©︎2019「さよならくちびる」製作委員会

『ウォーク・ザ・ライン』の影響

根岸
音楽映画で問題になるのは、編集含め歌の長さがドラマを止めてしまうということ。ロマンポルノの濡れ場と一緒で。もちろん曲が良いのは前提条件だとして、その上でどこまで歌を使うのか。塩田は準備段階で明確に考える監督だと思うけれど、例えば、1番だけ歌わすのか、2番まで歌ってもらうか、様々な課題が出てくるなか、たまたま僕が『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(以下、『ウォーク・ザ・ライン』)(05)という映画が好きで推薦して見せたら、塩田も面白いと言ってくれた。そのあたりの話も聞かせてもらえますか?

塩田
さっき言ったように、取っかかりは音楽映画ではなかったんだけど、ラストツアーとして要所要所を回っていくなかで、歌を歌っていくという話になった。そのときの考え方としてはいくつかあるんだけれど、例えば音楽シーンが一切ないということもあり得る。ライブバンドの解散ツアーといいながら、演奏を始める瞬間までしか映さない。別にそう考えていたわけではないけれど、シナリオで書いていくと、歌い出した瞬間、台詞もト書きも、何も書けなくなるんだよね。シナリオに「歌い始める」とあったら、あとは「演奏が続く」ぐらいしか書くことがなくなる。それでシナリオを書き終わった瞬間に、これ、もしかして歌はなくても成立するんじゃないかと、極端なことは思った。ただ、それは企画としてあまりに極端すぎて、自主映画としては成立しても、商業映画としてはなかなか成立しづらい。それに実際にやってみたら、案外、企画倒れに終わりそうな感じもあって。だから、ちゃんと歌を聴かせていくためには、どのくらいの時間、どのくらいの配分で聴かせていけばいいんだろうと考えていたときに、ものすごく参考になったのが『ウォーク・ザ・ライン』だった。ジェームズ・マンゴールド監督でジョニー・キャッシュの自伝を描いた作品だけど、キャッシュ本人の曲は3、4曲しか使っていない。ほかにエルヴィス・プレスリーやジューン・カーターをはじめ、キャッシュ以外の歌手たちの歌も多少聴こえてくるけど、その手の歌手たちの歌をどのくらいの配分で聴かせているんだろうと計算したんですよ。そうしたら、一曲あたり、どんなに長くても最大で2分半だった。当時のシングル盤、ラジオでかけられるぐらいの時間。短いと1分もない。でも、それを何回も繰り返していくと、すごく音楽を堪能した感じになるんだと分かった。だから、そのあたりはだいぶ考えたね。

Walk the Line (2/5) Movie CLIP - It Ain't Me, Babe (2005) HD

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根岸
リース・ウィザースプーンがカーターを演じていて、ホアキン・フェニックス演じるキャッシュが彼女と最初に出会うときにぶつかるんだよね。そのときにキャッシュのギターの先っちょが彼女のドレスに引っかかってなかなか外せなくて、彼女が客席に向かって軽口をたたきながら場をなごませたあと、キャッシュが舞台上へ出ていく。彼は「ゲット・リズム」を歌うんだけど、あれがちょうど歌い出しから2分ちょっと。歌い終わったホアキンの後ろ姿に、ロイ・オービソンの曲の前奏が重ねられて、すぐ次に移行してしまう。ああいうところすごくうまいし、テンポもいい。ドラマと歌が非常に連動している映画で、とても面白かった。キャッシュとカーターは不倫をするわけだけど、二人のデュオで彼女が嫌々歌わされ、曲の途中でかっとなって出ていってしまうくだりなんか、その後の二人の関係を予告するようなスクリューボールな感じがよく出ていた。

塩田
本当によくできているよね。撮り方はシンプルで、歌手の上半身を写した舞台上の手持ちショットと引きしかない。

根岸
その点は今回の『さよならくちびる』と近いところもあるかなと思いました。

塩田
やっぱりハリウッド映画が圧倒的に強いのは、客席にいる人たちの「顔」を全員キャスティングで揃えているところ。しかも、一応50年代から60年代初頭という歴史ものの話だから、観客全員にその時代の服装をさせている。もしかすると合成も入っているかもしれないけれど、すべての会場の客席にいる観客全員にヘアメイクをして、衣装を着せて、その時代のその場所にいそうな「顔」をすべて集めて演技させている。我々はあそこまではできない。

根岸
ホアキンもかなり歌や演奏を練習しているし。

塩田
ホアキン・フェニックスやリース・ウィザースプーンは半年間ボイストレーニングをして、ちゃんと歌えるようにしていたそう。そういうところの贅沢さは、やはり勝てないものがあるよね。

