で大佛次郎賞を受賞。制作作品は2,000点以上、著作刊行は100点を数える。

「ちなみに入学時(京都大学・筆者記)、ぼくは「九楊」となりました。中学の担任の先生で、書の先生でもあった垣内楊石先生からこの名前をいただきました。離れても故郷のことは忘れるなよ、と九頭竜川の「九」を、そして、おれよりいい仕事をしろよ、と先生の名前を一字、「九」の下にくださった。それ以来、ずっと「九楊」です。」(『石川九楊自伝図録 わが書を語る』)

(「盃千字文」棚を背にして会場と作品を観覧する人々)

「石川さんの書論のなかで、具体的な書論というのは簡単に言えば一種の〈技術論〉なんですね。この〈技術論〉をできる人ってのはいないわけなんですよ。ぼくらは実作ができないから、〈技術論〉ができない。いつも感ずるんですけど、伝統的な書家という人が書について言うといつも結果論なんですね。」(『書 文字 アジア』(吉本隆明)

「中国の書の歴史の流れや段階というのは、きれいな線が描けるのですね。(略)ところが日本の書の歴史については、その線がうまく描けないんですよ。(略)基本的な日本の歴史段階を〈環太平洋的〉というか、〈アジア的以前〉の段階のような枠組みを考えてやると、やっと日本の書の歴史というのが書けそうな気がするのですね。いままでの書道史は、日本風の〈和様〉と中国から入ってきた〈唐様〉と二本立てで考えてきたんですね、近代以降は西洋の影響を受けた〈西様〉というのがある。」(『書 文字 アジア』(石川九楊)

その他、この会場には、日本古典を書化した「萬葉歌四首」「葉隠No.3」「葉隠No.6」「葉隠No.7」「風姿花伝No.3」「枕草子No.1」「正信偈」「盃千字文」「陶板作品『歎異抄No.18』(レプリカ)などの書が展示されている。

(「売店に掲げられた「石川九楊大全」の二種類のポスターに見入る内覧者」)

「その引っかくことも、筆で触ることも含めて、〈触る〉ということで書き手の側にはねかえってくる触覚が言葉の思考を促していくということ。それがいわゆる触れるという意味での〈触〉です。蝕むという方の〈蝕〉というのは、同時にそこに定着された形、痕跡を視認するという視覚が働く。〈触〉と〈蝕〉の両者の総合として〈筆蝕〉というものをいちおう考えているのです。」(『書 文字 アジア』石川九楊)

「楷書文字と対応させなれければ、それがその文字であることを了解することはできないだろう。また対応させれば、その文字だと納得することができるようには、文字形象は辛うじて表現されている。ではこの九楊の書のそれぞれの文字の表現は、何によってその文字であることを保証されているのか。墨をできるかぎり少なくして、割れるような穂尖で、背景の紙幅(または布切れ)を擦過するようにその文字形象をつくることによって。」(『書 文字 アジア』(吉本隆明)

(「盃千字文 右より「指薪修祜 永綏吉劭」「矩歩引領 俯仰廊廟」「束帯矜荘 瞻徘徊眺」 2002年 高さ2.2cm,径7.5cm 磁器 市之倉さかづき美術館蔵)

「石川九楊が書の技術的な実相に迫るため創りだしている新しい概念は、筆蝕・筆尖の立て方と押圧角度(スタイル)で、右肩上がりと左下がりなど、実作者としての微細な見識に基いていて、ただの鑑賞者に過ぎないわたしにまるで実際の書の文字を前において、ここはこの書家がこんな心理状態にあったからこんな風に上げるべきところが下がっていたり、水平であるべき線が極端に右肩上がりになるのだと言った説明を受けているような如実感をおぼえ、ただ驚嘆する外なかった。」(『書 文字 アジア』(吉本隆明)

「著者は中国冊封体制下の辺境の島国が漢文字を表音と表意で借用することで無文字の脱出をはかり、やがて平仮名を工夫して文化史的な中国の冊封体制からの離脱を企て、独立してゆく過程を書の芸術的な離脱と独自化と対応させることで、書風の歴史を古代の中国と日本の交渉の歴史と同致させることに最も苦心を払ったのかも知れない。」(『書 文字 アジア』(吉本隆明)

