スティーヴン・スピルバーグやマーティン・スコセッシなど、今日の巨匠と呼ばれる映画監督たちに、多大な影響を与えた“20世紀最大の巨匠”イングマール・ベルイマン。彼の熱狂的な支持者の一人であるミア・ハンセン=ラブ監督が、ベルイマンの原風景と言われるスウェーデンの島を舞台に撮影した『ベルイマン島にて』が明日、4月22日(金)より全国順次公開となります。

この度、シネフィルにミア・ハンセン=ラブ監督の今作に対する思いを語ったインタビューを含んだプロダクションノートが到着しました。

以下掲載いたします。

『ベルイマン島にて』プロダクションノート

イングマール・ベルイマン
620 35
フォーレ

フォーレ、1973年9月5日

完璧主義のトルステン・アンデルソン様
ゴットランド県
ヴィスビュー

親愛なる友よ

私が最も多作となる季節である秋が、フォーレにやって来た。実は今、『The Merry Widow(原題)』や『魔笛』などの作品の執筆に全力で専念している。合意した日に、将来の建設のためのレイアウトプランを提出し、すべてがうまくいくことを当然ながら願っている。さて、この度、私と妻のイングリッドが共に下した決断を伝える時になった。私たちは、ハマーズに家、隠れ家、素晴らしい仕事場を見つけた。その安らぎと健全さは他に類を見ない。だからこそ、この場所がこれからもその独特の雰囲気を保ち続けることが重要だと感じている。そのためには、ハマーズを財団にして、しかるべき時が来たら、アーティストのための学校や心のリトリートに改築できるよう、地方自治体に譲渡するのがベストだと考えている。そして、自治体は、維持・運営以外のコストをかけずにこの財団を所有することになる。このプロジェクトの実施方法や法的な手続きについては、追って連絡をする。
皆の幸運と美しい秋を願う。

君の親友
イングマール・ベルイマン

☆イングマール・ベルイマン(Ernst Ingmar Bergman)
1918~2007年。スウェーデンの映画監督。『第七の封印』(56)でカンヌ国際映画祭審査員特別賞、『野いちご』(57)でベルリン国際映画祭金熊賞、『処女の泉』(60)と『ファニーとアレクサンデル』(82)でアカデミー賞®外国語映画賞を受賞。神、生と死、愛と憎しみをテーマに人間とは何かを問い、映画史に永遠にその名を刻む伝説的存在。

ミア・ハンセン=ラヴのQ&A(インタビュアー:ロール・アドレル、2021年1月)

風景の持つ力を信じていますか?

私は信じています。それがフォーレに惹かれた理由のひとつです。不思議なことに、そのスウェーデンの風景を目にすると、『グッバイ・ファーストラブ』で撮影したオート=ロワール県の風景を思い出します。フォーレで感じた幸福感は、子供の頃や10代の頃の記憶を呼び起こします。もっとも、一方ではバルト海、他方ではアルデシュやロワール川の源流で、全く異なる風景です。ですが、これらの風景に共通するのは、野生的で原始的な特徴であり、一種の瞑想に誘うような静かな雰囲気を醸し出し、私の想像力に印象を残しました。

自然はあなたにインスピレーションを沸かせますか?

いつもそうです。自然を見ているときに感じる喜びや感情は、登場人物の旅と密接に関係しやすく、私の中で虚構を生み出してくれます。特に心が取りつかれてしまいそうな風景は、私の執筆のきっかけになるでしょう。『ベルイマン島にて』ではそれが起こりました。私はこの物理的な場所に惹かれたのですが、それは当然、精神的、内面的な場所でもあります。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

この映画には2つの側面があります。映画への愛、特にベルイマンへの愛を描いた映画であると同時に、二重の愛の物語でもあります。なぜこのように映画を作ったのですか?

