特集上映 阪本順治監督インタビュー

阪本順治監督

――まずは監督デビュー30周年おめでとうございます。阪本監督がデビューされた80年代終わりから90年代にかけては、同年デビューの北野武監督や塚本晋也監督など、日本の撮影所システムがほぼ完全に崩壊し、「撮影所以後の監督」が台頭した時代といわれます。そのなかで、現在に至るまで商業映画として第一線でご活躍されている阪本監督のフィルモグラフィーを辿るためには、荒戸源次郎さんと椎井友紀子さんという二人のプロデューサーなくしては語れないと思います。30年という節目にあたって、まずはこのお二人のプロデューサーについて、それぞれ阪本監督にとってどのような存在だったのか、お話しをお聞かせいただけますか。

阪本順治(以、阪本)
そうですね。荒戸源次郎さんと出会わなければ『どついたるねん』(89)はなかっただろうし、まだ助監督を続けていたと思います。荒戸さんはほかの映画会社が手をつけない作品に手をつけるという方針を持ち、それが自分の仕事だと自負されていた方でした。そうでなければ、まだ助監督あがりの僕と、当時全国区でも何でもない、ボクシング関係者しか知らないような赤井英和が主役という組み合わせの映画をつくろうとは誰も思いません。しかも現在のような原作ありきという保障も何もない映画オリジナルの脚本です。そういうことを受け入れてくれる荒戸さんのような方がいたからこそ僕はデビューできたし、その後、映画監督として4本もお世話になっていくことになりました。新人監督で毎年1本撮るなんてことは至難ですから。

椎井さんは荒戸さんプロデュースの3本目である『王手』(91)からプロデューサーとして活動を始めた方です。荒戸事務所がいったん閉じたときに、彼女が独立プロダクションを立ち上げたからこそ、そこで僕は映画製作を続けることができた。ただ、彼女のプロダクションも当時のシネカノン代表の李鳳宇さんや中沢敏明さんというヒットプロデューサーによる支えの上に成立していました。だからこそ、様々な方面に説得力をもって声をかけることができたわけです。その流れのなかで、現在はキノフィルムズが続けてオファーしてくださっている。監督ひとりが面白い企画を考えようが、面白い脚本を書こうが、それを製作資金まで繋いでくれる方がいなければ映画なんかできないですから。そういう世界に絶望して、期待をせずに自分たちでリスクを負って映画をやろうというのがいまのインディーズ=独立系映画ですよね。

「鉄拳」©️1990/写真提供:リトルモア

――逆にいえば、阪本監督が辿ってこられた道は監督とプロデューサーのひとつの理想的な形であるとも思います。企画から映画作品として配給公開されるまでの道筋は、プロデューサーによってどのように違うのでしょうか。

阪本
荒戸さんの場合は、僕から『トカレフ』(94)を提案したり、「大阪もの」という題材で『ビリケン 』(96)を提案させてもらったりはしましたが、大抵僕がアイデアを考えつく前にまず「ボクシングや将棋などの映画をつくりましょう」と作品の企画や題材のオファーをいただきました。『KT』(02)は、サッカーの日韓ワールドカップを目前に控えて「日本と韓国にまつわるものはどうでしょう」という僕の提案から始まりましたし、その一方で中沢さんから「自分たち一社だけでもやりたい」とオファーを受けた『闇の子供たち』(08)という作品もあります。30年やってくると形は様々ですね。スタッフまで集めたにもかかわらず、立ち行かずに頓挫した作品も何本かあります。それでも、これまでほぼ毎年一本のペースで作品を公開できる機会に恵まれてきたわけですから。そんなにヒット作もないのに(苦笑)。

――現時点での最新作『半世界』(18)では、不惑を迎えた同窓の中年男3人が、かつて埋めたタイムカプセルを探しに行きます。阪本監督の作品では、『ぼくんち』(2002)の母親(観月ありさ)もまた自らのもとを離れて旅立つ幼い息子に「私がタイムカプセルになってあげる」と言います。タイムカプセルとは映画そのものであることを考えると、『半世界』は3人の男たちだけでなく、阪本監督にとっても原点への回帰を感じさせる作品だと思います。30年という節目を迎えて、監督ご自身にはそのような意識があったのでしょうか。

阪本
『ビリケン』から『KT』まで、周囲からは僕の手がけたジャンルに対して「何ですかこの振り幅は」とよく言われますが(笑)、ポリティカル劇であれ喜劇であれ、どんなジャンルに手をつけようが、僕のなかにある「根っこ」はひとつしかないんですよ。だから、例えば脚本が同じであっても、僕がつくれば映画の引き出し口はその根っこから持ってきたもので、その延長線上に演出があり、カメラワークがある。つねに意識しているわけではないですが、その根っこは確実に僕の思春期のなかで生まれたものなんです。そこには喉に刺さった刺のようなものもあれば、幼少期からのコンプレックスも、暴力衝動もある。謎めいてきこえるかもしれませんが、大人になってから生まれた感情というのはどこかで忘れていくものだけど、思春期に自分のなかに記憶したものというのは一生残るんです。おそらく、自然とそこに立ち返っているんでしょうね。自分の根っこを意識せずに作品をエンタテイメントしようとしても、必ずどこかで出てくる。それならば、その根っこをもう一度振り返ってみて、そこから生まれてくるものを再発見しようとしたのが、おっしゃるとおり『半世界』です。深作欣二さんは「戦後の闇市の時代に、中学生で遺体を土に埋めているときの自分からすべてが始まる」とおっしゃっていました。僕にはそんな強烈な記憶はありませんが、どんなつくり手もみな根っこを持っていると思います。

