3月17日にイーストプレスよりデコート豊崎アリサさんの『トゥアレグ 自由への帰路』が出版されました。

『トゥアレグ 自由への帰路』書影

発行:イースト・プレス
四六判
456ページ
定価 2,200円+税

この、書籍の出版を記念し、実際に彼女自身の手によって2017年に映像化した初監督作品『Caravan to the future』が、代官山シアターギルドで、1日だけの特別上映会が開催されることとなった。

フランス・アフリカ・日本を舞台に活躍するジャーナリストのデコート豊崎アリサが、“本当の自由”を求めて遊牧民の暮らすアフリカに旅に出た。本物の世界を求めた旅路で、彼女が見た真実とは--。

日本ではあまり知られていないサハラ砂漠に住む遊牧民トゥアレグを追いかけ、1000年も前から続けられているトゥアレグ族の「塩キャラバン」の4ヶ月間にわたり密着取材。ソーラーパネル発電エネルギーのみを利用し、キャラバン隊の営みと、その自給自足の仕組みを撮影・記録した貴重なドキュメンタリー映画『Caravan to the future』。

映画『Caravan to the future』ポスタービジュアル

当日、上映後にはデコート豊崎アリサさんにこの映画と、その記録を綿密に書き下ろした書籍のことなどをお聞きするトークショーも開催される貴重な一夜となります。

シネフィルでは、デコート豊崎アリサさんにこの貴重な体験をお聞きしました。

『トゥアレグ 自由への帰路』出版記念上映会に向けて
 デコート豊崎アリサさんインタビュー

「塩キャラバン」に参加した デコート豊崎アリサさん

女性に対し紳士的で、政治問題にも意識の高いトゥアレグ族

まずは、ご自身の自己紹介と、どうしてアフリカに向かわれたのかを教えてください。

父は冒険家で小さい頃から一緒にアフリカへ何回も行きました。27歳でサハラ砂漠へ父と一緒に行った時に、その「無の世界」、そして遊牧民の存在感に圧倒されました。当時、私は東京に住んでいましたが、その生活をすべて放り出してサハラ砂漠を探検することに決めました。

そして、トゥアレグの生活に出会われるんですが、最初はどのように興味を持たれたのでしょうか?

私はラクダ3頭を買って、一人で塩キャラバンに同行し、トゥアレグ族と出会いました。彼らの勇気、自給自足に基づく自由な生き方、に魅せられました。また彼らの女性に対するとても紳士的な態度は、自分にとっては大事なポイントでした。一人で彼らと一緒に砂漠で旅をしても大丈夫、と直感でわかりました。

トゥアレグの伝統的な交易「塩キャラバン」に参加なさっていますが、どのようにして外国人であるアリサさんが参加できたのでしょうか?

私は1998年、ラクダ3頭を買ってガイドとラクダ使いを雇い、3人で塩キャラバンのルートを歩きはじめました。知り合いのトゥアレグが「きっと途中で大きいキャラバン隊と出会えるでしょう」と言いました。しかし6日間経っても、ずっと3人のままでした。私は絶望的な気持ちで一生懸命ラクダ乗りを覚えました。7日目に、60頭くらいのキャラバンとばったり会いました。すると彼らが言いました。「ラクダ乗りさえできるならば同行してもかまわない!」。私はトゥアレグの言葉、タマシェック語を覚え始めていたので、それもとても役に立ちました。

普通、勇気の要ることだと思いますが、何がアリサさんをそこまでさせたのでしょうか?

私は自分の体力にとても自信がありました。でなければこのような旅に出ません(笑)。命がけの旅ですが、私はチャレンジのために冒険をやっている訳ではありません。私の目的は、「トゥアレグと一緒にサハラ砂漠を横断する」。それはもちろん観光ツアーではなく、大昔からのラクダ乗りのキャラバンの交易を体験するためでした。

実際、その旅で気付かされたことをいくつかお教えください。

キャラバンは「月の砂漠」のようなおとぎ話の世界だと思っていました。しかし砂漠の果てにあるオアシスまで塩を買い付けるために、1日16時間ノンストップで歩き、帰りは23キロの塩をラクダに積まなければなりません。私たちのキャラバンは400頭のラクダもいたので、皆とても忙しく、ラクダの吠え声、男たちの雄叫びは砂漠に強烈に響いていました。ロマンというより肉体労働の雰囲気でした。
その後、遊牧キャンプ、祭りなど何回も見に行きました。そして2003年、撮影をするために塩キャラバンともう一度同行することを決めました。

