柳宗悦が説いた生活のなかの美、民藝とは何か。

そのひろがりと今、そして民藝のこれからを展望する展覧会です。

「民藝MINGEI―
美は暮らしのなかにある」

(「砧公園の中にある世田谷美術館の入り口のサインはクラッシックでモダン」)

世田谷美術館では、「民藝MINGEI―
美は暮らしのなかにある」を、2024年4月24日(水)~6月30日(日)
まで開催いたします。

第I章  1941生活展―柳宗悦によるライフスタイル提案

第II章 暮らしのなかの民藝―美しいデザイン

2-1
「衣」を装う 

2-2
「食」を彩る 

2-3
「住」を飾る

2-topic
気候風土が育んだ暮らし―沖縄 

第Ⅲ章 ひろがる民藝―これまでとこれから

3-1『世界の民藝』―新たな民藝の世界

3-2民藝の産地―作り手といま 

3-topic Mixed MINGEI Style by MOGI

この展覧会では、今に続く民藝の産地で働く作り手とその手仕事を十分に紹介しています。

(「柳宗悦自身がコーディネートした「日本民藝館「生活展」会場」(1941年)の作品展示を一部再現した展示風景 1」)

約100年前に思想家で宗教哲学者でもあった柳宗悦(1889-1961)が説いたのが、「民衆的工藝」への注目でした。柳には、『民藝四十年』や『蒐集物語』『茶と美』などの一般に読まれる著書がありますが、こうして「民衆」の「工藝」から「民藝」という言葉が生まれたのです。

1941年(昭和16)、柳宗悦は自身が設立した日本民藝館(東京・目黒)で、「生活展」を展開しています。これは、独自の美意識で蒐集した「下手物」といわれていた全国の手仕事から選び出した民藝の品々で、「用の美」の主旨に基づいて室内を装飾したのです。それは今日の市民社会における生活のライフスタイルとも融合するテーブルコーディネートの初発の試みでした。暮らしのなかに民藝を生かす、そんな思想から独特の手法を提示したモデルルームのような美の実用的な風景により、その展示は暗い時代のなかでも光を放つような画期的な生活美の試みでした。

第I章では、この歴史的な「生活展」の再現を試み、実際に出品された品々なども取り入れながら、柳宗悦が意図した「暮らしの美」をご紹介しています。

(「柳宗悦自身がコーディネートした「日本民藝館「生活展」会場」(1941年)の作品展示を一部再現した展示風景 2」)

日々の生活のなかで「美」を慈しみ、素材や作り手に思いを寄せる。

この「民藝」の「用の美」のコンセプトは、いま改めて必要とされる貴重な考えです。

その日常雑器の「美」への思いと工夫や関心は、私たちの暮らしにとって、とても身近なものとなりつつあります。

本展では、こうした「民藝」について、「衣・食・住」をテーマに、わかりやすくひも解きます。

民藝運動家の柳宗悦が説いた「生活のなかの美」、「民藝」とは何か。本展は、そのひろがりといま、 そしてこれからの民藝の可能性とその取り組みを展望する展覧会です。

(左は呉須鉄絵撫子文石皿 瀬戸(愛知)江戸時代 19世紀 日本民藝館・右は絵志野粟文平鉢 美濃(岐阜) 桃山時代 16-17世紀 日本民藝館)

柳宗悦は、日本の各地で、陶磁、染織、木工などの工芸品のほか、絵画や家具調度などの多岐にわたる品々を求めました。それは、北海道、東北から九州、沖縄に至る日本全国の「民藝地図」になるほどの地域と分野にわたるものです。しかも、それは国内だけにとどまるものではありません。朝鮮半島、中国、欧米などの民藝を求める旅を通じて、独自の美意識による蒐集を重ねてきました。

本展の写真に見るように、江戸後期に作られた「呉須鉄絵撫子文石皿」は、民家の台所などで使用されてきた瀬戸焼の石皿の雑器です。そこには、すずしそうな二輪の撫子が描かれています。花には鉄絵、葉には呉須を用いて、より素朴な味わいを見せています。

もうひとつの右にある「絵志野粟文平鉢」は、茶人に好まれ、茶器の名品で評価のある「絵志野」の作品ですが、美を再発見する柳宗悦の眼にとっては、「雑器の美」の観点から選び抜かれた雑器の中の美の逸品です。