「ビリケン 」

――では、つくり手としてこの30年間の日本映画の製作環境で変化した部分や変わらない部分はどこだと思いますか。

阪本
まあ正直にいって、いまの日本映画界はダメでしょう。僕が助監督や監督初期の頃は、しっかりとしたピラミッド型の序列がありました。上は超メジャーの大作系、下にインディーズ、そして「商品」としても求められるけれど「作家」としても求められる、その中間があったんです。当時はまだATGも残っていましたし、予算的にも商品と作家が拮抗して成立していた中間があった。それがいまはダルマ落としのようにスコーンと抜け落ちて、超メジャーか本当に苦労してつくるインディーズかに枝分かれしている。しかも、いまのインディーズは僕たちの時代のインディーズとも違います。僕たちのときは自主製作というより、プロの人間が寄り集まって、弁当代だけしか予算はないけれど、「とにかくやる」という感じでした。その一方で、「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」を含めて、自主製作からプロになった人も出てきた時代です。しかし、『カメラを止めるな!』(17)もそうですが、現在はそのさらに下に、映画業界に何も頼らず、自分たちで責任を持って、リスクを負いながらつくる人たちがいる。僕らの時代と較べて、彼らは相当に大変だと思います。2本目をつくる以前に、とにかく1本目が成功しないといけないというリスクを背負っている。そこには僕が想像もできない苦労がある。一方で彼らに良い面があるとすれば、誰にも頼らないなら、本当に自分のパーソナルに限って映画をつくることができる。どうせこのような環境でやるならば、誰の意見を含めることなく、自分たちのやりたいことしかしない。そんな強い意志が生まれることは良いことかもしれないですね。いまはもう誰もが製作委員会方式で、リスクを分散して、例えば原作があるとか、保険をかけないとなかなか映画が生まれない状況にある。僕自身もそういう形の映画づくりをしたことがありますし、安易に批判してはいけませんが、ではそれが若い監督たちのためになっているのかということですよね。

――なるほど。では現在阪本監督が注目されている若手の映画監督などはいらっしゃいますか。

阪本
それはたくさんいます。最近も自主製作や低予算で立ち上げた映画などを観て、コメントやトークイベントに出させてもらったりしていますが、先ほども申し上げたとおり、みな自分からしか生まれないものに挑戦していますし、そこで技術を磨いています。誰かひとりといわれると辛いですが、例えば釜ヶ崎で撮った『解放区』(14)の太田信吾監督はドキュメンタリー映画の監督ですが、作品は劇映画としても素晴らしかったですし、『メランコリック』(18)の田中征爾監督や、もうベテランですが『アンダー・ユア・ベッド』(19)の安里麻里監督などもいる。彼らのように、たんに何かしら映画界にいるという意識よりも、つくり手として生活と一体化して映画をつくっている人たちというのはリスペクトします。僕のようにただ居酒屋で酒を飲んで業界の悪口を言っているわけじゃないと思うし(笑)、そういうことをやらない彼らのような人たちは素晴らしいと思います。

「KT」

――少し話題を変えて、阪本監督ご自身のフィルモグラフィーのなかから5本選ぶとしたら何を選ばれますか。その理由も含めてお聞かせください。

阪本
それは無理ですね(笑)。とはいえ、監督をしたことがなかったですから、そりゃあ何といってもデビュー作になります。それまでは助監督の立場で監督の仕事を見て、「ああ、こうすればいいんだ」なんて勝手に思っていたけれど、いざやってみるとまったく違っていましたし。俳優のことや演出の仕方ばかり考えていたのが、実際にはスタッフとの関わりが監督の仕事の半分を占めていた。『闇の子供たち』や『KT』などの危険な題材に手を付けたときは、他の作品とはまた違ったメンタリティで、その責任感から倒れかけたりもしましたね。今回フィルメックスで特集させていただいていますが、僕の作品はあまり国際映画祭に向いていないんですよ(笑)。それはそれでいいんだろうけれど、海外でロケをしても非常にドメスティックなつくりになっていると思いますし。最近の作品ではオダギリ(ジョー)と撮った『エルネスト もう一人のゲバラ』(17)が遅々として撮影が進まずにキツかったですね。この作品の場合は、キノフィルムズ代表の木下さんが椎井さんに「阪本さんは最近何をやりたがっていますか」という問い合わせがあって、以前に僕が椎井さんとしていた「ゲバラと一緒に闘った日系人がいるらしいよ」という話を伝えたところ、「じゃあ、それをやりましょう」と。僕は別に映画化したいというつもりで言ったんじゃなくて、たんにそういう人がいるよという話をしただけなんだけど(笑)。でも椎井さんも木下代表もゲバラが好きで、世間話のようにポロッと言ったらそれやりましょうとなった。他所の国で起こったキューバ革命前後の話で、その国の歴史に触れて、しかも実在の人物がいる。これをどうするんですかと思ったけれど、ちょっときついなと思ったものは瞬時にやりたくなるんです。逆に「あ、俺はこれできる」と思うと興味が長続きしない。手に負えないものに手をつけたがる。壊れたがり屋なんでしょうね(笑)。

