東京国立博物館では、2024年4月16日(火)から6月9日(日)まで、特別展「法然と極楽浄土」を開催しています。

浄土宗では、令和6年(2024)に、浄土宗開宗850年を迎えました。

本展覧会は、それにちなんだ法然による浄土宗開宗から江戸時代の徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでを通観する、全国の浄土宗ゆかりの名宝の数々を中心に紹介しています。

(「東京国立博物館の平成館の本会会場にある看板とエスカレーター」)

法然と弟子並びに関係する浄土系美術を通覧する本展の構成は、以下の通りです。

第一章
法然とその時代

第二章
阿弥陀仏の世界

第三章
法然の弟子たちと法脈

第四章
江戸時代の浄土宗

(前方は「阿弥陀如来座像」鎌倉時代 十三世紀 京都・阿弥陀寺・後方は国宝「綴織當麻曼荼羅」中国・唐または奈良時代 八世紀 奈良・當麻寺、以下、展示期間には一部展示替えと都合により展示作品の変更がある場合があります。)

平安時代末期、度重なる内乱や災害・疫病によって世は乱れ、人々は疲弊していました。

法然(法然房源空、1133~1212)は、承安5
年(1175)、南無阿弥陀仏と称えることによって誰もが等しく救われ、極楽浄土に往生できると説き、浄土宗を開きます。

(国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)鎌倉時代 十四世紀 京都・知恩院)

法然は、鎌倉仏教の草分けの存在でした。そこには、保元や平治の乱から始まる源平の戦乱や社会の変化があり、時代は文字通り「末法の世」の様相を呈していました。

ところが、政治の混乱や戦乱の長期化、大火事や大地震などの天災に加え、日照りや洪水などによる社会不安や人々の生活の苦難を救済するはずの仏教そのものが、そうした時代に対応できていませんでした。

そうしたときに、法然というひとりの宗教変革者が出てきたといって良いと思います。本展覧会の「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」は、山を越えて、往生者が待つ庵室に飛来する二十五菩薩による衆生救済を象徴的に描いています。法然の元には、武士や旧仏教の側からも多くの弟子たちが訪れています。

例えば、一念義の幸西、多念義の隆寛、諸行本願義の長西、西山義の証空、鎮西義の聖光、白川門徒の信空、紫野門徒の源智、嵯峨門徒の湛空、そして浄土真宗の祖となる親鸞などです。その他、熊谷直実や宇都宮頼綱(蓮生)などの関東武士もおりました。

このうち、九州を中心に浄土宗を広めていた聖光(1162-1238)と関東で活動していたその弟子の良忠(1199-1287)の流れが、「授手印(末代念仏授手印)」を相伝することで今日まで法脈を繋げています。現在の浄土宗鎮西派の白旗派になります。東京の芝の増上寺と関東にある浄土宗の寺院の関係も、ここに発祥の礎を見ることができます。鎌倉の材木座の光明寺に後によった良忠の弟子である聖冏(しょうげい)から聖聡(しょうそう)へと奥義を相伝する五重相伝によって、後に関東の浄土宗の中心となる増上寺も開設されました。こうして浄土宗の寺院を菩提寺とする徳川家康の江戸入部以来、「日課念仏」(伝徳川家康)により浄土宗との強い関係ができることになります。

本展覧会では、江戸時代の浄土宗「関東十八檀林」の中でも、特に「祐天上人坐像」「当麻曼荼羅図・祐天上人像(厨子入)」「宝塔名号」「十念名号」「六字名号」「阿弥陀像並六字名号」(ともに祐天筆・祐天寺蔵)などが、一角に展示されています。

九州を中心とする鎮西や関東で布教をする良忠の存在とともに、京都では法然の身近に支えていた源智(1183-1239)や高弟の証空(1177-1247)の存在がありました。とくに証空は、師の法然の「選択本願念仏集」にかかわり、また弟子も多くおりました。法然が亡くなったあとは、法難(嘉禄三年(1227年)の嘉禄の法難)からその遺骨を守って粟生野におりましたので、やがて京都西方の地にて、今日の浄土宗西山四派の始祖となります。

西山には、粟生の光明寺もありますが、西国巡礼三十三ヶ寺の第二十番の善峯寺があり、その往生院が現在の三錮寺となり、そこで活動したのが証空でした。『歎異抄』の最後の「附録」には、「幸西成覚房・善恵房二人、同遠流にさだまる。しかるに無動寺之善題大僧正、これを申あづかると云々。」とあります。「善恵房」は証空ですが、「無動寺之善題大僧正」は慈円のことです。

(「法然上人像(足曳御影)」鎌倉時代 十三世紀 京都・二尊院と熱心に見入る観覧者)

