『ゲンボとタシの夢見るブータン』
アルム・バッタライ、ドロッチャ・ズルボー監督インタビュー

ブータンという国から何を連想するだろうか。「世界一幸福な国」という形容。
東日本大震災後、清らかで優美なふるまいとともに慰霊の法要を行った国王夫妻の姿を記憶にとどめている方も多いだろう。そんなブータンの小村に暮らす一家の日常と世代間の葛藤を映し出したドキュメンタリー映画『ゲンボとタシの夢見るブータン』(アルム・バッタライ、ドロッチャ・ズルボー監督)が、8月18日(土)よりポレポレ東中野ほか全国で公開される。

(C)ÉCLIPSEFILM / SOUND PICTURES / KRO-NCRV

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本作を撮ったのはアルム・バッタライとドロッチャ・ズルボー監督。
ドッグ・ノマッズ(「ドキュメンタリーの遊牧民」の意)という若手ドキュメンタリー制作者育成プログラムで出会い、ブータンとハンガリーという文化背景のまったく異なるこの二人が世界中を巡り、国をまたがる6つの財団から資金を得て完成させた国際共同制作作品だ。

近代化の行き着く先が、「効率性」や「生産性」という物差しでしか価値や生きる意味を見いだせない現在の日本社会であるのならば、今まさに近代化の大波と対峙しているブータンという国とそこに住む一家の姿を見つめることで、新たな発見や目を開かれることがあるに違いない。知性と情熱にあふれる二人の監督に伺った。

ドロッチャ・ズルボー(写真左)、アルム・バッタライ(写真右)

――当初はLGBTの少女である妹のタシに着目されていたということですが、兄のゲンボに惹かれたきっかけは何だったのでしょうか。

ドロッチャ・ズルボー(以下、ドロッチャ)
リサーチの段階でフォーカスポイントが変わることはよくあるのですが、私たちはタシを追いかけるというより、元々はブータンにおけるサッカーのナショナルチームについてのドキュメンタリーを撮ろうとしていたんです。そこでトライアウトをしている彼女と出会って親しくなるうちに、彼女がトランスジェンダーであることを知りました。彼女を撮影するうえでご家族の許諾や理解が必要ですから、必然的に彼女の家族ともお会することになったのです。そこで代々寺院を受け継いできた一家の切実で生き生きとした日々の暮らしぶりに触れる機会を得ました。それは新鮮な経験だったのでサッカーチームのことではなく、この一家を撮ることで、ブータンが抱えている「近代化と伝統の衝突」という問題が縮図として描けるのではないかと思い至りました。

タシの抱えているトランスジェンダーの問題以上に、ゲンボが直面している後継者と進路の問題は、まさに喫緊の課題であるように思えたのです。父のテンジンはゲンボに寺院を継いでもらいたいけれど、ゲンボはタシと同じくサッカー選手になりたいと思っている。サッカー選手になりたいというのは、自意識や選択の自由を得た近代以降の若者が見る典型的な夢だといえるでしょう。そのような親子の関係を知り、彼らが直面している伝統の継承と近代化の問題を撮ることこそが急務であると感じました。なぜなら、それこそがブータンという国全体が抱えている普遍的な問題に通じていると感じたからです。

ドキュメンタリー映画として、そのような普遍的な物語を描くために私たちがフォーカスしたのは、ゲンボとタシ二人の「顔」をきちんと捉えることです。悩んでいるとき、女の子の話題で盛り上がっているとき、兄妹同士で話し合っているとき。その時々に見せる二人の表情や共鳴しあう顔こそが、何よりも雄弁に普遍的な物語を語っていると思います。

アルム・バッタライ(以下、アルム)
二人の兄妹だけでなく、父親テンジンの存在もとてもユニークな存在感を放っています。彼はタシの抱えるトランスジェンダーの問題に対して仏教的な側面から何とか受け入れようとしている反面、ゲンボに対しては寺院を継いでもらいたいという頑なな信念を崩そうとはしません。二人の子どもに対して、父親もまた相反する両面の心情を抱えているのです。

