シュリ―橋から東へ
前回はソルボンヌ通りからトゥルネル橋まで移動した。今回はサン=ルイ島と左岸を結ぶもうひとつの橋、シュリー橋から散歩を再開しよう。この橋の東側あたりまでくると1960~70年代以降に建てられたと思われる近代的な建物が目に付くようになり、シテ島周辺の河岸とは雰囲気ががらりと変わる。
そうした建物のなかでもひときわ目を引くのがジャン・ヌーヴェル設計のアラブ世界研究所だ。シュリー橋の東側に立つこの建築は“アラブ建築との対話”が設計テーマのひとつで、ファサードにはアラブ建築の窓飾りからヒントを得たアルミパネルが組み込まれている。竣工から30年以上経つがいまだに美しく保たれていて見ごたえがある。屋上テラスまで上がるとセーヌの景色を高所から楽しむことができるのでぜひ試してみたい。
さらに河岸を東に進むとオムニバス映画『パリ、ジュテーム』(2006)のなかの一篇「セーヌ河岸」のファーストシーンが撮影された場所がある。学生たちが道行く若い女性に声をかけて冷やかすなか一人だけムスリムの女子学生の存在に気づいて心惹かれるというそのシーンでは、サン=ルイ島を挟んで左岸と右岸を結ぶシュリー橋とともに対岸(右岸)の近代建築が目に入る。主人公の学生はここから植物園の中を横切って女学生の向かったモスクへと急ぐ。
植物園とモスク
その学生がモスクへと向かうシーンで映される植物園内の自然史博物館はクリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(1962)のなかのシーンでも登場している。剥製の動物たちが展示されているのは「進化の大ギャラリー」だ。園内の温室のひとつはアンリ・ルソーの作品《夢》に材料を提供したことで知られる。ルソーは温室に再現された熱帯のジャングルの観察をもとに作品を仕上げたという。
植物園の南端に設けられたエントランスの正面にはモスク(グランド・モスケ・ド・パリ)が立つ。このモスクはフランスのムスリムにとって象徴的な存在だ。「セーヌ河岸」の主人公がモスクの前で待っていると女子学生がコーナーに設けられた扉から出てくるが、この扉はアラブ料理のレストランのもので、モスクの入口はぐるりと回ってレストランとはちょうど反対側のコーナーに立つミナレット(モスクに付随する塔)の脇にある。モスク内のイスラム式庭園とパティオは必見だ。一歩中に入るとまさに別世界が目の前に広がりいきなりイスラムの世界に迷い込んでしまったかのような感覚に襲われる。
植物園から東南へ300mほど離れてサルペトリエール病院がある。この病院では神経学者のシャルコーが女性のヒステリー患者に睡眠術をかけてヒステリー発作を実演した有名な「火曜講義」(1878~1888)が行われ、フロイトもそのもとで一時学び帰国後『ヒステリー研究』を著した。この病院の前庭の間を走る道のひとつで『5時から7時までのクレオ』(1962)のラストシーンの撮影が行われた。
植物園と病院の間に位置するポリボー通りには『マチルド、翼を広げ』(2017)のマチルドが母(ノエミ・ルヴォフスキー)と暮らすアパルトマンがある。この映画にはマチルドがアレーヌ(円形劇場兼闘技場)を横切るシーンがいくつか挿入されている。精神の均衡に少し問題のある母を抱えたマチルドが広いアレーヌの円状の空間をいつも一人きりで歩く姿が印象に残る。その唯一の友となるのが言葉を話せるフクロウというわけだ。このアレーヌは植物園から北西に200m近く離れた場所にあるが、鬱蒼とした緑に囲まれているため通りからはその存在に気づきにくい。
モスクから西へ
アレーヌの西側を走るモンジュ通りを南下し途中を左に折れると『シャレード』(1963)でオードリー・ヘプバーンらが泊まるホテルがある。ヘプバーンがケーリー・グラントの素性を探るために後をつけていくが、気づかれぬようサングラスを付けた彼女がコミカルな演技を見せるのはモンジュ通りとの角にあるカフェの近く。
モンジュ通りの西側100mほど離れた場所にはムフタール通りが南北に走る。ヘミングウェイが『移動祝祭日』で「狭くてごみごみした活気に満ちた市場通り」と形容したこの通りは観光客も多く訪れいまでも活気にあふれる。
『獅子座』の主人公のピエールはパンテオン近くからおそらくトゥルヌフォール通りを経てこの通りに至りそのまま南下してサン=メダール教会前の広場でひと騒動を起こす。オドレイ・トトゥ主演の『アメリ』(2001)でアメリの部屋の元住人がアメリが電話ボックスに置いた小箱(40年前に隠したまま忘れてしまった子ども時代の思い出の詰まった宝箱だ)を見つけて涙を流すのもこの広場だ。電話ボックスは撮影用に置かれたもので実際にはこの場所には存在しない。『巴里の空の下セーヌは流れる』(1951)で屋根裏部屋で多数の猫たちと暮らす老婦人のアパルトマンはこのすぐ近くで、その少し先には現在のベルシー公園あたりで連続殺人魔と一時を過ごす少女の家がある。
ムフタール通りの1本西側を走るトゥルヌフォール通りの南端に位置する広場はアラン・ドロン主演の『パリの灯は遠く』(1976)で2度映される。ドイツ占領下のパリを描いたこの映画の画面は終始陰鬱だが、この暗く荒漠感漂う広場から、連行したユダヤ人たちを乗せたバスが収容先のスタジアムへと向かう。そして乗せられた鉄道車輛が向かう先は強制収容所だ。バルザックは現在は小さな庭園に変えられたこの広場のすぐ近くを『ゴリオ爺さん』のヴォケール館の所在地としている。
この広場からさらに西へ数百m向かうと『ドリーマーズ』(2003)に登場するヴァル・ド・グラース教会がある。1968年の5月革命を時代背景として製作されたこの映画には、教会前の道にバリケードのようにしてうず高く積まれたゴミの山を主人公たちが驚いて見上げる夜のシーンがある。
内野正樹
エディター、ライター。建築および映画・思想・文学・芸術などのジャンルの編集・執筆のほか写真撮影も行っている。雑誌『建築文化』で、ル・コルビュジエ、ミースら巨匠の全冊特集を企画・編集するほか、「映画100年の誘惑」「パリ、ふたたび」「ヴァルター・ベンヤミンと建築・都市」「ドゥルーズの思想と建築・都市」などの特集も手がける。同誌編集長を経て、『DETAIL JAPAN』を創刊。同誌増刊号で『映画の発見!』を企画・編集。現在、ecrimageを主宰。著書=『パリ建築散歩』『大人の「ローマ散歩」』。共著=『表参道を歩いてわかる現代建築』ほか