――いま現在、阪本監督ご自身が興味を持たれているテーマや問題はありますか。

阪本
実は『半世界』の後、2018年の暮れにもう1本撮った作品がすでに完成していて、もうすぐ発表されると思います(編注:後日『一度も撃ってません』として正式発表。2020年4月公開予定)。その後にも、もう1本撮りました。両作品ともに自己模倣にならないよう、僕なりにどれだけ越境できるのかを試した、他所様にとっては「阪本には似合わないジャンル」であったり、そこに手をつけるかという作品になると思います。また、僕自身そう言われたいんですよね。30年やっていると、自分自身こういうテイストや場面が得意なんだと、だんだん分かってくる。でも、不得手でまだ何とかしたい、克服したいと思って冒険しないとできないんです。逆に自分の得意技だけを集約した企画には興味が持てない。今までの手練手管が通じないものをやっていかないと、自分が先に進めないというのがあります。だから毎回ではありませんが、ほぼやったことのないジャンルに手をつけようとしています。毎回初めてづくしだから、結果的に作品のどこかに穴ができる。そのやりきれなかった部分が悔しくなって、また違うジャンルのなかで同じようなニュアンスに挑戦する。その繰り返しですね。同じ円ではなくて、少しずつずれながらぐるぐると回っている感じ。

「この世の外へ クラブ進駐軍」

――最後に、阪本監督がデビューされた90年代とはまったく環境が違いますが、これから日本で映画をつくろうとしている若手監督に対してアドバイスがあればいただけますでしょうか。

阪本
そうですね……。いくらこちらが監督業が長いからといって、いまの環境を一番実感しているのは彼らだと思うので、上からいえることはないです。逆に最も偉そうなことをいえば、ここまで僕自身がやってこられた恩返しという意味でも、若い方々が行き詰まり、立ちはだかる壁に辛い思いをしているのだとすれば、先輩としてその壁に少しでも穴を開けておくからとはいいたいですね。もう少し風通しを良くするために、僕に何かできることがあればとは最近思っています。以前は若い監督が出てくると、「おいおい、凄いライバルが出てきたな」と勝手に思って、「こいつ、潰しておかないと」という過去はありましたが(笑)。若い監督にはもう60歳を越えた監督がこういうジャンルに手をつけて、こんな冒険をしているのかと、そういう姿を見てもらえたらうれしいと思うし、業界の悪しき慣習があれば、僕が文句を言い続けて、何か変わればいいなと思います。具体的なアドバイスというのはないですね。彼らは他人には絶対に言えないような生活や環境のなかでやっていると思うし、いずれにせよ自分たちで道を切り開くと思います。ただ、僕にそんな偉そうなことができるかどうかは分かりませんが、彼らに「いまの阪本はそういうことを思っているんだ」とは伝えたい。僕自身、彼らに老いぼれたとは絶対に思われたくないですし、まだ槍を持って突進している姿を見てもらえれば。

阪本順治監督

阪本順治
1958年生まれ、大阪府出身。大学在学中より、石井聰亙(現:岳龍)、井筒和幸、川島透といった“邦画ニューウェイブ”の一翼を担う監督たちの現場にスタッフとして参加する。89年、赤井英和主演の『どついたるねん』で監督デビューし、芸術推奨文部大臣新人賞、日本映画監督協会新人賞、ブルーリボン賞最優秀作品賞ほか数々の映画賞を受賞。満を持して実現した藤山直美主演の『顔』(00)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞や毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞などを受賞、確固たる地位を築き、以降もジャンルを問わず刺激的な作品をコンスタントに撮り続けている。昨年は斬新なSFコメディ『団地』(16)で藤山直美と16年ぶりに再タッグを組み、第19回上海国際映画祭にて金爵賞最優秀女優賞をもたらした。その他の主な作品は、『KT』(02)、『亡国のイージス』(05)、『魂萌え!』(07)、『闇の子供たち』(08)、『座頭市 THE LAST』(10)、『大鹿村騒動記』(11)、『北のカナリアたち』(12)、『人類資金』(13)、『ジョーのあした─辰一郎との20年─』(16)、『団地』(16)、『エルネスト もう一人のゲバラ』(17)などがある。

(2019年11月29日、有楽町朝日ホール控室にて)
(聞き手・文・構成=野本幸孝)