映画界の伝説を作り続ける奥山和由氏インタビュー

独自のプローモーションも話題となり、TOHOシネマズ六本木ヒルズにおいて11月4日より公開がスタートし、連日満席が続く奥山自身がメガホンを取ったドキュメンタリー『熱狂宣言』。
そして、11月17日からは、企画・プロデュース作品として芥川賞作家・中村文則の衝撃デビュー作を映画化、第31回東京国際映画祭において2部門受賞した『銃』と発表作品が続く奥山和由。

映画界の伝説を作り続け、走り続ける男は、今、映画をどう思うのか?
『熱狂宣言』を映画化した経緯から、現在、スタートした「フリーシネマプロジェクト」までを熱く語るー
シネフィルの独占インタビューです。

奥山和由氏

未完成のジグソーパズル

――まず、今回監督された『熱狂宣言』を製作するきっかけを教えていただけますか。

奥山 きっかけそのものは偶然に偶然が重なったとしか言いようがありません。たまたまブックオフに並んでいた松村さんの『熱狂宣言』(幻冬舎)の表紙を見て、いい面構えをしている方だなと思い、ふと手にしたのがそもそものきっかけです。
つまらなくなった今の平均的な男性像の顔立ちと較べて、少し昭和の匂いのするような、いい面構えだと思いました。本を手にしたそのときの自分の精神状態と、松村さんの顔が映している生き様がぴったりと一致したんだと思います。

そのときの私は人生のどこかに欠落している部分を感じていました。
ジグソーパズルのピースが足りずに、適当な大きさのピースをはめてみてはいつも失敗しているというか。未完成のままで、自分で考えて、つくり上げていくことの限界を感じていた。そんなときに偶然、松村さんの本と出会ったんです。抽象的な表現ですが、人の生き様から得られるものこそがピースなのではないかとそのときに思った。先日、知人にも同じようなことを言われて、なるほどと思いました。私もまたある時期に映画界の「寵児」といわれ、頂点に登りつめましたが、足元をすくわれて奈落に落ちた。すべての動きが止まらざるを得ないほどの濁流のなかで、なんとか生き延び、転落したことの暗さを引きずることなく、次のステップを模索していた。そうした私自身の境遇と松村さんの姿が重なって見えたのではないでしょうか。少し事情は異なるとはいえ、松村さんもまた、仕事に対して情熱を燃やしながらも、若年性パーキンソン病という、絶望と絡むような病気にかかり、そこから逆噴射的に上昇しようとしている。その姿に惹かれるのがよく分かると言われたんです。

おそらくは、そうしたことが今回の背景にあるのでしょう。ただ、それはあくまで客観的な分析でしかないと思っています。私は自分のなかの欠けているピースがはまることへの期待も込めて、ただ純粋に松村さんに会いたいという気持ちが強かった。そこでまず、幻冬舎の担当者にお電話をして、松村さんにお会いしたいとお話しました。ただし、脚本をつくり、役者をはめ込み、ドラマとして面白いものをつくりたいという、普通にあるような原作の映画化という形は考えていませんでした。
担当者の方には、まずお会いしたうえで映画化にするかどうか含め考えさせていただきたいとお伝えしたのです。幸い快諾してくださったので、松村さんとはすぐにお会いすることができました。

左、松村厚久 右 奥山和由
© 2018 吉本興業/チームオクヤマ

松村厚久という人間

実際にお会いしてみると、松村さんはあの独特の鋭い眼差しで観察するようにこちらを見つめている。その瞬間に、この本人を撮りたいと思いました。
私は自分の感じるものを人に伝えたいという思いがあるからこそ、初めて映画を企画する意味が生まれると思っています。松村さんにはその感じるものが確かにあった。松村さんにお会いすると、単に元気になるとか、何かを教えられるというのではなく、チアーアップするんです。とても不思議な感覚ですが、瑣末なことはどうでもよくなって、この人を見て、同じ空気を吸っていれば、何とかなるだろうと思ってしまう(笑)。人生がどうしようもなくグチャグチャで、計算にまったく折り合いがつかないような今の状態だとしても、松村さんと一緒ならば何とかなるだろうと。この不思議な感覚の正体は何なのか、その秘密を探っていきたいと思いました。私自身は本の著者である小松成美さんをはじめ、数十人の方々を前に納得のできる話をしなければならないと必死でしたが、そういうものとはまったく別に、ただこの人と一緒にいたいという感覚がとにかく強かったんです。