理屈で考えたわけではなく、自然に思いついたのです。『ベルイマン島にて』は、いつものように執筆中に痛みを感じることなく、自在に筆が進んだおそらく初めての作品です。これまでロックされていた扉が開いたような気がしましたし、あの島がそれを可能にしてくれたと感じました。過去、現在、虚構の中の現実、現実の中の虚構など、異なる次元の間を自由に楽しみながら行き来できるようになったのは初めてのことでした。この構造は、カップルとインスピレーションという2つの相互に関連する質問に帰結する主題から来ています。映画を作っているカップルを題材にする際に、彼らの原動力のうち、どれだけが孤独に基づいていて、どれだけが仲間意識に基づいているのか? 虚構はどこから生まれるのか? それはどのようにして脚本に落とし込まれるのか? こういったことをテーマにした映画を作りたいと思っていましたが、映画を作っているカップルをフォーレに連れてきて、そこの風景やベルイマンの世界を背景にすることを思いついてから、このプロジェクトがまとまりました。そして、その場所で仕事をすることに決めて、ベルイマンの家のひとつに引っ越し、自分が書いていた脚本の映画を何とか実験してみると、この構造、つまり、ヒロインの制作中の映画を垣間見ることと、映画監督エイミーの脚本を刺激する終わりのない苦しい初恋の経験という2つのパートがあることがわかり、その後のエピソードが、過去なのか未来なのか、現実なのか空想なのか、物語のどの部分に属しているのかがわからなくなりました。この混乱は、私自身の執筆過程と同じです。私は時々、インスピレーションを生み出した現実からとって変わりやすい記憶を、映画制作によって再現することができると感じます。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

なぜフォーレを選んだのですか?

もちろん、ベルイマンの影響です。10年ほど前から、ベルイマンの作品や人生に情熱的な関係を深めるようになり、この島に強く惹かれるようになりました。ベルイマンは、代表作のいくつかをこの島で監督し、人生の最後をこの島で過ごしました。バルト海の真ん中に位置するこの島は、恐ろしくもあり魅力的で、厳かで刺激的な理想を体現していて、私がベルイマンから連想する絶対的な芸術家の品位を備えた究極の場所です。2007年にベルイマンが亡くなった後、9人の彼の子供たちに財産を分けることができないと生前に判断したベルイマンの遺言により、彼の財産とそのすべてをオークションにかけるための本が出版されました。私はその本を手に取りました。彼の絵画の写真や、彼の家の部屋の写真、彼の日常生活を反映した物の写真であっても、彼の作品が魅力的であることに変わりはありません。そういったものすべてが、極めて私的なものであれ、些細なものであれ、彼の作品と彼の存在に取り憑かれた島のオーラと神秘性を高めるのみでした。その場所に危険を冒しても行きたいという欲求が高まり、幸いなことに、ベルイマンの遺産は散逸していませんでした。最後の最後に、ノルウェー人のビジネスマンがすべてを買い取ってくれたのです。彼はすべての作品を家の中に戻し、それぞれの作品を原状回復しました。そして、リン・ウルマン(ベルイマンとリヴ・ウルマンの娘)と財団を立ち上げ、
ベルイマンが望んだように、あらゆる分野のアーティストや研究者がベルイマンの家に滞在し、必ずしもベルイマンの作品に関連しなくてもいいプロジェクトに取り組むことができるようにしました。私の知る限り、ベルイマンと直接関係のある脚本に取り組んだのは私だけです。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

脚本も撮影も、かつてないほど楽しかったとおっしゃいましたが、もう少し具体的に教えてください。

『ベルイマン島にて』は、実は、いくつかのトラブルはあったものの、私にかつてない喜びをもたらしてくれた映画です。フォーレは昔も今も神秘的な場所です。2015年から毎年、脚本執筆、制作準備、撮影のために、一度も飽きることなく通っています。映画の準備では、あれほど高揚したことはありませんでした。まず、島の時間を超越した風景、石垣、野草、黒羊、無数の鳥たちに間違いなく繋がりを感じます。この島の厳しさと静けさにも。そして、
ベルイマンの存在感に圧倒されることなく、逆に癒されたり、刺激を受けたりしました。それは、私が60本の映画を作り、9人の子供を持てるような天才ではないということと関係があるのでしょうか? ベルイマンと競っていると感じたことは一度もありません。私の映画がベルイマンの作品に対して映画人が抱く情熱に触れることはあっても、私はベルイマンの作品を真似しようとしたことはありません。私は常に自分の頭で考え、自分の声を見つけ、自分が育った映画に没頭することを目指してきました。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

