映画美術とは、人の情念を表現する仕事である――木村威夫

今年生誕100年を迎えた映画美術の巨匠木村威夫(1918-2
010)は、1944年のデビュー以来60年以上にわたって第一線で
活躍してきました。
劇場公開された長篇だけでも240本を超える作品に参加し、
豊田四郎、田坂具隆、鈴木清順、熊井啓、黒木和雄など、
個性の異なる名監督たちとの仕事の中で、綿密な考証と
大胆な発想力、そしてリアリズムと幻想の境界を飛び越える
柔軟性によって、数々の名作誕生に貢献しました。
また、大学や映画教育機関では後進の育成に積極的に携わり、
晩年には監督としてもデビューするなど、最後まで旺盛に活動を続
けました。

本展覧会では、木村威夫の遺品の多くを保管する京都造形芸術大学
芸術学部映画学科のご協力をいただき、本人が描いた図面や
デザイン画など、200点以上の貴重な資料を通じて、
美術監督として独自の世界を築き上げた木村威夫の思考の軌跡をた
どります。

国立映画アーカイブ開館記念
生誕 100 年 映画美術監督 木村威夫
Inaugurating NFAJ:Art Director Takeo Kimura at His Centenary
会場 国立映画アーカイブ展示室(7階)
会期 2018 年 10 月 16 日(火)-2019 年 1 月 27 日(日)

主催:国立映画アーカイブ
特別協力:京都造形芸術大学芸術学部映画学科
協力:日本映画・テレビ美術監督協会

休室日
月曜日、12 月 24 日(月)~2019 年 1 月 3 日(木)は休室です。
開室時間
午前 11 時-午後 6 時 30 分(入室は午後 6 時まで)
毎月末金曜日は午前 11 時-午後 8 時(入室は午後 7 時 30 分まで)

一般 250 円(200 円)/大学生 130 円(60 円)
シニア・高校生以下及び 18 歳未満、障害者(付添者は原則 1 名まで)、国立映画アーカイブ及び東京国立近代美術館のキャンパスメンバーズ、有効な MOMAT パスポートをお持ちの方は無料
*料金は常設の「日本映画の歴史」の入場料を含みます。
*( )内は 20 名以上の団体料金です。
*期間中に展示替えがございます。

不忍池にて(2002年) 撮影:松尾正信

木村威夫略歴
1918年東京生まれ。1935年から舞台美術家伊藤熹朔に師事。
1941年、日活多摩川 撮影所入所。翌年日活は数社と合併して大映になり、1944年、伊賀山正徳監督『海の呼ぶ聲』の美術で一本立ち(公開は翌年)。以後も順調にキャリアを積み、1954年、製作再開した日活に移籍。幅広いジャンルで手腕を発揮し、戦後の日本映画黄金期を代表する美 術監督のひとりとして活躍。
1971年にフリーとなった後は独立系の作品でも才能を開花させる。 毎日映画コンクール美術賞ほか受賞多数。2004年には監督デビューを果たした。

第1章 生い立ち~演劇活動から映画の世界へ(1918~1941)

1918年、現在の渋谷区恵比寿に生まれた木村は、1歳で画家だった父親を失い、5歳の時には母が他家へと嫁いで、 以後は祖母と大叔父に育てられました。
中学校時代に舞台美術の巨匠伊藤熹朔(いとう・きさく)が舞台装置を担当した演劇公演を見て舞台美術家を志し、中学校卒業後、つてをたどって伊藤に弟子入りします。
その後1941年、 伊藤熹朔門下の先輩の紹介で日活多摩川撮影所に入社しました。

青春時代「彷徨の私」(1990年)

◎主な展示品
東京美術学校(現・東京藝術大学)出身の父・喜代子(きよし)の絵画作品や、木村が初めて伊藤熹朔の舞台美術に接した演劇公演のチラシ、伊藤熹朔弟子入り後に小道具を手掛けた舞台公演のプログラム など。

第2章 大映時代(1942~1954)

木村が入社した日活は、1942年、戦時下の企業統合で大日本映画製作株式会社(大映)となりました。1944年、 木村は『海の呼ぶ聲』で美術監督デビューして、その後10年間で美術監督としての基礎を作ります。明治を舞台と した3作品『雁』『或る女』『春琴物語』では、綿密な考証に基づいて明治時代を再現し、美術監督として大きな飛躍を遂げました。