© 2018 吉本興業/チームオクヤマ

私は今に至るまで、毀誉褒貶はありつつも、製作を含めて百を超える本数の映画を手がけてきました。しっかりと選んで製作してきたつもりですが、人が聞けば呆れて、やれると思えばなんでもやってきたと思われる本数かもしれません。しかし、玉石混交のような映画製作を最も軽蔑していたにもかかわらず、だんだんと明らかな石が混じり、その数が圧倒しはじめると、なぜ映画をつくっているのだろうという思いが頭をもたげてきます。映画をつくることにいちいち理由など必要などないと思っていましたが、自分の人生が終わりに近づくなかで、そんな自分自身がどうしても好きになれなかった。だから『熱狂宣言』は自分が好きな人と同じ空気を吸いながら、もう一度考え直したい、という私自身の思いが映画という形になっただけなんです。
言い換えるなら、自分の鏡をつくろうとしていたともいえる。自分が松村厚久という人間と接するなかで、自分で自分の姿を見てみたい、自分を確認したいと思いました。しかし元の本音を言えば、松村さんと長く付き合えるために映画をつくった、というのが正直なところです。

実際に松村さんとお会いしたとき、彼は言葉も不自由だったし、普通なら会話ができるのかと不安に感じると思うのですが、そんなことはまったく問題になりませんでした。言葉を超越してしまうんです。言葉がスムーズに出てこない分だけ余計に伝わる何かがある。彼はいかなる場合でも伝えることをあきらめません。たとえ、どんなに下らない話題でも、一度話しはじめたら、相手に伝わるまで一生懸命に語ろうとします。伝えようとするそのエネルギーはとても温かい。とはいえ、私は松村さんには決して立派な人間になってほしいとは思っていません。今のまま不良性感度を伸ばしてほしいし、派手な衣装を着て遊び倒してほしい。例えば、講演を聴きに行っても、周りの皆さんが口を揃えて素晴らしかった、面白かったと感動して帰っていくのですが、それは今回の私のアプローチとはまったく違います。松村さんについては、すでに本やテレビの特集など数多くの紹介がされているのだから、いまさら映画にする必要はあるのかと言う方もいます。しかし、外食産業を含めて、松村厚久という人間にまだ触れたことがない人にとっては、本作を観ることで、間違いなく自分のなかにある何かを覚醒する映画になると、撮影を重ねていくうえで確信しました。

左、松村厚久 右 奥山和由
© 2018 吉本興業/チームオクヤマ

映画という「生き物」を相手にして

一歩間違えれば、今回の作品は私の年齢や時代を通じて得てきたそのような見方や世界観を松村さんから取って焼き付けただけの映画になってしまうのではないかという迷いはありました。とはいえ、それを迷っていたらテレビの特集番組にどんどん近づいて「立派な松村さん」になってしまう。
何度も言いますが、そういう松村さんの姿は見せたいとは思いませんでした。病気の薬が効かなくなっているのに素敵な女性がいたらうつつを抜かしてしまうような女好きの一面も含めて、人間、松村厚久の丸々とした全体像を見ることで、私はこういう彼が好きなんだという映画をつくりたかった。
それは同時に、自分がこれまでに手がけてきた百本以上もの映画に対する贖罪という意味でもあるのです。

