『ひびききあうせかい RESONANCE』 いよいよ9/5より新宿K’sシネマにて公開!!!
毎日12:45から。アフタートークも多数開催!!! 必見!!!
音と光の中にたゆたう、至福の70分。
尾道在住の映像作家田中トシノリによるドキュメンタリーの断片をフィクションのように仕立て、主演のリトルクリーチャーズリーダーの青柳拓次の中野駅前にかつて存在した一軒家の実家の幼少時代の思い出から物語は始まる。 そして家族の思い出や現在の家族との時間の共有へとスライドしていく。若き日に単独スペインへ渡りアジア人としてクラシックギターを苦悩しながら習得した祖父、そして祖父の意志を受け継ぎ日本でのクラシックギターの伝播に尽力を注いだ母。そして沖縄で暮らす二人の娘。祖父と母親の関係は、そのまま青柳と娘たちの関係へと静かに重なっていく。。
そもそも田中の前作『スーパーローカルヒーロー』(2014)は、地元尾道で一風変わったレコード店『れいこう堂』店主の信恵(のぶえ)の日常を追ったドキュメンターだ。 EGO-WRAPPIN’や二階堂和美、UA、オーサカ=モノレール、畠山美由紀、青柳拓次などの多くのミュージシャンにこよなく愛されている信恵。
最近はレコードや音源はあまり扱っておらず、様々な種や米や豆類、酵素ジュース、有機野菜などが店内といころ狭しと並べられ、むしろ社会活動家の印象が強い。
映像作品でも分かることだが、店舗はいつ行ってもほとんど開いていない。信恵一人で経営しているので店番がいないのだ。その理由は、彼がどんな天気の日でも朝晩の欠かさず行っている新聞配達の仕事や東日本大震災で被災し子供がいる家庭の一時疎開や移住者の面倒を見ている時間に充てがわれていたのだ。そしてその活動は被爆者へのケアや支援にも広がっていた。。
信恵は誠実に現代社会の問題に向き合い、より良い社会の実現や弱者や様々な被害にあった人々へ寄り添い自分の時間や労力を惜しむことなく漱ぎこんていくのだ。それで多くのミュージシャンから共感を得ている。
その前作『スーパーローカルヒーロー』で音楽を担当した青柳と出会った田中監督は、青柳の震災以降始めた「サークルボイス」というワークショップに興味を持ち、そのワークショップのコンセプトを根底に、今回の『ひびきあうせかい』を青柳の家族との関係や現在の彼の旅を中心とする音楽スタイルを5年にわたり撮影し丁寧に再構成していく。
「サークルボイス」とは、数名で輪になって手を結び、好きな音程で好きな音量で声を出していく、そのうちに自分自身の身体がチューニングされていき、その場にいる人々との連帯、そして周囲の環境音にも共鳴していき、世界と一体化していくような気持ちにさせられるワークショップである。
自分が作曲した楽曲をライブ会場で演奏するだけでは、抜け落ちてしまう音楽の体験や役割があるはずだと感じた青柳は、「サークルボイス」によって、音楽が本来持っている癒しや連帯の機能や目的が再び獲得できるのではないかと直感した。それは人類が最初に声を合わせた太古の瞬間に寄り添うようだ。それはあたかも「音楽」と名付けられた以前の、私たちが完全に忘れていた経験を呼び起こすものかもしれない。
映像作品は青柳がギターという移動を目的に作られた楽器とともに、東京、沖縄、長野、ミュンヘン、ライプツィヒと世界中を回り、様々なミュージシャンとコラボレーションをしていく。その間、多くの街の喧騒や騒音もまた音楽の一部のように紡ぎ集められていく。 「サークルボイス」がそれぞれの人間が持っている内なる音に共鳴していくように、世界中に既に存在している音たちに耳を傾け、その音たちを救済していき、その微細で今まで気づかなかった存在を意識していく。
「音楽鑑賞」や「音楽制作」という体験は、そもそも内に存在している音楽や振動数と外部の音楽が共鳴していくことだとしたら、この「サークルボイス」によって再び音楽が発生した瞬間に触れることができるかもしれない。