法然の教えは貴族から庶民までの多くの人々に支持され、現代にいたるまで連綿と受け継がれています。その面影を偲ぶいくつかの「御影」が残されています。

京都の二尊院にある顔をやや左に向けて胸前で念珠を持つ姿は、法然像の定型となっている「足曳御影」です。その他、金戒光明寺に残されている「鏡御影」、福岡久留米市の善導寺にある「法然上人像(伝自筆)」、京都知恩院の「法然上人像(伝自筆)」と「法然上人像(隆信御影)」、茨城の常福寺にある「法然上人像」などが、今回の展示で御覧になれます。

法然上人の「絵伝」には、奈良の當麻寺奥院にある「法然上人絵伝」や増上寺の「法然上人絵伝」、そして東京国立博物館にある「法然上人絵伝(琳阿本)」のほか、全国各地に同様の上人伝やその断簡が残されています。

(「選択本願念仏集(廬山寺本)」鎌倉時代 十二〜十三世紀 京都・廬山寺)

京都御所の東側に隣接している盧山寺にある法然およびその門下の一級資料が、「選択本願念仏集(廬山寺本)」です。そこには、法然の直筆である「選択本願念仏集 南無阿弥陀仏 往生之業 念佛為先」が巻頭を飾っています。

(「法然上人絵伝 巻十八 『選択集』を講義する。」室町時代 十五世紀 奈良・當麻寺奥院)

浄土宗の総本山は、知恩院(京都)です。その傘下に七つの大本山があります。増上寺(東京)、金戒光明寺(京都)、百萬遍知恩寺(京都)、清浄華院(京都)、善導寺(福岡県久留米市)、光明寺(神奈川県鎌倉市)、善光寺大本願(長野県長野市)などの寺々です。

一方で、先の証空の弟子筋には、それぞれ京都の地に総本山をかまえ、永観堂禅林寺(浄土宗西山禅林寺派)、粟生の光明寺(浄土宗西山派)、京都市内の誓願寺(浄土宗西山深草派)などがあります。そうした多くの弟子たちの中に、九州の聖達という人物がいました。この人の弟子が後の一遍であり、今日では時宗となって法脈を相承しています。

(「七箇条制誡 信空 感聖 尊西 證空 源智」鎌倉時代 元久元年(一二〇四) 京都・二尊院)

元久元年、興福寺や比叡山などからの弾圧に対して、法然は門弟たちに自戒を促すよう、「七箇条制誡」が記されます。阿弥陀仏以外の仏や菩薩を謗ってはならないなどの七箇条の前文に対して、法然以下、十一月七日に八十名、翌日の八日には六十一名、さらに翌々日の九日には、四十九名が署名しています。

「七箇条制誡」では、それぞれの順序に従い、信空、感聖、尊西、證空、源智の署名は、他の文書との校閲を経て、真筆であることが証明されています。

なかでも、第四番目に署名を見る証空の話で重要なものは、奈良の當麻寺に伝わり、今回展示されている国宝の「綴織當麻曼荼羅」についてのものです。

当時、未だその中将姫伝説の中で未解釈となっていたこの曼荼羅を善導大師の「観無量寿経疏」を下地にして描かれたものとして、読み解いたことです。ですから、その後の活動でも、この「當麻寺の曼荼羅」は大きな力となって、転写本の制作や図像の流布などにより、浄土宗の布教活動に寄与しました。現在、それぞれ西山派の寺院や各地の寺には、今回拝見することのできる「当麻曼荼羅」の変相図を見ることができます。

(「善導大師像」鎌倉時代 十三世紀 京都・百萬遍知恩寺)

法然は、中国の唐の善導の著書から決定的な影響を受けました。そして、開宗のよってたつ経典を浄土三部経と往生論(三経一論)としています。

それが、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」と世親(ヴァズヴァンドゥ)の「往生論」です。

なかでも、善導が書いた「観無量寿経疏」の一説は、「一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問わず。念念に捨てざるは、これを正定の業と名づく。かの仏願に順ずるが故に」として、法然の信仰の質の高さを示す立宗の要の文章ともいえます。

こうして、法然は一説によれば夢の中で、今回善導の文章を典故とする「二河白道図」(京都清涼寺・光明寺)が展示されていますが、善導大師との「二祖対面」を果たしました。その他、京都の百万遍知恩寺の「善導大師像」など、多くの大師像を見ることができます。

浄土宗では、「浄土五祖」として、浄土宗の相承の祖師である五人の中国の高僧をあげています。それが、曇鸞、道綽、善導、懐感、小康です。本展覧会でも、二尊院、百万遍知恩寺、知恩院他の「浄土五祖像」、神奈川県光明寺の「浄土五祖絵伝」と「浄土五祖絵」などを見ることができます。

