3月18日(土)より東京・ポレポレ東中野で上映がはじまる映画『ミューズは溺れない』。本作は、第22回TAMA NEW WAVEグランプリ&ベスト女優賞、第15回 田辺・弁慶映画祭グランプリ&観客賞&フィルミネーション賞&俳優賞を受賞し、テアトル新宿やシネ・リーブル梅田などをはじめ、大阪・京都・愛知・広島など各地の映画館で上映されてきました。今回は、東京での単独公開にあわせて、淺雄望監督に「映画の変化」をテーマにインタビュー。企画のはじまりから劇場公開するまで、たくさんの時間を経て、いろいろな人に接する中で、作品や映画との関わりにはどんな変化が起きているのでしょうか。
映画に問いかけられた
――そもそも、淺雄監督はなぜ「映画」だったのでしょうか?
映画を作りたいと強く思ったのは、高校三年生のときに平和学習の一環で観た戦争映画『ノー・マンズ・ランド』(ダニス・タノヴィッチ)がきっかけでした。それまではただ好きで、現実逃避として観ていた映画に、見つめ返されているような感じがしたんです。「お前はどうするんだ、何か言いたいことがあるんじゃないか」と、映画から問いかけられているようでした。
――その時の体験がきっかけとなり、「映画だ!」と思えたのですね。
もともと、小説や台本を書いたり何かを作ったりすることは好きだったんです。小学生の辛かった時期に、イラストレーターの326(ミツル)さんの詩に救われたことがあって、そのときから漠然と私も何かメッセージを伝えられる人になりたいと思っていました。今にも潰れてしまいそうな自分に、明日も生きてみようというエネルギーを与えられることってすごい、自分もいつかそういうものを作れる人になれたらと。そこからいろいろな創作に触れているうちに『ノー・マンズ・ランド』に出会って、映画は現実を忘れるものではなく現実を見つめ返させるもの、という感覚が生まれたことが自分のなかでとても衝撃でした。
――淺雄監督はそこから映画を学んで映画監督になるわけですが、今振り返ってみて、なぜ続けてこられたのだと感じますか?
実は、映画を続けていく自信はなかったんです。監督を志すなかで、書いたシナリオをけなされたり、撮った作品が上映に値しないという評価をくだされたりすることがたくさんあって。周りからも「映画監督に向いていない」と言われ、それがとにかく悔しくて……。「見返してやりたい」という気持ちではなく、「認めてほしい」という気持ちがあったから、(映画を)続けてこられたのかもしれません。
――これまでも映画は作られていますが、今作の『ミューズは溺れない』が初の長編映画です。短編ではなく長編を作ろうと思ったきっかけは?
短編映画で面白いものが撮れたと思っても、作品を観てもらえる場所がなかったんです。オムニバスの上映会などで上映する機会はあったのですが、劇場で観てもらうにはやっぱり長編でないと難しいのではないかと。
――そして今回、念願叶って映画館で上映されることが決まりましたが、そこまでの道のりはどんな感じでしたか?
痛感したのは、実際に劇場で観てもらうまでにすごく時間がかかるということです。完成させられれば、ある種ゴールのような気持ちでいたのですが、甘かったです。宣伝費をかけられない自主映画は存在を知ってもらうまでに長い道のりがあって。そこの難しさや世知辛さを感じました。
――それは映画祭へ出品し、グランプリを取ってから気が付いたのでしょうか?
そうですね。映画祭でグランプリをいただければ、劇場公開が待っていて、たくさんの人に観てもらえて、何かに悩んでいる人たちのもとへこの作品が届いて……みたいなことを安易に考えていたんです。でも、全然そうではなかった。
映画館でたくさんの人に観てもらうこと
――今回、淺雄監督自身で立ち上げたカブフィルムが配給・宣伝をおこなっています。配給・宣伝についてもお伺いしたいです。
田辺・弁慶映画祭の副賞で、テアトル新宿とシネ・リーブル梅田で合計9日間のレイトショー公開をしていただけることになりました。その際、この作品を言葉でどう伝えるか、どう見てもらいたいのかというところをいろいろと話し合いながら進めていきました。
たとえば、この作品はセクシャリティの揺らぎをテーマに描いているんですけど、「セクシャル・マイノリティ」というワードは宣伝で使っていません。あくまでセクシャリティというのは誰しもが持っている変化し得るもので、本作で描こうとしているのは、特定のマイノリティに限定した問題ではないと思っているからです。多種多様な人がそれぞれ当たり前に存在していて、それぞれに劣等感や抑圧を感じていたり、ぶつかったり、許しあったりできる。本作の根底にあるのは、とても身近で普遍的な人間関係やアイデンティティーの問題だと思っています。その部分をどのように伝えていくのがよいのかは未だに悩んでいるところです。
――そうだったんですね。いざ実際に上映をしていろいろな人に観てもらえて、何か変化や気付きはありましたか?
