自然を細部まで観察し、独自の手法により描きだす福田平八郎の描く世界は、今なお、見る人に新鮮な驚きを与えます。

このたび、福田平八郎(1892-1974)の没後50年を記念し、大阪中之島美術館では、大規模な回顧展「没後50年 福田平八郎」が開催されます。
大分市に生まれ、大正から昭和にかけて京都で活躍した平八郎は、近代日本画の新境地を拓いたとされる《漣(さざなみ)》(重要文化財、大阪中之島美術館蔵)をはじめ、色や形、視点や構成に工夫を凝らした数々の作品を発表しました。
平八郎は自身の制作を「写実を基本にした装飾画」と説明しています。

関西で17年ぶりの回顧展となる本展では、《漣》や《竹》(京都国立近代美術館蔵)、《雨》(東京国立近代美術館蔵)などの代表作を含む、初期から晩年までの画業を一望する120件以上が一堂に会します。
また、平八郎が幾度となく挑戦した水の展示や、「写生狂」を自称した画家の瑞々しい感動やユニークな目線を伝えるスケッチや素描も紹介されます。
対象を見つめ、鮮やかに切りとる福田平八郎の世界を是非、ご堪能ください。

第1章 手探りの時代

平八郎は、18歳のとき画家を志し京都に出て、京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で絵を学びました。
学生時代から卒業後間もないこの時期の作品は、熱心な研究の結果、知らぬ間に他の画家の描き方に倣っており、高い技術力の一方で、国画創作協会の画家たちや、中国宋元の院体花鳥画の影響が見られます。

没後50年 福田平八郎展 展覧会風景 photo by ©cinefil

福田平八郎《朝顔》大正15年(1926)第7回帝展 photo by ©cinefil 

学生時代の作品は、生まれ故郷に因んだ「九州」という号で制作していました。その後、「素仙」、「馬安」、「馬平安」などの号を経て、本名の平八郎を使うようになり生涯通しました。

第2章 写実の探究

「自然の隅から隅迄、出来る限り微細に探求し分析して行って、そうした態度によってのみ此大自然は解決されると思はれた」
「美の遍路―支那に行く気持―」『美の国』第4 巻第4号 昭和3 年4月

大正後半から昭和のはじめにかけての平八郎は、対象を細部まで観察し、徹底した写実表現を試みた作品を発表していきました。

福田平八郎《安石榴》大正9年(1920)大分県立美術館(通期展示)photo by ©cinefil

勢いよく伸びる枝、生命感あふれる安柘榴の果実など、自然の力を絵として整理せず、そのまま表現しています。当時流行していた中国宋元院体画を意識した作品。

第3章 鮮やかな転換

「結局よく見ることが何よりのたよりとなるものです」
自作回想(漣)」『三彩』臨時増刊第99号 昭和33 年4月

写生を進めるなかで、平八郎は花や鳥の微細な部分にまで関心を抱くようになりますが、昭和3 年(1928)の中国旅行で「自然の大花鳥」に接したことで、細部を超越して全体の雰囲気や自然の生き生きとした生命感を表現することの重要性に気づき、観念的にではなく直感的に自然と向き合うようになります。
形や線よりも先に色彩を強く感じたという平八郎は、色彩を追求することで対象の形を捉えるようになり、「写生を基本にした装飾画」へと発展していきます。

福田平八郎《花菖蒲》昭和9年(1934)京都国立近代美術館(後期展示:4/9から)

画面を斜めに横切る水路を挟んで、色鮮やかな花を咲かせる菖蒲を描いています。色の変化や交響、複雑な色の配列など、平八郎の関心が色彩へと向かっていることが分かります。

福田平八郎《竹》昭和17年(1942)京都国立近代美術館 (後期展示:4/9から)photo by ©cinefil

「昔から竹は緑青(ろくしょう)で描くものときまってるが、3 年間見続けて来てるけど私にはまだどうしても竹が緑青に見えない」
「初夏の写生」(神崎憲一記)「隻語拾輯錄」『国画』第2 巻第9 号 昭和17 年9月

