ギターへのこだわり
根岸
「さよならくちびる」は名古屋のギター少女達をはじめ、いろんな方々にカバーしてもらっていて、今やカラオケにも入っている。
塩田
映画のなかの歌が違った形で世の中に広まっていくのはうれしいよね。
根岸
塩田監督がこと音楽に関しどの程度詳しいのか、僕のなかではもうひとつ分からない面もあったけれど、今回、ギターに関しては異常なこだわりを持っているなと思った。
塩田
すごく偏っているけどね。それはシマが実際に使った「ナッシュギター」の話?
根岸
それもそうだし、ギターサウンドに関しては相当うるさい人だなと。あのナッシュギターは新潟で「So Nice」というバンドをやっている鎌倉克行さんが持っていたもの。あの汚れ具合で分かるように、ちゃんとエイジングされていてすごく良いギターだったね。
塩田
シマのギターは背景を示す上でもすごく重要だった。「人生の半分をあいつと音楽をやってた」ということをいかに正当化するのかということがあって、ただ「はい、用意しました」というギターではない、スペシャリティが求められていたから。最初は北海道でフェンダーの「ムスタング」っていう古いタイプのギターを見つけたんだけれど、音楽チームから反対されたんだよな(笑)。ムスタングはニルヴァーナのカート・コバーンなどが使っていたギターで有名なんだけれど、暴れ馬のような特殊なサウンドのギターと呼ばれていて、扱いやチューニングがすごく難しい。
根岸
ナッシュギターというのは、見た目はテレキャスターっぽい感じだよね。
塩田
形としてはほぼテレキャス。それに所有者である鎌倉さん独特の手が入っているんだよね。ネックの厚みを普通よりもはるかに薄くしていたり、幅も細くしている。
根岸
成田君はギターの覚えが早かったよね。周りに音楽家の知り合いが多いということも影響しているのかな。
塩田
他の映画の撮影中にギターの練習をさせたのは、その映画の監督やスタッフに申し訳ないところもあったけれど、仕方がないよな(苦笑)。
根岸
中田秀夫と今泉力哉、両監督には多少迷惑をかけたのかもしれない。
塩田
この場を借りてお詫びいたします。
根岸
でも、どちらも大ヒットしたわけだから、まっいいんじゃない?
音楽シーンの撮影の難しさ
根岸
塩田組の現場はたいがい早いけど、やっぱり今回は音楽シーンの撮影もあってか、かなり粘って時間をかけていた印象がある。もちろん泊まりも多いから、そんなに早く終わらせなくてもいいという計算もあったかもしれないけど。
塩田
というか、カット数が多くないのに時間がかかるのは、単純に演奏をして、音を録ってという映像の作業や、俳優は歌いながら演技もしなければいけないというのがすごく大変だということだと思う。
根岸
プレイバックとアテ振りが難しいということだよね。
塩田
でも、ライブシーンの撮影は段々と早くなっていったんだよね。最初は探り探りだった。
根岸
最初に足利で撮影した浜松設定のライブシーンが、もう壮大なるリハーサルともいえる感じだったよね。
塩田
あそこは2カメを使って、いろいろな撮り方を試した。
根岸
エキストラも助監督が指示して、監督のダメ出しがあったり。
塩田
エキストラの動かし方の練習にもなった。あそこはほぼ一日をかけて撮ったけれど、観客が乗り切っていない感じを出すために、結果的に本編ではフィックスで引き画の数カットしか使っていないという(笑)。
根岸
『リンダ リンダ リンダ』なんかと違って、今回の楽曲自体が乗りにくいといえば乗りにくい曲というのもあったよね。
塩田
縦乗りする音楽だったら、どれだけエキストラの演出が楽だろうとは思った。
根岸
エキストラの反応の度合いがすごく難しかったとは思う。だから、とりわけ足利での撮影では、そこを探りながら、少しずつ答えを捜していくという感じだった。後半はライブごとに観客の人数も増えていくから、だんだんと熱が上がっていくようなノリも必要だったし。
塩田
エキストラの方々には、演技を求めて相当協力していただいたし、成果はあったと思う。とても感謝しています。
根岸
あと、ライブの途中で合唱が生まれてくるというのがあったじゃない。あれは最初からあったんだっけ。
塩田
一番最初のシナリオの段階ではなかった。
根岸
ある時期に塩田監督が思いついて、音楽制作の上では難しいよねという話も出たりしながら、最後のライブの冒頭2曲は自然と観客が歌い出すという演出になった。
塩田
シンガロング。あれはあいみょんさんのライブをプロデューサーの高橋尚子さんが観に行ったときに、突然シンガロングが起こったのがすごく感動的だったというのを聞いて、それを拝借した。
根岸
