見果てぬ世界=半世界を夢見るために

昨年、20回目の節目を迎えた東京フィルメックス。創立時からのスポンサーだったオフィス北野の撤退で紆余曲折を経ながら、ジャ・ジャンクーやアピチャッポン・ウィーラセタクンなど、現在世界的に活躍するアジア圏の映画作家を発掘し、支えてきた。国内外で根強い観客の支持を受けている本映画祭で、今回が3作目となる長編作品をコンペ上映したパク・ジョンボム監督と、デビュー30周年を迎え、特集上映が組まれた阪本順治監督の二人に話を伺った。

かたや北野武の映画を観て映画監督を志したパクと、その北野武と同じ年に監督デビューを飾った阪本。二人の語りは、つくり手としての世代を超えた繋がりと交感を感じさせるものだった。つくり手が映画のなかで夢見る世界は、つねに見果てぬ「半世界」だ。槍を持って突進する老キホーテさながらに異議申し立てと映画の冒険を続ける先達の姿は、後進の意欲と原動力となってこれからも映画を動かし続けるに違いない。

パク・ジョンボム監督

『波高(はこう)』パク・ジョンボム監督インタビュー

――長編デビュー作『ムサン日記〜白い犬』を撮ったとき、作品の原動力は「怒り」だと監督はおっしゃっていました。続く2作目の『生きる』もまた、その姿勢の延長線上にあったと思うのですが、今回の新作では何が創作の原動力だったのでしょうか。その製作の経緯も含めてお聞かせいただけますか。

パク・ジョンボム(以下、パク)
まず、私がデビュー作の『ムサン日記〜白い犬』を撮ったのは2009年ですので、もう11年も前になります。この作品の原動力だったのは、主人公である脱北者の友人が亡くなってしまったという、彼の死に対する怒りです。そしてその怒りの感情の根本を突きつめたときに、この世界が抱えている不条理や矛盾に突き当たりました。2作目の『生きる』もまた、その不条理や矛盾に対する怒りという流れの上に描かれていますし、それは今回の新作にも繋がっています。別の言葉で言い換えれば、この怒りとは「なぜ私たちは幸せになることができないのか」という問いかけなのです。本作の製作は女性教師が性的暴行を受けた実際の事件から出発していますが、それはいままさにこの世界に蔓延している、声を出せず沈黙を強いる暴力についての話であり、当然視されている私たちの「道徳的不感症」に対する話でもあります。見えないけれども、伝染病のようにこの世界に蔓延している道徳的不感症。これは本当におぞましいものです。このような考えが、今回の作品をつくるひとつのきっかけになりました。

製作の経緯については、まず最初に韓国のケーブルテレビ局から製作の依頼がありました。当初はテレビ放送用の作品としてつくられたのですが、映画祭へ出品をし、劇場版として公開するために、70分だった尺を85分に再編集をしたものが現在のバージョンになります。もともと今回脚本も担当しているキン・ミンギョンという作家のシナリオがあり、そこでは塩田を舞台に搾取されている奴隷たちが描かれていました。そこに当時韓国で実際に起こった性的暴行事件を重ね合わせ、本作の物語を描いたのです。ただし、事件については脚本段階で全面的な脚色や修正を加えています。脚本を仕上げる際に私が最も力を注いだのが、先ほども申し上げた閉鎖的な社会が持つ道徳的不感症という視点です。ちょうどその頃に読んでいたジークムント・バウマンの著書『道徳的不感症(韓題)』(原書:Moral Blindness: The Loss of Sensitivity in Liquid Modernity)に大変感銘を受けていたこともあり、つくろうとしていた映画と書物がまさにそのとき題材としてひとつのものに重なり合い、「平凡な人々のなかにある悪」というテーマが自分のなかに響きました。なぜなら、私自身のなかにも同じものがあると感じたからです。

「波高(はこう)」©️ 2019 Secondwind Film All rights reserved.

――そのようなテーマとともに、「救い」や「赦し」もまた本作の核心をなす大きなテーマだと思います。例えば、作品の冒頭で教会にいるイェウンが「造花は美しさが変わらないから」と祭壇に造花を捧げている場面がありますが、造花がすでに完成された神=既成宗教への捧げ物だとすると、パク監督はそのような手垢にまみれた宗教が本来持っていたはずの赦しや救いという感覚を自ら手探りで掘り起こそうとしているように見えます。「救い」というテーマは監督の作品を貫くテーマであり、師事されているイ・チャンドン監督にも共通するものだと思うのですが、その点についてはどのような考えをお持ちですか。

パク
主人公であるイェウンが抱えている問題とは村全体の問題であり、父親のように彼女の面倒を見てきたサンフンの問題でもあります。彼女が生きていく術を知らず、その方法を学ぶことができなかったからこそ、村の人々は彼女を犯し、サンフンはそれを黙認している。本作でいう「道徳的不感症」とは、まさにこのことを指しています。彼女が海に対して病的な恐怖を感じているために舞台である小島から出られないという人物設定にしたのは私がつくりあげた虚構ですが、それは彼女を島に閉じ込めておくためではなく、なぜ誰も彼女に泳ぐことを教えなかったのかということを描きたかったからです。

彼女が生きていく術と自由を獲得するためには、本来であれば教育が必要ですが、村の誰も彼女に教えはしませんでした。同じように、売春もいけないことだとは誰も教えることはなかった。これはまさにいまこの世界の至るところで起こっている問題であり、そのような困難のなかを生きる人々の絶望にも通じています。それが悪だと知っていながら、誰も告発をしようとはしなかったし、誰も彼女に教えようとはしなかった。性暴力とその黙認という問題、ひいては「MeToo」運動もまた、その根をたどればこのような声を上げることができない、刃向かうことができない暴力性に行き着くと思います。

「救い」というテーマについていえば、本作では子どもを通じた救い、または私たちはなぜお互いに愛する方法を学ぶことができないのか、なぜお互いに関心を持つことができないのか、という質問に言い換えることができると思います。この質問自体はごく単純な問いかけですが、これこそがまさに道徳的不感症に打ち勝つための方法ではないでしょうか。本作が観客にそのようなことを考えるきっかけになればいいと思いましたし、それはイ・チャンドン監督にも通じる姿勢であると思います。

「波高(はこう)」©️ 2019 Secondwind Film All rights reserved.