これに対して、親鸞は浄土真宗の相承の祖師として、「七高僧」といわれる高僧の名をあげています。インドの龍樹、世親、中国の曇鸞、道綽、善導、そして日本の源信、法然です。親鸞がいかに法然を尊敬していたかは、『歎異抄』(梅原猛校注・現代語訳)などでも、とてもよく知られています。

(左は「山越阿弥陀図屏風」鎌倉時代 十三世紀 京都・金戒光明寺・右は「五色糸および由来書」室町時代 十五〜十六世紀(由来書 永正三(一五〇六)) 京都・金戒光明寺)

今回の「法然と極楽浄土」展で大変驚いたのが、「綴織当麻曼荼羅」の原本と修復されてほとんど見られない知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」のふたつの国宝が、本展示に加わっていることです。

それと同時に、浄土教の仏教美術を代表するものとして、月があたかも昇るように山の彼方から半身を現わす阿弥陀如来を描いた、京都永観堂の禅林寺の「山越阿弥陀図」や京都国立博物館の「山越阿弥陀図」がみごとな様相で展示されていることでした。

そこでは、金戒光明寺の観音開きの「山越阿弥陀図屏風」と後世のものと思われる臨終行儀に使用された「五色の糸および由来書」も、ひときわその存在感を示すようにして、並んで展示されていました。

転法輪印を中央で結ぶ阿弥陀如来。

左右から蓮台上に描かれた観音菩薩と合掌する勢至菩薩。

それが山越しに描かれています。

上部には、恵心僧都源信の撰になる讃が墨書されているのが見えます。

(「地獄極楽図屏風」鎌倉時代 十三〜十四世紀 京都・金戒光明寺)

今回の展示会は、困難な時代に、分け隔てなく万人の救済を目指した平安から鎌倉時代の法然を中心に、その弟子である鎮西と証空のふたつの文脈をたどっているのが特徴です。

門弟たちの生き方や、大切に守り伝えられてきた多くの文化財にふれることができます。

浄土宗や法然だけではなく、仏教及び仏教美術・文化に関心を持たれている方への貴重な機会となっています。

(「仏涅槃群像」江戸時代 十七世紀 香川・法然寺)

今回の東京会場の見どころは、以下の通りです。

  1. 中世にさかのぼる東日本の重要寺院からゆかりの名宝を展示
  1. 徳川将軍家の菩提寺・増上寺と関連寺院の宝物を紹介
  1. 広い展示室でスケールの大きな再現展示

浄土宗の開宗から850年という節目の年。本展示会は、「法然と極楽浄土」をテーマに、浄土宗開宗850年慶讃委員会の特別協力により、東京から関西、そして九州へと順次に巡回します。

【開催概要】

特別展「法然と極楽浄土」

会期:2024年4月16日(火)〜6月9日(日)

会場:東京国立博物館 平成館(上野公園)

休 館 日:
毎週月曜日、5月7日(火)(ただし4月29日(月・祝)、5月6日(月・休)は開館)

開館時間: 9
時30分~17時00分
※入館は閉館の30分前まで

入 館 料:
本展は事前予約不要です。一般2,100円 大学生1,300円 高校生900円

中学生以下は無料 および障害者とその介護者一名は無料。入館の際に学生証、障害者手帳をご提示ください。混雑時は入場をお待ちいただく可能性がございます。本券で、会期中観覧日当日1回に限り、総合文化展もご覧になれます。

問い合わせ:
詳細は、展覧会公式チケットページをご覧下さい。

展覧会ホームぺージ:
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2629

主  催:東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社

特別協賛:キャノン、大和証券グループ、T&D保険グループ、明治ホールディングス

協  賛:JR東日本、清水建設、竹中工務店、三井住友銀行、三井不動産、三菱ガス化学、三菱地所、三菱商事

特別協力:浄土宗開宗八百五十年慶讃委員会、文化庁

協  力:NISSHA

「シネフィルチケットプレゼント」

下記の必要事項をご記入の上、「法然と極楽浄土」シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上3組6名様に招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんように、よろしくお願い致します。

応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com


応募締め切りは2024年5月10日 金曜日 24:00まで

記載内容
☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・。☆.・
1.氏名 
2.年齢
3.当選プレゼント送り先住所(応募者の郵便番号、電話番号、建物名、部屋番号も明記)
4.ご連絡先メールアドレス
5.記事を読んでみたい映画監督、俳優名、アーティスト名
6.読んでみたい執筆者
7.連載で、面白いと思われるもの、通読されているものの、筆者名か連載タイトルを、
ご記入下さい(複数回答可)
8.よくご利用になるWEBマガジン、WEBサイト、アプリを教えて下さい。
9.シネフィルのこの記事または別の記事でもSNSでのシェアまたはリツイートをお願い致します。

以上の内容は、内覧会当日の「ニュースリリース」および図録「特別展 法然と極楽浄土」を参考に作成いたしました。

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。

                              以 上