今回もまたブルキナファソでのお話

 京都の冬は寒い。死ぬほど寒い。僕はこれまでの人生で結構な回数引っ越しや移動を繰り返してきたんですけど、おそらく最も赤道から遠かったのは、イギリス北部スコットランドの少し南に位置する街ニューカッスルだと思います。この街には1年近く住んでいたことがあって、冬は暖流のおかげで雪こそ降り積もらないのですが、なかなかに寒かったのを覚えています。
 でも、京都の冬の体感は北海道よりも緯度の高いニューカッスル以上に寒いのではないか。夏生まれの僕にとって、この寒さは毎年のように耐え難く、去年、冬の始まりを感じる季節に渡航した西アフリカ・ブルキナファソの乾いた暑い陽射しがもはや懐かしい・・・。
 ということで、前回の記事で「ブルキナファソはこれで最後」と書きましたが、今回もまた灼熱の乾燥地ブルキナファソでのお話。ブルキナ渡航はこれで2回目です。おなじみの人類学者・清水貴夫さん※1の調査風景や旅路での出来事などを振り返ってみます。

ホテルにかかっていた絵画

人糞撒いたら作物の収穫が倍増!?

赤ソルガムの重さを図る清水さん

 前回チャパロという地酒の話をしましたが、まずはコングシで、その原材料である赤ソルガムの収穫調査。赤ソルガムは、実をそのまま食べても甘くておいしいです。あるプロジェクトでの活動の一環で清水さんは、村の畑の一部を借りて赤ソルガムを植えていたんですが、おもしろいのが、このとき1.肥料なし、2.家畜糞の肥料あり、3.人糞の肥料あり、と3種類の肥料を撒いた赤ソルガムを栽培していて、肥料の効能を調査していたことです。僕が一緒に行ったときは、部分的に収穫した赤ソルガムの実の重さをそれぞれ図って収穫量を比較する作業をしていました。
 ひとり淡々と現地で調達した秤に赤ソルガムの実を乗せて数と重さを図っていく清水さん。このとき周囲には日陰もなく、気温は午前中だけどすでに30度を超えて陽射しもイタイ。結果3つめの人糞の肥料が最も大きく育ち、収穫量も多かったです。
 しかもよく見てみると、それまで気づいていなかったのですが、明らかに人糞を撒いた赤ソルガムは他よりも頭が飛び抜けるような感じで背が高い。人の糞がこんなにも肥やしになるだなんて、このとき初めて知りました。さらに帰り道の幹線道路沿いを思い出したかのように眺めていると赤ソルガムの畑だらけ。これまであんまり気にしていなかったのですが、風景の見え方が変わった瞬間ですね。どんだけチャパロが好きやねん!と何故か関西弁で勝手に心のなかで突っ込んでいました。

赤ソルガムの畑

赤ソルガムの実

グルーヴ感満載のホテル

 今回コングシで泊まっていたホテルは、前回とは違ってネット環境はマシだったんですけど、いかんせん周囲が騒々しい。しかも、これはホテルの問題ではなく、この近辺のインフラ整備の問題なんですけど、水道の調子が悪くて部屋で水が使えない。だから、シャワーは当然のこと、トイレも流れないわけですね・・。これには困りましたが、まあ致し方ない。
 調査から昼過ぎにホテルに戻り、とりあえずは大きな釜に溜めてあった水を拝借して部屋で水浴び。夕方にまた別件の調査があってホテルに戻ったらレストランで晩飯です。ビール片手に鳥のスープとご飯をたいらげてから埃っぽい暗闇の中を清水さんと歩いていると、ゴミを燃やしている焚き火の光がポツポツ見える。街頭がないので、住居やお店などから漏れてくる光や車のヘッドライトを頼りにゴミゴミした砂道を歩いていきます。ここは幹線道路沿いなので車の行き来も激しい。
 さらにはホテルのすぐそばにあるナイトクラブの音のボリュームが異常なほどにデカイ。クラブの前を歩きすぎるとき、茶髪のカツラをかぶりピチピチドレスを纏ったムチムチの夜の女たちが騒がしい。困ったことに、このナイトクラブから無遠慮に撒き散らかされるツービートが、ホテルの室内までグルーヴさせようとするから、振動で心拍数が上がりそうで仕方がない。そんな中でもベッドに横になれば熟睡できるのが僕の特技といえば特技ではありますが・・。

