ハプスブルク家。神聖ローマ帝国(のちにオーストリア=ハンガリー二重君主国)皇帝を永らく輩出し、一時はスペイン王家でもあった。
先進的な啓蒙君主としてヨーロッパの「近代」への扉を開いた1人であるマリア・テレジアは今日でもオーストリア史最大の偉人とされ、その娘で悲劇のフランス王妃となったマリー・アントワネットはあまりにも有名だし、最後の皇后エリザベトはジャン・コクトーの戯曲「双頭の鷲」(コクトー自身とミケランジェロ・アントニオーニにより二度映画化)のモデルで、「プリンセス・シシー」としてかつてロミー・シュナイダーの当たり役になり、最近はミュージカル化が人気だったり、というように同家の歴史上の有名ヒロインへの憧れも根強い。
第一次世界大戦でドイツとオーストリアが敗戦、二重君主国が解体、という終わり方がよくなかった(民主主義の20世紀に古いヨーロッパの専制君主制の残滓に見えてしまうし、確かに帝政の末期には被支配民族への弾圧・抑圧も激しくなった。同じ少数民族が第二次大戦で今度はナチスに弾圧されている)せいで、20世紀にはかなりイメージが悪かったヨーロッパ最大の「名門」だが、近年の歴史研究では客観的な再評価が進んでいる。日本とオーストリアの国交150周年を記念するこの展覧会は、そうした新しい研究と再評価の成果でもある。
ヨーロッパが近代民族主義で分割される前から続いたしなやかな「皇帝」
「帝国」というと「ナチス第三帝国」とか『スターウォーズ 帝国の逆襲』のようなおどろおどろしい強権圧政イメージを抱きがちだが、本物の歴史上の、それも最も長続きしたこの「帝国」のコレクションから見えて来るのはむしろ正反対で、「強権」などとは程遠く、曖昧で融通無碍だったその「統治」の実際と、寛容でコスモポリタンであらゆる方面に配慮を欠かさず、歴史の変化の中で自らが常に変化に対応し続けた、皇帝たちのしなやかさだ。
昨今世界中で「右傾化」が危惧されているが、そんな復古主義のつもりの人たちが憧れているような「強い帝国」なぞ過去に存在したことはほとんどないのかも知れず、ごく稀に成立していたとしても、長続きした例がない。現代の右派が夢見るような「強い帝国」は、その基になる近代的「国民国家主義」の先入観からして、ひとつの民族がひとつの国家を形成してその国々が攻防を繰り返すという19世紀になってからフランスを中心に広まった歴史観から導き出された幻想に過ぎず、だいたい我々がイメージする「帝国」といえば、そのフランスのナポレオン帝国が無自覚の前提だ。
フランスのような国の王政なら、まだ「フランス国王」という切り口で政治や外交を把握・理解できなくはない。だがハプスブルク家の歴史を「オーストリア皇帝」として、あるいは当初の神聖ローマ帝国の領域から「ドイツ皇帝」として見ようとすると、訳が分からなくなってしまう。
そんな近代政治的な先入観を覆すのにとてもわかりやすいのが、展覧会の冒頭すぐ、二つ目の部屋の展示だ。
歴代皇帝の精緻で豪華な甲冑(つまり、儀礼的なもので実戦用ではない)と向き合って飾られた大きな二枚のタペストリーは、イタリアで描かれた原画を、現在のベルギーの首都ブリュッセルで織った最高級品だ。どちらの地域も我々の感覚では「オーストリア」でも「ドイツ」でもないが、ハプスブルク皇帝の「支配領域」とまでは言わずとも、その権威の及んでいた範囲内だった。だいたいこの「領域」の定義が、国境の確定が国家主権に深く関わる現代とは違って、ハプスブルク家の皇帝たちの時代には、常に極めて曖昧だったのだ。