(「住を飾る」と題されたコーナー。左から椅子 オーストリア 19世紀初頭 静岡市立芹沢銈介美術館・桐文行燈 江戸時代後期 個人蔵・箪笥 東北地方 江戸〜明治時代 19世紀 静岡市立芹沢銈介美術館・方形行燈 江戸時代後期 個人蔵・ストーブ 中国 清時代 日本民藝館ほか)

柳宗悦が関心を抱いてたぐりよせたものは、時代は古くは縄文から江戸時代、民藝運動が活発化した昭和の時代というように、まことに幅の広いものでした。そのなかには、同時代の国内各地で作られた手仕事があります。再発見された地方の日用品の雑器の美については、第二章の「衣・食・住」によって分類選択されています。ここにも、柳の「民藝美」の視点が、仄見えています。

写真にある「椅子」は、生動感のある背もたれと、対照的ともいうべきシンプルな座面と外開きの細い脚が組み合わさり、生活のなかにそっとたたずむ「美」の日常性があります。

「桐文行燈」と「方形行燈」は、和時計や大津絵のコレクションも有した高林兵衛宅の蔵品で、文字通り「用の美」を活用する旧家で、柳と高林氏の共感がうかがえます。高林氏の紹介で、後日、柳宗悦と芹沢銈介は出会うことになります。

「箪笥」は、桐と金具によるものですが、金具が箪笥の角や蓋を守るように造られています。デザインには、鶴や亀が彫られ、箪笥の天地を家紋の入った唐草文で繋いでいる職人の芸が、民藝の美の内実を証明しています。

最後に「ストーブ」ですが、大きく開いた口と頑丈な胴回りを持っていますね。それを支える三つ足と側面に開けられた口によって、全てが丸みを持つ柔らかい形状が特徴的な民藝の掘り出しものです。

(「気候風土が育んだ暮らし−沖縄」では、柳宗悦が戦前4回訪れて調査と収集した品々を展示。左から芭蕉布縞着物 首里(沖縄)19-20世紀前半 静岡市立芹沢銈介美術館・焼締按瓶 壺屋(沖縄) 琉球王国時代 19世紀 日本民藝館・螺鈿茶盆 那覇市若狭町(沖縄)1940年頃 日本民藝館・朱漆透彫仏壇 首里(沖縄) 琉球王国時代 19世紀 日本民藝館・クバ団扇 沖縄 1950-60年代 日本民藝館・笠 沖縄 1930-50年代 日本民藝館・花織着物 首里(沖縄)19-20世紀前半 静岡市立芹沢銈介美術館ほか)

朝鮮李朝の白磁をはじめとする民藝に強い関心を持っていた柳宗悦は、戦前に4回、沖縄を訪問しています。第一回は1938年(昭和13)の12月から1月、第二回は1939年(昭和14)の3月下旬から4月下旬、第3回は1939年(昭和14)の年末から翌年にかけてですが、民藝の関係者だけでなく、写真家や評論家、映画会社や経済人を含む総勢26名の旅行団でした。第4回は1940年(昭和15)の7月です。

すでに1920年代から柳田國男(1875-1962)や折口信夫(1887-1953)が沖縄の民俗学の調査に赴いていました。そんな折に、昭和10年代に埼玉県の学務部長をしていた山口泉氏が埼玉県小川町の県立製紙研究所の指導のために、柳宗悦と芹沢銈介(1895-1984)に指導を依頼していた経緯がありました。その山口泉氏が、沖縄県の学務部長になったことで、今度は、柳宗悦に渡沖の依頼をしたことが始まりでした。

「私達のやうに伝統的な工藝品を求めて各地を歩いてゐる者には、琉球の存在は誠に奇跡のやうなものであった。」

「吾々は寧ろ自身勉強に行くのであるから指導の位置にはない。」(以上『月刊民藝』創刊号「なぜ琉球に同人一同で出かけるか」より・1939年4月)

「地方的な文化のことを考ると、日本のどの地方に旅したとて、沖縄ほど濃い又見事な地方文化を持ってゐる個所はない。」(『工藝』第119
号・1948年)

写真にある「芭蕉布」は、糸芭蕉の繊維を取り出して織り上げると、まことに風通しが良く、湿気を逃すために沖縄で多く愛用されてきたものです。

「焼締按瓶」は、柳の前に濱田庄司(1894-1978)と河井寬次郎(1890-1966)が調査と製作に入っていた壺屋で作られていた作品です。常夏に近い南国の沖縄では水を入れて用いると、土肌が冷たさを保つといわれて使用されていたものです。