根岸
ただ、今回の小松菜奈さんと門脇麦さんの二人も、最小限のなかで相当頑張っていた印象はあるけれどね。

塩田
あれだけ頑張ってもらえれば、それ以上もう何も言えないよね。かなり無理難題を押しつけたからなあ(苦笑)。

根岸
成田凌君にしたところで、最初はまったく演奏なしでもいいという話で始まったんだけれども、やはり少しエレキギターを演奏したほうがいいと急に塩田監督が言い出して、慌てて練習することになった。彼はそのとき『スマホを落としただけなのに』(18)と『愛がなんだ』(18)2本を同時並行で撮っている非常に多忙なスケジュールだったわけだけど、そんななかでよく頑張ってやってくれた。

野本幸孝(以下、野本)
成田さんは元バンドマンという設定でしたからね。

塩田
そう。「人生の半分、あいつと音楽をやっていた」という話も出てくる。その彼がエレキギターを持つ手がぎくしゃくしていたら話にならないなと。まずハルレオの音楽が今どきフォークミュージックというような掴みから始まっているので、意図的にアナクロ的というか、時代錯誤な二人が寂れた街から街へというイメージがベースにはあった。だから、シマのギターを加えなければいけなくなったときに、3曲すべてにエレキが入ってくるとハルレオのイメージが崩れるんだよね。初期の「たちまち嵐」はユニゾンで歌う。次の「誰にだって訳がある」になると、路上ではユニゾンで歌っているけれど、ライブになると1番はハル、2番はレオ、サビは2人でユニゾンというような歌い分けをしている。1番新しい「さよならくちびる」はユニゾンではなくコーラスになって、ギターもそれぞれ異なるコードでコーラスを奏でる。シマのエレキも印象的に響く。時系列にあわせて、そういう進化を遂げているようにつくっていった。そうすると、シマは最初の頃はタンバリンでも叩いて、という話になって(笑)。あんなに練習させたのに。

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映画のなかのレコード屋

根岸
でも先の「歌わない音楽映画」という発想でいえば、シマは音楽に関してはかなり詳しく、幅広く、蘊蓄もありつつ、様々な音楽を見て、弾いて、聴いてきたという態にすることで、演奏シーンこそ少ないけれど最小限のネタで音楽の匂いを出そうとはしていたよね。劇伴やレコード屋のシーンに関してもそうだけれど。

塩田
そうだね。あのレコード屋のシーンは案外うまくいった気がする。

根岸
アナログレコードは去年ぐらいからまた流行っているけれど、たまさかレコード屋に行くとおっさんばっかり(笑)。レコード屋に小松菜奈がいたらそりゃびっくりしますよね。だからあの大阪のレコード屋はあるようでなさそうな映画的嘘にはなっていると思う。しかも、シマの背景が見えてくるシーンでもあるし。そういえば1番最初のシナリオのときは、彼は「そのアルバムはヤン・ハマーの全盛期で……」という台詞だったよね。ヤン・ハマーというところから始まったのはなぜだったの?

塩田
僕が高校生のときにすごく好きだったヤン・ハマーというキーボーディストがいて、彼がある時期にジェフ・ベックと組んだ流れでジャズ・ロックを演奏していた。それで何となく「ヤン・ハマー」と書いたんだけれど、シナリオを読ませると「ヤン・ハマーって誰?」と皆に言われるので、同じ頃に好きだったピーター・グリーンに変えたんだよね。

根岸
ピーター・グリーンもかなりマニアックではあるよね(笑)。

塩田
ピーター・グリーンも誰って感じだった(笑)。でも、僕が今まで人生で知り合ったギタリストはみんな彼が好きだった。ピーター・グリーンは「こいつコアな奴だな」と思わせる名前なんだよね。彼かエリック・クラプトンのどちらかを選べと言われれば、みなピーター・グリーンを選ぶというような、自分の音楽センスを鮮明にしたいときに出てくる名前だという印象があった。

根岸
フリートウッド・マックもピーター・グリーンがいた頃と脱退した後を較べると、後の方が売れたということはあるけれど、彼がいた頃のほうが好きだという人も多いよね。