15〜16世紀のヨーロッパでは、例えば「フランス王国」ならまだある民族の構成する国家が一定のまとまった領域を支配する、という近代以降の政治観で理解できそうな「国」が成立していたように見えるが、それはフランスが当時では「辺境」というか、地図で見ても大陸の「端っこ」だったからでもある。大航海時代に大西洋航路が発見されるまで、ヨーロッパ世界の文明的な中心はイタリアであり、その北に広がるのがヨーロッパの地理的な中心の、現代であればドイツ、オーストリア、その北のフランドル(現在のベルギーやオランダの一部)などなどと、20世紀の政治的区分でいう「東ヨーロッパ」の西半分くらいまでの広範な地域だ。常に民族が入り乱れ「国境」も定かではなかったこの広い領域にハプスブルク家が「神聖ローマ皇帝」として君臨したのも、武力を背景にした強権にでは無理だったし、そもそもそれだけの軍事力を保持するだけでもまず不可能だ。
フランドルやドイツでは、中世の後期以降多くの自由交易都市が都市国家的な独立性を持って繁栄したが、政治的には一応「神聖ローマ皇帝」たるハプスブルク家に臣従してそこから自治権を認められたという位置付けになる。
イタリア半島なら、なにしろ名目上は「神聖ローマ皇帝」なのだから本来ならその統治の中心であったはずが、ここではローマの教皇と皇帝の支配権がまずしばしば衝突する中で、事実上の独立君主国を形成した多くの諸侯やフィレンツェ、ヴェネチアのような経済的な力を持った市民たちの自治都市共和国が興亡を繰り広げていた。
あまりに多様な民族・宗教の上に「君臨」する「帝国」とはなにか?
「神聖ローマ皇帝」の実際は、そうした広範で多様で民族も入り乱れ、交易や交流も活発な地域を「支配」するというより、その上に乗っかった権威として君臨するもので、軍事力を背景に絶対君主的な権力を強めたフランス王国やイングランド王国からイメージする「ヨーロッパの王様」とはかなりイメージが違う。
しかも神聖ローマ帝国皇帝の位の起源は、カール大帝がローマ教皇に西ローマ帝国の後継者として認められたこと、つまりカトリックの宗教権威に裏付けられた王権だったのが、ルネサンス期を経ると帝国の中心領域である現在のドイツでは、ルター派やカルヴァン派の宗教改革勢力が広まっていた。ハプスブルク家はカトリックのままの家柄だったが、皇帝はその異なった宗教の人たちの上にも権威として君臨しなければ地位を保てなくなった。皇帝のコレクションには、そうしたプロテスタントの画家たちの作品も多く含まれている。
ハプスブル家が所有した、あるいは所縁のある美術品の軌跡には、そんな皇帝の複雑な立場と、だからこそ広範で多様な地域の統治を可能とした努力が凝縮されている。一族自体は名前からもわかるようにドイツ系だし、最後には「オーストリア皇帝」として歴史上の役割を終えたためにドイツ的なイメージが強いが、そのコレクションは南はイタリアから北はフランドル絵画、デューラー、クラーナハなどのドイツ絵画やブリューゲル一族の秀作など、あらゆるヨーロッパ絵画を網羅しているし、その所在は現在でもウィーンだったり、時に宮廷が置かれたプラハだったりに分散している。
皇帝の位は事実上の世襲だったものの、代替わりの度に各地の「選帝侯」の承認を得なければ就任できなかった。これはフランスやイングランドの国王が戦争の勝利を重ねることで専制的な絶対君主としての地位を固めていったのとかなり異なった歴史だし、だからこそ武力以外での権威権力の基盤を常に模索しつつ、多方面に気を使いながら維持されてきた「帝国」だった。
多方面に常に気を遣いっぱなし、皇帝もつらいよ
美術品の蒐集は、こうして多様化が進んだヨーロッパ世界の中心に君臨しなければならなかったハプスブルク家に求められた、多方面への政治的な配慮を常に反映し続けて、あらゆる多様な表現を受け入れ続けたものでもあり、またこうした多様な全てを代表するものをことごとく蒐集することが、皇帝の権威の分かり易い表象でもあった。
こうした皇帝のあり方がもっとも極端に現れているのが、「帝国コレクション」の基礎を築き、美術工芸に留まらず「森羅万象」全てを蒐集の対象にしようとすらした皇帝ルドルフ2世(1552-1612)だろう。このルドルフの肖像画も、画家のハインツはドイツのバーゼル生まれでイタリアで修行し、ルドルフが宮廷をプラハ(現在はチェコ共和国の首都)に移すとそこに招聘された。皇帝の立場がそうであったように、その宮廷画家もまたコスモポリタンでなければ仕事にならなかったのだ。