コングシのホテル

マルシェでおばちゃんが作る赤飯

 調査の日の朝は早い、というか大体どんな用事でも午前中が勝負みたいなところがあって、毎日朝は早い。同じくコングシで、世帯調査と家屋の測量調査を行う日、清水さんの案内で朝6時半にホテルの近所のマルシェ(市場)でモーニング。流石に少し早めの時間なので、まだお店の開店はこれから、みたいな感じではありますが、チラホラおばちゃんたちが朝食の準備をしているのが見えます。
 しめしめと清水さんと木の椅子に腰をおろしておばちゃんに注文。清水さん曰く、これを食わねばブルキナに来たとは言えない、ということで朝早くにわざわざ食べに行ってました。ササゲといって白い小豆の入ったご飯、有り体に言えば赤飯ですね、その上に魚の素揚げの乗ったベンガというどんぶり飯。店のおばちゃんが油を大量にまぶすので、その様子を目の当たりにすると若干抵抗が生じますが、なんとも馴染みのある味で僕は好きでした。コングシにいるあいだ、何度か同じマルシェでベンガを堪能したものです。

ベンガと魚

聞き取り調査の余白

 さて、世帯調査ですが、これは清水さんがいくつかの世帯を巡って、村人たちからアンケート用紙を片手に聞き取りを行うかたちで進められます。羊などの家畜をたくさん家の敷地内に飼っている家族がいれば、金の採掘を行っている青年たちが暮らす家族もいました。各聞き取り調査は短いときで15分程度、長いときは40分くらい話込んでいるときもあったかな。
 はじめは、言語がわからないなりに清水さんの聞き取りの内容に耳を向けたりもしていましたが、途中から長時間同じ場所で同じ風景を眺めていると、いろんな暮らしの音や何気ない出来事が前景化してきて、心地よくなってくる。家畜を放牧し始めたり、木陰で昼寝をする娘さんがいたり、ビニールシートを地面に広げてササゲを干し始める青年がいたり、子供同士がじゃれ合っていて転んでお母さんが歩み寄ったり。
 日本人がアフリカの片田舎に行って、しかもカメラを構えていたりすると当然ながらとても目立つし、なんでもない暮らしの一場面を記録することは思いの外難しいのですが、空気のように長くその場所に寄り添うと、いつものざわついた村人とはまた違う表情に触れられ、神経が研ぎ澄まされる感じがしました。

 しかしここは常夏の国ブルキナファソ、乾燥と熱くてイタイ日差しを浴びたまま長時間のあいだ立ったままでいると、頭がクラクラしてしてきて、なかなか体力の必要な撮影でもありました。
 帰り道、いつものモン・ブランという名前のレストランでリ・グラという名前のアブラ・メシを食って帰る。干し魚や野菜を煮込み、それにアブラをたっぷり加えたスープで炊き込んだご飯。ホテルに着いたら、ようやく水が出るようになったのでまずはシャワー。最初は冷たく感じるシャワーの水が、途中から妙に心地よくなってきます。髪の毛がパラパラと抜けるのを眺めながら、日焼けで顔面の皮膚に変に熱が籠っている感じがするのが懐かしい。

リ・グラ

再びチルメンガさんのところへ

チルメンガさん

 昼過ぎに再びチルメンガのところへ。チルメンガさんの家の周囲は、静かで長閑で、酔っ払ったチルメンガさんが何やら雄弁に語っている様子がまるでスローモーションのようにゆったりと感じられます。彼の家の敷地内に屋根らしきものがほとんどなかったのですが、ほんの少しだけできていた家屋そばの小さな木陰に設けられた宴席で、チャパロのささやかな幸せが喉越しを潤わす。
 チルメンガさんに、彼のことを記事に書いたと話すととても驚き、喜んでくれました。映画を作ろうとしていると話すと、チルメンガさんは明後日の方を見ながらそれはどこでやってるのかと問う。清水さんが僕の小さなカメラを指差しながら、ほらそこにカメラがあるじゃないか、それが映画だと笑うと、そうかそうかと戯けるチルメンガさん。
 ついでに話すと、2回目のブルキナで身体が慣れたのか、このときのチャパロが良質だったのか、はたまた赤ソルガムの収穫に触れたからか、妙においしく感じてついつい飲みすぎてしまいました・・。しばらくのんびりしてから、チルメンガさんとカバレで飲み放ける村人たちに挨拶して車に乗り込むと、妙にかっ飛ばす帰路の四駆に揺られながら、それでもウトウトしているうちにワガドゥグに戻りました。

