4月20日(土)から全国公開される『辰巳』。鮮烈なデビュー作『ケンとカズ』から8年という歳月をかけて制作された小路紘史監督待望の長編2作目は、前作に熱狂したファンの期待を裏切らない渾身の傑作となっている。

「運命に翻弄されるふたりをシェイクスピアの様に描いた作品」と評された『ケンとカズ』と同じく、本作もまた古典の風格と完成度を備えていることは、ロケハンからキャスティング、撮影から編集に至るすべての工程を妥協せずにつくり上げた小路紘史監督の実力と演出力の成せる業に違いない。

俳優の持つ魅力を引き出し、タランティーノのように自らの愛する映画からの影響を作品に還元しつつも、小路監督作品の中心にあるのは「人間=名前」だ。運命と人間を描きながら、運命の側に与することなく、常に人間の側につくこと。映画づくりを含めた人を疎かにしないその姿勢に、ノワール=闇に覆われた現在の日本社会を射す一条の光を見る思いがした。

今回公開を記念して、小路監督が学んだ「東京俳優・映画&放送専門学校」の講師としても活躍されている脚本家の羽田野直子さんと監督の特別対談をお届けする。

©︎小路紘史

不安と閉塞感を抱えた映画学校時代

羽田野直子(以下、羽田野)
どうしても小路君、と呼んでしまうのですが、映画学校時代に希望に満ちて、これから「自分のやりたいことを絶対にやる」と言っていた人が本作のような映画を撮るということに、私たちのような右肩上がりのバブル経験世代とは異なる、ある種の閉塞感のようなものを感じました。ご出身である広島の街もそういう雰囲気があったと聞いていますが。

小路紘史(以下、小路)
そうですね。ただ地元の広島に住んでいるときにはそんな閉塞感があるとはまったく思っていませんでした。地方から東京に出てきた人なら、おそらく誰もが感じると思うんですが、僕も東京に出てきて初めて、それまではいわゆる「ムラ社会」的な閉塞感があったことに気づいて。それはまた、将来何をして、どう生きていくのか分からない、地方の田舎町で一観客として映画に接してきた18歳の自分が抱えていた不安や閉塞感でもあった気がします。

羽田野
地元の広島ではどんな映画をご覧になっていたんですか?

小路
当時は「チャイルド・プレイ」や「13日の金曜日」などのホラー映画やアクション映画ばかりを観ていました(笑)。

羽田野
その中で映画監督を志すようになった?

小路
映画監督にはなりたかったんですが、自分では絶対になれないだろうと思っていたので、当初は映画に関わる仕事なら何でもやろうという気持ちでした。幼少期は戸田奈津子さんのような映画字幕翻訳者にも憧れていましたね。だからいろいろな経験ができて映画を総合的に学ぶことができる「東京俳優・映画&放送専門学校」に入学したんです。

それからその学校で編集を教えていたキム先生から「ひとつでもいいから作品をつくってみたら」と言われて、短編のホラー映画をつくりました。その作品が映画祭に出品されることになり、やはり監督の道を続けていこうと決意するきっかけになったんです。

羽田野
学生の頃というのは、やはり誰かに認められないと、自分だけで自信を持つというのは無理だと思います。

小路
思い返すと、映画学校に通っていた頃の方が不安や閉塞感はあったかもしれません。周りはみな映画をつくっていて、自分はその中のひとりでしかない。映画制作を志しているいまの若い方たちと同じように、「このまま映画をつくっていって、将来ちゃんと食べていけるのかな」と。

©︎小路紘史

「古典」への志向と俳優の「いま」の演技

羽田野
「バラす」人であり弟を失った辰巳(遠藤雄弥)と、「組み立てる」人で姉を失った葵(森田想)との関係性など、今回の『辰巳』は脚本を含めて本当によくできていると思います。

−−人物たちはみなリアルで擬似家族的な関係性で繋がっているけれど、どこか神話を感じさせるような象徴性を帯びている気もします。前作『ケンとカズ』(16)にも、欠けている不完全な者同士がひとつになることで、はじめて人間として「完成」するといったような神話的な原型の構造がありますね。脚本づくりで大切にしていることなどはあるのでしょうか。

