歴史の厚みを感じるエリア

パリの街を地区別に歩きながらロケ地をたずねてみようと思う。まずはシテ島の南側に位置するカルチエ・ラタンにフォーカスしてみたい。カルチエ・ラタンの名は、中世の時代に現在のサン=ジェルマン界隈からアンリ4世校の裏手あたりにかけて多くの学寮が建てられ、各地から集まってきた教師と学生たちの間の共通言語としてラテン語が使用されていたことに由来する。

このエリアの歴史は古く、ローマの支配下にあった紀元1世紀には、現在から比べるとずいぶんと小規模ながらもすでに都市的な構造を備えていた。コレージュ・ド・フランスの校舎があるあたりには大規模な共同浴場があったという。当時の浴場跡がクリュニー美術館の隣接地にあり、通りからもその姿を眺めることができる。数百メートル東に移動すると周囲をアパルトマン群に囲まれてアレーヌ(円形劇場兼闘技場、1世紀末~2世紀初め頃)が今も残る。また、その西側にはフィリップ・オーギュスト(在位1180~1223)が命じて築いた市壁も一部だが残っていてその姿を目にすることができる。

当時はルテキアと呼ばれていたパリが現在にまで伝わる文献で最初に現れるのはユリウス・カエサルの『ガリア戦記』とされる。カエサルの部下のルテキア攻略後、ローマの支配下に入り、ローマ的な都市構造をもつ街区が左岸を中心に構築される。この円形劇場兼闘技場は、ローマ帝国初期のルテキア復元図では、フォルムや浴場などを擁した都市部からやや離れた場所に描かれている。手前は、屋根付きの舞台があった場所。1万5000人を収容することができたと推定されている。ノエミ・ルヴォウスキーの2017年の『マチルド、翼を広げ』では主人公のマチルドがこの場所を南北に横切るシーンを何度か見ることができる。

12世紀に起源をもつパリ大学を中心に発展し、高等教育機関が集中するが、パンテオンやサント・ジュヌヴィエーヴ図書館に加え、多様な食材を求めて人々の集まるムフタール通り、広大な敷地に温室や博物館も備えた植物園、フランスを代表するモスクと、見どころも多彩に揃う。とても歴史の厚みを感じさせるエリアである一方、セーヌ沿いに立つジャン・ヌーヴェル設計のアラブ世界研究所(1987)が30年以上前の建築ながらガラスの壁面にアラブ建築から想を得た幾何学模様のメカニズムを組み込んだ革新的なデザインで目を引く。

正面はパリ大学ソルボンヌ校。その右を走るのがサン=ジャック通りで、このまま直進するとシテ島中央部分に至る。カルチエ・ラタンの学生のボヘミアン生活に材を取ったプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』の元ネタをさかのぼるとミュッセの小説にまで行きつくが、彼の『ミミ・パンソン』(1845)を読むと、この通りには当時学生だけでなく彼らと恋人関係となることも多かったお針子たちも住んでいたようだ。通りの右手にはリセの名門、ルイ=ル=グラン校、その先には、ベルクソン、ヴァレリー、メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース、バルト、フーコーといったフランスを代表する知性たちが教壇に立ったコレージュ・ド・フランスの校舎がある。

ルーヴル・アブダビやカタール国立博物館などのデザインで現在でも建築界の最前線で活躍するジャン・ヌーヴェルの1980年代の代表作、アラブ世界研究所。30年以上を経た現在でもその魅力はまったく失せないばかりかその建築的強度に圧倒される。ヌーヴェルは90年代にはモンパルナス墓地の東側の敷地にカルチエ財団ビルを設計。こちらはミケランジェロ・アントニオーニの遺作『愛のめぐりあい』(1995)の舞台のひとつとなっている。

スフロ通りとパンテオン

サン=ミシェル通りと並行してリュクサンブール公園の東側を南北にシテ島まで走るサン=ジャック通りはローマ支配下の時代につくられたもので、以来、その位置を変えていない。まずはこの通りがその真ん中あたりで交差するスフロ通りから映画散歩を始めるとしよう。

リュクサンブール公園の東端に位置するエドモン・ロスタン広場とパンテオンを結ぶスフロ通りの名称はパンテオンの設計者の名がつけられたもので東の突き当りにはパンテオンが鎮座する。パンテオンははじめサント=ジュヌヴィエーヴ教会として建設されたが、革命後に用途が変更されてフランスの偉人たちを讃える神殿となった。

クロード・シャブロルは『いとこ同志』(1959)でパンテオンの左手に立つサント=ジュヌヴィエーヴ図書館からパンテオンへとカメラを振るシーンを2つ入れている。意図的に同じようなシーンを撮ることでいとこ同士の2人(ジェラール・ブランとジャン=クロード・ブリアリ)の対照的な状況を際立たせている。ロメールの『獅子座』(1962)にはパンテオンをバックにスフロ通りを横切るカットが2つあるが、この2つのカットは主人公のピエールの向かう方向が逆になっていて、前・後でピエールの置かれた状況がさらに悪い方向へと変化している。