一番驚いたのは、性別を問わず幅広い世代の方に「わかる」と言ってもらえたことです。中には、涙を流して「私は朔子だと思います」と言ってくださる方もいて。実は、企画段階では、この作品でやろうとしていることにあまり共感してもらえなかったんです。主人公に感情移入ができないとか、そんな人は居ないとか、なかなか理解してもらえないところがありました。でも、それでもいいなと思って撮ったんです。100人いて、その中で1人だけ「めっちゃわかる」という人がいたら、その人に向けて撮ればいいやと。だから、この映画のことを「わかるよ」と言ってくださる方が思っていた以上にたくさんいらっしゃったことは大きな驚きでした。
――嬉しい驚きですね。
はい。あと、この作品では、現実ではなかなか言えないようなセリフを書いています。世の中に溢れているネガティブな言葉に立ち向かっていくために強い言葉を生み出そうと、言葉と言葉の応酬を意識的に取り入れているシーンがあって。
――確かに、印象的なセリフがいくつかありました。
でも一方で、「簡単な言葉にされてたまるかよ」みたいな気持ちもありました。10代の時の綯い交ぜな気持ちを耳馴染みのよい言葉にしてしまうことで「そういうものだよね」と一過性の病みたいに思われてしまうのも癪だなと。だからこそ、言葉にできない部分は映像の力に委ねたところがあります。映画を観た方がそれを汲み取っていろいろな言葉で表現してくださっているのはすごく嬉しかったです。
――SNSやレビューサイトでの感想も想いの詰まったものが多く、自身と重ねて観ていた方も多かったように感じました。
ただ、昨年のテアトル新宿での上映はレイトショーで、年齢を制限してしまう時間帯だったので、主人公たちと同年代の若い子たちにはまだ届ききっていないと感じていて…。
――なるほど。
本作のテーマになっている、「セクシャリティの揺らぎ」は、私が10代のとき高校の先生に教わった概念がもとになっています。当時、女性らしく生きろという抑圧に苦痛を感じていた時に、「男らしさ、女らしさにこだわらず、一生揺らいで生きてもいいんだよ」という言葉をいただいて、とても楽になったんです。
その母校で先日、上映会を開催して中高生の子たちに観てもらう機会があったんですけど、その時に、「今まさにこういうことで悩んでいて、この映画を今見れてよかった」という感想をいただきました。この映画はちゃんと10代の子に受け止めてもらえるんだなと感じられて嬉しかったです。だから、今回の上映ではぜひ若い子たちにも観に来てもらえたらいいなと思っています。
何ひとつ欠けてもこの映画にはならなかった
――映画は企画がスタートしてから公開するまで少し時間がかかります。その間に時代も社会もすごい早さでどんどん変化していくと思うのですが、今回の上映のタイミングについてはどう考えていますか?
公開が少し遅かった、と感じているくらいです。例えば、企画段階ではLGBTは少しずつ聞かれる言葉になっていたけど、Q(クエスチョニング)や、I(インターセクシャル)、A(アセクシャル/アロマンティック)という言葉を知らない方が多かったと思うんです。でも今は、「朔子はアロマンティックに近い属性なの?」という言葉がパッと出てくる。そういう状況で上映できたことは嬉しいことでもあります。ただ、もう1年早く上映できてもよかったかなと。それこそ撮影したのはコロナ前の2019年だったので、あらゆる影響を受けて公開が遅れてしまったことで悔しい気持ちは未だにありますね。
――上映タイミングが違っていたら、どんな風に見ていたのか、どんな感想が広がっていたのか気になります。
時代が変化しているからこそ、描かれているものがどんどん古く見えてしまうんじゃないかというような懸念もあります。「今っぽい映画だね」という言い方をされることがあるんですが、一過性のものとして消費されてしまうのは悲しいので、そうではない形で続いていく作品になればと考えています。映画の制作は時間がかかる分、公開するときには企画当時の社会情勢との間にギャップが生まれてしまう可能性があるので、そこをどうしていこうか考えることが次への課題です。
――その課題というのは?