「螺鈿茶盆」は、沖縄の工芸品のひとつである漆工芸品である漆黒の地に螺鈿を施し、見込みに朱を塗り込めている色彩感は、芹沢銈介を魅了した「紅型」に匹敵するものです。

「朱漆透彫仏壇」は、沖縄の家では仏壇は家の中央に飾られることが多い琉球王国時代の仏壇です。朱塗の地に扉に四つの窓がついています。上部の中央には、卍文が彫られているのも特徴です。

クバの葉を丸い日輪型の非日常的な涼しさを感じさせる「クバ団扇」と頭上から平らで深くかぶれる海用の「笠」も、柳宗悦の美意識にかなうものでした。

「紅型」や「芭蕉布」と同じように、「花織着物」は、沖縄で花織と呼ばれる紋織のひとつで、紺地に花模様が連続して織り出されている美しい手仕事のひとつです。

(Ⅲ-2「民藝の産地−作り手といま」より「小鹿田焼」の展示)

「第Ⅲ章 ひろがる民藝―これまでとこれから」では、民藝の作り手に注目して、「小鹿田焼」(大分)、「丹波布」(兵庫)、「鳥越竹細工」(岩手)、「八尾和紙」(富山)、「倉敷ガラス」(岡山)の5つの産地を紹介。

小鹿田は、大分県の日田市の中心から車で30分ほどの山間部にある土地です。この山間部を流れる水を利用した唐臼で、地元で産出する土をついて粘土にし、傾斜を利用した登り窯で、地元で取れる日田杉材の薪を使用する日常使いの器を江戸時代から焼いてきた窯元の土地です。

「小鹿田焼」の展示では、写真のように、大皿からぐい呑みまで、現代の生活スタイルに合うような工夫もされている品々が並んでいました。

(第1章「生活展の展示作品」より、前方にあるのは鉄絵番茶碗 濱田庄司 栃木 1941年 日本民藝館・後ろはガレナ釉水注 イギリス 1920年代 日本民藝館・テーブルは鳥取の新作民藝の一つで、国画展に入選したものを柳宗悦が完成まもない応接間に常置して愛用したもの 1943年頃 日本民藝館)

「鉄絵番茶碗」は、柳邸で使用されていた濱田庄司の作品です。それぞれが腰回りと高台がやや粗く削られて丹精的な面影のある「番茶碗」です。使い込まれた器の肌は微妙に変化して、しっとりとした落ち着いた風情のある作品となっています。

「ガレナ釉水注」は、写真で見る限りでは紋様ははっきりと見えませんが、スリップで紋様を流し描きする伝統が見えます。特に、口縁と内側には、著しく強いスリップがかけられているのがわかります。バーナード・リーチ(1887-1979)の窯のあるイングランドの最西部のセント・アイヴスの街の荒物屋にあったものを濱田庄司が持ち帰ったといわれています。

(白掛飴青流甕 小鹿田(大分) 1930年代 日本民藝館)

さて、江戸時代の中期から、大分県の小鹿田は、焼き物の里として活動をしていました。柳宗悦は、北九州の各地の窯巡りしていると、ある町でこの焼き物の里で焼かれた皿を眼にしました。こうして「小鹿田」という地名は、固有名となり、特色ある焼き物の里として、雑誌「工藝」に紹介されることになりました。その紹介は『日田の皿山』(柳宗悦・1943)として、纏められています。

写真の「白掛飴青流甕」は、この時の本の挿絵として「民藝の名品」のカラー図版で紹介されたものです。

首から底部にかけては、飴色と緑色が交互に掛け流されています。表面の流れる線の美しさだけではなく、壺の内側も「内白」と呼ばれる白く塗られた内部の技法で作られています。そこに、美しいモダンな色彩が、民家の暗闇の中から忽然と浮かび上がってくる存在感ある「小鹿田焼」の名品がただずんでいます。

(第Ⅲ章「テリー・エリス/北村恵子によるインスタレーション展示」)

暮らしのなかで用いられてきた約150件の美しい民藝の品々を展示する今回の展覧会は、現代の生活に溶け込む「これからの民藝スタイル」を提案しています。

2022年夏までセレクトショップ「BEAMS」のディレクターとして長く活躍し、現在の民藝ブームに大きな役割を果たしてきた、テリー・エリス/北村恵子(MOGI Folk Artディレクター)による、現代のライフスタイルと民藝を融合したインスタレーションも、見どころのひとつとなっています。

ここには、「柳宗悦」や「柳宗理」の思想と「民藝」そのものの具体性を軽やかに活かしながら、「近代」から「ポスト近代」の時代に「古代」「中世」、とくに「近世」江戸の時代の引用を果たす、心豊かな暮らしのスタイルを発信している姿があります。