この映画はベルイマンについてのものではありませんが、映画の雰囲気からベルイマンの存在が漂い、私たちの想像力の働きなど、非常に興味深い問題を提起しています。ベルイマンのような映画監督が、ある風景や場所にどのような影響を与えたかによって、私たちの風景や場所に対する見方が大きく変わることは明らかです。私たちの想像力は私たちのものなのか、それとも映画によって形作られるものなのでしょうか?

それがこの映画のテーマです。空想がその場所に痕跡を残し、私たちの視点を変えていきます。ガイドの女性が説明するように、ベルイマンの描くフォーレ島は、実際のフォーレ島よりも前に存在していました。【p.4】ベルイマンがその場所に惚れ込んだのは、彼が以前から心に描いていた風景と類似していたからです。しかし、彼のフォーレは、私が島に着いてから発見したものよりも荒々しい場所です。何よりも、彼は表情を探り、彼の場合、島で強烈な存在感を放っている地平線や空といった実際の場所はほとんど見えてきません。ベルイマンのフォーレは、彼の強迫観念や心の闇を語る精神的な構成要素です。だから、あなたがそこにいると、このフォーレはどこにでも存在して、どこにも存在していません……。

それがこの映画で取り上げていることです。この映画に出演しているベルイマンの熱狂的ファンは、本来どこにもないベルイマン的な場所を必死に探しています。

それは不可能な探求です。しかしそれは、虜になることなく、その場所を自分のものにしたきっかけでもあります。この点では、ベルイマンが使ったことのないスコープ・フォーマットを採用したことが鍵となりました。私は普段、このフォーマットを信用していないので、『EDEN/エデン』でしかこの方法で撮影したことがありません。最終的に、私のカメラマンのドゥニ・ルノワールと私を納得させたのは、島を別の視点から見ることができるということでした。このフォーマットは、どこまでも続く海と空、ごく少数の家、人、木、そして本質的には空虚感という、私が最も感動したものを最もよく表現してくれました。実際、スコープ・フォーマットはある意味当然の選択でしたが、私はこの選択肢を開放感と感じました。そして、この映画は解放をテーマにしています。『ベルイマン島にて』は解放の物語です。私たちの主人からの解放の話であると同時に、女性が男性から解放される話でもあります。それは、自分を弱くて依存的であると考えているクリスというキャラクターが、自分自身の創造力を発見する話なのです。

しかし、クリスが自由を手に入れるためには、一緒に暮らしている男性からも自由にならないといけません。

もし二人が別れなければならないのであれば、それは映画が終わったあとにあるべきです。原則として、私はスクリーンに映っていない空間を感じないと、キャラクターの人生を信じることができません。映画が結末をもって終わってしまうと、続編の脚本がすでに書かれている場合と同じように彼らの存在を信じられなくなってしまいます。このカップルの旅は終わるものだと思われるかもしれませんが、私が興味を持ったのは、二人の間にはまだ同情心があることを示すことでした。それぞれの虚構が原因で、二人の間に溝が深まったり、隔たりが広がったりするにもかかわらず、どうやって二人は一緒に旅を続けていくのでしょうか? すべてが危険に瀕していますが、まだ引きずっていることもあります。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