チルメンガさん、チャパロをそそぐ

ワガドゥグのホテルで倒れる

 ワガドゥグのホテルでは、今回はクーラー付きの部屋にしました。いやあ、クーラーがついてるだけで、こんなにも快適になろうとは。ケチらず最初からクーラー付きにしておけばよかった。で、ワガドゥグでの2日目くらいからか、どうも腹の調子が芳しくない。あの清水さんですら飲み過ぎると腹を下すというチャパロを飲みすぎたことが頭をよぎりましたが、それも後の祭り、どんどん不調になっていきます。
 晩飯にはホテル前の通りで屋台を出している娘さんからソース・アラシッドを買うも、腹痛で食べられず。ちなみにソース・アラシッドは、ピーナッツペーストをベースにしたソースにたぶんオクラが入っているものだと思いますが、そのソースをご飯にかけて食べるもの。風変わりなカレーみたいな感じでおいしいんですけど、喉を通らない。仕方がないので、さっきの娘さんにお願いしてバナナを譲ってもらってホテルに戻って食べる。
 部屋に戻ると胃も痛くなってきた。しばらく寝てよう、とベッドに横になるも何度も起きる。明らかに体調がおかしい。さらに眠っていると今度は動悸がし出して身体の熱が上がるのが分かりました。マラリアか!とかなり焦りましたが、ともかく清水さんに現状報告。やばい、倒れるかもと。このテキストは、まさにホテルで倒れているときに気を紛らわせるために書いていたんですけど、正しい処方かどうかはともかく、持ってる薬は飲めるだけ飲みました。抗生物質のバクシダール、胃の粘膜を保護するセルベックス、胃酸を抑えるプロテカジン、ビフィズス菌などを飲んでひたすら眠る。で、次の日の明け方5時頃に起床すると、身体がかなり楽になってました。
 ネットで調べると、どうも抗生物質がよく効いたみたい。旅行者の下痢の8割は細菌感染で、バクシダールはそれによく効くそう。マラリアではなくて一安心・・。このときは事なきを得ましたが、ホントに身体は資本だと身に染みて感じたものです。
 で、明け方早くに清水さんが様子を見に部屋に来てくれたんですが、大丈夫、体調は随分良くなったと伝えました。僕が腹痛で悶ているあいだ、清水さんの部屋ではなぜか蚊が大量に発生したらしく、ホテルの従業員から借りた殺虫剤を撒いたり、撒いたは良いが今度は殺虫剤が苦しくて眠れなかったりと、清水さんも大変な夜だったそうです・・。
 そんなこんなでドタバタの一日でしたが、元気になるとまたチルメンガさんのところで懲りずにチャパロをチビチビ飲みたくなってくる。いやあ、不思議な魅力のお酒ですね。次回はほどほどに・・。

僕が泊まっていた部屋

清水さんはよく食べる

 そんなこんなでどうにか元気を取り戻しつつあった僕ですが、まだまだ本調子ではありません。ある日、土壌が専門の研究者である伊ヶ崎健大さん(国際農林水産業研究センター)とご一緒しました。清水さんと伊ヶ崎さんは、先日のコングシでの人糞コンポスト(堆肥)について、今後どのようにデータを集めていけば良いかなど、いろいろと議論を重ねていました。そのあとに、アフリカ玄人のお二人に連れられて、ブルキナで初の中華料理を食べに行きました。
 ブルキナでかれこれ15年くらい調査を続けている清水さんと一緒にいると、ディープな出来事にはたくさん触れるのですが、よもやワガドゥグにこんなおいしい中華料理屋があったとは・・。あんまりおいしくて、腹の調子を心配しつつも、水餃子や春巻き、卵スープに魚と久しぶりの醤油ベースの味にホッとしてたらふく食べてしまいました。でもまあ、しっかり栄養を摂取できたためか、これ以降はずいぶん体調も良くなっていったように思います。