またウィーンもプラハもカトリックの地域で、皇帝自身もカトリック教徒だったが、絵画コレクションではルドルフが特に愛したデューラーや、あるいはクラナーハは、プロテスタントの宗教改革の旗手マルティン・ルターとも密接な関係を持っていたり、敬愛していた画家でもあった。
美術品や工芸品だけではない。博物学にも強い関心を示した皇帝は、動植物をコレクションして動物園や植物園を整備したり、科学者を招聘したり、最先端の文化と知識のコレクションこそがその目標であり、これだけ多様で広い地域を直接・関節に統治する「皇帝」の地位の権威づけが、軍事力だけでは不可能だったし、そんな軍事力を維持する財力がおよそなかったからでもある。
ルドルフ2世と並んでオーストリア・ハプスブルク家でもっとも有名で、マリー・アントワネットの母でもあった啓蒙君主マリア・テレジア(女性は皇帝にはなれなかったのでオーストリア大公・ボヘミア女王・ハンガリー女王、皇帝は夫のフランツ1世)がいち早く啓蒙主義を取り入れて先進的で開明的な政治を心がけたのも、そうして民衆に理解を示しつつ学問や先端知識で権威づけしなければ保てなかったのが「皇帝の地位」だったからだ。
もちろんハプスブルク家がよく言えば「名門」であるということは、マルクシズム(これも広義にはハプスブルクの統治地域で19世紀半ばに生まれた新しい学問科学である)的に言えば「搾取・支配階級」の権化に他ならず、帝国の歴史が終わった20世紀初頭には時代遅れな「保守」だったことも否定はしない。諸民族の調和のために寛容さと学問学術を奨励したのがハプスブルク家だったからこその知的進歩の成果として生まれた新しい思想や意識を当てはめるなら、彼らが「皇帝」の一族である以上は「民主的」だったともおよそ言えなくなるし、こと末期の二重君主国時代には少数民族が虐げられ、人種民族に基づく差別不平等に抗った独立運動が、激しく弾圧されもした。
だがその「保守」とは、近現代の国際政治的な文脈における「保守主義」の右翼国家主義とは相当にかけ離れたものだ。よく考えれば現代のヨーロッパ政治を揺さぶっているような民族主義ナショナリズムと軍事力の誇示に基づく国家権威は、近代に入ってから、フランス革命とナポレオンの征服・侵略戦争の以降、広まったものに過ぎない。
フランス革命を「近代民主主義の始まり」として捉える歴史観だと、革命で倒された王制の王妃で悪女扱いされたマリー・アントワネットの実家がハプスブルク家で、オーストリア帝国がフランス革命政府を倒すために派兵を呼びかけ、今のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」がこのオーストリアを中心とした侵略軍に対抗する民衆義勇軍の歌として作られたことなど、ハプスブルク家が反民主主義守旧派の「悪者」に見える構図になる。だが実態は、そのマリー・アントワネットの母マリア・テレジア(1780年没)やその後を継いだ兄たちヨーゼフ2世、レオポルト2世の時代のウィーンは、ルイ王朝時代のフランスより開明的で寛大な、科学的合理性も踏まえた政治が行われ、フランスで生まれた啓蒙主義思想もウィーンでの方が政治的に実践されていた面もあったのである。
ハプスブルクの帝国のヨーロッパは、この一族が必然的に開明的かつ寛容でコスモポリタンであり続けなければ、成立もしなかったし、維持も出来なかっただろう。その美術工芸コレクションは、そうした複雑な歴史の中枢で何百年も「皇帝」の地位にあり続け、失敗も多々あったにせよ比較的安定した統治をなんとか維持して来た一族の、紆余曲折を生き抜いたしなやかな歴史の証でもある。