今よしとされているものに流されて、映画で安易に描いてしまうと、公開のときに見え方が変わってしまう可能性がある。そうなることは少し悔しいので、他人の価値観に流されない映画を作りたいと思っています。本作は企画当時、ガールズラブの作品が少し流行っていたので、朔子と西原のキスシーンがないと売れないというようなことも言われていました。そこで私が流されてそういう映画にしていたら、たぶんこんなにいろいろな人に観ていただける作品になっていなかったのではないかと思います。当時、「恋愛感情がわからない」という子を主人公に据えることは挑戦だったんですけど、今改めて、挑戦して良かったと思っています。
――そして今回、公開にあたっていろいろな方からコメントをいただいていますが、どれも心動かされる言葉たちばかりで映画を知るきっかけに繋がっていたような気がします。
自分がいつか映画を撮ったら観てもらいたいと思っていた方々が、みなさん真摯に言葉をくださって、未だに「夢なんじゃないか?」と思ってしまうくらい嬉しいです。
――公開に向けて励みになったのではないでしょうか?
そうですね。憧れていた方々がこの映画に向き合ってくれたということだけで、もう感動的ですごいことなんですけど、その上さらに、これだけの言葉をくださっているのだから、この作品は大丈夫、行ってこい、と背中を押してもらえた感覚がありました。
映画と変化
――『ミューズは溺れない』は、「田辺・弁慶映画祭セレクション2022」で上映され、その後各地の映画館で上映が続き、再び東京での単独公開を迎えます。これまでの上映に立ち合ってみていかがでしたか?
上映を通していろいろな劇場に舞台挨拶へ行かせていただき、Q&Aなどでお客さんと話す機会が増えていることが、私にとって貴重な経験になっています。
具体的な話でいうと、劇中で栄美が西原に「レズビアンなの?別にいいじゃん今時…」って言うシーンがあるんですけど、そのシーンをご覧になった方から「あまりにも暴力的ではないですか?」というご質問をいただきました。正にそのシーンのセリフに制作から公開までの時間経過で生まれるギャップへの懸念を抱えていたので、ご指摘がとても嬉しかったんです。撮影したのは2019年だったのですが、アウティングなどへの問題意識が高まりつつあったとはいえ、知識が広まりつつある段階だからこそ無自覚な言葉の暴力みたいなものが身近にあると考えて入れたセリフでした。ところが、2023年の今では、栄美の言葉がいかに西原を傷つけるかということに敏感になってくださる方が増えている。そういう話をお客さんとできることこそが、上映活動の醍醐味なんだなと。
――2019年に撮影していたからこそ生まれた会話という視点でも興味深いですね。映画を作って届けていく間、淺雄監督の中でも何か変化はありましたか?
映画を完成させるまでの私と、完成させてからの私は明らかに変わっていると思っています。この映画はTAMA NEW WAVEのコンペティションで初上映したのですが、その時にグランプリをいただき、壇上でお話をする機会があったんです。ずっと自分に自信がなかった私は、スポットがあたる場所で人前で話をすることが自分の人生で起こるなんて全く想像をしていなくて……。でもその時に、「今初めて自分に生まれてよかったと思っています」というすごくポジティブな言葉が自然と出てきたんです。
――ハッとしますね。
これまで、映画監督としての存在を認められていなかった時間がものすごく長かったのですが、『ミューズは溺れない』をきっかけに存在を知っていただけて、認めてもらえる機会が増えたように感じています。少し自信を持つことができたというか、生きていていいんだと思うことができました。たぶん、生きるうえでの世の中との立ち向かい方が変わったんだと感じています。ただ一方で、映画を上映するにあたって、今またたくさんの壁にぶつかっているところでもあります。
――その壁というのは?