ブータンはそれまでの鎖国政策から1960年に開国へと転換しましたが、本格的にツーリズムが発展し、人々が行き来するようになったのは1980年代後半から90年代にかけてです。私が生まれた1985年当時、ブータンではまだ他国から入国する人々は現在ほど多くはありませんでした。私自身の体験からいえば、私が初めて自動車を見たのが7歳のときで、テレビに触れたのが9歳の頃です。ブータンに初めて国営放送が開局したのが1999年で、私は2007年から2012年のあいだそこに勤め、主に子ども向けのドキュメンタリー番組を制作していました。

ドロッチャ 
谷間の村に住んでいる子どもたちが将来の夢や希望を語っている『マイ・ワールド』というドキュメンタリー作品です。

――その頃からすでに子どもたちや未来に対する関心がおありだったのですね。本作でのゲンボとタシは目の前にカメラがあることをまったく感じさせない自然な姿を見せていますが、子どもたちと接する機会が多かったお二人だからこそ、そのような姿を捉えることができたように思います。作り手が子どもたちに受け入れられていなければ、あのような親密な関係を撮ることはできませんよね。

アルム
そうですね。ゲンボとタシと関係を築くうえで、私たちは何よりもまずカメラを回さずに彼らと過ごす時間を大切にしました。実際に彼らの家で寝食をともにすることで、少しずつ信頼関係をつくっていったのです。ドロッチャもまた母国ハンガリーで若者をテーマにしたドキュメンタリー作品を制作していましたし、ともに子どもたちをテーマにした作品を手がけていた経験があったからこそ、今回の作品づくりでも、ゲンボとタシに素直に受け入れられたということは大いにあると思います。

ドロッチャ 
良い関係を築けたもうひとつの理由として、ゲンボもタシも英語という共通言語を持っていたということがあります。ブータンから帰国したあとも、お互いにフェイスブックで私の自宅や母親の写真を見せたりしていました(笑)。監督と被写体という関係ではなく、あくまでヨーロッパに住んでいる「友達」という関係を築けたことがとても良かったと思います。

本作は3年をかけてブータンで撮影をしましたが、アルムが一家の近郊に住んでいたこともあり、祭事などの重要な場面は彼に撮影を頼んでいます。私は入国ビザの関係もあり、1年に1度、1か月の期間をかけてブータンに滞在し、撮影をしました。正直、私にとって撮影時の状況は過酷なものでした。モンスーンの雨によって道が崩れたり、首都であるティンプーから一家の住むブムタン県へバスで何十時間もかけて移動したり、辛い味付けの多い食生活にうまく馴染めずにいたり。ブータンの家庭では、歓待や親切心の表れから1時間に1回の割合で客人に食事やお茶を出す習慣があるのですが、それをなかなか断ることができずにお腹を壊してしまうこともありました(苦笑)。冬場はエアコンやヒーターのない氷点下7度の環境で生活しなければいけません。しかし、そのような過酷な撮影環境を克服できるほどに、ブータンの人々の温かいもてなしや情の深さには胸打たれました。ブータンの人々にとって、人生とはこんなにも居心地の良いものなんだと実感したんです。

――「伝統と近代化の衝突」という問題は普遍的であるがゆえに重いテーマでもありますが、印象的な「居眠り」の場面が象徴するように、本作には悲愴な感じはなく、ブータンの人々の温かく、大らかなユーモアが作品全体を通じて流れているように思います。

アルム
映画を観れば明らかなように、寺院を継がせたいと思っている父親とゲンボとの親子関係は明確に対立しています。しかし、これはアジア系民族に特有な性質といえるのかもしれませんが、ゲンボは父親に対して抵抗の言葉や反抗心を直接表に出すことはありません。私たちはそんな親子間の「静かなる衝突」とゲンボの「静かなる意志」をこそ撮りたかったのです。

――その表立つことのない「静かなる意志」は母親ププ・ラモにも流れているように感じました。一見、多弁な父親であるテンジンが家長のように見えますが、実は一家の主導権を握っているのは彼女なのではないかと。