塩田
まあ、フリートウッド・マックは彼が抜けた後もいいけどね。

根岸
あのピーター・グリーンの豹のアルバム・ジャケット自体も、レオと合っていて良かった。

塩田
レオはライオンだけど同じネコ科だから。あからさまではあったけどね(笑)。

根岸
タイトルも「エンド・オブ・ザ・ゲーム」だからできすぎている。ちなみに日本映画のなかでレコード屋がいい感じでフューチャーされているものって、すぐには思い出せないけど、海外の映画では先日観た『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』(18)っていう映画が良かった。監督のブレッド・ヘイリーは『リンダ リンダ リンダ』も好きらしい。それ以外だと、スティーヴン・フリアーズの『ハイ・フィデリティ』(00)や『エンパイア レコード』(95)なんかもレコード屋の話。映画のレコード屋がいいのは、やっぱり色々な名盤のジャケットが出てくるじゃない。あれが楽しい。今回の『さよならくちびる』で撮影した大阪のレコード屋さんもマニアックでレアグルーブのLPがたくさん飾ってあって、眺めてるだけで面白かった。あそこのシーンは臨時装飾助手として朝早く行って、並び替えをしたりしてました。

塩田
今はCDも売れない時代だけど、シマがLPを出しているのはそれだけこだわりを持ったバンドだからで。ここ10年でもCDは出すけどLPも出している音楽家も結構いるよね。

根岸
アナログレコードを出すアーティストは最近また増えているね。あいみょんのアナログも見かけたことある。

塩田
RCサクセションや忌野清志郎なんかも出していたし。だから、仕方がないことだけれど、何でも伝わらない人には伝わらない。「なぜシマのバンドはLPを出しているの? そんなに古いバンドなの」と思われてしまう。

根岸
でも、そこはあまり突っ込む人はいなかったような気がする。

塩田
どうだろうな。いるだろうなとは思ったけれどね。

根岸
そもそも今はLP自体をまったく知らない子どもがいますからね。

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いま映画で撮りにくいものを取り入れるということ

野本
ハルレオがライブツアーの会場でCDを売っていることに対して、今は配信もあるのに、時代的に少し古い考え方では、ということはなかったのでしょうか。

塩田
いや、実際にCDを手売りしているんだよね。これは決して悪口ではなく、ライブハウスは本当に異次元というか、時代が混在している空間。だから最新の音楽もやっているけれど、ものすごい古い音楽をやっている人たちもいる。僕があいみょんさんの出ている小さなフェスに行ったら、他のバンドも含めてみんなCDやグッズを手売りしていて、それがノーマルな光景としてあった。そのいっぽうで、練習スタジオに行くと喫煙スペースに数十人が集まっていて、もう皆で前が見えないほど煙草を吸っている(笑)。今どきこんなに煙草を吸っている奴らがいるのかと思うくらい。

野本
すると、今回喫煙シーンが多いのはそういう実際をふまえてということなんですね。

塩田
音楽家が喫煙しないというのは嘘で、今は分からないけれど、ナンバーガールの向井秀徳も吸っていたし、ボーカリストでも普通に吸ってる。でも、もちろんそれだけではなく、いま映画で撮りにくくなっているものを積極的に取り入れていこうと思っていた。それで、今どき嘘のように喫煙シーンを入れている。

根岸
ただ、今回の喫煙シーンは恋愛の駆け引きとしてつかっているというニュアンスもあったと思うけど。

塩田
そもそも、今までの映画史は煙草のやり取りで男女関係を描いてきた訳で。煙草をくわえて接近を拒んだり、それを踏襲しているというのもあるね。

根岸
そのパロディとまではいかないけれど、やんわりと使っているところはあったよね。シマとレオが初めて会ったシーンなんかは、ギャグすれすれでやっているから。

塩田
それでいえば、車の走行自体も今の日本では本当に撮れなくなってきている。俳優自身が運転するのを撮り続けるというのは、事故の可能性があるからすごく嫌がられるというのもあるし、実際に運転しつつ演じるということの難しさもあるんだけれど。牽引車両で車を引っ張って、それを撮影するのが今までの日本映画における撮影方法の主流だったんだけれど、それも道路交通法違反だという話になって、今はすごく車両撮影が難しくなっている。一部の地方に行くとうるさく言われないで撮れるけれど、都市近郊はもうほとんど無理。そういう撮影の困難が生じていて、今後ロードムービーを撮ることはできないんじゃないかと思っていた。実は『昼も夜も』のときに最後の機会だと思っていたんだけれど(笑)。あれは終わりつつあるガソリン車への追悼という意味も込めてつくったんだけれど、当時ももう難しいと思っていた。だけど、今回もう一回だけやっておきたいという思いがあって。

根岸
そのおかげで車両費はだいぶかさみましたけどね(苦笑)。

塩田
ただ残念なのは、都市近郊で撮らなければいけないところは合成も入れたんだけれど、2、3か所合成を入れると、全部合成だと思われてしまうこと。反省しても仕方ないけれど、そういう面もあった。かなり実走で撮っているんだけれども、確かに1回合成だなと思ってしまうと、すべて合成に見えてくる面もあると自分で観ていて思った。

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