彫刻のようにパリパリに固まる洗濯物
関西空港からフランスを経由して、西アフリカの内陸部にあるブルキナファソの首都ワガドゥグに降り立ったのは、日本だとクリスマス商戦で賑わう師走の候でした。ブルキナでは、この時期は乾季にあたり、年間通してみると比較的過ごしやすい気候のようですが、それでも日中の気温は30度の半ばを超え、埃っぽい暑さが身体に染みました。
僕にとっては初の西アフリカ渡航、ブルキナの全体的な初見の印象は、乾燥していて暑くて世界が埃っぽくて黄色い感じ。ちょっと砂漠を思わせるような粒子の細かい黄色い砂が空気中を舞っていて、ブルキナで一日外出していると全身が汗だく、身体に砂がへばりついてきて、すみずみまで黄色くなってきます。
洗濯物は、基本的にホテルでシャワーを浴びるついでに、バケツに日本から持ってきた部屋干し用洗剤と一緒にぶち込んで、ジャバジャバやります。バケツの中の水は、あっという間に黄色っぽい土色に染まって、何度洗ってもこの黄色っぽい土色がなくなることはない。服の繊維の隅々まで黄砂が染み渡り、最初は何度もゴシゴシやっていたんですが、だんだん面倒になって、何度か洗濯を重ねるうちにだいたいの洗濯で済ませるようになりました。
洗濯を終えると、それを部屋に干すことになるわけですが、乾期のブルキナファソの乾燥度合いはすさまじく、椅子やロープに引っ掛けたTシャツやズボンが、引っ掛けたままのかたちで、まるで彫刻のようにパリパリに固まるんです。たぶん、そのままの形で壁に立てかけられます。いや、これ誇張しているわけではなくて、ホントにあっという間に乾きます。
ボロボロだけど、トヨタはよく走る
さて、ここブルキナは、人類学者の清水貴夫※1さんの長年にわたる調査地です。日本からは、清水さんと、あと農学者の宮嵜英寿※2さんとご一緒しました。例によって、僕はカメラ片手に彼らの活動に同行するわけですが、基本的に調査の際には、車を借りてドライバーの運転で移動します。この車がなかなかスゴイ。
清水さんがいつも調査の際に協力をお願いしているドライバーのアブドゥルさんの中古のトヨタ。本人が事あるごとに冗談交じりに「ボロボロ」と日本語を口にするのですが、冗談じゃなく、見た目はなかなかにボロボロで、車の左後ろの外側のドアノブが折れてしまってるので内側からしか開かないし、座席のシートはビリビリ、社内全体がなんだか埃っぽくもある。
日本だとまず公道を走ることのない状態なんですけど、ブルキナの穴ぼこだらけの道路をガタガタと上下に車体を振動させつつ、右左と急なハンドルさばきにもビシっと応答しながら、滞在期間中ほぼトラブルもなく、アブドゥルさんのトヨタはよく走っていたので、きっとエンジンなどのコア部分はきちんとメンテナンスされていたんだと思います、たぶん。あとちなみに、アブドゥルさんの車が特別にボロボロだったわけではなくて、基本的に街中で走っている車は、だいたい僕らの感覚からするとボロボロです。
日本の中古車つながりで思い出したんですけど、ワガドゥグのホテルに滞在しているとき、清水さんの知人以外に一度だけ偶然日本人に出会いました。少し立ち話をしただけで、名も知れぬ方ではありますが、彼の話は嘘みたいで強く印象に残ってます。彼はフランス語は話せないし(ブルキナは元フランス領で1960年に独立、ゆえに都市部の多くの人はフランス語を話します。英語は通じない。)、腰にコルセットを巻いて足を引きずりながらたったひとりではるばるブルキナまでやってきて、この国に日本の中古車を輸入して商売をやってたけど、うまくいかなかったみたいな話をしてました。
街中を見渡しても、日本人はおろか東洋人すらほとんど見かけることのない遠方彼方の国で、商売を始めようだなんて一体どんな了見なのか、と驚きを隠せませんでしたが、よくよく考えれば、見渡す限りトヨタやらスズキやらが走りまくっているわけなので、もうはるか昔から日本の先代はこの国で商売をやってきたのかなあ、とも感じました。
遠くにあったものが急に近くに感じられる瞬間
ワガドゥグに到着して程なくして清水さんの案内で訪れたのは、彼が長年ストリートチルドレンの調査を行なっている街角でした。宿泊していた空港近くのホテルから歩いていける距離で、西アフリカ初体験の僕はカメラをどうやってさりげなく回せるかを考えつつ、周囲の風景に注意を奪われていました。一部砂で覆われた薄いアスファルトの大きな道がありましたが、その周囲は土っぽくゴミも散乱していたり、崩れかけなのか建設中なのかよく判別できないようなビルが散見し、そんな中をアフリカ経験豊富な清水さんと宮嵜さんは、リラックスしながら闊歩して進んで行きます。
しばらく歩いていると、カカオ!と大きな声が向こうの方から聴こえてきました。見ると、巨漢のおばちゃんが道端で商売をやっていて、満面の笑みで清水さんの方を見つめています。どうやら清水さんの昔なじみで、すごく雰囲気の明るい、優しそうなおばちゃんでした。
おばちゃんの店で買い物をしていると、今度は後ろから別の男性が近づいてきて清水さんに声をかけます。このお兄さんも清水さんの昔なじみのようで、ふたりは何やら雑談を始めます。フランス語を解さない僕には、会話の詳細はしるよしもないのですが、どうやら2016年初頭にあったテロの話をしているようでした。よくよく話を聞いていると、おばちゃんが店を出している眼の前の高級ホテルでテロがあったときの話をしています。深夜に治安部隊と武装集団が銃撃戦を繰り広げ、多くの方が亡くなったそうです。電灯の柱や建物の壁に生々しい弾痕がいくつも残っていました。