ドロッチャ
その通りです(笑)。父テンジンは仏教を心から愛し、自分の寺院を誇りに思うがゆえに、説教や話をすることが大好きで、村人たちのあいだでは「話し始めたら終わらない人」として知られています(笑)。ゲンボにも同じ調子で世俗の学校を辞めて僧院学校へ通ってほしいと懸命に説き聞かせますが、そこに母ププ・ラモが世俗の学校で英語を習えば、観光客に寺院のガイドができると言うと、途端に黙って何も言えなくなってしまいます。

――ブータンの人々もそうですが、作り手であるお二人の眼差しにもつねに子どもたちを見守っているような優しさと温かさを感じます。その視線が巧みな編集と相まって、ダルシン(経文旗)がはためくなかでサッカーをするゲンボとタシの姿をとらえたオープニングや、水辺で遊びはしゃぐ女の子たちの場面など、まるで青春映画の一場面を観ているような美しい瞬間がいくつもあります。

ドロッチャ
ありがとうございます。ブータンにはポストプロダクションを行なう施設がないため、本作の編集作業はハンガリーで行いました。編集は2017年ベルリン国際映画祭金熊賞作品で、今年日本でも公開された『心と体と』(2017)を手がけた編集者カーロイ・サライの力が大きいと思います。実は彼はハンガリー人の仏教徒なので、本作に底流する仏教の精神性や核心を非常によく理解したうえで親身に編集作業をしてくれました。

――本作のラストシーンもまた、ブータンの人々の幸せに対する考え方やポジティブな人生観が根底にあるように思いました。「冒険だね」と言う二人の姿からは、伝統や因習と近代化の相克を軽やかに飛び越えていくような希望を感じます。

ドロッチャ
あのラストシーンに関しては、ヨーロッパのドキュメンタリー映画によくあるような、彼ら兄妹のその後を映したりといった結末にはせず、余白をつくり、答えは出さない終わり方にしました。海外の映画祭などでは、二人のその後はどうなったのかとよく聞かれましたが、それは私たちの意図するところではありません。もちろん、ひとりの人間として、5年後に彼らがどんな道を歩んでいるのかは気にかけていますが。

アルム
ブータンの人々の多くは自分の宿命を受け入れることを厭いません。だからこそ、私たちはあえて定まった結論を出さずに、観客への問いかけにもなるような余白のある終わり方にしたのです。

――「伝統と近代化の衝突」はかつての日本社会が経験してきた問題でもあります。その意味で、本作には先ほどドロッチャさんがおっしゃったような普遍性とともに、ある種の懐かしさを感じる日本人もいるのではないでしょうか。そして、かつて通った道だからこそ、現在の日本で我々が謳歌している「自由」とは何だろうと、改めて考えさせられます。

ドロッチャ
父親のテンジンは、息子のゲンボが寺院を受け継ぎ、仏教とともに人生を歩むことこそが自由であると考えています。ヨーロッパの映画祭などで上映したときには、そのような父親の考え方のほうが正しいと肯定的にとらえる観客が多かったですね。なかにはゲンボの代わりに私が寺院を継いでもいいと言う人もいました(笑)。

――グローバリゼーションに否応なく組み込まれている現在の日本社会を省みるなら、本作の父親テンジンこそが真に自由の意味を知っているのではないかとも思えます。自由には「選ばない自由」もあるわけです。グローバリゼーションには自らのアイデンティティーまでをも売り渡してしまうような怖さがある。我々日本人が近代化によって得た効率性や利便性がすべて正しく、良いことではないのだとすでに気づき、疑い始めているからこそ、テンジンにはある種の深さを感じるのです。

ドロッチャ
なるほど。とても難しい問題ですね。ただ、自由や個人の選択という観点から見るなら、私はゲンボが自分で考え、答えを出すことが大切なのではないかと思います。

――いずれにせよ、今まさに近代化に直面しているブータンにとって、ゲンボはまさに象徴的な存在ではないでしょうか。個人的な希望ですが、これから先、彼が見聞を広め、グローバリゼーションや情報社会の良い面を肯定的に取り入れつつ、彼なりの幸せを見出して前向きに寺院を継いでくれたらと願わずにはいられません。

(聞き手 羽田野直子・野本幸孝)

(聞き手 羽田野直子・野本幸孝)