伊ヶ崎さんと清水さん

伊ヶ崎健大さん

 で、驚くべきは中華の話ではなくて、清水さんの胃袋ですね。お察しのように、巨漢の清水さんはよく食べます。内容も量も問わず、とにかくよく食べる。僕が散々に腹を壊した同じものを食べてもケロッとしていて、僕が朝はバナナだけ、などと控えめな食事をしているあいだに、朝早くからひとりおばちゃんの屋台で肉料理をたいらげていたりする。あれだけおいしそうにいろんなものを好奇心いっぱいにたいらげ続ける清水さん、きっと旅路の楽しみも倍増しているに違いありません。
 ついでに触れると、飛行機の行き帰りに経由したトルコの空港でも野菜やらなんやら大量にたいらげていましたし、一時滞在したトルコのホテルでも近所のレストランでも美味しそうにトルコ料理を堪能していました。

ブルキナファソを喰う!

 そんな清水さんの面目躍如、『ブルキナファソを喰う!―アフリカ人類学者の西アフリカ「食」のガイド・ブック』(あいり出版)が2月に刊行されるのでご紹介しますね。“アフリカを胃袋で知る男”とは、京都精華大学学長ウスビ・サコ先生の言葉ですが、言い得て妙のキャッチコピーですね。今回の記事でいくつかブルキナファソの料理に触れましたが、ブログをきっかけに生まれたこの清水さんの単著では、彼が人類学者になった経緯を書いた自伝から、ブルキナにとどまらない西アフリカの料理が事細かに紹介されています。ぜひアフリカのソウルフードに触れてみて下さい。
 あと刊行記念イベントとして、2019年2月16日(土)に東京で、昨年『辺境メシ』を刊行されたノンフィクション作家の高野秀行さんをゲストにトーク・イベントも開催されます。近郊にお住まいの方はぜひ。

清水貴夫著・寺田匡宏編『ブルキナファソを喰う!―アフリカ人類学者の西アフリカ「食」のガイド・ブック』(あいり出版、2019年)

www.amazon.co.jp
www.facebook.com

※1 清水貴夫さんの専門は、文化人類学・アフリカ地域研究。総合地球環境学研究所・外来研究員、一般財団法人 地球・人間環境フォーラム・フェロー。アフリカの都市社会で進む「近代化」が、ムスリム師弟の成育過程に及ぼす影響について研究されてます。最近、清水貴夫・亀井伸孝編『子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で』(昭和堂、2017年)を出版。
清水さんのウェブサイトは、http://shimizujbfa.wixsite.com/shimizupage

澤崎 賢一 http://texsite.net
1978年生まれ、京都在住。アーティスト/映像作家。一般社団法人リビング・モンタージュ代表理事。京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程。現代美術作品や映画を作っています。近年は、主にヨーロッパ・アジア・アフリカで、研究者や専門家たちのフィールド調査に同行し、彼らの視点を介して、多様な暮らしのあり方を記録した映像作品を制作しています。現在、撮影した映像素材を活かしたプロジェクト「暮らしのモンタージュ」を立ち上げたところ。
初監督作品であるフランスの庭師ジル・クレマンの活動を記録した長編映画《動いている庭》は、劇場公開映画として「第8回恵比寿映像祭」(恵比寿ガーデンシネマ、2016年)にて初公開され、その後も現在に至るまで国内外の映画館で公開される。

「暮らしのモンタージュ」公式ウェブサイト
http://livingmontage.com

「暮らしのモンタージュ」では、研究者とフィールドのあいだに映像メディアを介在させ、研究成果の「余白」として周縁に位置づけられてきた「知の余白」を捉えるために、映画やアート作品、映像教材などを制作しています。

映画《動いている庭》公式ウェブサイト
http://garden-in-movement.com/

■次回の上映について
会場:西会津国際芸術村
日時:2019年3月3日(日) 14:00-
観覧料:1000円
http://nishiaizu-artvillage.com/garden_in_movement/

■現在、自主上映会募集中!
お問い合わせ:info.botanicalstudio@gmail.com