カラックスの『ホーリー・モーターズ』(2012)ではドニ・ラヴァンが乗ったリムジンがスフロ通りをパンテオンに向かって直進、ジャン・レノ主演の『シェフ!』(2012)での、娘を乗せたレノの車がパンテオンの左脇からスフロ通りへと向かうシーンでは、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館、サン=テチエンヌ=デュ=モン教会、アンリ4世校、パンテオンをワンフレームでとらえたショットが見られる。

パンテオン前から見る。正面に見える緑はリュクサーブール公園。パンテオン広場では石畳に座り込んで仲間と話し込む学生たちの姿が見られる。右手の建物はパリ大学パンテオン・ソルボンヌ校。シャブロルの『いとこ同志』(1959)のシャルル(ジェラール・ブラン)とポール(ジャン=クロード・ブリアリ)、ロメールの『モンソーのパン屋の女の子』(1963)の主人公はここに通う法科の学生という設定だ。

正面がパンテオン。このスフロ通りを逆向きに歩くとリュクサンブール公園にぶつかる。通りの名称はパンテオンの設計者ジャック・ジェルメン・スフロ(1713-80)に由来。スフロは「パリの国王の建築物の監督官」であった。パンテオンの左手にサント=ジュヌヴィエーヴ図書館、左斜め後ろにはサン=テチエンヌ=デュ=モン教会が立つ。右斜め後ろのエストラパード通りにはベッケル『エストラパード街』(1953)で夫の浮気を知って家を出たフランソワーズ(アンヌ・ヴェルノン)が独り暮らしを始める下宿がある。そこで出会うのがボヘミアンの音楽家(ダニエル・ジェラン)だ。

パンテオン内部。1755年に設計協議が行われ、サント=ジュヌヴィエーヴ教会として建設された(竣工1792)。革命後にフランスの偉人たちを讃える神殿となる。新古典主義の建築で、ギリシア十字の平面中央に大ドームを載せ、正面のペディメントの下にはコリント式の6本の大円柱が立ち人々を厳かに迎え入れる。ユゴー、ゾラ、ルソー、ベルクソンら、文学・思想関係の人物のほか、キュリー夫妻もここに眠る。

サント=ジュヌヴィエーヴ図書館(1843)の2階閲覧室。平行する2つのヴォールト天井を鋳鉄でつくられたアーチと鉄柱が支える。長辺方向いっぱいに延びた大天井とそれを支える繊細優美な鉄のデザインのコントラストが素晴らしい。設計者のアンリ・ラブルースト(1801-75)は旧国立図書館でも閲覧室をデザインしているが、彼のこのもうひとつの代表作は、ミシェル・フーコーが通い日中こもって作業をしたことでも知られる。

パンテオンの周辺エリア

パンテオンの背後にはリセのアンリ4世校が立つ。ミア・ハンセン=ラヴの『未来よ こんにちは』(2016)にもちらりと登場するが、小説などでもその名を目にする機会の多い名門校だ。プルースト、フーコー、ドゥルーズらが学び、ベルクソンも教壇に立っている。その前に立つのがサン=テチエンヌ=デュ=モン教会。ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)では一人夜の街を彷徨している間に道に迷った主人公のギル(オーウェン・ウィルソン)が階段に腰かけていると右手からプジョーのオールドカーが現れる。誘われるがままに乗り込んで行き着いたのはなんとジャン・コクトー主催のパーティ会場。ギルはプジョーでの移動中に現代から1920年代へとタイムスリップするわけだが、その階段はこの教会の裏手にあるものだ。

左がフィリップ・オーギュストの壁、右がアンリ4世校。ともに、パンテオン裏手のクロヴィス通りにある。隣の建物の側面と不思議とマッチした崩れかけの壁のほうは、はじめて自ら「フランス王」と名乗ったフィリップ・オーギュストが十字軍遠征に出る際に建設が始められたもの。左岸では13世紀初頭に築かれた。アンリ4世校はルイ=ル=グラン校と並ぶ名門リセ。ミア・ハンセン=ラヴ『未来よ こんにちは』(2016)では、このリセで哲学の教師をつとめるハインツ(アンドレ・マルコン)が緑の扉から出てくるシーンが見られる。

道に迷った『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)の主人公ギルはサン=テチエンヌ=デュ=モン教会の背後を走るデカルト通りから教会北面沿いの道を経てこの階段のあたりに現れる。このあたりにはタイムスリップという非現実的な体験をするにふさわしい不思議な雰囲気が漂う。創建が15世紀末にまでさかのぼるこの教会にはパスカルとラシーヌが埋葬されている。背後に見えるのはパンテオン。

次回は続けてパンテオンの周辺を映画散歩してからこの地区の「《必見》パリ映画」を2つ紹介予定。

内野正樹
エディター、ライター。建築および映画・思想・文学・芸術などのジャンルの編集・執筆のほか、写真撮影も行う。雑誌『建築文化』で、ル・コルビュジエ、ミースら巨匠の全冊特集を企画・編集するほか、「映画100年の誘惑」「パリ、ふたたび」「ヴァルター・ベンヤミンと建築・都市」「ドゥルーズの思想と建築・都市」などの特集も手がける。同誌編集長を経て、『DETAIL JAPAN』を創刊。同誌増刊号で『映画の発見!』を企画・編集。現在、ecrimageを主宰。著書=『パリ建築散歩』『大人の「ローマ散歩」』。共著=『表参道を歩いてわかる現代建築』ほか。