cinefil連載【「つくる」ひとたち】インタビューvol.7
映画『ヴィニルと烏』を作って感じたこと
注目の俳優 宮田佳典×横田光亮 対談インタビュー
NHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」で竹ノ原大作役を演じ、注目となった俳優の宮田佳典さんと、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭やTAMA NEW WAVEで上映された映画『ヴィニルと烏』を監督・脚本・編集・主演を務めた横田光亮さんの対談インタビュー。
役者を目指したきっかけから、役者という仕事との向き合い方、そして、『ヴィニルと烏』で監督・俳優としてディスカッションから生まれたことなどについて話を聞きました。
◆役者を目指すきっかけをくれた人
ーーまずはじめに、役者を目指したきっかけを教えてください。
横田:映画やお芝居がものすごく好きな、埼玉にある「TOROI(トロイ)」という古着屋の店長の田島さんが居るんですけど、その人に「僕、役者やりたいんです」って言ったときに、この映画のメモをもらったのがきっかけの1つです。
ーーそれは何歳くらいの時だったんですか?
横田:大学を卒業して、社会人になって1年目なので、23歳の時ですね。
ーーどんなきっかけで知り合ったんですか?
横田:よく行っていた古着屋だったんです。田島さんは、今の若い役者さんたちにはバックボーンが無いし、憧れだけでやっちゃってる部分が多いから、日本を背負うことが出来ないと思っているらしくて。それじゃダメだよ、っていうのをまず僕に教えてくれたんです。
ーー本当に古着屋の方なんですか?(笑)
横田:そうです(笑)。そして、役所広司さんのことがが本当に好きな方なんです。僕、はじめて観た映画は『復讐するは我にあり』(79)で、「緒形拳、すっげえ」って思って調べたんです。でも、もう亡くなっていたので、田島さんの映画メモ(※)に書いてある作品を網羅しました。
ーー宮田さんはいかがですか?
宮田:僕は小6の時に、母親に買い物に行くって連れられて向かった先が「劇団東俳」のオーディション会場だったんです。
ーーえー!
宮田:その日のうちに最終審査まであって、最後までいったのがきっかけで、役者を意識するようになりました。その時の小学校の卒業文集にも「役者になる」みたいなことを書いていたんです(笑)。でも、田舎だったこともあり、その後はあまり意識せずに過ごして、就職して看護師になりました。そして26歳の時、会社を辞めて医者になるって言った友人がきっかけで「夢を追いかけるってかっこいいな」って思って、昔からやりたかった役者をやろうって動き出しました。
ーー26歳のタイミングで、上京したんですか?
宮田:そうですね。それまでずっと大阪だったんで。普通に働いて安定を求めていました。上京してからは、お金や安定じゃなくて、自分が本当にやりたいことをやるっていう考えに変わっていきました。はじめたのが遅かったから、だいぶ自分なりに勉強しましたけど(笑)。
ーーその後、現在の事務所(カクトエンタテインメント)に入ることが決まったのですね。
宮田:上京してから5年くらいは、ほぼフリーだったんです。今の事務所は、オーディションを受けたのがきっかけでした。面接で話していて「僕はこの人と仕事をするんだな」っていうのが感覚的にあったことを覚えています。
◆仕事をはじめてから知る、役者という仕事
ーー事務所に入ってからは、どのような変化がありましたか?
宮田:変化はありましたけど、フリーの時と行動は変えないようにしています。むしろ、フリーの時よりも動いていると思います。
ーーちなみにマネージャーさんってどういう存在ですか?
宮田:自分の夢を預ける、信頼関係のある存在です。家族とはまた違うんですけど・・・ある意味、恋人みたいな存在です(笑)。
ーー誰よりも連絡をとる、みたいな(笑)。
宮田:ですね(笑)。
ーー実際に役者として仕事をしはじめて、あらためてどんな仕事だと感じていますか?
横田:孤独である時間をすごく大切にした方がいいお仕事だと思いました。やっぱりどうしても、他者と分かり合えない部分ってあると思うんです。そこの部分を大切にできないと、表現者としてどうなんだろう?って。「「絶望」の授業」っていう柄本明さんの本とか、緒形拳さんの本とか、樹木希林さんの本とかを読んで感じました。
宮田:僕はカッコイイ世界だなあという「憧れ」から入ったので、外面ばっかりを求めてましたね。なので、どれだけ自分を掘り起こして、恥ずかしい部分を見せて、突き詰められるかっていう作業が大変でした。自分がイメージしていた世界と全然違ったので。今までの仕事(看護師)は、これに対してはこうしたらいいみたいな答えがあったんですけど、この仕事(役者)は全く無いんですよね。自分が出演した作品を観ても「これ、本当に正しかったのかな?」って毎回思うので。本当に自分を信じないといけないなって思います。
◆ディスカッションを重ねた先にあるもの
ーー役作りで意識的にしていることはありますか?
横田:北野武さんが「いい役者は2つの脳がある」って言っていたんです。主観で動きを理解したうえで、俯瞰で他の視点を持つ人が、良いものを表現できる、みたいな。でも考えてもわからない部分は、脚本家や監督と「ここのこういう部分、僕はこう思うんですけど、監督はどういう風に書いたんですか?」ってディスカッションをします。
宮田:僕は結構、事前に準備をしちゃうタイプなんですけど、『ヴィニルと烏』(18)の時は、正直全然わからなかったんですよね(笑)。自分の中に全く無い役だったんで、ディスカッションをして、リハーサルで埋めていきました。
ーーディスカッションしている時はどんな時間でしたか?
宮田:「これじゃねえのかよ!」ってどんどん腹立ってくるみたいな感じで難しかったです(笑)。できない自分に腹立ちますし、言われてることにも腹立ちますし(笑)。
ーーそのディスカッションは、演出する人とされる人で、歩み寄って行く感覚なんですか?
宮田:そうですね。でもどうしても自分が出ちゃうので難しかったです。
横田:「近いな」って思っている役でも「全然違う人間だぞ」っていうことを伝えたかったんですよね。宮田さんは宮田さんで、役を通しつつも自分を出そうとしていたので、「それは違うよ」ってディスカッションをしました。
宮田:横田くんと僕は、年齢や今居る立場など、近い間柄でのディスカッションだったので、それも面白かったんだと思います。巨匠から言われたら「あ、ここ違うんだ」ってなると思うので。こういう風にディスカッションをして、生まれる先が何か正解かはわからないけど、1つの作品のゴールは見えました。
横田:ほかの出演者やマネージャーさんとかも「宮田さん良かったよ」って言ってたので、演出して良かったなって思いましたね。あの時間は無駄じゃ無かったんだ、って(笑)。
◆役者として映画作りに関わっていくこと
ーー横田さんはいつから役者だけではなく、作品を作って行こうと考えはじめたのですか?
横田:待ってる時間がすごく嫌だったんです。オーディションを受けて、結果をただ待つ事しかできない時間が。
ーーでも、映画を1本撮るってすごいエネルギーですよね。
横田:『ヴィニルと烏』は結構勢いで撮ったんですけど、最近は気持ちだけで作っちゃいけないなって思っています。企画を持って行く時は、「これは本当に映画化すべきものなのか」ってすごく考えます。
宮田:逆に俺、気持ちしかないわ(笑)。
横田:危ないよ、それ(笑)。
宮田:気持ちが無いと撮れないし、でもそれだけじゃダメだし。正にさっき話していた北野武さんの2つの脳ですよね。
横田:『ヴィニルと烏』はたまたま熱量だけでついてきてくれた人たちがいたからできたけど、次撮るときはそうはいかないと思うんです。ちゃんと企画を立てて、社会的にどういうことを発信していきたいかってことをちゃんと伝えていかないと。
ーーなるほど。宮田さんも今いろいろ企画に向けて動いているんですよね?
宮田:そうですね。やりたい人に声をかけて、企画・脚本段階から一緒に動いてたりしています。
ーー山田孝之さんプロデュースの『デイアンドナイト』(19)も、俳優の阿部進之介さんと藤井道人監督の会話から生まれていった企画ですもんね
宮田:そうですね。
横田:僕も今企画している長編があるんですけど、ある人とのやり取りから生まれた企画なんです。
ーー楽しみです。では最後にお2人にとって、映画ってどういう存在ですか?
宮田:映画は生きる活力というか、ちょっとクサいかもしれないですけど「自分の夢を追いかけさせてくれるもの・生きる意味を与えてくれるもの」ですかね(笑)。
ーー追いかけ続けていたいもの、って感じでしょうか。横田さんはいかがですか?
横田:僕は、無くても良いものだって思うんです。無くても良いものを通して、どうアプローチすれば社会を変えていけることに繋がるのか、っていうことを考えさせてくれるものですね。
宮田 佳典
1986年生まれ、大阪府出身。救急看護師として10年の実務経験を持つ。出演作に
NHK連続テレビ小説「まんぷく」(18)、
Hulu「うつヌケ」(18)、TXドラマ25「宮本から君へ」(18)など。5月からは
NHK BSプレミアム『おしい刑事』(19)がはじまる。
**https://www.kakuto-entertainment.jp/pages/883593/page_201703061630**
横田 光亮
1991年生まれ、静岡県出身。映像制作の現場で、スタッフとして経験を積み、役者としても活動していくなかで、自分の気持ちを表現したいと思い立ち、『ヴィニルと烏』にて監督デビュー。
cinefil 連載【「つくる」ひとたち】
「1つの作品には、こんなにもたくさんの人が関わっているのか」と、映画のエンドロールを見る度に感動しています。映画づくりに関わる人たちに、作品のこと、仕事への想い、記憶に残るエピソードなど、さまざまなお話を聞いていきます。時々、「つくる」ひとたち対談も。
矢部紗耶香(Yabe Sayaka)
1986年生まれ、山梨県出身。
雑貨屋、WEB広告、音楽会社、映画会社を経て、現在は編集・取材・企画・宣伝など。TAMA映画祭やDo it Theaterをはじめ、様々な映画祭、イベント、上映会などの宣伝・パブリシティ・ブランディングなども行っている。また、「観る音楽、聴く映画」という音楽好きと映画好きが同じ空間で楽しめるイベントも主催している。
写真:浅野 耕平