マルブランシュ通りとパリ大学礼拝堂

スフロ通りまで戻り、途中を左(西)に折れると『昼下がりの情事』(1957)のオードリー・ヘプバーンがモーリス・シュヴァリエ演じる父親と暮らすアパルトマンがある。華奢なオードリーが、重いチェロを抱えて階段を上るあのアパルトマンだ。『ミッドナイト・イン・パリ』ではブリックトップへと繰り出した車が同じこのアパルトマンの前あたりで停車するシーンも撮られている。さらに、小説家を目指す主人公のギルに創作上のアドバイスをするガートルード・スタイン(アメリカの著作家、評論家)の住むアパルトマンもこの目と鼻の先だ(実際の彼女のパリの住居は別の場所だったが)。道が途中で上下2つに分かれるつくりが絵にしやすいのかこのマルブランシュ通りはベルトルッチの『ドリーマーズ』(2003)にも登場する。

マルブランシュ通り。右端が『昼下がりの情事』(1957)でアリアーヌ(オードリー・ヘプバーン)が私立探偵の父(モーリス・シュヴァリエ)と暮らすアパルトマン。ホテル・リッツから夢心地のまま帰宅したアリアーヌはチェロを納めた大きな楽器ケースを抱えてこの青いドアから入り階段を上っていく。『ミッドナイト・イン・パリ』ではガートルード・スタインの住むアパルトマンは階段を上がってすぐの建物という設定。

さらに同じ通りを西へ向かうと『ドリーマーズ』のシネフィル3人組の1人、アメリカ人のマシューの泊る宿があるが、これは『獅子座』のピエールが宿泊を断られるホテルと同じもの。さらに西へ少し歩いてからスフロ通りを横切って北へ向かうとパリ大学ソルボンヌ校の礼拝堂がある。『パリはわれらのもの』(1961)ではこの礼拝堂前の広場でアンヌ(ベティ・シュナイダー)とジャン=マルク(ジャン=クロード・ブリアリ)が落ち合った後ランチに向かうシーンが撮られている。

パリ大学ソルボンヌ校の礼拝堂。サン=ジャック通りの1本西側を通るサン=ミシェル通り側からの眺め。ローマの初期バロック建築の影響を受けたこの建築は宰相リシュリューの委嘱を受けてルメルシエによって設計された。『パリはわれらのもの』(1961)では、主人公のアンヌ(ベティ・シュナイダー)がジャン=マルク(ジャン=クロード・ブリアリ)とこの広場で落ち合った後、2人でランチへと向かう。ジャン=マルクがはじめその足元に腰かけていた彫像は噴水のあるあたりにあったが現在ではサン=ミシェル通りよりに移されている。

最後に、この2回で紹介した映画の中から「《必見》パリ映画」を2本紹介して今回は終えることにしよう。

ドキュメンタリー的リアリティの生々しさ『獅子座』(1962)

主人公は中年の音楽家ピエール。グラン・ゾーギュスタン河岸のアパルトマンで暮らしている。ある日、叔母が亡くなりその莫大な遺産が手に入る・・・はずであったが、期待に反してもう一人の甥がすべてを相続することに。アパルトマンを立ち退いてしまったピエールは無一文な上に頼りにすべき友人たちはヴァカンスに出てしまっていてつかまらない。寝る場所さえ失ってしまったピエールの彷徨が始まる――カルチエ・ラタン、サン・ジェルマン・デ・プレ、セーヌ河岸、シャン=ゼリゼ・・・。

グラン=ゾーギュスタン河岸。映画の冒頭で主人公のピエールが住んでいたのは左から2つのめの建物の4階。遺産相続を祝うパーティがここで開かれる。左方向(東)に200mちょっと歩くと『勝手にしやがれ』のパトリシア(ジーン・セバーグ)の暮らすアパルトマンがある。

ヌーヴェル・ヴァーグ生誕から60年以上が経ちゴダールらの登場が映画の世界にもたらした衝撃の大きさは21世紀の今、彼らの映画や資料などから想像してみるしかないが、その衝撃のひとつが「あるがままの姿」を画面に定着しようとした点にあったのは明らかだろう。トリュフォーによるヌーヴェル・ヴァーグ宣言ともいえる「フランス映画のある種の傾向」という文章には「彼らは、人間をそのあるがままの姿でいきいきと動かそうとせずに」(山田宏一訳)との文言が見える。ここでの「彼ら」とは脚本家のオーランシュ、ボストの2人とその影響を受けた一派のことだが、彼らの脚本を使って映画を撮ったオータン=ララやドラノワといった監督たちを含めてもいい。トリュフォーによれば彼らが目指したのは「心理的リアリズム(réalisme psychologique)」なのだが、にもかかわらず彼らの脚本/映画はリアリズムも心理もともにとらえそこねてしまう。これに対して、ヌーヴェル・ヴァーグが少なくとも当初目指したのはこの逆、すなわち「人間をそのあるがままの姿でいきいきと動かすこと」だった。