――本作では、例えば照明は自然光のみに見えますし、音楽の使い方を含めて、終盤近くで唐突に現れる夜道をラジオから音楽を流して荷台を引く老婆の場面など、魔術的リアリズムともいえる演出が強烈な印象を与えます。演出に対してはパク監督はどのようなお考えをお持ちですか。また、影響を受けた監督などはいらっしゃるのでしょうか。

パク
私自身はリアリズムの映画をつくっていると同時に、現実のなかの夢、つまり現実のなかに自由な想像力が働いた映画をつくっています。つねに考えているのは、リアリズムと私の想像力や発想が結合したときに、どのような新しいイメージやダイナミズムを観客に投げかけることができるのかということです。本作での夢の場面や、仰っていただいた老婆の場面も、そのような姿勢から生まれたものです。そしてまた、あの老婆の場面は本作のテーマにも繋がっています。彼女は歩くことすらままならず、これから先に生きる日々よりも、今まで生きてきた日々のほうがはるかに長いにもかかわらず、「いつか良い日が」という歌を聴きながら人生を歩いている。それは人生の断面を見ているような場面です。あの曲は韓国では有名な歌なのですが、実際にロケをした島で聴いた曲を映画に取り入れました。老婆もまた実際に島で見た人物をもとにイメージしています。実際に島でその老婆を見たとき、ふと「これこそが人生なのではないか」と感じました。

当然ですが、私は本当に映画をたくさん観ています(笑)。いわゆる「世界的巨匠」といわれる監督の作品はすべて観ているといっても過言ではないくらいです。日本映画でいえば、なんといっても最も影響を受けたのは北野武監督で、『HANA-BI』(97)は私が第1作目をつくるきっかけにもなった作品です。この作品を通じて、世の中にはハリウッドのジャンル映画とは異なる作家主義的な映画があるのだということを初めて知りました。彼の影響を受けて、私も短編映画をつくるようになったのです。北野監督以外にも、今村昌平監督や黒澤明監督の作品が好きですね。彼らの作品はいま観ても色褪せずに楽しむことができます。シナリオや映画づくりをしていると、ときに意気消沈してしまったり、ふと力が抜けてしまうことがあります。特に私のような作家主義的なインディペンデント映画の監督というのは、貧しく、苦難の多い道のりです。しかし、彼らの作品を観ていると、また映画をつくろうという力が湧いてくる。私も彼らのような映画作品をつくりたいという、新たな熱望が内側からこみ上げてくるのを感じます。それは決して彼らの映画文法やスタイルに近づきたいというのではなく、ひとえに彼らが映画のなかで夢見た世界、映画を通じて成し遂げようとした世界が素晴らしいと思うからです。

現在も映画に新しい力やエネルギーを吹き込んでいきたいと努力し、そのための方法を模索し続けています。いま準備中の次回作も、少し変わった想像力を盛り込んだ新しい試みの作品になっていると思いますので、近い将来、また日本でも上映されることを祈っています。

パク・ジョンボム監督

作品解説

夫と別れた警察官のヨンス(イ・スンヨン)が幼い娘とともに新たな赴任地である小島にやってくる。若者たちが都会に出ていってしまい、 労働力不足に苦しむこの島は、本土の訳ありの若者たちを受け入れていた。ヨンスは島に住んでいる数少ない若い女性イェウンがそのような若者たちと性的な関係を持ち、金銭を得ていることを知る。ヨンスはイェウンを説得してそのようなことをやめさせようとするが、その行動はこの島の根底に嫌っている暗部を明らかにすることになる…。外界から閉ざされたムラ社会の中で築きあげられたシステムと闘うヒロインを通して人間の心に秘められた欲望や腐敗をあぶり出す作品。 パク・ジョンボムの前作『生きる』(14)に出演したイ・スンヨンがヒロインを好演。パク・ジョンボム本人も若者たちをとりまとめている男の役で出演している。全州映画祭でワールド・プレミア上映され、 海外初上映となったロカルノ映画祭で審査員特別賞を受賞した。
(第20東京フィルメックス 公式カタログより転載)

『波高(はこう)』Height of the Wave
韓国/2019/89分
監督:パク・ジョンボム(PARK Jung-Bum)

「波高(はこう)」©️ 2019 Secondwind Film All rights reserved.

パク・ジョンボム
1976年生まれ。短編映画を監督した後、イ・チャンドン監督作品『ポエトリーアグネスの詩』(10))に助監督として参加。同年、初の長編作品『ムサン日記〜白い犬』(12)を監督。釜山映画祭ニュー・カレンツ賞、国際批評家連盟賞、ロッテルダム映画祭タイガー・アワードなど数々の賞を受賞し、2011年の東京フィルメックスでも審査員特別賞に輝いた。主要な短編作品に「Templementary」(01)、また『ムサン日記〜白い犬』の原型となった「125 Jeon Seung-Chul」(08)などがある。2014年の東京フィルメックス・コンペティションに出品された長編第2作『生きる』は、全州映画祭でライジング・スター賞を受賞。本作が長編3作目となる。