小路
羽田野先生の教えを大切にしていることでしょうか。神話とおっしゃいましたが、もともと古典がとても好きなんです。どの年代のどの俳優であっても成立するものが「古典」だとすれば、極力シンプルな骨格で、俳優が「いま」の演技をしてくれれば、それは必ず現在にも通用するのではないか。だから、もう何度も語られているストーリーがやりたかったんです。

羽田野
それでシンプルな「復讐劇」に行き着いたと。それでいて、他の誰にも撮れない映画になっていると思います。おっしゃったように、俳優たちがしっかりと作品にある「いま」の時間を生きている。例えば、小津安二郎や相米慎二などさまざまなタイプの演出をする監督がいますが、小路君は俳優にはどのような演出をされるのですか。

小路
撮影にはそんなにテイクを重ねたりはしていませんが、撮影以外のリハーサルや話をする時間はたくさんありました。リハーサルにはインする前におよそ3週間、しっかり綿密なものとしては10日間ぐらい時間をかけましたね。そうした事前の作業が作品にもよく表れていると思いますし、そうできることが通常の商業映画とは違う、自主映画の良いところではないでしょうか。

羽田野
なるほど。葵役の森田想さんなどは普段とはまったく別の人格に見えますし、それはやはり演出の力だと思います。

小路
ありがとうございます。今回はキャスティングを真っさらなところから始められたことも良かったと思います。すべて一から、自分で俳優たちと話すことから始められた。だから、作品が完成しても自分の思いからズレることはないだろうという確信がありました。

©︎小路紘史

すべて自分で足を運んだロケハンのこだわり

羽田野
脚本づくりもそうですが、すべての段階で丁寧につくり上げていかれたのですね。また本作で驚いたのは、「ここはどこだろう?」というエアポケットのような匿名的な場所が随所に出てくることです。おそらくロケハンにかなりの時間をかけられたのだと思いますが、そうした点にも入念な準備が伺えます。

小路
そうですね。以前、ポン・ジュノが『殺人の追憶』(03)の制作時に、前作でできなかったことをより良くするために、すべて自分で足を運んでロケハンをしたと読んだことがあって。そうした作品づくりの精神にも共感を覚えて、僕も本作ではすべて自分の足で撮影場所を探しました。

羽田野
『ケンとカズ』のような暴力シーンの多い映画には、撮影場所は貸せないと断られたこともあったと聞きましたが?

小路
そうなんです。ただ結果として、本作に出てくる後藤の工場を貸していただけたので、それは良かったと思います。

羽田野
あの場所も素晴らしかったですね。「日本的」なものを消した無国籍なところがすごく良くて、それがノワール性を高めているとも思います。

小路
そうですね。そういう「日本的」なものを排除しないと、本作のような話は成立しないと思っていました。

©︎小路紘史

羽田野
そうしたロケハンやキャスティングを含めたすべての面で、しっかりと時間をかけてつくり上げていった。『ケンとカズ』のあとでさまざまな商業映画のオファーがあったけれども、2本目はちゃんと自分が納得する形でつくりたいという思いから自主製作の道を選んだという、その志に打たれます。本来なら、そうしたつくり手の志を守るプロデューサーがいるべきだとは思うのですが。

小路
なかなか難しいですよね(笑)。ただ、実際に守ってくださるプロデューサーの方がいたとしても、本作を成立させるのは難しかったと思います。普通なら製作に8年もかけることはできないですから。だから、今後はもう少し短い時間でしっかりと映画をつくることのできる腕を上げていくしかないなと。

羽田野
でも、そうした時間をかけたことが結果として作品に表れていますから。建築の世界では「お金がなかったら時間をかけるしかない」とよく言うんです。予算があれば時間は短くすることもできるけれど、ないのであれば時間をかけてつくるしかない。建てる前の基本設計、実施設計の段階にちゃんと時間をかける。もちろん、実際に建てる時間は短くしなければいけませんが、そういうところはすごく映画づくりと似ていると思います。