キャロル・キングの『つづれおり』の全曲再現ライブでも、ロンドンのハイド・パークという巨大な空間でシンガロングが自然に起こっていてすごく良かった。あのアルバムはめちゃくちゃ有名だし、再現ライブだから観客もみな知っている上で来ているから、やはり歌いたかったんだろうなと思った。あれは絶対に同時録音で録っているはずなんだけど、いろいろなところから観客の声が立ち上がってきて何とも感動的だった。
塩田
そうか。でも、シンガロングを演出するのは大変なんだよ。音楽データを流出させてはいけないから、すべて初めて現場で流して、観客に覚えてもらわないといけない。
根岸
そうそう、そこは演出部の毛利君が朝からエキストラを集めて、一生懸命練習をやらせてました。
塩田
最初はエキストラが歌うのを恥ずかしがるから、助監督に「お前らが歌え」と言うと、助監督も恥ずかしがっている(笑)。結局、それなら僕が歌うと一生懸命歌ったんだよ(笑)。僕が歌うと助監督も歌い出して、助監督が歌うとみんなも歌い出す。いったんそれをやると、もう誰も恥ずかしがらなくなる。
根岸
僕らはお会いしなかったけれど、北原さんともう一人のプロデューサーがボーカル指導の先生のところに小松菜奈さんを連れて行った際、同じようにまずプロデューサーのお二人が歌わされたらしい(笑)。だから、そういう見まねというか模倣というか、まず誰かが歌うところを見せてから本人にやらせるというメソッドにはなるほどと思うところがあったね。あと、ハルレオの追っかけファンとして出演したさくら学院の二人も急に歌い出したよね。あれは想定外なんでしょ?
塩田
さくら学院の日髙麻鈴さんと新谷ゆづみさんがハルレオの一ファンとして歌い出すシーンは素晴らしいと思う。
根岸
シナリオには書かれていないから、あれは観ていてびっくりしたけどね。
塩田
ああいう生々しい出来事が突然目の前で起こったら、実際のテレビ放送でも使うだろうし、だからとても好きだった。あの二人はハルレオの曲が好きで好きで、ハルレオ自身に自己投影してしまっていて、彼女たちの曲に自分たちが救われている意識があるから、「ハルレオのどういうところが好きなの?」と聞かれても答えられない。シナリオ上では、答えられなくて、喋ろうとすると思いがこみ上げてきてしまい、泣き出してしまったという設定だった。とてもシンプルに書いてあったんだけれど、実際に彼女たちがそれを演じようとするときに、最初に泣く設定だった日髙さんが突然歌い出したんだよ。後々考えてみると、確かにあれはミュージカルでいえば歌い出すタイミングだと思った。気持ちがこみ上げてきて、思いの丈がメロディーとして吹き出してくる。だから、あれはミュージカルとして考えれば極めて正しい歌い出しの瞬間で、実際に日髙さんはミュージカル女優になりたいと思っている方のようなので、なるほどと思った。現場で起こったときにはびっくりしたけどね。新谷さんも同じグループの同僚だし、気心が知れていたから、歌い出した彼女を本当にうまく受けとめていた。だから、ハルレオはこういう人たちに聴かれているというのが見事に立ち上がったと思う。
根岸
ゾンビ映画でいうと、ゾンビに噛まれた感染者第1号みたいなことだよね(笑)。
塩田
それずっと言ってるけど、そうなのかな(笑)。まあ確かに感染しているというか、共振はしているよね。たんなる共感を超えた、何かエモーショナルなものが流れている。
根岸
『さよならくちびる』は5月31日公開だけど、ちょうどその前後に『小さな恋のうた』(19)、先ほど挙げた『ハーツ・ビート・ラウド』、それから『ウィーアーリトルゾンビーズ』(19)、さらには黒沢清監督『旅のおわり世界のはじまり』(19)にも前田のあっちゃんが山の上で歌うシーンがあったりして、たまたま同時期に音楽っぽい映画が集中して公開されている印象はあった。興行的にはライバルが多かったともいえるけど。
塩田
僕は世の中の動向から外れて生きている人間なので、そういうのはまったく頓着していないけどね。
根岸
『ハーツ・ビート・ラウド』はレコード屋の映画という雰囲気の方が強かった。『小さな恋のうた』はMONGOL800の曲がもとになっているからバンド映画ではある。
塩田
今年、音楽映画が増えたのは、『キセキ あの日のソビト』(17)がヒットしたのが大きいんじゃないかな。
根岸
なるほど。既成曲から発想された一種の歌謡映画だよね。その形の映画は来年も公開予定があるし、確かに増えている気はする。
塩田
次の潮流になっていく感じはあるよね。
根岸
中島みゆきの楽曲に想を得た小松菜奈と菅田将暉主演の『糸』も来年公開だし。逆に「さよならくちびる」は既成曲ではないけれど、レベルの高いオリジナル楽曲を音楽チームや俳優陣の努力によって、発売できる水準にまでもっていった。だから宣伝ツールのひとつとして使いながらも、この曲自体はまだまだ独立して動いていきそうな感じはする。