戦時中、竹藪の写生に没頭した平八郎は、竹の幹の色合いや太さは成長とともに変わることに気づきました。「見ること」の探求の結果、カラフルで大胆な作品になりました。

福田平八郎《漣》 重要文化財 昭和7年(1932)大阪中之島美術館(通期展示)photo by ©cinefil

※《漣》(重要文化財)展示に関するお知らせ
【4月9日(火)ー4月23日(火)の期間、作品保護のため《漣》(重要文化財)の展示を一時休止します。 4月24日(水)から展示を再開し、その後5月6日(月・休)の閉幕まで展示します。】

昭和7年(1932)、琵琶湖の湖北で釣りをしていた平八郎が、なかなか釣れないので、ふと目線を水面に移したところ、水面が微風によって漣(さざなみ)をたてて美しい動きをみせることに気づき、その瞬間を作品にして、同年の第13 回帝展に出品したのが《漣》です。
当時はあまりの斬新さに賛否両論をよびましたが、モチーフや色彩を限定した簡潔な構成はリズム感に富み、抽象絵画のような音楽的な美しい画面が創り出されました。
日本画の装飾的伝統に自然観察による写実を融合した本作は、近代日本画の新境地と高く評され、平成28 年(2016)に重要文化財に指定されました。

また、平八郎が幾度も追究した「水」の作品、これまで知られていなかった新発見の《水》が、本展で初めて公開されます。《漣》よりも少し後の制作と考えられ、平八郎が追い求めた水の表現の一側面を示す貴重な作例です。

福田平八郎《水》昭和10年(1935)頃(通期展示)

第4章 新たな造形表現への挑戦

「この頃ではもう装飾的になっても写実になってもかまわんと思っている。問題は内容だ」
「文化勲章の人々(1)」『朝日新聞』昭和36年10月20日
第二次世界大戦後の美術界では、伝統的な日本画への批判が高まりましたが、平八郎は確固とした信念で日本画の表現の可能性を模索しました。

福田平八郎《雨》昭和28年(1953)東京国立近代美術館(後期展示:4/9から)

ぽつぽつと、瓦に落ちては消える雨の様子が生きものの足跡のように思えて心を打たれたのがきっかけで生まれたという作品。大胆なクローズアップとトリミングで構成されています。瓦の硬さと雨粒の儚さが対照的です。

第5章 自由で豊かな美の世界へ

作風は晩年になるにつれ、形態の単純化が進み、線も形も色彩も細部にとらわれない大らかな造形へと展開します。

写真右 福田平八郎《花の習作》昭和36年(1961)京都国立近代美術館(前期展示:4/7まで)
photo by ©cinefil

池のほとりで力強く育つ菖蒲と、舞い散った桜が重なりあう様が描かれています。自身の感性で捉えた情景を豊かな色彩で表現しており、季節の移り変わりが感じられます。

没後50年 福田平八郎展 展覧会風景 photo by ©cinefil

写実的な作品で評価を得たのち、《漣》を発表し、その大胆な挑戦で人々を驚倒させた福田平八郎。平八郎の描いた「写実を基本にした装飾画」はこれからも、私たちを魅了し続けるでしょう。

展覧会概要

展覧会名:没後50年 福田平八郎
会期:2024 年3月9日[土]~5 月6日[月・休]
前期=4 月7日[日]まで 後期=4 月9日[火]から
*会期中に展示替えがあります
会場:大阪中之島美術館 4 階展示室
休館日: 月曜日(ただし4 月1日、4 月15日、
4 月22日、4 月29日、5月6日は開館)
開場時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
観覧料:一般=1,800円(1,600円)高大生=1,000円(800円)中学生以下=無料
※( )内は前売、20 ⼈以上の団体料⾦
*障がい者手帳などをお持ちの方(介護者1名を含む)は当日料金の半額(要証明)
*本展は大阪市内在住の65歳以上の方も一般料金が必要です
展覧会公式サイト: https://nakka-art.jp/exhibition-post/fukudaheihachiro-2023/

シネフィルチケットプレゼント

下記の必要事項、をご記入の上、「没後50年 福田平八郎」@大阪中之島美術館 シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上2組4名様に、招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんようによろしくお願い致します。
☆応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com
★応募締め切りは2024年3月25日 月曜日 24:00
記載内容
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