小路
なるほど、そうなんですね。本作も俳優のテンションもあるので、やはり撮影は凝縮させないといけませんでした。ただ、辰巳と葵が竜二(倉本朋幸)を殺すために中華料理店に入っていくシーンなどは、撮影が終わった2年半後にもう一度追加撮影をさせてもらったんです。もともとのシーンは門番がひとりしかいなかったんですが、たくさんの門番がいる中で、入っていく二人を見逃すという描写にしたかった。だから、他のシーンと比べて見ると、あのシーンだけ二人の顔つきが全然違っていると思います。

©︎小路紘史

暴力の反対側にあるもの

−−『ケンとカズ』に続いて本作には苛烈な暴力描写があります。劇中で兄貴(佐藤五郎)が「暴力は快楽だ」と言う一方で、最後には「暴力は快楽ではない」と否定しますが、小路監督は暴力の持つ本能的、衝動的な面を描きつつ、それがもたらす負の連鎖や弊害を冷静に見つめてもいると思います。そうした映画における暴力の描き方については、どのようにお考えですか?

羽田野
本来、暴力描写は痛いものであるべきだと思います。形でスタイリッシュにやってしまうと、それは「嘘」になる。

小路
その通りだと思います。暴力の表現については、色々な映画を参考にしながらつくりましたが、やはり怖さがなければいけない。普段では体験できない、復讐という映画でなければ体験できないようなことを描きたかった。日常では絶対に体験したくないようなことを中途半端にやっても見るひとには伝わらないし、暴力の反対側にあるものを描くことはできない気がします。徹底的に暴力を描くことで、その逆にあるものが自然と浮かび上がってくるのではないかと。

羽田野
その点では、葵の姉である京子(亀田七海)が死んでいくときのあのリアルさにも意味があったと思います。あのシーンによって、「絶対に仇をとってやる」と葵が決意する時間として意味を持つことができた。そしてまた、かつて愛した女性である京子に対して、もう助からないと分かっていながら「大丈夫だ」と声をかける辰巳の優しさと、これから彼の背負う責任の重みが垣間見える時間でもあったと思います。

小路
ただ、本作で描かれる暴力の描写が行き過ぎているという批判もありました。直接的な描写は意図的に外しているのですが、目を背けてしまう耐性のない方々がいるということは想像できなかった。僕自身は性別にかかわらず、本作の描写は全然大丈夫だと思っていたんです。だから、その辺りの感覚がもしかすると僕は麻痺しているのかもしれません。

©︎小路紘史

映画=日常とは違う世界の先に

小路
普段、俳優の演技や映像について訊かれることは多いですが、今回こうして脚本について褒めていただけるのはうれしいです。でも、僕はまだト書きの書き方などが全然分からなくて。

羽田野
よく映画とテレビの違いについて話すのですが、映画は骨組みが大切。その間を演出や俳優の身体性が埋めていくものだと思います。だから、まず骨組みがしっかりとできていないといけない。ト書きの書き方とおっしゃいましたが、脚本はいわゆる文学とは違うから、読み物として面白い脚本が良い脚本だとはかぎらないんです。まず視覚情報がしっかりと書き込まれていることが大事。でも、小路君は自分で撮っているので、そんなに書く必要はないんじゃない?

小路
自分で撮る場合は、脚本も省略できるじゃないですか。ただ今後、人に見せていくときに、ある程度シナリオが形になっていないとまずいのではないかと。

羽田野
確かに資金を集めるという意味では、ストーリやシナリオは必要かもしれませんね。でもやはり、つくり手は映画とテレビの違いを理解していることが大切だと思います。だから、私が教えている「東京俳優・映画&放送専門学校」でも、映画作品を見せながら、両者の違いについて発見が生まれるような対話を重ねる授業をしています。

©︎小路紘史

©︎小路紘史

小路
具体的にはどんな作品を見せているんですか?