この音楽以前への原初の追体験は、私たちがとうに忘れていたこと、もしくは私たちが思いもしなかった事柄へ補助線を引いていく。。
五感というものが、人間の皮膚の裂け目や入り口である器官によってなされるものであるならば、その周辺には様々な粘膜が存在している。 地球において皮膚とは地表で、体内とは海、干潟は粘膜に該当するのかもしれない。
劇中、沖縄で青柳と娘たちが干潟で遊ぶ場面が登場する。たくさんの生物が共存する生態系が豊かな干潟でくつろぐ親子のひとときは、地球上の生命の豊かさや人類のつながりを示唆する。
大海から始まり大海で終わる映像は、同時に中野の桃園川という今は川の姿がなくなった暗渠沿いで誕生し、その記憶を持つ青柳の世界中の海やときには雨の降りしきる世界中の都市へと旅を続ける姿を映し出す。そして地球上の水自体が様々な形を変え循環する姿は、あたかも青柳が世界中と過去から未来へと旅を続ける様と重なるはずだ。
山尾三省 の詩篇『水が流れている』が思い出された。
水は どこにでも流れているが その水が ほんとうに
真実に流れることは あまりない
多くの時には 水はただ流れているだけで 真実に流れることはない
水が私になる時 水ははじめて 真実に流れるのであるが
水は 私にならないし
私は なかなか水にはならない
私たちは ほんとうは かっては水であり 水として流れ
水として如来したものたちであった
私たちは ほんとうは 今も水であり 水として流れ
水として如来しているものたちである
水は 流れ去り 流れ来る 億の私たちであり ただひとりの私である
森の底を 水が流れている
深い森の底を 深い真実の
水が 流れている
新宿K'sシネマトークイベント
9月5日(土)〜18日(金) 12:45〜
上映後トークイベント(随時更新)ーーーー
・9/5(土)田中トシノリ監督/ヴィヴィアン佐藤(映画評論家)/リモート出演:青柳拓次
・9/6(日)ヴィヴィアン佐藤/リモート出演:青柳拓次 、田中トシノリ監督
・9/9(水)ヴィヴィアン佐藤/佐々木俊尚(ジャーナリスト)/リモート出演:田中トシノリ監督
・9/16(水)Yae(ミュージシャン)/ヴィヴィアン佐藤/リモート出演:田中トシノリ監督
映画『ひびきあうせかい RESONANCE』予告
ストーリー
ギタリストの祖父と母の元、東京に生まれ育った拓次。自らも音楽家となり、二人の娘を持つ父親となった。人と自然が分断され、常に変わりゆく近代都市から沖縄に移住。
やがてあるアイディアが目を覚ます。音楽をつかって国境を越えた調和を生み出すこと。それはヨーロッパでギターを学んだ祖父が夢見ていたこととも重なる。拓次は世界を巡り、現地の音楽家達と共に「サークルボイス」を創りだす。
人々が声をひびかせあう、その時だけに紡ぎ出される平和な世界。それは儚い瞬間のものだが、そこにいる私たちの存在を力強く肯定してくれる。
時に分断も生み出すことのある「コトバ」を超えたところで人々はどのように理解し認めあうことが出来るのか。青柳拓次の旅に寄り添いながら、沖縄、東京、ミュンヘン、ライプツィヒ、過去、未来へと旅をする映像と音。次第にスクリーンには、どこでもない場所がたちあがってくる。
監督・プロデューサー・脚本・編集:田中トシノリ
出演:青柳拓次
Markus Acher Hochzeitskapelle 小原聖子 小原安正
撮影:星野有樹 田中トシノリ 河西春奈 録音:藤本陽介 北村真也
音楽:青柳拓次 KAMA AINA + Hochzeitskapelle VFX:武隈樹成
制作・配給:歌島舎 配給協力:シネマ尾道
宣伝:ヴィヴィアン佐藤 映画『ひびきあうせかい』パートナーズ
海外タイトル:RESONANCE2019|日本|70分|日本語・英語・ドイツ語・フランス語|DCP|カラー|16:9|ステレオ
©️2019 Utashimasya