そして20世紀、ついに激しい現代の変化にしなやかに対応しきれなくなった時、帝国は終焉を迎える。皮肉なことにその直接原因となった第一次大戦は、ハプスブルク家の皇位継承者夫妻の暗殺事件から始まっている(サラエヴォ事件)。しかもそのフランツ・フェルディナントと妻ゾフィー・ホテクこそが、新しい時代に再び変わろうとするハプスブルク家を牽引しようとしていたことは、マックス・オフュルス監督の戦前フランス時代最後の傑作映画『マイエルリンクからサラエヴォへ』(1940年)に詳しく描かれている。
もうひとつのハプスブルク家、スペイン・ハプスブルクの儚くも永遠の輝き
血統的な民族主義に基づく国家観が、ヨーロッパでも実は比較的新しい、近代のものでしかないことに気づかされる、もうひとつのハプスブルク家の歴史もある。レコンキスタでヨーロッパの、キリスト教世界に復帰した後のイベリア半島・スペイン王国だ。一時は神聖ローマ帝国に属したスペインは、カール五世が息子のフェリペ(スペイン王としてはフェリペ2世、ポルトガル王としてはフェリペ1世)にスペイン王位を相続させたことで、ハプスブルクの分家王朝の王国として独立した。
今日、このスペイン・ハプスブルク王朝が国際的に知られるのはもっぱら、フェリペ2世の孫フェリペ4世が寵愛した宮廷画家の天才によってだ。ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス、西洋絵画史上まちがいなく最高最大の芸術家の1人だ。
もちろんベラスケス作品最大のコレクションはスペイン王立プラド美術館にあるが、分家した後のスペイン・ハプスブルク家がオーストリアの本家との交流を絶やさず、絵画も含めた近況報告のやり取りも多かったので、例えばべラスケスによるフェリペ4世と妻イサベルの肖像がウィーンにもあり、それが今回来日している。
イサベルはこの絵から12,3年後の1644年に亡くなり、2人の間に生まれた8人の子供のうち7人も成人前に亡くなった。スペイン・ハプスブルク家はこの頃から、後継者問題に苦しみ続けることになる。王は再婚し、王女マルガリータ・テレサが生まれる。
世界史上もっとも有名というか、少なくとも顔はもっとも知られた王女だろう。3歳と5歳にベラスケスが描いた肖像がウィーンに贈られており、さらに5歳の彼女は最高傑作「ラス・メーニーナス」の中央に描かれ、そして8歳になった彼女を描いたのがこの「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」、今回の展覧会でもっとも傑出した絵画だ。
ウィーン美術史美術館にこの絵も含めて三枚のマルガリータ・テレサの肖像があるのは、「本家」ハプスブルクの皇帝レオポルト一世との政略結婚が決まっていたからだ。特にスペイン・ハプスブルク家はスペイン人にとって「異民族王朝」となるからこそ、かえって「青い血」とも呼ばれた血統の純粋性を保つために近親婚が多く、マルガリータ・テレサにしても母マリアナ・デ・アウストリアは神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の皇女、つまり父フェリペ4世とは実の姪の関係になる。
ベラスケスの描くマルガリータ・テレサはとても愛らしかったが病弱で、それでも6人の子供を産んだ後21才で亡くなっている。弟カルロス2世は深刻な遺伝性疾患があったと言われ、スペイン・ハプスブルク王朝最後の王となる。フランス王ルイ14世に嫁いだ異母姉(最初の王妃イサベラの末娘)マリー・テレーズ・ドートリッシュの子孫が、現在のブルボン朝スペイン王家だ。
かくも儚くついえてしまったフェリペ4世とその家族の姿は、それでも芸術の力で永遠のものとして世界に記憶され続けている。儚い一瞬をこそ永遠に刻んだベラスケスの傑作を丁寧に見ると、さらに驚くべきことに気づく。一見精緻に見えるこの肖像は、どこを見てもおよそ緻密な精緻さとはかけ離れた、まるで後の印象派絵画のような、荒いタッチだけで描かれているのだ。淡いピンクの愛らしい肌が柔らかに描かれた左手の一方で、手袋をはめた右手は褐色の絵の具をひと筆ふた筆ベタっと塗っただけで表現され、背景のマントルピースらしき棚もそこに置かれた獅子らしき置物も、ザっと引かれた線しかない。軽やかに見えるレースも、白の絵の具をササッと塗っただけだ。