羽田野
日本映画では黒沢清監督や相米慎二監督の映画が多いですね。外国映画だとウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』(12)などを見せたり。あの作品のさまざまな楽器が重なり合って奏でるオーケストラのような個と全体の視点や、望遠鏡と顕微鏡の双方を併せ持つウェス・アンダーソン作品の特徴は、とても映画的なものだと思います。

小路
僕自身は映画とテレビの時代の狭間に生まれた世代という気がします。僕よりも年齢が下の世代は、テレビで映画を見ることに慣れ親しんでいない。僕が子どもの頃は、日曜洋画劇場をはじめ、テレビを付けたら映画が放送している時代でした。いまの若い世代の方たちは、映画にこだわらず、YouTubeやTikTokもできるようなつくり手になりたいと思っている。

羽田野
私が子どもの頃は、毎年テレビでヒッチコックの映画を放送していました。あれはとても勉強になっていたと思います。そういう時代や世代の違いもありますね。ただ、やっぱりYouTubeやTikTokと映画は規模や労力からして違います。映画には日常とは違う時間が流れている。例えば『辰巳』もそうですが、映画を見終わって劇場を出てからの帰路で見たはずの景色をまったく思い出せない。映画は日常とは違う世界に連れて行ってくれるものであり、その固有の時間と空間を体験させてくれるものだと思います。

小路
そうですね。『辰巳』では、その日常とは違う世界の先に希望が残るような映画になっていればいいなと思っています。でも、こうして羽田野先生に作品を評価していただけるとは想像していなかったので、今回お話ができてすごくうれしかったです。どうもありがとうございました。

(2024年4月5日 渋谷 ユーロスペース事務所にて)
(進行・文・構成=野本幸孝)

小路紘史監督(写真左)、羽田野直子さん(右)

小路紘史
1986年生まれ、広島県出身。短編映画『ケンとカズ』が、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2011にて奨励賞を受賞。ロッテルダム国際映画祭、リスボン国際インディペンデント映画祭など4カ国で上映される。 2016年に『ケンとカズ』を長編版としてリメイク、東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門作品賞、新藤兼人賞・日本映画監督新人賞など、数々の新人監督賞を受賞。本作『辰巳』は、実に8年ぶりの監督作となる。

羽田野直子
脚本家。大分県出身。東京女子大学文理学部哲学科卒業。TVドラマ『往診ドクター事件カルテ』(92)でデビュー。映画『レッスン』(94)、アニメーション映画『未来のいのちへ』(2010)執筆。日本大学芸術学部映画学科、東京放送芸術&映画・俳優専門学校で講師を務める。国民文化祭プレイベント企画・立案・プロデュース、日本・イラン合作映画『ホテルニュームーン』(2020)脚本監修、制作協力。現在、一般社団法人日本放送作家協会理事、福井県立恐竜博物館運営協議委員。

STORY

裏稼業で働く孤独な辰巳(遠藤雄弥)は、ある日元恋人・京子(龜田七海)の殺害現場に遭遇する。一緒にいた京子の妹・葵(森田想)を連れて、命からがら逃げる辰巳。片や、最愛の家族を失い、復讐を誓う葵は、京子殺害の犯人を追う。生意気な葵と反目し合いながらも復讐の旅に同行することになった辰巳は、彼女に協力するうち、ある感情が芽生えていくーーー。

『辰巳』予告編

映画『辰巳』 予告編

youtu.be

監督/脚本:小路紘史

出演:遠藤雄弥、森田想
後藤剛範、佐藤五郎、倉本朋幸、松本亮
渡部龍平、龜田七海、足立智充 / 藤原季節

撮影:山本周平 照明:鳥内宏二 録音:大野裕之 美術:吉永久美子
リレコーディングミキサー:野村みき サウンドエディター:大保達哉 スタイリスト:入山浩章 衣装:梶山ゆめ乃
メイク:齋藤美幸 特殊メイク:中垣瑛利加 音楽:岡出梨奈/岩本裕司 編集:古川達馬/小路紘史
助監督:芳賀直之 制作:梶本達希 原田康平
プロデューサー:鈴木龍
配給:インターフィルム
2023年|日本|カラー|シネスコ|108分|5.1ch|R15+
©︎小路紘史

2024年4月20日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国ロードショー