ラッシュを観たある方からは、映画が始まったと思ったら終わってしまったという感想をいただきました。これから物語が始まるのかと思っていたら終わってしまった、酷いラッシュだと言われました。でも、私としてはそれでまったく構わないんです。ただ、撮影に関して一言いえば、撮りはじめてすぐに、カメラに意識が向いてしまうと、松村さんの全体像を構成する要素がピックアップできなくなってしまうことに気づきました。そこで、今回の映画のプロデューサーである江角早由里さんをはじめとした松村さんに身近な方々にご協力いただき、自前の小型カメラでつねに撮影をしてもらったんです。彼らには撮られていることが日常になるところまでやってくださいとお願いしました。後にそれがいわゆる「ダイレクト・シネマ」と呼ばれている手法であると指摘されるのですが、撮影中はまったく意識していませんでした。最近は想田和弘監督の「観察映画」もありますが、それらの映画がしっかりと構築されているのに対して、私の映画はあえてというと卑怯かもしれませんが、まとめてはいません。映画というのは完全な「生き物」だと思っているので、この生き物からどういう子どもが生まれるのか、それがどんな形であれ、自分の編集を通して伝えたい松村厚久の姿になるだろうという思いがあります。だから、最初から2017年の年明けから始まり年末で終わる1年間を撮影期間として区切ることだけを決めていました。
実際に撮影した映像をまとめてみると、自分なりにすごくいい映画が撮れたと思っています。ただ、感じることなく、頭だけで松村さんを理解しようと思っている人には、なんだこりゃという感じの映画だとは思いますが。(笑)

奥山和由監督 映画『熱狂宣言』予告

映画「熱狂宣言」予告編60秒

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TOHOシネマズ六本木ヒルズにて”熱狂”ロードショー中!

奥山和由氏

「フリーシネマプロジェクト」と原点回帰

そのような映画への姿勢が、やがて「フリーシネマプロジェクト」という大きなプロジェクトへと繋がっていきます。最初からこのようなシリーズのプロジェクトを考えて今回の映画をつくったわけではありません。ただ、常々、世間にウケる映画、稼げる映画にしたい、お預かりした資金を増やして返せるようにしたい、と思いながら手がけた映画はどうにも手応えが薄いと感じていました。
逆に、実はそのような考えこそが災いしているのではないかと思うのです。最初に業務提携している吉本興業の大﨑社長に松村さんの映画を撮りたいと言ったときは、彼の会社のPR映画にならないかと心配されました。しかし、昨今SNSなどを通じて感じるのは、やたらと稼いだ『ハチ公物語』(1987)や『遠き落日』(1992)といった映画よりも、かつて松竹からの誹謗中傷を受けながら、それでもこれをやりたいと思ってつくった『いつかギラギラする日』(1992)や『GONIN』(1995)のような映画のほうが、もう一度つくってほしいと待望する声が非常に大きいんです。だから大﨑社長には、迷惑をかけないようにコストは最小限に絞るので、コアな観客を相手にしているといわれる企画かもしれないが、私の独断と偏見でやらせてもらえないかとお願いしました。そして了解を得た上で、「フリーシネマプロジェクト」と命名し、プロジェクトを立ち上げたわけです。

――タイトルにある「熱狂」という言葉はとても直球な表現ですが、、松村さんの生き方をとても率直に言い表していると思います。彼の姿に触れることで、今の若い方や違う分野の方々の刺激になればとても面白いと期待しています。

そうですね。私は仕事上、映画の出資を募るために様々な分野のトップの方々と交流する機会が多いのですが、彼らにとっては実業家・松村厚久は固有名詞ではなく、すでに代名詞と化しています。
松村さんの持つ熱狂と逆噴射的なエネルギーに対して、応援したいという思いが彼らの底流にはある。大げさかもしれませんが、実業家である彼らにとって、松村厚久という存在はひとつの夢なんだと思います。そのような夢である存在を私個人の思いで弄んでもよいのだろうかという不安はありました。実際、そういう風に見えると怒る方もいます。しかし、そのような方とお話をすると、何を言っても論破してくるから、最終的には好きなようにすればいいと言われる(笑)。

そのように様々な意見をいただくなかで、「フリーシネマプロジェクト」が掲げる主旨と『熱狂宣言』とがぴしゃりとはまっていった。ある意味、自分ができないことをできるふりをしながら、儲かる商品として映画を製作していくことにほとほと嫌気がさしていたんです。
色々な枠組みや常識を壊しているのかもしれないけれど、その壊れるということも含めて受け容れてくれるのが映画だと思うんです。
今は映画という媒体の特殊性がとても薄くなっている時代です。様々な規制に対して、みな従順すぎる。
『仁義なき戦い』や『山口組三代目』(1973)のような、実在する組や人物の名前を出した実録ヤクザ映画なんて、今の時代には到底つくれないでしょう。単に残酷な描写を見せるようなえげつない映画ではなく、自分がこういう人間に魅力を感じているという軸がある以上は、それを存分に自由に発揮してみたい。つくり方や表現方法、公開のやり方もまったく自由な形で、「自由」という言葉にしがみついてみたい。
上り坂を駆け上がった人間は、必ずどこかで限界が訪れます。ある者は墜落し、ある者は疲弊していく。とはいえ、昔と較べれば人生は長くなっていますから、スムーズに右肩上がりで一生を過ごすことなどあり得ない。ですから、ここでもう一度自分の原点に戻って、すべてを壊していこうと思っています。

