歴史の厚みを感じるエリア
パリの街を地区別に歩きながらロケ地をたずねてみようと思う。まずはシテ島の南側に位置するカルチエ・ラタンにフォーカスしてみたい。カルチエ・ラタンの名は、中世の時代に現在のサン=ジェルマン界隈からアンリ4世校の裏手あたりにかけて多くの学寮が建てられ、各地から集まってきた教師と学生たちの間の共通言語としてラテン語が使用されていたことに由来する。
このエリアの歴史は古く、ローマの支配下にあった紀元1世紀には、現在から比べるとずいぶんと小規模ながらもすでに都市的な構造を備えていた。コレージュ・ド・フランスの校舎があるあたりには大規模な共同浴場があったという。当時の浴場跡がクリュニー美術館の隣接地にあり、通りからもその姿を眺めることができる。数百メートル東に移動すると周囲をアパルトマン群に囲まれてアレーヌ(円形劇場兼闘技場、1世紀末~2世紀初め頃)が今も残る。また、その西側にはフィリップ・オーギュスト(在位1180~1223)が命じて築いた市壁も一部だが残っていてその姿を目にすることができる。
12世紀に起源をもつパリ大学を中心に発展し、高等教育機関が集中するが、パンテオンやサント・ジュヌヴィエーヴ図書館に加え、多様な食材を求めて人々の集まるムフタール通り、広大な敷地に温室や博物館も備えた植物園、フランスを代表するモスクと、見どころも多彩に揃う。とても歴史の厚みを感じさせるエリアである一方、セーヌ沿いに立つジャン・ヌーヴェル設計のアラブ世界研究所(1987)が30年以上前の建築ながらガラスの壁面にアラブ建築から想を得た幾何学模様のメカニズムを組み込んだ革新的なデザインで目を引く。
スフロ通りとパンテオン
サン=ミシェル通りと並行してリュクサンブール公園の東側を南北にシテ島まで走るサン=ジャック通りはローマ支配下の時代につくられたもので、以来、その位置を変えていない。まずはこの通りがその真ん中あたりで交差するスフロ通りから映画散歩を始めるとしよう。
リュクサンブール公園の東端に位置するエドモン・ロスタン広場とパンテオンを結ぶスフロ通りの名称はパンテオンの設計者の名がつけられたもので東の突き当りにはパンテオンが鎮座する。パンテオンははじめサント=ジュヌヴィエーヴ教会として建設されたが、革命後に用途が変更されてフランスの偉人たちを讃える神殿となった。
クロード・シャブロルは『いとこ同志』(1959)でパンテオンの左手に立つサント=ジュヌヴィエーヴ図書館からパンテオンへとカメラを振るシーンを2つ入れている。意図的に同じようなシーンを撮ることでいとこ同士の2人(ジェラール・ブランとジャン=クロード・ブリアリ)の対照的な状況を際立たせている。ロメールの『獅子座』(1962)にはパンテオンをバックにスフロ通りを横切るカットが2つあるが、この2つのカットは主人公のピエールの向かう方向が逆になっていて、前・後でピエールの置かれた状況がさらに悪い方向へと変化している。
カラックスの『ホーリー・モーターズ』(2012)ではドニ・ラヴァンが乗ったリムジンがスフロ通りをパンテオンに向かって直進、ジャン・レノ主演の『シェフ!』(2012)での、娘を乗せたレノの車がパンテオンの左脇からスフロ通りへと向かうシーンでは、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館、サン=テチエンヌ=デュ=モン教会、アンリ4世校、パンテオンをワンフレームでとらえたショットが見られる。
パンテオンの周辺エリア
パンテオンの背後にはリセのアンリ4世校が立つ。ミア・ハンセン=ラヴの『未来よ こんにちは』(2016)にもちらりと登場するが、小説などでもその名を目にする機会の多い名門校だ。プルースト、フーコー、ドゥルーズらが学び、ベルクソンも教壇に立っている。その前に立つのがサン=テチエンヌ=デュ=モン教会。ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)では一人夜の街を彷徨している間に道に迷った主人公のギル(オーウェン・ウィルソン)が階段に腰かけていると右手からプジョーのオールドカーが現れる。誘われるがままに乗り込んで行き着いたのはなんとジャン・コクトー主催のパーティ会場。ギルはプジョーでの移動中に現代から1920年代へとタイムスリップするわけだが、その階段はこの教会の裏手にあるものだ。
次回は続けてパンテオンの周辺を映画散歩してからこの地区の「《必見》パリ映画」を2つ紹介予定。
内野正樹
エディター、ライター。建築および映画・思想・文学・芸術などのジャンルの編集・執筆のほか、写真撮影も行う。雑誌『建築文化』で、ル・コルビュジエ、ミースら巨匠の全冊特集を企画・編集するほか、「映画100年の誘惑」「パリ、ふたたび」「ヴァルター・ベンヤミンと建築・都市」「ドゥルーズの思想と建築・都市」などの特集も手がける。同誌編集長を経て、『DETAIL JAPAN』を創刊。同誌増刊号で『映画の発見!』を企画・編集。現在、ecrimageを主宰。著書=『パリ建築散歩』『大人の「ローマ散歩」』。共著=『表参道を歩いてわかる現代建築』ほか。