今までは「頑張って面白い作品を撮ろう!」ということに一生懸命だったんですけど、作った映画を上映する機会を持つことができて、「これからの業界のために何が出来るのだろう?」と考えることも増えました。映画に対する責任感のようなものが自分の中で変わったんだと思います。
――気持ちの面でいろいろな変化があったのですね。
これからは、映画を撮りたい映画好きの若造ではなく、1本映画を撮っている映画監督ということを責任を持ってしっかり背負っていこう、という想いになりました。そしてその1本目の映画が『ミューズは溺れない』でよかったなと思います。この映画では本当に言いたいことを言っているし、自分の気持ちとの間に嘘がない。信念を曲げずに撮った作品であると自信を持って言えるので。
――1本映画に携わる中で、劇場で公開している期間って本当に一瞬のように感じるのですが、劇場で公開することに対してはどんな想いがありますか?
作品とお客さんの関係を純粋に保ちたいと思っています。この作品を観て、純粋にいい作品だと心を動かしてくださる方がいて、この映画を誰かに見せてあげたいとか、上映したいと言ってくださる方もいて。だから、その不可侵な、一対一の時間をつくって、守りたいなと思っているんです。今の私の使命は、お客さんに作品を見つけてもらう機会を作ることなんだろうなと。上映の機会があったからこそ観に来てくださった方々と出会うことができて、今はその出会いが自分の支えになっています。映画の上映中、「今誰かがこの映画と向き合っているんだ」と考えるだけで救われる想いがあります。その時間をなるべく長く続けられるようにしたいなと。
――では最後に。『ミューズは溺れない』は淺雄監督のなかでどんな存在になっていますか?
この作品の中には、私のいろいろな部分が散りばめられています。だけどそれだけでは決してない。他者性もあって、いろいろな方々の視点や助言がたくさん入っているからこそ、幅広い年代のさまざまなお客さんに受け止めてもらえる作品になったのだろうと感じています。この映画に出てくるセリフは、これまで私を前に進めてくれた言葉がたくさん入っているので、今のところは「お守り」みたいなものかもしれないですね。今は、この映画があることで前に進めています。
◯プロフィール
淺雄望(Asao Nozomi)
1987年生まれ。広島県出身。関西大学・立教大学大学院で映画理論・映画制作を学ぶ。在学中に、映写技師のアルバイトをしながら映画づくりを開始。卒業後は助監督などとして映画やCM、TVドラマの現場に携わる。
初監督短編『怪獣失格』(2008)がCiNEDRIVE2009で上映。その他監督作品に『分裂』(2012)、『アイム・ヒア』(2019)、『躍りだすからだ』(2020)等がある。『ミューズは溺れない』(2021)は初の長編映画となる。
映画『ミューズは溺れない』
上原実矩
若杉凩 森田想 渚まな美 桐島コルグ 佐久間祥朗 奥田智美 新海ひろ子 菊池正和 河野孝則 川瀬陽太 広澤草
監督・脚本・編集:
淺雄 望
撮影監督:大沢佳子(J.S.C)|制作担当・スケジュール:半田雅也|照明:松隅信一|美術:栗田志穂|ヘアメイク:佐々木ゆう|監督助手:吉田かれん|撮影助手:岡田拓也|録音:川口陽一|整音・効果:小宮元、森史夏|カラリスト:稲川実希|スチール:内藤裕子|音楽:古屋沙樹|音楽プロデューサー:菊地智敦|油絵:大柳三千絵、在家真希子|企画・制作・プロデュース:カブフィルム|配給宣伝:カブフィルム|2021年|82分|16:9|カラー
©️カブフィルム
公式HP:
https://www.a-muse-never-drowns.com/
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cinefil連載【「つくる」ひとたち】
「ひとつの作品には、こんなにもたくさんの人が関わっているのか」と、映画のエンドロールを見る度に感動しています。映画づくりに関わる人たちに、作品のこと、仕事への想い、記憶に残るエピソードなど、さまざまなお話を聞いていきます。
edit&text:矢部紗耶香(Yabe Sayaka)
1986年生まれ、山梨県出身。
雑貨屋、WEB広告、音楽会社、映画会社を経て、現在は編集・取材・企画・宣伝業など。