奥山和由氏

破れかぶれの活きのよさ

――奥山さんは以前にも「シネマジャパネスク」という画期的なプロジェクトを立ち上げていらっしゃいましたが、今回の「フリーシネマプロジェクト」では具体的にどのような展望をお持ちなのでしょうか。

まず、映画製作の健全なプロセスとして、稟議書決裁や合議で結論を出していくという通常の形態があります。ただ、映画という媒体には自由表現という個性がある。例えば、北野武の監督第1作目である『その男、凶暴につき』(1989)は、比較的にヒットするための計算をしていました。
しかし、武さんの才能に対する私自身の惚れ込みもあって、2作目以降はできるだけ「野放し」にしてみたいと思った。ですから、「凶暴な男、ここに眠る。」というキャッチコピーの製作3作目『ソナチネ』(1993)は、企画を立ち上げた当初は「野放しの巨匠」というコピーだったんです。
『ソナチネ』に関しては経済的被害は甚大だといわれましたが、年月が経った現在から見れば利益を出している。

『うなぎ』(1997)で組んだ今村昌平さんは、カンヌ映画祭の記者会見のときに「プロデューサーは1年で製作費を回収しようとするが、そんなことは無理だ」と激高されましたが、映画を永遠に残るコンテンツとして見るなら、回収できる時点に到達すれば、あとはすべて利益になるんです。今でも鮮烈に覚えていますが、同じ映画をつくる側の人間として、今村さんのおっしゃりたいことはとてもよく分かります。「シネマジャパネスク」の一環として製作した『うなぎ』は、当時としては破格のローバジェットだったにもかかわらず、カンヌでグランプリを獲った。その経験が私には実感として肌に染みついています。だから、たとえ一億円の予算が一千万円になったとしても、映画製作に自由が許されるならそのほうがいい。それが「フリーシネマプロジェクト」の原点だといえます。

そして「フリーシネマプロジェクト」と名付けて、川上の製作から川下の興業に至るまで、作品の個性に合わせて、首尾一貫した体制にしました。「シネマジャパネスク」のときは3年計画でしたが、私の松竹解任騒動によって結果としては1年弱で粉砕されてしまった。プロジェクトが軌道に乗るまでには、通常3年はかかると思います。ただ、私も残りの人生が短くなってきているので、もうあまり長くはかけられない。その意味では、コスト回収の期間を短く限定しているのが今回の特徴です。今後、年間を通じて作品を発表していく予定ですし、現在も製作中の作品が何本かあります。また、ドキュメンタリー映画に限らず、劇映画も手がけていく予定です。
例えば以前に室賀厚監督の『SCORE』(1996)という低予算製作で大負けした映画がありますが、『Revenge For SCORE』という形で新たにこれを製作する構想もあります。ですから、この今の破れかぶれの活きのよさで、とにかくなにか突破したい。
それとは別に、実写映画で『君の名は。』(2016)の興行収入を抜きたいという願望もありますが、そのためには当てるための座組みが必要です。将来的にそのような座組みを作れるなら、その方面でも勝負はしたいと思っています。ただ、現状としては、まず「勝ち」をひとつでもいいから突破するというのが先決です。

©︎吉本興業

その意味では、「フリーシネマプロジェクト」とは別の体制の劇映画ですが、武正晴監督による中村文則さん原作の映画化『銃』はとてもよくできた作品です。

これはまさに『いつかギラギラする日』や『GONIN』に共通するテイストを持った映画といえますね。私自身も非常に愛着のある映画ですので、こちらも合わせてご覧いただければと思います。

インタビュー 角 章
文・編集 野本 幸孝

奥山和由プロデュース『銃』予告

主演:村上虹郎/中村文則:原作/プロデュース:奥山和由/監督:武正晴『銃』予告

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2018年11月17日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー