まず会場に入るだけで、ほっと心安らぎながら、しかもどこかウキウキする展覧会だ。最近は地球温暖化で少しおかしなことになっているが、日本列島は元来、四季の変化が明晰な気候環境で、しかも日本人は農耕民族だった。年中行事の文化が極端なまでに発展して来た歴史は私たちに染み付いた文化的DNAというか、千数百年の間に「国民性」として脳の構造がそういうことに敏感になっているのかも知れない。

そんな季節をもっとも効果的に表現できるのが、農耕民族だけに自然への愛着が強い日本人にとっては、季節の草花と鳥を描く花鳥画だろう。正倉院宝物などを見ても聖武天皇遺愛とされる品には、中国・唐で作られて輸入された品でも、文様に草花や鳥が描かれたものがとても多いし、「正倉院展」でもそういう宝物には、教科書で有名だったり宣伝に使われていたりしない宝物でも、自然と人だかりがしている。

室町時代には禅宗の影響で中国の北宋・南宋の文人画の風景絵画(山水画)が日本で盛んに模倣されるようになった…と言うより、日本の禅僧・雪舟等楊こそがその最大の完成者と明の皇帝に賞賛されるまでになり、日本の絵画はこの時代、中華文明圏の芸術の一部として発達していたとも言える。その雪舟の代表作のなかには、長大な絵巻物に四季の風景を描いた「山水長巻」(国宝・山口の毛利美術館蔵)と「秋冬山水図」(国宝・東京国立博物館)があるし、この時代にはその雪舟自身の作例も含めて、四季の風景をひとつの画面に納めた「四季山水図」の屏風や襖絵も流行した。

禅宗から派生した茶の湯が世俗化し、武家や商人に広まった近世の、とくに江戸時代の日本の絵画は、なによりも茶席で掛ける絵として発展する。要するに「おもてなし」ツールだったのだ。掛け軸は西洋の油絵のようにずっと飾っているものではなく、軽くて丸めておけば仕舞うのにも便利なので来客の機会に合わせて架け替えるものだし、またずっと掛けて置くと傷んでしまうものでもある。現代でも日本美術は絵の「常設展示」がなく、展覧会でも前期後期と分かれているのも、保存の必要がまずある。

だが同じくらい重要なのが、季節に合わせた絵を見せることも日本の大切な文化だったことだ。茶席のしつらえなら季節の変化に敏感に、掛け軸だけでなく茶道具のひとつひとつにまで神経を配るのが、主人の教養の高さ趣味の良さを示す。江戸時代には武家・大名と豪商が、明治に入るとその豪商や新興経済人の「財閥」の当主たちが、社交ツールとしてのビジネス上の有用性も含めて茶の湯に熱中し、そんな中で花鳥画の掛け軸の名品も競って蒐集された。江戸時代の大坂の豪商で明治の財閥の雄・住友家のコレクションの花鳥画を通して四季の変化を楽しむ展覧会というのはそのまま、そんな近世から近代にかけての日本の「おもてなし」文化の精髄の一端を見ることでもある。

四季の時間のサイクルと、日本絵画の歴史的な流れと

この展覧会にはさらに、このコレクションの特質を活かしたもう「ひとひねり」がある。そうした江戸時代の絵画の発展の源流がどこにあって、どのような影響関係でこうした優品が生まれたのかの歴史的展開の時間軸を、四季のサイクルという時間軸の上に重ね合わせているのだ。

狩野探幽「桃鳩図」江戸時代17世紀  住友コレクション

会場に入るとまず、江戸幕府の初代御用絵師・狩野探幽のとても美しい小品「桃鳩図」がある。狩野派は先述の雪舟の、宋や元、明の影響下の「漢画」の系譜を引き継ぎながら、「やまとえ」の土佐派などの影響にも学んで和風の感性も取り込み、戦国時代に武家・大名からの発注が増えて絵画の製作が世俗化して行く(つまり、画僧ではなく俗人のプロの絵師集団が生まれる)中で、特に足利8代将軍の義政や織田、豊臣政権の寵愛を受け、日本絵画の本家本流になった一族・流派だ。

探幽は家康・秀忠・家光の三代に愛され、信長・秀吉に高く評価された祖父の永徳、義政の寵愛を受け狩野派の地位を確立した永徳の祖父・元信と並ぶ、狩野派の歴史の中でも特に傑出した絵師であり、その作風はいかにも日本的な「余白の美学」を確立したとして評価されている。

その探幽の、中国・宋風の緻密描写に、日本テイストな「間」を活かした構図の美学が融合した名品の隣には、日本風のデザイン性と形態の戯れの美学を発達させた琳派の中村芳中の、いかにも軽快で遊び心もあるタッチの「梅鶯図」が飾られている。さらに右に目をやると、四季の順番で展開する展示の冒頭、春のコーナーのガラスケースの一枚目が、沈南蘋の作だ。

右:沈南蘋「雪中遊兎図」中国・清 乾隆2(1737)年 左:彭城百川「梅図屏風」江戸時代 寛延2(1749)年 緻密かつダイナミックな梅の枝の表現に共通性・影響関係が見える 住友コレクション

沈南蘋は長崎に滞在していた中国・清朝の画家で、その写実性の高い細密描写が以降の日本美術に多大な影響を与えた。江戸時代の長崎というと今日ではオランダとの交易ばかりが知られているが、明・清時代の中国との交易はさらに盛んだった。

もともと外国への好奇心旺盛が旺盛で外国にインスピレーションを求めるのが日本人の特性だ。徳川吉宗の享保の改革で蘭学ブームが起こり、西洋の影響も広まって町絵師の浮世絵が遠近法の実験に熱中する以前には、憧れの先進文化文明大国といえば中国だった。日本の絵画がすでに宋や明の中国から多くを学んで来たのは先述の通りだが、その明朝から東北・満州族王朝の清朝に代わった際の混乱で、しばらく新しい中国絵画が日本に入って来にくくなっていた。

新しい表現が入って来なくなった日本の絵師たちのフラストレーションも、もしかしたらあったのかも知れない。そんな状況が一変したのが、徳川吉宗が沈南蘋を招いて長崎に滞在させたことだ。吉宗は最初は宋や元時代のカッチリした細密描写の絵を清から輸入したかったらしいが、当時の中国ですでに貴重で滅多に手に入らなくなっていたようで、そこで招聘されたのが沈南蘋だったという。

中国絵画のなかでも細密描写を好んだのが近世日本人の感性?

沈南蘋のスタイルは、中国絵画史の流れでは、当時としては保守的な、古風な作風に位置付けられる(もっと奔放な文人画がむしろ流行した)。むしろ宋や元の時代の古典を踏まえたかっちりした描き方が日本人に受け入れ易かったのだろうか? 直接に教えを受けてその技法を習得した「南蘋派」だけでなく、円山応挙や伊藤若冲のような京都の絵画の、担い手が武家から町人に移った新しい流れでも、沈南蘋の描き方に興味津々だった。

春から夏へ:右)伊藤若冲「海堂目白図」江戸時代18世紀 左)円山応瑞「牡丹孔雀図」江戸時代17-18世紀 間にあるのが中国・明時代の月洲の「孔雀図」、16世紀

独学で絵を学んだ伊藤若冲はもともと、本業の青物問屋として取引があり信仰の上でも師事していた相国寺が持っていた宋や元代の中国絵画を学び、模写したり手法を研究したりしていたが、新たに入って来たに沈南蘋のシャープでリアルな筆致は、ほとんどマニアックと言っていいほどの細かい描写で画面を埋め尽くす若冲の感性に、ぴったりだったのかも知れない。

今回展示されている若冲の「海堂目白図」は、あの有名な「動植綵絵」(相国寺から明治天皇に献納され、先の天皇が国に寄付、宮内庁三の丸尚蔵館蔵)を描いていたのと同時期の、同じサイズの作品だ。

もしかしたら、元は「動植綵絵」の一枚として構想されたものかも知れない。

隣に展示されている明時代の、月洲の「孔雀図」と較べると、こちらだって十分に緻密な描写なのが、若冲の描き込み方はさらに極端なまでに細密だ。「動植綵絵」にも共通する徹底した細かさは、こうして比較できるように並べられると、沈南蘋の影響もあって若冲が到達したものなのかも知れないと、手に取るように感じられる。

