京都ヒストリカ国際映画祭リポート

『欲望にさそわれて』 トークショーレポート

10月28日、京都文化博物館において『欲望にさそわれて』の上映後、クレマン・シュナイダー監督によるトークショーが行われました。

風の吹くまま、革命のもとへ
カンヌ2018 ACID上映作品

映画批評家の大寺眞輔さんが聞き手による『欲望にさそわれて』トークショーリポート

大寺:この作品は、フランス革命がおきた1792年ごろの設定ですが、分かりやすい、パリ、マリー・アントワネット等というモチーフは出てきません。南仏を舞台にした理由をお聞かせください。

左より 聞き手の映画批評家の大寺眞輔さんとクレマン・シュナイダー監督

監督:紋切り型の物語にしたくなかったのです。それが映画の仕事だと思っています。脚本家とも話し合って意見が一致しました。
フランス革命は、フランス人にとって重大な事件であるがゆえに、イメージが固定されがちです。
そこに新しい解釈、表現を加えることが、私たちがやりたかったことです。
パリから遠く離れた南仏では、革命の波が届くのに時差がある。1789年にフランス革命は始まりますが、南仏に届くころには激動も柔らいでいる。その雰囲気を描きたかったのです。

この作品では、革命を、民衆の大きな流れでとらえるのではなく、個人の内面で起こったことを通して、描いています。
主人公は、新しい風を感じ、迷い、古い秩序から抜け出し、変化を受け入れます。

大寺:主人公ガブリエルは、途中で名前が自由市民でもあり、兵士でもあるフランソワに代わりますね。修道士と兵士、少年と大人、精神だけでなく、肉体も変容しつつある存在であることが興味深いです。

監督:二項対立の世界を描かないと決めていました。
兵士と修道士、神聖と世俗、肉体と精神など、対立させることは簡単ですが、
現実というのは複雑で、そのように単純なものではないからです。
ガブリエルはフランソワになったからといって、完全に革命側の人間になったというわけではありません。二つの世界で揺れています。

彼は穴のあいたスポンジのように、様々なことを吸収します。
変化というのは時間がかかるものですし、あるグループに属しているからといって、すぐに一色に染まるいうことはありません。
革命の兵士たちも、兵士という身分だけではなく、揺れ動きます。

カンタン・ドルメールは特別な表現力のある役者で、少年と大人の間を行き来する役を見事に演じてくれています。照明の当たり方一つでも、印象が変わります。だからこそ、彼を選びました。

クレマン・シュナイダー監督

大寺:カンタン・ドルメールは、A・デプレシャン監督『あの頃エッフェル塔の下で』で主演しているので、客席の皆さんもご存じでしょう。声の震える感じがとても良かったですね。

監督:彼だからこそ、ガブリエルという役に、血と肉を与えられたと思っています。
声だけなく、独特のセリフ回しで、役に魅力を加えています。
フランス革命を扱っていますが、写実的な歴史の再現を目指したわけはありません。
この映画は、彼のおかげで、映画の表現、「言葉」を獲得できたと思っています。

大寺:監督は、自然な、写実的な表現を目指したわけではないとおっしゃってましたが、南仏の美しい風景を背景に、カンタン・ドルメール君の内面で起こる革命、概念、言葉というものをいかに獲得していくか、一つの思想を彼の体を通して、いかに実現していくかが、描かれていたと思います。

日本版のタイトルは『欲望にさそわれて』で、欲望という一つの言葉しか表していませんが、原題、英語のタイトルは『A Violent Desire for Joy』で、「暴力、欲望、幸福」という言葉が入っていますね。

作中で、ガブリエルはこの3つの概念にさらされています。

<ここからは結末に関するネタバレがあります>

監督:日本語版タイトルで、暴力、幸福が入ってないのは知りませんでしたね。
原題の「欲望、暴力、幸福」という言葉で表したかったのは、運動です。
運動は、フランス革命の本質的な要素だと思います。

ガブリエルは一時、ユートピアの誘惑にとらわれます。その後、空っぽの修道院に取り残されます。何の動きもない、死を思わせる空間です。そのユートピアを捨てて、最後は、新たな土地に出発するために一歩を踏み出します。幸福は、革命の社会的なゴール、目標です。

しかし、幸福を実現するための原動力は、暴力なのです。
幸福と暴力を連結させるもの、それが欲望だと思います。

私のタイトルは一種のスローガンのようでもあり、政治的なマニフェストにも見えると思います。

大寺:ガブリエルが修道院を出ていくのは、マリアンヌがきっかけになってます。二人が最初にキスをするシーンで、オリーブの木が非常に印象的ですね。

象徴的な意味でも大事ですし、ビジュアル的な美しさという意味でも重要です。木々がざわめき、音と光の効果で、私たちの心も満たすような、より官能的なシーンになっています。
革命の動きだけなく、映画の動きも感じられるシーンです。

監督:あなたの解釈、マリアンヌとの出会いがガブリエルを外の世界へ向かわせるというもの、とても気に入りました。

愛こそ革命なのです。作品の中心に愛があると思っています。

外でロケをしたことで、偶然、風が吹いて音がなり、自然により、とてもいい効果が得られました。最初のキスにより、二人は新しい世界へ足を踏み入れるわけです。

二項対立を避けたいという話をしましたが、肉体と風景、体と精神の区別なく、風や自然が、高い次元にたどり着く手助けをしてくれたと思います。

大寺:マリアンヌは唯一の女性ですね。そのほかは、冒頭の行商人といい、衣装でどういう身分の人なのかが分かります。兵士は赤と青の服を着て、修道士は茶色い服を着ている。