マルブランシュ通りのこのホテルでピエールは宿泊を断られる。『ドリーマーズ』のシネフィル3人組の1人、アメリカ人のマシューが泊るホテルでもある。この通りを先に進むと、『昼下がりの情事』のオードリー・ヘプバーンが暮らすアパルトマンがある。

もちろん個人差はあるのだけれど、ヌーヴェル・ヴァーグ発生当時は脚本も演出も演技も「人間をそのあるがままの姿でいきいきと動かすこと」に意識的だった。その当時開発された小型軽量のカメラと高感度フィルムがそれまでセットでの撮影が一般的だった映画の世界で手持ちや夜間での撮影を容易にしその表現の幅を大いに広げていたが、『獅子座』という映画にはこのことによって可能になった、あるいはその可能性が拡大した「ドキュメンタリー的なリアリティ」への注目なしには語ることができない。「ドキュメンタリー的なリアリティ(réalité documentaire)」とはアンドレ・バザンが「禁じられたモンタージュ」という文章のなかで使った表現だが、『獅子座』の画面に横溢する生々しさは、これなしに語ることはできないのである。

セーヌ通り。アパルトマンを出てしまったピエールははじめこのホテルに泊まるが宿泊代を払えず追い出される。この通りを左に向かうとビュシ通りがありそこでピエールはチーズや果物を買う。この通りがビュシ通りと交差する角の建物はベッケル『エドワールとキャロリーヌ』の若夫婦が暮らすアパルトマン。右に向かうとセーヌに至るが、途中にエコール・デ・ボザールの校舎がある。

実際、『獅子座』では冒頭からラストへ向けてのピエールの変化が見ている観客のほうが身につまされるほどに生々しく(ドキュメンタリーのように!)感触される。寝る場所を失ったピエールが最初カフェの椅子やベンチで「座って」寝ていたのが、ポン・ヌフの石のベンチで「横になって」寝て、やがて道端にそのまま寝てしまうまでに至って路上生活者になる。徐々に路上で生活する人間へと生成変化するプロセスが生々しくとらえられているのだ。そしてこれと並走するように、カメラがとらえたパリの街の空気感が生々しく観る者へと迫る。エキストラをほとんど使用せずに行われたと思われる撮影は当時の街の人々のドキュメンタリーにもなっていて、『獅子座』をヌーヴェル・ヴァーグ初期の傑作としてだけでなく、映画における「ドキュメンタリー的価値(valeur documentaire)」(バザン)について一考を促す作品としても記憶に刻むべきものにしている。

パンテオンからアンドレ・ブルトンがフィリップ・スーポーとともに『磁場』(1920)を書き上げた偉人ホテルを見る。ピエールはこのホテルの前の通りを左に進んでムフタール通りへと向かう。

ムフタール通りの南端に位置するサン=メダール教会。ムフタール通りの店でビスケットを盗んだピエールはこの手前の広場で店の主人に殴られる。この騒ぎで人が集まるがおそらくエキストラではなく撮影とは知らずに集まってきた街の人々だろう。この広場では『アメリ』の1シーンも撮られている。

黄金時代のパリにタイムスリップ『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)

オーウェン・ウィルソン演じる主人公のアメリカ人、ギルはパリに熱烈に恋をしている。とはいえ彼がご執心なのは現在のパリではない、1920年代、黄金時代のパリだ。そしてその思いが嵩じ過ぎてか、その20年代へとタイムスリップしてしまう。そこで、マリオン・コティヤール演じるアドリアンヌという女性に出会い心惹かれるが、彼女はしかし、彼女の黄金時代であるベル・エポックに夢中だ。そしてギルはこのアドリアンヌとともにベル・エポックへとタイムスリップして・・・と物語は展開するが、この映画の魅力はタイムスリップした時代に出会う人々とのエピソードなしには語れない。