それにしてもこの細部まで手の込んだ描写の細かさはどうだろう? 写真では分かりにくいが、淡いピンクの海堂の花のひとつひとつに、黄色で花芯と花粉が規則的なリズミカルさで描きこまれている。緻密なリアリズムを突き詰める先に文様のような抽象性が産まれるところに、いかにも若冲らしい表現がある。花粉を表す黄色い点が一方で、満天の無数の星のようにも見えて来る。

伊藤若冲「海堂目白図」江戸時代18世紀 住友コレクション

メジロの描き方がまた、いかにも同時代・同じ京都の円山応挙の「写生」理論にも私淑していた若冲ならではの表現だ。単に羽毛の一本一本まで細かく描きこまれているだけでなく、枝に身を寄せ合っておしくらまんじゅうをしているかのように描かれているのは、本当にメジロの生態として確認されていることだそうだ。押し合うあまりに一羽が列からはみ出て、押し出されて飛び出してしまう、その瞬間を捉えている。

夏:右から江戸時代・椿椿山「野雉臨水図」嘉永5(1852)年、明時代・陳遵 「設色花卉図」万暦44(1616)年、左に江戸時代・薮長水「花鳥図屏風」19世紀 住友コレクション

影響元のオリジナルよりさらに緻密・細密になるのが日本人の感受性?

こうして中国から来た影響の源と、その影響下に発達した日本の近世絵画を見較べていくと、江戸時代中期の日本の絵師たちが沈南蘋の細密描写に圧倒されたという歴史理解と、ある意味で逆の傾向も言えてしまいそうな気分になる。

いやどちらがどちらに影響ということではまったくない。緻密な細密描写のリアリズムが中国風なのであれば中国の描き方の方がより「細密」だろうとなんとなく思っていたら、むしろ逆に、そこに影響された日本の花鳥画の方がより、鳥の羽毛を一本一本描くような緻密さが、さらに徹底しているのだ。

若冲の彩色画が細密なのは、もちろん彼の凝り性な個性や、その創作の背景にある仏教的な、生きとし生けるあらゆるものを尊ぶ精神性の反映でもあるのだろう。しかし緻密さへのこだわりはその若冲や、「写生」つまり命を「写す」ことをテーマにした応挙の円山派だけに見られるものではないし、中国影響を日本に翻案した狩野派などの「漢画」ジャンルに留まるものでもない。そう気づかされるのが、四季の順番で展示されている絵の、「秋」のコーナーだ。

右)土佐光起「木瓜鶉・菊鶲図」江戸時代17世紀 右)狩野常信「黄蜀葵・菊図」江戸時代18世紀 住友コレクション

なんと「やまと絵」の王道・土佐派でも、中国影響の強い狩野派や、沈南蘋に影響を受けた若冲や円山派に負けず劣らずの緻密さで、鶉の羽毛まで一本一本細かに描きこんでいるではないか。一方でこの鶉、立体感を排除してあえて平面的に表現されていて、白い縞状の模様が抽象的な文様にも見えて来て、ふっくらした羽毛の一本一本の緻密さと絶妙な調和に到達している。

土佐光起「木瓜鶉・菊鶲図」(部分)江戸時代17世紀 住友コレクション

この土佐光起の二幅対の左では、一見白い菊を描いたようでいてその根元には小さな紫の桔梗が咲いていたり、茎の中程にはスズメの仲間であるヒタキが止まっている。そのヒタキの羽毛の一本一本も、実に丁寧に、朝廷と公家に重用された土佐派ならではの格調高い品位で描かれる。

徹底的に細かく、そしてあえて平面的な描写(若冲にも似たものを感じるかも知れない)には、生命の細部にこそ極度に惹かれてしまう日本人の感性の源流のようなものまで見えて来るような気がする。平成になってそれまで天皇家の秘宝だった(明治の廃仏毀釈で財政難に陥った相国寺が献上し、代わりに多額の下賜金を得た)若冲の「動植綵絵」が、先の天皇の配慮で国有財産に移行して見られるようになった途端、なぜ伊藤若冲ブームが起こったのかの秘密も、この辺りにあるのかも知れない。

冬の絵:右から辺文進(明時代 15世紀)、松村景文(江戸時代19世紀)、狩野常信、狩野養信(江戸時代19世紀)、沈恢 (明時代15世紀) いずれも住友コレクション