しかし、マリアンヌは、なぜ黒人女性がここにいるのか、はっきりとは語られない。
不思議な存在です。

最後に、マリアンヌ・フェイスフルの曲がかかるので、それにちなんで名前がつけられたのかな? と推測する程度です。

監督:そうです。マリアンヌは重要な役なので、神秘的にしようとあえて出自をぼかしています。おそらく解放奴隷だろうと、セリフでほのめかす程度です。

フランス人が今もっている、フランス革命のイメージは、その時代の言説、言葉によるものです。
マリアンヌは普段、言葉を発しない設定です。無言であることを通して、人間の持つ尊厳や力を表したいと思いました。
彼女が話す時の効果を、最後に残しておきたかったのです。

映画の盛り上がりという点でも効果的ですし、政治的な面でも効果的だと思っています。
マリアンヌというのは、フランス共和国を象徴する女性像です。どこの市役所にも彼女の像があります。
すべての紋切り型を排除するのではなく、マリアンヌという象徴的な名前は使用しています。
ただ、紋切り型の名前を使用する以外は、型からは外れようと思いました。

黒人にしたこともそうです。
彼女も最初は、赤と青の衣装を着ているのですが、だんだん、彼女の内面にスポットライトがあたってきます。
最後に語られるのは、役のセリフではなくて、女優としての真実が吐露されたと思っています。
これは歴史物といわれる作品かもしれませんが、現代とつなぐ架け橋になっているのではないかと思っています。

曲がマリアンヌ・フェイスフルだということについては、偶然ですね。ただ、二人が同じ名前である偶然は、とてもよかったと思います。そして、これは愛の歌ですけど、かなり過激な歌なんです。

大寺:歴史物を単なる過去の話とせずに、現代にも通じる物語として描くということでしたが、3つ流れる歌が、フランス革命の時代なのに、英語の曲で、しかも70年代のロックなのはなぜですか?

監督:歴史物だからと言って、史実通りの世界観を期待してほしくないのです。
それでは意味がない。

真実を作るのは自分だ、と思っています。

冒頭で先入観を壊したかった。反抗の時代であったということを表すため、70年代のパンクロックにしました。

大寺:冒頭でガブリエルが木の上で寝ています。
ここで流れている曲『When The Revolution Comes』で、歌詞が「ネズミを食えるまで革命なんて口にするな」というところで、猫が獲物を咥えて持ってきて、ガブリエルが「こんな捧げものはいらない」と言います。ここはふふっと笑いました。これはわざとですか?

監督:流れる曲は抵抗、暴力を歌った過激なものなんです。そこで、猫が鳥を咥えてくる。革命というものが遠くで起こっていることであることを示すシーンです。、

ガブリエルが革命とはかけ離れた、自分の世界に生きる、子供っぽい存在であることを表したかったのです。

<客席からの質問>

Q:インスタみたいに、画面比率が正方形に近いのですが、これはどういう効果を狙ったものでしょうか?

監督:業界では1.33と呼ばれる画面比率です。映画黎明期に使われたフォーマットです。
意図的にこれにしました。この映画は、記号が少なく、予算も少なく、テーマも壮大ではない、謙虚さの現れです。

重要なことはフレームの外で起こります。革命の中心などですね。
僧侶と兵士がどのように同居していたのかも、フレームの外の出来事です。
そのために、このフォーマットにしました。

来場者からの質問に答えるクレマン・シュナイダー監督

クレマン・シュナイダー
1989年、フランス生まれ。フェミス(フランス国立映画学校)で映画製作を学び、2013年に卒業。在学中にいくつかの短編を監督し、また自主制作で長編『SKETCHES ON THE THEME OF LOVE』を監督。卒業後は、劇映画・ドキュメンタリーのインディペンデント映画をプロデュースするために制作会社Les Films d’Argileを共同設立。また自身の作品制作(脚本・監督)も継続しており、『AMONG THE BEASTS』は2015年にSopadin Junior Best Script Priceのファイナリストに選出。

大寺眞輔〔映画批評家〕
映画批評家、早稲田大学・日大芸術学部講師、新文芸坐シネマテーク主催、IndieTokyo主催。字幕翻訳。「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」でデビュー。「キネマ旬報」「文學界」などの雑誌や産経新聞、i-D Japanなど、さまざまな媒体で執筆。テレビ出演や講演多数。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。ジョアン・ペドロ・ロドリゲス・レトロスペクティヴ開催。2015年から洋画を独自に配給公開。ジャック・リヴェット『アウト・ワン』を日本上映。最新活動や連絡はIndieTokyoホームページで。

『欲望にさそわれて』A Violent Desire for Joy 予告編

『欲望にさそわれて』A Violent Desire for Joy 予告編

www.youtube.com

日本初公開された本作が観られるのは京都ヒストリカだけの予定です。次回は11月4日(日)京都文化博物館での上映になります。

京都ヒストリカ国際映画祭
会期 2018年10月27日(土)ー11月4日(日)