(「大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺~

(NHK2025年放送予定)題字原案」URL https://www.nhk.jp/g/pr/blog/fq3hw6xz4/

(「八海山」ラベル書」)

「七〇年代に吉本さんとか田村隆一さん、あるいは谷川雁さんの詩を自分の書の作品として書いたことがあります。そのときに驚きだったことは、筆を用いたらもう作品としてどうにもならないということなんですね、(略)最後に筆の性質を全く無視して、鉛筆で書くときのようなタッチで、墨の量をへらし、筆を押しつけて書いたとき、かろうじて何か言えたなという感じに仕上がった。」(『書 文字 アジア』(石川九楊)

後半の7月3日(水)〜28日(日)の後期
に開催する「【状況篇】言葉は雨のように降りそそいだ」では、書は「文字を書くのではなく、言葉を書く表現」と考える石川九楊が研究した、「言葉の表現」としての書を紹介する。

「【状況篇】言葉は雨のように降り注いだ」。そこにあるのは、若き日に表現を模索していた時代の代表作「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」や、谷川雁、鮎川信夫、吉本隆明などの日本の戦後詩・現代詩。「句が書であり書が句である」と評する自由律俳句の俳人・河東碧梧桐の「碧梧桐109句選」、9・11事件や東日本大震災、東京オリンピック、「『ヨーロッパの戦争』のさなかに──人類の未熟について」の戦争、領土問題に関する作品など、石川九楊不変のテーマ「言葉の表現」である作品群を紹介する。

2017年の上野の森美術館の展示で評判となった、聖書の言葉を題材にした85mの超大作も展示。

「石川九楊大全」

言葉と格闘する書家の全容。前期・後期、全作品総掛け替えの大規模展覧会

公式ウェブサイト ishikawakyuyoh-taizen.com

2024年6月8日(土)〜30日(日)前期【古典論】遠くまで行くんだ

2024年7月3日(水)〜28日(日)後期【状況論】言葉は雨のように降りそそいだ

会場 上野の森美術館(東京都台東区上野公園1-2) www.ueno-mori.org

開館時間 10時〜17時(入場は16時30分まで、各会期中無休。ただし、7月1日、2日は展示替えのために休館)

入場料 一般・大・高生2,000円

主催 石川九楊大全実行委員会 日本経済新聞者 上野の森美術館

協賛 株式会社思文閣 サントリーホールディング株式会社 八海醸造株式会社 三洋化成工業株式会社 笠原健治(株式会社MIXIファウンダー) 株式会社グラフィック 株式会社SCREENグラフィックソリューションズ 株式会社モリサワ キンキダンボール株式会社 吉田浩一郎(株式会社クラウドワークス) 株式会社サムエムカラー 大塚オーミ陶業株式会社 カモ井加工紙株式会社 京都精華大学

協力 株式会社ほぼ日 株式会社竹尾 株式会社ミネルヴァ書房 株式会社左右社 市之倉さかづき美術館 文字文明研究所

「シネフィルチケットプレゼント」

下記の必要事項をご記入の上、「石川九楊大全」シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上3組6名様に招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんように、よろしくお願い致します。

応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com


応募締め切りは2024年6月23日 日曜日 24:00まで

記載内容
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1.氏名 
2.年齢
3.当選プレゼント送り先住所(応募者の郵便番号、電話番号、建物名、部屋番号も明記)
4.ご連絡先メールアドレス
5.記事を読んでみたい映画監督、俳優名、アーティスト名
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以上の内容は、内覧会当日の「ニュースリリース」および『図録 石川九楊大全』(展覧会公式図録)『石川九楊自伝図録 わが書を語る』(2019・左右社)『吉本隆明・石川九楊対談    書 文字 アジア』(2012・筑摩書房)その他を参考に作成いたしました。

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。

                                  以 上