そういえば室町時代に足利将軍家が明との正式国交を結んでしきりと中国の文物を蒐集し、その高級文化の威光で将軍の位の箔付けと、特に京都の公家に対抗できるだけの武家の文化力を作り出そうとした時にも、日本でもっとも尊敬された中国の画家は、本土では必ずしも評価が高かったわけではない牧谿だった。この南宋末・元初の画僧といえば真っ先に思い浮かぶのが、毛の一本一本を丁寧に書き込んだ、いかにもフワフワした柔らかな質感がとびきりに愛らしい猿の絵だろう。この牧谿風の猿は長谷川等伯、狩野永徳などそうそうたる日本の絵師が模写・模倣して来た。

もちろん中国から入ってきた新しいものを貪欲に取り入れて自分たちの絵画をより発展させる熱意と努力が基本にあるのは言うまでもないし、そこにはエキゾチックなテイストが大好きな(18世紀までは主に中国、蘭学が入って以降はさらに西洋も)日本民族の特性があるのも確かだろう。だがこうしたいかにも私たちの感性にしっくり来るゆえに、心休まる絵画には、もっと深層心理的な「日本人好み」が隠れているのかも知れない。

水戸徳川家の8代当主・斉脩の描いた「牡丹鸚鵡図」江戸時代 文化8(1814)年 住友コレクション
徳川家の若殿には狩野派の絵の師匠がつくのが通例。この作品も漢画の基本要素を踏まえてはいるはずなのだが、なんとも不思議な味わい。牡丹なのだから夏の絵のはずが、鸚鵡が停まる白い物体が雪に、つまり冬の絵にも見えてしまう(実は岩)。

そんな勝手な空想にまで思いをめぐらせながら堪能していると、またそんな仮説をひっくり返してしまう名品が、展覧会の最後を飾っている。琳派の雄・尾形光琳の弟で陶芸家としても活躍した尾形乾山の「椿図」。細密・緻密とは正反対の、墨のトーンのバリエーションだけのシンプルさもまた、いかにも私たちの文化的・民族的DNAに訴えてくる美なのは間違いない。

いやもっとも、一見シンプルに見えるこの表現、決して「墨一色」ではなくその墨の濃淡に無限のグラデーションを作り出すことでこそ生じている存在感には、やはり自然を精確に、かつ理想化して表現したい欲望から来る膨大な努力が、さりげなく隠れてはいないか? これが黒のベタ塗りだったら、決して我々が心惹かれる絵にはならなかったはずだ。

尾形乾山「椿図」江戸時代18世紀 奥に沈恢 「雪中花鳥図」明時代 15世紀 住友コレクション

花と鳥の四季 住友コレクションの花鳥画

展覧会名花と鳥の四季 -住友コレクションの花鳥画
主催公益財団法人 泉屋博古館、日本経済新聞社、京都新聞
会場住友コレクション 泉屋博古館
〒606-8431 京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
075-771-6411(代)
会期2019年10月26日(土)~12月8日(日)
開館時間10時~17時 (入館は16時30分まで)
休館日月曜日、11月5日(火)(11月4日(月・祝)は開館)
入館料一般800円、高大生600円、中学生以下無料
※企画展・青銅器館両方ご覧いただけます
*20名以上は団体割引20%、障害者手帳ご呈示の方は無料

交通:
京都市バス (5)(93)(203)(204)系統 「東天王町」下車、東へ200m角
(32)(100)系統「宮ノ前町」下車すぐ
◎JR・新幹線・近鉄電車 京都駅より
市バス(5)(100)系統
◎阪急電車 河原町駅より
市バス(5)(203)(32)系統
◎京阪電車 三条駅より
市バス(5)系統
◎地下鉄烏丸線 丸太町駅より
市バス(93)(204)系統

お問い合わせ先:泉屋博古館
〒606-8431 京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
075-771-6411(代)

「花と鳥の四季展」 cinefilチケット・プレゼント

下記の必要事項、読者アンケートをご記入の上、「泉屋博古館・花と鳥の四季」チケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に、ご本人様名記名の無料観覧券をお送りいたします。
この無料観覧券は非売品です。転売、オークションへの出品などを固く禁じます。

応募先メールアドレス  info@miramiru.tokyo
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