サントリー美術館では、朝日新聞と共催で、「激動の時代 幕末明治の絵師たち」の展覧会が開催されています。

(「高層ビルと青空に白い雲が浮かぶ「東京ミッドタウン」周辺」)

地下鉄の六本木と乃木坂のあいだにあるのが、「東京ミッドタウン」です。そのなかのビルの3階にある「サントリー美術館」を訪問してみましょう。

江戸時代の幕末は、とても変化の激しい時代でした。

1
天保の改革

2
黒船の来航

3
流行り病

4
安政の大地震

5
討幕運動

本展覧会は、そうした変動期にあった江戸から明治の激動する転換期に立ちむかった絵師たちの表現の挑戦を紹介しています。

(3Fの「サントリー美術館」のエントランス)

ここには、絵師たちの「幕末・明治に交錯する眼差し」があり、それはまことに現代においても驚くべき「好奇な眼差し」であり、ジャーナリスティックな絵師たちの「肉薄する眼」があるというのです。

会場は、4章に分けて、展示されています。

第1章 幕末の江戸画壇(4F)

第2章 幕末の洋風画(4F)

第3章 幕末浮世絵の世界(吹き抜け3F)

第4章 激動期の絵師(3F)

以下、本記事に掲載の作品は、展示の順番とは異なります。

ここでは、知られた江戸期の絵師や知られざる多くの絵師たちの活動を見ることができます。

江戸から明治という近世社会の末期から日本の近代へと連続する激しく変化する時代のなかで、絵師たちの表現を通じた生きた証が語られているのです。

例えば、狩野元信、狩野永徳、狩野探幽などを輩出した室町時代から明治初期にわたる最大の狩野派は、伝統を墨守するだけではなく、やまと絵、浮世絵、琳派、西洋画法を積極的に取り入れています。

その門下のひとりが、洋風の陰影法をもちいて仏画を描いた狩野一信です。この絵師の描いた「五百羅漢図」は、現在、港区の有形文化財となっています。

一信と羅漢図については、図録の「幕末の増上寺における羅漢信仰と一信筆「五百羅漢図」」を参考にすると、詳細がとてもわかります。

(「五百羅漢図」狩野一信 第二十一・二十二・四十五・四十六・四十九・五十幅 嘉永七〜文久三年(1854〜63) 大本山増上寺 【全期間展示】)

思い起こすのは、増上寺の山門に登った時のことです。

一般的に寺院の門にあたるのが山門ですが、芝の増上寺の山門は三解脱門といわれて、「三門」と親しまれています。

この楼閣の2階に登る機会があったのです。2階の内部には、中央に釈迦如来像、左右に脇侍の文殊菩薩像と普賢菩薩像が、釈迦三尊像の図像として並んでいました。その隣には、十六羅漢像と増上寺の歴代住職の像も並んでいます。増上寺だけでなく、鎌倉材木座にある光明寺の山門も、同じように釈迦三尊像と四天王像、そして十六羅漢像が安置されていたことが思い起こされます。窓からは、材木座の海岸や由比ヶ浜、江ノ島が見え、遠く富士山を一望することができます。

今、増上寺の山門に上がって、階上の窓から外景を眺めてみましょう。

正面では、開け離れた窓から視界が開けて、すぐ大門を見ることができます。増上寺の開創当時からの唯一の三門から大門までの距離は、108軒となっています。大門から三門まで108つの煩悩を模して建てられているというのです。

この門は、江戸期の安藤広重の浮世絵や明治期の川瀬巴水の新版画で知られていますが、この三門からは、大門の左奥に浜離宮公園があり、右手には水上バスや東海汽船のある日の出桟橋が見えます。かつては、浜松町のむこうに、江戸湾の青い海が見えていたのです。

階下の公園には、幕末に日本にやってきたペリーの肖像が立っていました。

サントリー美術館提供(「五百羅漢図 第四十五幅・四十六幅」狩野一信 第二十一・二十二・四十五・四十六・四十九・五十幅 嘉永七年〜文久三年(1854〜63) 大本山増上寺 【全期間展示】)

江戸時代は、まことに広い寺域とみごとな本堂や塔頭をもっていた増上寺。

この東京の大寺も、明治維新後の廃仏毀釈や関東大震災を経て、変化が見られます。さらには、太平洋戦争での東京空襲によって、本堂をはじめとする寺の伽藍は三解脱門などわずかに残して燃えてしまいました。戦後建てられた鉄筋の建物が現在の本堂です。そこには、永井荷風の随筆で知ることができる江戸幕府の徳川家の御霊屋もありましたが、それも空襲で燃え、その後の移転のために、現在では一箇所にまとめられています。

五百羅漢図は、今は増上寺の本堂の地下にある「増上寺宝物展示室」に順次飾られています。

今回、「激動の時代 幕末明治の絵師たち」展の企画のために、そのなかの6幅がやってきています。

(「熱心に作品に見入る観覧者」)