クリスは、トニーの時折見せる不快な態度を受け入れているように見えます。

このカップルのつながりや知的な仲間意識が強いとわかると思います。二人は一緒に経験を積んでいるからです。それに、彼らには子供がいます。しかし、アーティストのカップルにとって、望ましい対話や考えの共有と、必要な孤独感との間で適切なバランスを見つけることは容易ではありません。パートナーだけが持つ精神的な空間には踏み入れないことを受け入れる必要があります。虚構にしか託せない親密なこともあるし、虚構を通してしかできない告白もあります。それには痛みが伴うかもしれません。何が語られ、何が語られないままなのかをどうやって理解すればいいのでしょうか? これは、「一緒に暮らしている人のことをどれだけ知っているか」という、より普遍的な問題と同じです。クリスが母屋の隣にある工場を自分のオフィスとして主張するのは、映画監督としてのトニーとの関係が曖昧であることを示しています。クリスにとっては、その場所に留まっているとトニーのことを忘れることができるほど遠く、一方で、トニーを感じ取り、窓越しに彼を見守ることができるほど近いのです。トニー自身が抱える執筆との関係はそれほど複雑ではないようで、彼は疑問を打ち明ける必要もないように見えます。ですが、トニーの回復力はただ浅いものではないのかもしれない、心の奥底では、彼の鈍感さがさらに大きな弱さのカモフラージュになっているのかもしれないと考えてしまいます。いずれにしても、私はこの二人のキャラクターのどちらも評価しません。彼らが経験したこと、そこから生まれた幸せな瞬間と不幸な瞬間、そしてヒロインが苦しみに勝つためにしなければならないことに対する証人になるだけです。この映画は、クリスの中で何かが解き放たれ、彼女が虚構を受け入れ、映画に思いを巡らせる様子を描いています。その映画は制作中で『The White Dress』と当初から呼ばれていますが、最終的には『ベルイマン島にて』とタイトルが変わる可能性もあります。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

「苦しみに勝つ」ということがこの映画を通して起こっていることですね。この映画は、自信を持つことや、自分が追い求めなければならない天職の目覚めを描いているとも言えます。

私は天職にこだわっていて、そのことをほとんどの私の映画で扱っています。ですが、『ベルイマン島にて』では、最もストレートな方法でそれを扱っていて、初めて一人の女性の映画監督を描いています。実際には二人で、物語の中でクリスの代役であるエイミーが同じ仕事をしています。そうすることで、クリスは、映画の中で、ピンポンゲームのように、あるいは合わせ鏡が同じストーリーを延々と映し出すように、自分の人生が虚構を刺激することがあり、虚構が人生を反映することがあるという事実を認めることになるのです。これが以前から続けている私の執筆プロセスであり、それを描いてみるのは刺激的だと思いました。私にとって『ベルイマン島にて』は、私の最初の映画で始めた思考プロセスの集大成なのです。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

キャストについても教えてください。

長い間、グレタ・ガーウィグがクリス役に決まっていました。当時、彼女はまだ監督デビュー作に取り組んでいませんでした。ですが、現実は虚構を超えて、グレタはその間に映画監督になりました。彼女は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』に専念していたため、撮影スケジュールが重なり、私の映画に「ノー」と言わざるを得なかったのです。グレタがプロジェクトを離れたのは2018年の5月で、撮影までの期間が2カ月となっていました。彼女は私に1年間待つことを提案してくれましたが、撮影を遅らせてしまうと、ミア・ワシコウスカとアンデルシュ・ダニエルセン・リーという、私が愛してやまない2人の俳優を失うことになるかもしれませんし、この二人がいない状況で、この映画をやることは考えられませんでした。製作のシャルル・ジリベールと一緒にリスクの高い決断をしました。特に彼にとってはそうでしたが、それは正しい決断だったと思います。2018年の夏にミアとアンデルシュと一緒に映画の半分を撮影し、次の夏に残りの半分を撮影することにしました。幸運なことに、クリスのために新しいアイデアを思いつくのにそれほど時間はかかりませんでした。私はポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』でヴィッキー・クリープスを発見し、彼女の素晴らしさを知りました。当時、彼女は無名でしたが、ダニエル・デイ=ルイスの人気をさらったのです。ドイツ人とルクセンブルク人のハーフである彼女は、キャラクターにヨーロッパ的な感覚を与えることができ、それが面白いと思いました。24時間も経たないうちに、彼女の名前が当然の選択となりました。幸運にも、彼女は出演が可能で、数週間後には、ヴィッキーは私たちに加わり、シーンの撮影を迎えていました。ティム・ロスがキャストに加わったのは2年目のみでした。この役にふさわしい俳優を見つけることは、一層困難なことでした。最初は、アメリカ人の俳優しか考えられませんでした。そこで思いついたのがティム・ロスでした。男らしいイメージで有名な彼の演技ではなく、彼には本人とは思えない女性のような存在感があります。それは彼が好んで演じるタフな男たちとはかけ離れています。彼には、暗くて脆い、複雑な何かがあり、私はそれが好きです。それに、ティムは『素肌の涙』という切なくて、挑戦的な映画を撮っています。彼の内面にはそういったところがあり、また、それが表れていると思います。この映画を二つの期間に渡って撮影したのは貴重な経験でしたが、私たちはユーモアを持って全体を見て、バランスを取りながら作品と戯れました。