(「特設ショップ」)

それぞれの民藝品には、渋さとともに、色鮮やかなお土産としての品々が顔をそろえています。若い女性の来館者も、熱心にひとつひとつ見つめている姿がありました。

各地の気候風土と生活に育まれたプリミティブな現代風デザインは、民藝の品々によって新しい生活とライフスタイルの扉を開くものです。

(「各地の手仕事をプレゼントに・・・」)

柳宗悦の没後も、民藝運動は広がりを見せて今日に至っています。

濱田庄司、芹沢銈介、外村吉之助によって刊行された『世界の民芸』(1972年)では、欧州各国、南米、アフリカなどの世界各国の民藝が紹介されました。

また日本の各地でも、民藝運動によって注目された産地では、伝統を受け継いだ新たな製品や新しい世代の職人たちが誕生してきています。

今回の展覧会では、そうした民藝の品々と「用の美」を継承する民藝の実感をじっくりと堪能できます。

(「美術館の建物前に掲示された「民藝展」の案内」)

終わりに、この展覧会に伺った後、たまたま用事で「沖縄」に行く機会がありました。

「日本民藝館賞」を受賞(1971年)した金城次郎さんのお孫さんの「やちむん」の家で、「徳利」と「筆立て」を購入しました。

戦後、東京の柳宗悦の民藝館では、沖縄に関する講演会や舞踏鑑賞が行われていました。特に知られるのが、全9回にもわたって開催された「琉球民芸展」です。さらに、1972年の沖縄の本土復帰に合わせて、その前から大原孫一郎氏の支援により首里の金城町に土地を購入し、濱田庄司と沖縄タイムス社の前田宗信の両氏の尽力で八重山から宮良当康邸宅を解体移築して、日本民藝館の「沖縄分館」開設の準備ができ、本土への復帰を待つばかりでした。

1972年の沖縄本土復帰の年には、東京で「沖縄本土復帰記念」の「沖縄民芸展」が開催されています。まもなく、沖縄の「芭蕉布」が重要無形文化財の指定(1974年)を受けます。そして1975年、那覇市内で「日本民藝館展」と「同人作品展」が開催され、「分館」が開設されたのです。(現在は、閉鎖。)

2022年は、「沖縄返還50年」の年でした。

日本民藝館では、「復帰50年記念」として、「沖縄の美」の特別展示会が、6月から8月にかけて開催されました。

今日の世界的な戦争状態による混迷と不信の時代に、『美の法門』や『南無阿弥陀仏』の著作もある柳宗悦の「美と工藝」は、「美信一如」の思想を背景として、現代の市民社会のなかで、あらたなライフスタイルによる生活の工夫と日本文化の再発見を、「民藝」とその「用の美」に見出しているのではないかといえると思います。

【開催概要】

「民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある」

会期:2024年4月24日(水)〜6月30日(日)

会場:世田谷美術館 1,2F展示室

〒157-0075
世田谷区砧公園1-2
℡ 050-5541-8600(ハローダイヤル)

休 館 日:
毎週月曜日

開館時間: 10
時00分~18時00分
※入館は17:30まで

入 館 料:
一般1,700円 65歳以上1,400円 大高生800円 中小生500円

障害者の方は500円。ただし小中高大専門学校生の障害者の方は無料。その介護者一名は無料(予約不要)。未就学児は無料(予約不要)。入館の際に学生証、障害者手帳をご提示ください。

展覧会公式ホームぺージ
https://mingei-kurashi.exhibit.jp/

主  催:世田谷美術館(公益財団法人せたがや文化財団)、朝日新聞社、東映

後  援:世田谷区、世田谷区教育委員会、J-WAVE

協  賛:TOPPAN

特別協力:日本民藝館

協  力:静岡市立芹沢銈介美術館、カトーレック

「シネフィルチケットプレゼント」

下記の必要事項をご記入の上、「民藝MINGEI
―美は暮らしのなかにある」
シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんように、よろしくお願い致します。

応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com


応募締め切りは2024年5月17日 金曜日 24:00まで

記載内容
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1.氏名 
2.年齢
3.当選プレゼント送り先住所(応募者の郵便番号、電話番号、建物名、部屋番号も明記)
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以上の内容は、内覧会当日の「ニュースリリース」および図録「民藝MINGEI
―美は暮らしのなかにある」その他『評伝 柳宗悦』(水尾比呂志・ちくま学芸文庫)および日本民藝館の資料を参考に作成いたしました。

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。

                              以 上