晩年のベラスケスが到達した、絵画表現の頂点だ。
この西洋絵画史上最も偉大な画家の生涯は、ほんの十数年前までほとんど分かっていなかった。そして最近、意外な事実が判明している。生涯を敬虔なカトリックとして知られたスペイン王の宮廷画家として絵を描き続け、またその宮内長官にまで出世して官僚的な実務も着実にこなし、マルガリータ・テレサのオーストリアへの輿入れも手配した彼は、レコンキスタ後のスペインで激しい差別を受けて転向・改宗を強要されたユダヤ人の息子だったのである。
フェリペ4世がその事実を知りつつ彼を寵愛したのかどうかは不明だ。
だが知っていて、だからこそこの画家の独特の感性に全幅の信頼を置いて自分と自分の家族を描かせ続けたとしても、なんの不思議もない。だとしたら、だからこそこの王女を描いたベラスケスの絵画は、とりわけ美しく、愛に満ちているのだろう。そこには王族を美化しその栄光を見せつけようと言うのとは、明らかに別次元の表現がある。
この絵画が形式上は「宮廷絵画」であるからこそ、逆に絵そのものの表現の純粋性が際立つ。絵画表現、ひいては芸術表現そのものの本質が、この絵には確かに現れている。
日本・オーストリア友好150周年記念
ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史
会期:2019年10月19日(土)~2020年1月26日(日)
開館時間: 9:30~17:30 毎週金・土曜日:9:30~20:00 ただし11月30日(土)は17:30まで
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日、(ただし、11月4日(月・休)、1月13日(月・祝)は開館)、11月5日(火)、12月28日(土)~1月1日(水・祝)、1月14日(火)
主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社
共催:日本経済新聞社
後援:オーストリア大使館、オーストリア文化フォーラム、BS-TBS
特別協賛:大和ハウス工業株式会社
協賛:三井物産、大日本印刷、みずほ銀行、ビックカメラ
特別協力:ぴあ、TBSラジオ
協力:ANA、ルフトハンザカーゴ AG、西洋美術振興財団
観覧料金:当日:一般1,700円、大学生1,100円、高校生700円
団体:一般1,400円、大学生1,000円、高校生600円
※団体料金は20名以上。
※中学生以下は無料。
※心身に障害のある方および付添者1名は無料(入館の際に障害者手帳をご提示ください)。
関連書籍:ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史 展覧会カタログ
2019年発行、318頁、高さ29.5cm ISBN:978-4-906908-24-0
ハプスブルク展 cinefilチケット・プレゼント
下記の必要事項、読者アンケートをご記入の上、「ハプスブルク展」チケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に、ご本人様名記名の無料観覧券をお送りいたします。
この無料観覧券は非売品です。転売、オークションへの出品などを固く禁じます。
応募先メールアドレス info@miramiru.tokyo
応募締め切り 2019年11月29日(金)24:00
1、氏名
2、年齢
3、当選プレゼント送り先住所(応募者の電話番号、郵便番号、建物名、部屋番号も明記)
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