© 2020 CG Cinéma ‒ Neue Bioskop Film ‒ Scope Pictures ‒ Plattform Produktion ‒ Arte France Cinéma

いつかフォーレに戻るつもりですか?

また旅行に行けるようになったら、映画を上映しに行きます。島の人々やベルイマンの遺産を守る人たちにはたくさんお世話になったので、早く再会したいですね。また、夢を誘う場所でもあるので、もう一度泊まってみたいし、幽霊に出会ってみたいし、迷子になってみたいし、それに、またあそこで執筆作業をしてもいいかもしれません。多分、続編は書こうとは思いませんが、何か違うものを書いてみるのもいいですね。

ミア・ハンセン=ラブ監督

ミア・ハンセン=ラブ 
Mia Hansen-Løve
1981年2月5日生まれ、フランス出身。
17歳の時にオーディションを経てオリヴィエ・アサイヤス監督の『8月の終わり、9月の初め』(98)で映画デビューをした後、2000年、同監督の『感傷的な運命』に出演。その後、2003年から「カイエ・デュ・シネマ」で批評活動を行う一方、最初の短編『Apres mure reflexion(原題)』(04)を撮り、その後も次々と短編を発表する。
監督と脚本を手掛けた初長編映画『すべてが許される』(06)は、07年カンヌ国際映画祭<監督週間>に出品され、更にその年のルイ・デリュック賞に輝く。続く第2作『あの夏の子供たち』(09)はカンヌ国際映画祭<ある視点部門>にて審査員特別賞を受賞。第3作の『グッバイ・ファーストラブ』(11)はロカルノ国際映画祭で特別賞を受賞し、フランス映画界の新たな才能としての評価を確かなものにする。
その他の監督作に、90年代のフレンチ・クラブ・シーンを描いた『EDEN/エデン』(14)、イザベル・ユペールを主演に迎え、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した『未来よ こんにちは』(16)など。

『ベルイマン島にて』予告篇

北欧の夏時間が、心の凪に優しく波を立てる。4月22日(金)公開『ベルイマン島にて』予告篇

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あらすじ
:アメリカで映画監督をしているカップルのクリス(ヴィッキー・クリープス)とトニー(ティム・ロス)は、夏の間、伝説の島であるフォーレ島に隠れて暮らす。イングマール・ベルイマンが暮らし、彼の有名な作品を撮影したその野生的で息を呑むような風景の中で、二人は次の映画のインスピレーションを得ようとする。別々に過ごす日々の中で、島の魅力がクリスに作用し、初恋の思い出が蘇ってくる。そして、現実と虚構の境界線が次第に曖昧になり、二人の仲をさらに引き裂いていく。

監督・脚本:ミア・ハンセン=ラブ『未来よ こんにちは』『あの夏の子供たち』『EDEN/エデン』

出演:ヴィッキー・クリープス『ファントム・スレッド』、ティム・ロス『海の上のピアニスト』、ミア・ワシコウスカ『アリス・イン・ワンダーランド』、アンデルシュ・ダニエルセン・リー『パーソナル・ショッパー』

原題:BERGMAN ISLAND│2021年│フランス・ベルギー・ドイツ・スウェーデン│英語│113分│カラー│スコープ│5.1ch│日本語字幕:平井かおり│映倫区分:G(一般)

提供:木下グループ 
配給:キノフィルムズ   
後援:スウェーデン大使館

4月22日(金)よりシネスイッチ銀座他全国順次公開