これから幕末の絵師たちの作品を順次見ていきます。

本展覧会で特集するのは、江戸から東京で活躍した絵師たちです。

幕末明治期の時代を、「伝統」から「新たな表現」を模索していますが、その「表現」には、「劇的」ともいえるグロテスクな描写もあれば、洋書のなかで見た挿絵などへの注意深い考察から取り入れた「洋風表現」などがあります。

なかでも、日本の最大の画壇の流派となった狩野派や江戸後期の文人画家の谷文晁の流れを汲む一派の絵師たちの活躍は、特に近年人気のある「役者絵の国貞、武者絵の国芳、風景画の広重」といわれた歌川派の歌川国芳や、古河に生まれ、国芳から浮世絵を学び、鋭い写実で狂画と風刺画を描く河鍋暁斎などの絵師たちとともに、見るべきものがあります。

本展覧会では、洋風画を代表する安田雷洲を紹介しています。

「東海道五十三駅」などの数々の細密な銅版画は、銅の金属板の凹部を作り、インクを紙に転写する技法が眼をひきます。

(地下へとすすむような階段を降りていくと、新たな「展示室の光景」と出会います。)

京浜急行線に乗って、品川から約一時間で、横須賀市の「堀ノ内」に電車は着きます。ここから引き込み線の浦賀線に乗り換えると、「浦賀駅」が終点です。

ここは、三浦半島と房総半島に挟まれ、浦賀水道を経て、船が東京湾に入っていくところです。湾の突端には、漁師たちの灯台であった「燈明堂」があり、ちかくには観音崎があります。

(手前、「忠臣蔵十一段目夜討之図」歌川国芳 天保三年(1832)頃 公益社団法人 川崎・砂子の里資料館 【展示期間:10/11~11/6】)

浦賀は、湾が入江となって入り込んでいます。入江の両側には、西と東の叶神社がありました。両岸を結ぶポンポン汽船による渡船場があり、「浦賀の渡し」といわれて人気を得ています。若い人たちは、為朝神社や浦賀奉行所跡などを見学した後、西の叶神社でお守りを買い、東に渡って、東の叶神社でお守りの袋を買って納めると、良縁にめぐまれるといわれ、これも大変な人気を博しています。

この東の叶神社の裏手には階段があり、その階段がきれるところから明神山の道がうねうねと上の方に続いていました。あたりには、大きな灌木もあり、林になって繁茂しています。

その時です。

サントリー美術館提供(「群船図」安田雷洲 一幅 江戸時代 十九世紀 日本民藝館 【展示期間:11/8~12/3】)

一瞬、視野が、百八十度に開ける地点に遭遇したのです。

目の前には、浦賀の青い海がある。

あのポイントの付近に、ペリーの船が浮かんでいたのだ。

その場所をまじまじと眺めつづけていると、強い海からの風が吹いてきた。辺りを急いで散策して、神社の境内へと戻ってきたのです。

(手前は、「八嶋壇浦海底之図」 歌川芳艶 安政5年(1858)千葉市美術館【展示期間:10/11~11/6】・奥は、「アメリカ船図」 本間北曜 嘉永六年(一八五三) 公益財団法人 本間美術館 【展示期間:10/11~11/6】)

「アメリカ船図」は、絵師の本間北曜が、自ら浦賀に出掛けて、そこでスケッチをして江戸に戻った後、そのスケッチを元にして描かれたものといわれています。

嘉永六年の六月三日にアメリカの軍艦が来ています。北曜は、六月五日に、現地の浦賀でスケッチをしました。叶神社の奥には、奥の院もあり、勝海舟が浦賀から咸臨丸で渡航する前に、断食をした跡などもあります。

ペリー艦隊の一行は、その後、浦賀に隣接する久里浜に上陸します。

そこには、今年170周年となる、ペリー上陸の記念碑がありました。

(左画は、(「横浜港崎廓岩亀楼異人遊興之図」歌川芳員 文久元年(1861) サントリー美術館 【展示期間:10/11~10/30】・奥は、「アメリカ船図」本間北曜 嘉永六年(1853) 公益財団法人本間美術館 【展示期間:10/11~11/6】)

浮世絵は、本来、役者絵や美人画が中心でした。

しかし、江戸時代の中期から後期になると、浮世絵に風景版画の新しい道を樹立した幕末期の葛飾北斎や「東海道五十三次」「江戸名所百景」など、フランス印象派にも影響を与えることになる歌川(安藤)広重の登場により、名所絵や花鳥画が流行します。そうした人気のメディアで幕末に有名になったのが、風刺画の歌川国芳でした。

