現地の人間が観光客を嫌う理由を説明するのは易しい。あらゆる場所のあらゆる現地人は潜在的な観光客であり、あらゆる観光客はどこかの現地人だからだ。すべての現地人は世界中どこでもとてつもなく凡庸で退屈で絶望的で憂鬱な生活を送っているのであり、すべての営みは、それがよいものであれ悪いものであれそのことを忘れようとする企てなのだ。すべての現地人は、出口を見出したいと思っている。休みたいと思っている。観光に行きたいと思っている。でも一部の現地人はーー世界中ほとんどの現地人はーーどこへも行けない。貧しいからだ。貧しくて、どこへも行けない。貧しくて、自分の生活の現実から逃げられない。貧しくて、自分が生きているところでまともに生きられない。そしてその彼らが生きているところこそ、観光客であるあなたが行きたがるところだ。だから、現地人が、観光客であるあなたを見るとき、彼らはあなたを妬む。あなた自身の凡庸と退屈を逃れられるあなたの力を妬む。彼ら自身の凡庸と退屈をあなたの快楽の源に変えられるあなたの力を妬む。

(ジャメイカ・キンケイド『小さな場所』より)

ヴァカンスとその代償

険しい灰色の岩山を眼前に、遠く坂道を上がっていくひとりのサイクリストの小さな背が見える。歩行者にもすぐに追い抜かれるほどゆっくりとしたその速さ。しかし、自転車乗りはあくまでもノロノロと頑なに静かな歩を進める。『勇者たちの休息』と題されたギヨーム・ブラックの短篇ドキュメンタリーの冒頭が映すのは、例えばトリュフォーの短篇処女作『あこがれ』(57)の冒頭でスカートをひるがえしながら笑顔で画面のこちら側へと向かってくる自転車に乗った18歳のベルナデット・ラフォンとは対照的な人物であり、一定に保たれた厳粛な距離感だ。3人の老サイクリストたちがサドルについて交わす会話の真剣な可笑しさだけが、『あこがれ』でラフォンが乗っていた自転車のサドルの残り香を嗅いでいた、かつての悪童たちの面影を思わせる。

いっぽう『勇者たちの休息』とは対照的に、『7月の物語』はブラックが今まさに若さの只中を生きるフランス国立高等演劇学校の学生たちとともに作り上げた作品。第一部「日曜日の友だち」が受動から能動、能動から受動へと振り子のように揺れ動き、やがて釣り合いを見せるリュシーとミレナの女性二人が主軸であるのに対して、第二部「ハンスと革命記念日」はひとりの女子留学生ハンスを中心に転回していく。

二本の脚をつかってペダルをひたすら回転させ、ただ前へ前へと自らの身体を進めていく。下り坂では風とともに疾駆し、上り坂では地に脚を踏み込ませながら一歩ずつ鈍重に匍匐する。周りの風景は刻一刻と様相を変え、ひとつ場所にとどまることはない。『勇者たちの休息』に出てくるサイクリストたちは、退職し、煩わしい世間から離れた熟年老人たちだ。彼らは悠々自適にひとり自転車の旅を楽しんでいるかに見える。誰にも邪魔されず、移りゆく目の前の風景を伴侶たる自転車とともに過ごすその時間。しかし、アルプスの山々を縦断するべく長い距離や過酷な高低差へと果敢に挑戦する彼らは、自らの身体から聞こえてくる声や鼓動に耳をすませ、願望や意志と対話を交わすうちに、儘ならぬ自分の非力と限界が嫌というほど骨身に響き、自らの孤独と向き合う人々でもある。真の自由とは、おのれの限界と孤独に向き合った勇者だけが持つことができるものなのだと彼らの人生は語りかける。立ち止まらず、移動=運動し続けること。ゆえに監督ブラックがカメラで追いかけるのは、いつも前進する彼らの背中ばかりだ。

© bathysphere – CNSAD 2018

© bathysphere – CNSAD 2018

移動=運動し続けることは映画の原理でもある。これから向かう行く先に胸を躍らせながら、私たちは今日もさまざまな映画を旅している。だが、無邪気な観光客とは違って、旅をすることができず、自らの土地に固着した現地の人々がいる。サイクリストと現地人の出会いを描いたデビュー作の短篇『遭難者』(09)から、一貫して舞台である場所や土地から物語を掘り起こすブラックの映画のなかには、その土地の持つ美しい風景や時間が宝石のように詰まっていると同時に、つねにその地に拘束され、動くことのできない現地人の悲しみもまた漂っている。可能性を謳歌し、恋愛の渦中へと自らを投企し、アヴァンチュールを楽しむ若者たちもまた、サイクリストや観光客と同じ存在だといえるだろう。凡庸と退屈を逃れ、非日常の快楽に満たされる彼らの陰には、アヴァンチュールやヴァカンスの機会を持たぬ現地人の日常と悲哀がある。その構図は、カリブ海の小島アンティーガに生まれ、「観光」の名の下に押し殺された「奴隷の子孫」たちの思いを呪詛のように、あるいは祈りのように反復する言葉によって編みあげたジャメイカ・キンケイドの小篇『小さな場所』(88)を想起せずにはいられない。