《ポレポレ東中野 劇場ミニトークイベント》

◎8/18(土)12:20〜の回上映後 アルム・バッタライ監督+ゲンボ(本作品主演) ブータンよりSkype出演
◎8/20(月)19:10〜の回上映後 内山 拓/NHKスペシャル「秘境ブータン 幻のチョウを追う」
◎8/26(日)12:20〜の回上映後 松本 紹圭/浄土真宗本願寺派光明寺僧侶、一般社団法人お寺の未来代表理事  
◎8/29(水)19:10〜の回上映後 天城 靱彦/Tokyo Docs 実行委員会委員長
◎8/30(木)19:10〜の回上映後 関 健作/写真家、元ブータン日本人教師
◎9/2 (日)12:20〜の回上映後 関野吉晴/探検家、医師
◎9/3 (月)19:10〜の回上映後 石川 直樹/写真家
◎9/5 (水)19:10〜の回上映後 南 のえみ/Be Inspired! 編集者
◎9/7 (金)19:10〜の回上映後 加部 一彦/埼玉医科大学総合医療センター小児科
お問い合わせ:03-3371-0088

★8/25(土)& 8/26(日)& 9/6(木)第七藝術劇場(大阪)
大阪公開記念トークイベント

◎8/25(土)12:20の回上映後 松尾 茜/元ブータン政府観光局
◎8/26(日)12:20の回上映後 草郷 孝好/関西大学社会学部 教授
◎9/6 (木)時間未定 川瀬 慈/国立民族学博物館
お問い合わせ:06-6302-2073

★9/1(土)出町座(京都)

時間:12:20〜の回上映後、13:40頃より約20分
対象:12:20の回をご覧いただいた方と、14:10の回をご覧になる方で鑑賞券をお持ちの方を対象にします。*14:10のお客様は先着順となります。満席時は入場をお断りする可能性もございます。
お問い合わせ:075-203-9862 

『ゲンボとタシの夢見るブータン』予告

“幸福の国ブータン”の今-『ゲンボとタシの夢見るブータン』

youtu.be

【ストーリー】
子供たちはどのような未来を描くのだろうか
ブータンの小さな村に暮らす長男ゲンボ(16歳)は、家族が代々受け継いできた寺院を引き継ぐために学校を辞め、戒律の厳しい僧院学校に行くことについて思い悩む。自らを男の子だと思い、ブータン初のサッカー代表チームに入ることを夢見る妹のタシ(15歳)は、自分の唯一の理解者である兄に、遠く離れた僧院学校に行かないでほしいと願う。父は、子供たちが将来苦労することなく暮らせることを願い、ゲンボには出家し仏教の教えを守ることの大切さを説き、タシには女の子らしく生きる努力をすることを諭す。思春期の子供たちは自分らしい生き方を模索するが、それが何かはまだわからない。急速な近代化の波が押し寄せるブータンで、子供たちの想いと、親の願いは交差し、静かに衝突する—————

キャスト&クルー
家族ゲンボ、タシ、トブデン、テンジン、ププ・ラモ
監督アルム・バッタライ、ドロッチャ・ズルボー
編集カーロイ・サライ(『と』イルディコー・エニェデイ監督)
撮影監督アルム・バッタライ オリジナル・スコア:アーダーム・バラージュ(『心と体と』イルディコー・エニェデイ監督)
サウンド・デザイン:ルドルフ・ヴァールヘジ
プロデューサー:ユリアンナ・ウグリン
コ・プロデューサー:アルム・バッタライ
エグゼクティブ・プロデューサー:レティツィア・スホーフス
プロダクション・マネージャー:ジョーフィア・ズルボー
プロダクション:エクリプスフィルム
コ・プロダクション:サウンド・ピクチャーズ、KRO-NCRV

2017|ブータン、ハンガリー映画|ドキュメンタリー|ゾンカ語|74分|英題
The Next Guardian
後援ブータン王国名誉総領事館/ブータン政府観光局/駐日**ハンガリー大使館
協力:Tokyo Docs
/日本ブータン友好協会/日本**ブータン研究所/京都大学ブータン友好プログラム
字幕吉川美奈子|字幕協力 磯真理子|字幕監修:熊谷誠慈
配給:サニーフィルム

8.18 土よりポレポレ東中野ほか全国ロードショー