こうした画家たちから多くの弟子が出てきましたが、歌川派はとくに同時代の世相をジャーナリスティックに表現した幕末の浮世絵世界を代表する勢力として活躍したのです。

江戸下谷の根岸に生まれ、洋風画法を取り入れて、山水画の大作や個性的な肖像画に秀でた谷文晁とその一門からも、新たな表現へ挑戦した絵師が輩出しました。

そのひとりが、江戸後期の洋楽者で南画家の渡辺崋山です。崋山は、文晁派の文人画のひとりですが、ここに中国の文人たちが描いた人文画の流れがあります。

左画(「坪内老大人像画稿」渡辺崋山 文政元年(1818) 東京国立博物館 【展示期間:10/11~11/6】)・右画(「柿本人麻呂像」谷文晁 文化三年(1806)サントリー美術館 【展示期間:10/11~11/6】)

(興味深く展示物に見入る観覧者たち)

(3階展示室入り口横のフォトスポット「相馬の古内裏」歌川国芳)

写真は、一般入場者も撮影可能な吹き抜けのスポットです。作品は、「相馬の古内裏」歌川国芳 天保14~弘化3年(1843~46)公益財団法人 川崎・砂子の里資料館。

(展示風景)

次に、4章に分けられた会場から、いくつかの「花鳥画」を見てみましょう。

「花鳥図」では、沖一峨の江戸時代(十九世紀)に描いたものが目を惹きますが、これは、 板橋区立美術館の所蔵です。

(左は「水禽図」遠坂文雍 江戸時代 十九世紀 板橋区立美術館・右の図は「孔雀図」岡本秋暉 嘉永六年(1853) 【展示期間:どちらも10/11~11/6】)

左画(「葡萄と林檎図」服部雪斎 明治十四年(1881))・右画(「群鶴図」諸家 弘化元年(1844)【展示期間:10/11~11/6】)

ところで、「花鳥画」とは一風変わり、「中国の故事」から描いた河鍋暁斎の「鍾馗ニ鬼図」や、あるいは擬人化した虫が近代的な戦争をする姿を描いた珍しい春木南冥の「虫合戦図」の絵もあります。

サントリー美術館提供(「鍾馗ニ鬼図」河鍋暁斎 明治四年〜二十二年(1871〜89) 板橋区立美術館 【展示期間:10/11~11/6】)

(左図は「虫合戦図」春木南冥 嘉永四年(1851)頃 神戸市立博物館 【展示期間:10/11~11/6】・右図は「真人図」大久保一丘 江戸時代 十九世紀 東京国立博物館 【展示期間:10/11~11/6】)

サントリー美術館提供(「虫合戦図」春木南冥 一幅 嘉永四年(1851)頃 神戸市立博物館 【展示期間:10/11~11/6】)

さらには、「東京を描く」コーナーでは、明治の時代から旧幕臣の絵師であった小林清親の幕末明治の足跡を辿ることができます。

小林清親は、「東京新名所」などによって、洋画技法を取り入れ光と影を描き出した風景版画で知られますが、こうした新技法の版画によっても、明治の風景がずうっと現代ちかくまでへと進んでくるようです。

サントリー美術館提供(「横浜異人商館座敷之図」五雲亭貞秀 大判錦絵三枚続 文久元年(1861) サントリー美術館 【展示期間:10/11~11/6】)

その他、展示には、「海運橋通兜町三井為替座略図」昇斎一景や「東京名所上野停車場之図」井上安治が目を惹きます。

また、「堀切花菖蒲」小林清親や「隅田川夜」小林清親などは、サントリー美術館の有名な所蔵品です。

いまから百年以上も前の江戸近世から明治の日本近代の転形期に生きた絵師たち。

かれらはみな「西洋」の影を感じながら、幕末から明治期の風俗や世相を写し、みずからの伝統技法に新たな表現の工夫をしました。

そうした多くの幕末・明治の絵師たちがいたのです。

(本展のポスター。キャッチコピーは「芸術はバクマツだ!」)

(「東京ミッドタウン」入り口の風景)

サントリー美術館を出ると、「東京ミッドタウン」にビルの隙間から日差しが差してくる。爽やかな風も吹いてきました。周囲を取り巻く「東京ミッドタウン」の散歩道を一周してみるのも、都会のライフスタイルをさらに豊かにしてくれます。

<展覧会基本情報>

展覧会名
:「激動の時代 幕末明治の絵師たち」展

会期
:2023年10月11日(水)~2023年12月3日(日)

※作品保護のため、会期中展示替を行います。 

会場
:サントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4
東京ミッドタウン ガレリア3階)

開館時間
:10時~18時

※金・土および11月2日(木)、22日(水)は20時まで開館 ※いずれも入館は閉館の30分前まで

休館日
:火曜日(11月28日は18時まで開館)

入館料
:・当日券:一般1,500円、大学・高校生1,000円、中学生以下無料

※20名様以上の団体は100円割引

公式サイト:https://www.suntory.co.jp/sma/