我々は劇場の座席に座り、スクリーンに映し出される映画を見つめながら、ここにいながらにして、ここではないどこかへと誘われる。しかし、その旅はあくまでも一時のもの、我々旅行者は観光=ヴァカンスという名の〈消費〉を行なっていることを忘れてはならない。やがて劇場を後にして、忙しなく凡庸な日常へと舞い戻るとき、我々の眼差しはどのように変わり、あるいは変わらないのか。映画を観ることは、自らの眼差しと世界像を修正し、更新することと不可分だ。消費するにとどまらず、ひとたび絶えざる破壊と再生のなかへわが身を投じるならば、私たちは映画を見つめていると同時に、映画もまた私たちを見つめ返していることがわかるだろう。その事実に気づくとき、私たち観客は震え、思わず居住まいを正すことになる。

© bathysphere – CNSAD 2018

© bathysphere – CNSAD 2018

再生とは再発見であり、今までとは違った形で世界と出会い直すことにほかならない。「悲しみや惨めさ、一見してとても美しいとは思えないようなものの中に、少し見方を変えることによって美しいものを発見する、そういったことに私はとても興味があります」というブラックの言葉(http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/guillaumebrac/index.html)は、可能性と潜在性を秘めた映画と、つねに現実であることを突きつけられながらいまここに身を置かざるを得ない観客=現実との出会いがもたらす奇跡への確信に裏打ちされている。映画は現実の痛みや悲しみのなかから美しさをすくいとることができる。そうであるならば、その美しさもまた、痛みと悲しみをともなった現実へと還元されなければならない。『やさしい人』(13)のクロード(ベルナール・メネズ)は、愛する女性と駆け落ちし損ねた若き日のひとときを振り返りながら、息子であるマクシム(ヴァンサン・マケーニュ)にこう言う。「あの時間は永遠に自分のものだ。誰にも奪えぬ」と。しかし、その言葉の裏で彼が「ロマンチックだが、代償は大きい」現実をひとり生きてきたことも伝わってくる。ひとときのヴァカンス=映画がもたらす甘美な時間と、その代償としての現実。

自分の信じたい物語しか信じることができないならば、その狂信と浪費の果てに待つものは破滅であることは、私たちが生きているこの時世を見れば疑いの余地はない。スクリーンに映しだされる世界の外側との繋がりをいかにして取り戻し、信じることができるのか。「あなた方一人ひとりに関係がある」と『7月の物語』の青年アンドレアは弾き語る。自由を求めた革命の日に起こるテロの悲惨は、映画に対するあまりにも大きな現実からの代償ではなかったか。『7月の物語』には現実と映画の両極を行き来することで培われた監督ブラックの深く豊かな眼差しの力が遺憾なく発揮されている。ときに取り返しのつかぬ代償を払いながら、これからもギヨーム・ブラックは立ち止まることなく現実と映画というふたつの世界を往還し続けるに違いない。前進するその背中を見つめながら、私もまた移りゆく風景を伴走し、そのなかから生まれる喜びと悲しみをともにしながら年老いていきたいと思う。自由と孤独を胸にした、小さな勇者のひとりとして。

© bathysphere – CNSAD 2018

© bathysphere – CNSAD 2018

ストーリー

7月の物語

パリと郊外。5人の若い女と5人の若い男。二つの物語。ある夏の一日。

第一部「日曜日の友だち」
7月の晴れた日曜日、会社の同僚ミレナとリュシーは、女2人でパリ郊外セルジー=ポントワーズのレジャーセンターへ遊びにいく。そこで偶然、ジャンという青年と出会い、芽生え始めた2人の友情に亀裂が入る。

第二部「ハンネと革命記念日」
7月14日、革命記念日で盛り上がるパリ。国際大学都市に住む女子留学生のハンネは、明日の帰国を前に、パリ最後の夜を楽しもうとするが……。

ギヨーム・ブラック監督『7月の物語』予告

youtu.be

構想・脚本・演出:ギヨーム・ブラック
出演:ミレナ・クセルゴ、リュシー・グランスタン(以上第一部)、ハンネ・マティセン・ハガ、アンドレア・ロマノ(以上第二部)

2017年 / フランス / フランス語 / カラー / 71分 / 1.33 : 1 / 5.1ch / DCP /
原題:Contes de juillet / 字幕翻訳:高部義之 / 配給:エタンチェ
© bathysphere – CNSAD 2018

© bathysphere productions – 2016

勇者たちの休息(『7月の物語』と併映)

スイスとフランスに跨るレマン湖畔からアルプス山脈を抜け、地中海のニースに至る自転車観光ルート「大アルプス・ルート」。約720キロからなるそのルートを縦断しようと毎年6月末、約60人もの自転車愛好家たちが集まってくる。
ギヨーム・ブラックは、すでに仕事をリタイアした自転車愛好家たちにカメラを向ける。なぜ寒さや疲れと闘い走ろうとするのか? 家に戻ってから何ができるのか? どうやったら孤独や退屈を逃れられるのか? ギヨーム・ブラックのやさしい眼差しのなかで、彼らは心情を打ち明ける。その告白をとおして、仕事と世界との私たちの関係が見えてくる。

監督:ギヨーム・ブラック
撮影:マルタン・リ

2016年 / フランス / フランス語 / カラー / 38分 / 1.85 : 1 / 5.1ch / DCP /
原題:Le Repos des braves / 字幕翻訳:高部義之 / 配給:エタンチェ
© bathysphere productions – 2016

2019年6月8日(土)よりユーロスペースにてヴァカンス・ロードショー!
京都・出町座◾️7月13日(土)~
名古屋シネマテーク◾️7月20日(土)〜8月2日(金)
大阪シネ・ヌーヴォ◾️夏以降、他全国順次公開