どうして映画を作ろうと思ったのですか。

私は塩キャラバンがサハラを横断する交易だけではないとわかりました。塩を買い付けてから、ナイジェリアのカノにある市場へ南下し、塩、そしてナツメヤシを売る3000キロもの交易です。その地方には農民がとても多く、ミレットという穀物の畑が広がっています。塩キャラバンのトゥアレグがその畑をラクダの糞で堆肥を残すことから、農民が毎年塩キャラバンを歓迎しています。昔から農民と遊牧民が仲が悪く、紛争を起こしていると私は聞いていましたが、塩キャラバンのおかげで相互関係が作られ、ずっと仲良くしていたのです。またラクダ乗りキャラバンはトラックよる交易よりも利益率が高いことにびっくりしました。ガソリン代、修理代がかからないからです。そういった視点を強調して、塩キャラバンのことを世界にもっと知ってほしいと思い、初めてのドキュメンタリーを作りました。撮影でありながら、4ヶ月の大冒険でした。

トゥアレグ族は『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』などの映画でも紹介されています。抵抗運動とともに、音楽とも密接なつながりあることを聞きますが、生活の中でどのような形で音楽が存在しているのでしょうか?

伝統的なトゥアレグの音楽は、女性が演奏するということが非常に興味深いところです。女性たちは太鼓を叩き、男は踊っています。または太鼓のリズムに合わせてラクダを踊らせます。
70年代から大旱魃が起きて、各地のトゥアレグは多量の家畜を失いました。政府がトゥアレグを定住させる政策も激しくなり、マリとニジェールで反政府闘争がはじまりました。80年代から大勢の若者たちはリビアに稼ぎに行って、「ギター」と呼ばれる音楽=ロック、レゲエなどを初めて耳にしました。彼らは故郷に帰ると、エレキギターを手にして自分たちの独時な音楽を作りました。その音楽は、トゥアレグ反乱、独立を呼びかけるレベルミュージュックでありながら、皆はそれを聞いて踊ったり、盛り上がったりしています。トゥアレグは昔から政治、社会問題などに対して非常に意識が高い民族だと思います。

映画が先にできたと思いますが、この経験をもとに、さらに書籍に込めたこととは?

本は私の20年間のサハラ砂漠の記録を蘇らせるものです。塩キャラバンの後、アルジェリアのサハラ砂漠を発見し、そこで拠点を作り、ラクダ使いを支えるNPO「サハラ`エリキ」を立ち上げました。4年間くらい、日本人も旅できる一週間のラクダ乗りキャラバンを主催しました。私はそのような活動をしながら、マリ、アルジェリアとニジェールを行き来し、トゥアレグと一緒に何回も密航してサハラを旅し続けました。彼らは、国境のことをあまり意識しないからです(笑)。
そして「3.11」を経験し、福島の状況をフランスのメディアに伝えることで私はジャーナリストになりました。サハラ砂漠も大きな変化を迎え、テロ問題が深刻になりました。私はジャーナリストとしてニジェールのウラン鉱山、ゴールドラッシュ、トゥアレグの独立運動などを取材し始めました。そのようなトゥアレグ族とともに過ごした旅を本にまとめました。

今後の活動もお聞かせください?

私はコロナ禍で2年間も行っていないサハラ砂漠に戻り、塩キャラバンの現状を見なければなりません。また、ゴールドラッシュの取材をもう一度したいと思います。
そして『トゥアレグ、自由への帰路』のフランス語版を書いて、トゥアレグ族に早く届けたいと思います。

デコート豊崎アリサ
ジャーナリスト、写真家、ドキュメンタリー映像作家。日本人とフランス人の両親を持つ。アフリカでは通訳(JICA)、またキャラバンの一員となり、トウアレグ族の遊牧生活を支援するためにサハラ・エリキ協会を創立。2011年3.11の東日本大震災を機にジャーナリスト活動を始め、パリ、東京、ニジェールという3カ所の拠点を行き来しながら取材を続けている。​2015年「ニジェールとウラン鉱山」取材。 SEPM=報道雑誌連合組合のBest Investigation賞受賞。パリ3区で「ウラン鉱山とトゥアレグ族」の写真展と講演を開催。2016年「Caravan to the future」=3000キロを横断する塩キャラバンの日常を描く60分ドキュメンタリー撮影。アップリンクをはじめ、ニジェール、フランスなどて上映トーク。

4月9日(土)19時30分よりシアターギルド にて開催

書籍購入は下記より