サン=テチエンヌ=デュ=モン教会の階段前から見る。毎夜、午前0時の鐘が鳴ると奥からプジョーのオールドカーが現れ、1920年代へとギルを連れていく。

文学やアート関連に興味を持つ人ならば腹を抱えて大笑いしてしまうシーンの連続なのである。これだけを目当てに観ても十分に楽しめる、といってもいい。ギルが年代物のプジョーの乗客から誘われるがままに乗り込んで到着するのはサン=ルイ島西端のパーティ会場(ホストはジャン・コクトー!)。そこでピアノを弾いているのはコール・ポーターだし、面食らうギル(このウィルソンの演技がまたケッサク)の前に現れるのはスコット・フィッツジェラルドの妻のゼルダで、フィッツジェラルド夫妻にこれまた誘われるがままに向かったブリックトップではなんとジョセフィン・ベーカーが踊っている。さらに向かった先のポリドールには若きヘミングウェイがいて(ギルはまだ1冊しか世に送り出していないヘミングウェイに「僕の本は好きか?」と問われ「あなたの全作品が好きです」と答えて怪訝な顔をされる)、ヘミングウェイにはガートルード・スタインを紹介され――という具合で数珠つながりのようにして「黄金時代のパリ」の住人たちに次々と出会っていく。

ギルがスコット・フィッツジェラルド夫妻と出会うパーティ会場はサン=ルイ島西端のブルボン河岸にある。ギルたちは緑色の入口から入っていく。この左手にあるコーナーの建物は『パリはわれらのもの』の1シーンに登場。その2軒左隣の41番地にはフィリップ・スーポーが住んでいた。

1845年創業のレストラン、ポリドール。実際にヘミングウェイが通ったという。リュクサンブール公園東端に位置するエドモン・ロスタン広場から北へ向かうムッシュー・ル・プランス通りにある。

シュールレアリストのパーティでは、ポール・エリュアールと思しき姿が部屋を横切ったり(しかしなぜかブルトンは見当たらない)、ギルが若きブニュエルに彼が30数年後に撮ることになる『皆殺しの天使』のアイデアを授けると、ブニュエルが「なんで(晩さん会の客は)部屋から出ていかないんだ?」と腕組みして首を傾げたりと、爆笑ネタの連続で本当に飽きさせないこの映画、もちろん、パリの魅力なしには語れない。マキシム・ド・パリやムーラン・ルージュなどのメジャーどころ以外にもブルトンの小説『ナジャ』に登場するドーフィーヌ広場やノートルダムの真後ろに位置するジャン23世公園でロケしたりと、渋い選択でも魅せてくれる。サン=テチエンヌ=デュ=モン教会裏手の階段付近やサクレ・クール寺院裏手にある階段もよほどのパリ通でなければ選べない場所だろう。

アレンが「僕とはまったく違うタイプのコメディの才能を持っている」と語るオーウェン演じるギルはアレンの分身的な存在で、今どき珍しくナイーブにまた熱く自らの夢の実現を語るギルと薄っぺらなスノビズムや俗物ぶりが鼻につく彼のフィアンセやその両親、友人たちをアレンは対比して見せる。そしてこの映画は地味ながら夢想家ギルの成長譚でもある。

3シーンにのみ登場するレア・セドゥがとてもチャーミングだ。バックにグラン・パレのガラス屋根が見えるアレクサンドル3世橋でのラストシーン。昔のハリウッド映画のパロディを狙ったようでもあるけれど、このロマンチックな雨のシーンが彼女のはにかみを含んだイノセントな笑顔によってたまさか幸福感のようなものを湧き立たせて映画を締めくくる。

ラストシーンと同じ、雨のアレクサンドル3世橋。奥に見えるのはアンヴァリッド。

内野正樹
エディター、ライター。建築および映画・思想・文学・芸術などのジャンルの編集・執筆のほか、写真撮影も行う。雑誌『建築文化』で、ル・コルビュジエ、ミースら巨匠の全冊特集を企画・編集するほか、「映画100年の誘惑」「パリ、ふたたび」「ヴァルター・ベンヤミンと建築・都市」「ドゥルーズの思想と建築・都市」などの特集も手がける。同誌編集長を経て、『DETAIL JAPAN』を創刊。同誌増刊号で『映画の発見!』を企画・編集。現在、ecrimageを主宰。著書=『パリ建築散歩』『大人の「ローマ散歩」』。共著=『表参道を歩いてわかる現代建築』ほか。