『春琴物語』スケッチ帖(1954年)

スクラップブック「新聞社」

◎主な展示品

『或る女』のタイトルバックに使われた画家・木村荘八の絵画作品
6点を前期(10/16-12/2)・後期(12/4-1/27)に分けて3点ずつ展示や、
『春琴物語』の美術資料など。

第3章 日活時代(1954~1971)

1954年、製作を再開した日活に新進の美術監督として迎えられた木村は、日本の映画産業がピークを迎える中、文芸作品やミュージカル映画、アクション映画など、多彩なジャンルでその手腕を発揮しました。

特に、鈴木清順監督 とは3年という短い期間に11作品でコンビを組み、互いの才能を引き出して作り出した独創的な作品の数々は、海外を含めて今なお多くのファンを魅了しています。

『肉体の門』より「リンチの場」(1972年頃)

『東京流れ者』より「ジャズ喫茶マンホールの支配人室」(1972年頃)

『ツィゴイネルワイゼン』シナリオ

『ピストルオペラ』より「野良猫」(2001年)

◎主な展示品
日活アクションを代表する舛田利雄監督作品『昭和のいのち』でメインの舞台となる佐久良屋の家のセット図面や、鈴木清順監督『刺青一代』の赤松親分の家のセット図面をはじめとした、代表的 な清順作品の美術関連資料など。

第4章 フリーの時代(1971~2010)

1971年に日活を退社した木村は、以後亡くなるまでフリーの映画美術監督として、多くの仕事を成し遂げました。その第 一作『忍ぶ川』は、旧知の熊井啓監督との初めての仕事であり、以後木村は熊井の遺作『海は見ていた』まで、1作品を除くすべての作品の美術を手掛けました。

映画美術の巨匠となって以降も、林海象監督をはじめとする若手監督たちとの仕事も多く残し、また、本数は多くないものの、黒木和雄監督作品への参加は晩年の木村の重要な仕事となりました。

『サンダカン八番娼館 望郷』より「ボルネオの娼家」(1974年)

『サンダカン八番娼館 望郷』より「サンダカン娼館街 [準]決定図面」(1974年)

『ZIPANG』より「回廊」(1989年)

『父と暮せば』より「廃墟の中の家」(2003年)

◎主な展示品 『忍ぶ川』『サンダカン八番娼館 望郷』『本覺坊遺文 千利休』といった熊井啓監督の 代表作の美術資料、林海象監督『ZIPANG』の場面をイメージした絵画作品、黒木和雄監督『父と暮 せば』の美術資料など。

第5章 監督作品と文筆活動

晩年まで創作意欲の衰えなかった木村威夫は、80歳を過ぎてから短篇の初監督作を発表しました。90歳の時には 初の長篇監督作品が公開され、最年長での長篇監督デビューとして、ギネスブックにも登録されました。
一方で、木村は日本の映画美術監督の中でも特に旺盛な文筆活動を行いました。長大なインタビュー本を含めた6冊の著書だけでなく、新聞や雑誌などに掲載された映画批評や回想録、映画美術に関する論考など多岐にわたっています。

◎主な展示品

長篇初監督作品『夢のまにまに』のシナリオと原作となった自作小説が掲載された同人誌、木村威夫著書6冊、遺稿の自筆原稿とその掲載誌『映像照明』(2010年)など。

トークイベント

◆2018年12月15日(土) 木村威夫の映画美術の世界

講師:嵩村裕司(京都造形芸術大学芸術学部映画学科准教授)

◆2019年1月19日(土) 展示品解説

講師:紙屋牧子(国立映画アーカイブ特定研究員)
※申込不要、参加無料(展示室内で開催のトークは、観覧券が必要です)。
詳細は後日プログラム、ホームページなどでお知らせいたします。

上映企画
「国立映画アーカイブ開館記念 生誕 100 年 映画美術監督 木村威夫」

展覧会と連動した上映企画。美術監督第一作『海の呼ぶ聲』(1945年)を含む20作品を上映。

会期:2018年11月6日(火)~25日(日)*月曜休館
会場:国立映画アーカイブ 長瀬記念ホール OZU(2階)
※会期中に木村威夫と仕事を共にした美術デザイナーによる座談会を予定しています。
詳細は後日プログラム、ホームページなどでお知らせいたします。