※毎日新聞の記事 https://mainichi.jp/articles/20160116/k00/00e/030/212000c
ニュースなどでアフリカでテロ、みたいな話はよく報道されますが、日本に暮らす僕にとって、その事実がどれだけ危険で悲惨な出来事であっても、なかなか実感を持って触れることができないものでした。が、実際にこうやってテロの現場に遭遇してみて、意外なほどに現地の皆さんがなんというか、いつもどおりの暮らしを営んでいることにホッとしました。よくよく考えてみれば、「秋葉原通り魔事件」のとき僕は隣駅の御徒町辺りの会社で働いていましたし、そのとき通勤で使っていた地下鉄は日比谷線で、「地下鉄サリン事件」が起きた路線です。そんな事実を知りながらも、暮らしは淡々と平穏に営まれているわけです。
ただ、ワガドゥグで弾痕などにカメラを向けているときは、もともとブルキナでカメラを回すことには変な緊張感がともなうものなんですが、そのせいか、いつもよりも目の前の事実に対して敏感になっていたようにも思いました。身体の感度みたいなものは、ある種、遠くの方にあったものが急に近くに感じられるような状況でこそ、鋭敏になれるのかもしれません。敏感になると、今度は急にいままで何気なく過ごしてきた自分自身の暮らしの中で気づかなかったようなことにも身体が反応するようになる。異なる文化や慣習に触れることの身体のダイナミズムは、こうやって生まれるものなのか、と実感したものです。
ブルキナのドン
そんなこんなで、自動車やバイクの交通量も人の量も多く、景気良さそうに、たくさんの露店で賑わうワガドゥグの街中で、清水さんが歩き回るところをカメラで追いかけていたのですが、グラン・マルシェ(中央大市場)の近辺を歩いていると、あっちの方からこっちの方から「カカオ!カカオ!」と親しみを込めたような怒鳴り声が響いてきました。
なんだなんだと思いながらカメラを向けると、みな清水さんの知り合いで、清水さんを見つけると声をかけてくるみたいです。なんか買ってくれ、とお願いしてくる人も多かった(笑)。日本人はおろか東洋人もめずらしいのに、巨漢の清水さんが街を歩くと目立つのは間違いないので、一度訪れたらみんな覚えてしまうんでしょう。若きころは、暑さで疲弊しているときに、彼の友人が用意してくれた長椅子に寝っ転がって、ストリートのその辺で昼寝をして過ごしたりもしていたそう・・。
ただでさえ金持ってそうだと思われる日本人が、街の喧騒の中でコロコロと油断していたら、なんか悪い出来事に遭遇してしまうことが容易に想像できてしまいますが、そんなことを意にも解さず構わず昼寝。これはブルキナに何度も行っているから、という慣れの問題ではなくて、きっと肝っ玉が大きいんだと思います。そんな感じで、まったく飾らないから顔もひろい。
そもそもですね、こうやって安心して街中で人にカメラを向けたりできるのも、清水さんがこのエリアの人たちに顔が利くからであって、清水さんなしに撮影しようものならどんな目に合うか・・・。実際、清水さんが一緒にいても、金よこせ!とか、カメラを奪い取ろうとするフリをするとか、なんか絡んでくる若者もチラホラいました。でも、ホントに危険な目には遭うことはなく、清水さんが一緒だったので、まあまず大丈夫でした。それくらい清水さんは、あいつがやることなら仕方ない、みたいな空気を、きっと現地の人たちにも感じさせていたんだと思います。だから僕は、心の中で勝手に清水さんのことを「ブルキナのドン」と呼んでます(笑)
クルアーン学校へ
他にもワガドゥグで色々と撮影をしたのですが、もうひとつ、ムスリム(イスラム教徒)の子供たちが学ぶクルアーン学校を訪問したときのことも少し。清水さんと僕と、それぞれ1台ずつ運転手付きのバイクでニケツして、ガタガタと穴ぼこだらけの砂道をしばらく走っていると、黄砂とコンクリのレンガを混ぜ合わせて建設されたような建築物が散見してきて、その先がクルアーン学校でした。関係ないですけど、バイクの後ろにまたがっている清水さんを、後ろから僕もまたバイクに跨って撮影していたのですが、あとから聞くと清水さん、バイクにまたがったままウトウトしていたそうで、いやなかなか豪気というか・・。
そんな清水さんは、イスラーム圏に暮らす子供たちの社会を調査していて、クルアーン学校では、清水さんが学校の教師に聞き取り調査を行っている様子や、子供たちと交流する様子を記録しました。僕にも4歳になる娘がいますが、ブルキナで子供たちが元気に歌を歌っている姿を見ると、ここでもなんだかホッとしてしまいました。
以上、ブルキナファソの首都ワガドゥグを訪問したときの話でした。次回はブルキナの別のエリアを訪問したときの様子を綴ります。
※1 清水貴夫さんの専門は、文化人類学・アフリカ地域研究。広島大学教育開発国際協力研究センター研究員。アフリカの都市社会で進む「近代化」が、ムスリム師弟の成育過程に及ぼす影響について研究されてます。最近、清水貴夫・亀井伸孝編『子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で』(昭和堂、2017年)を出版。清水さんのウェブサイトは、http://shimizujbfa.wixsite.com/shimizupage。
※2 宮嵜英寿さんの専門は、境界農学、環境土壌学。一般財団法人 地球・人間環境フォーラム 企画調査部フェロー。宮嵜さんの活動については、また次回以降に触れますね。宮嵜さんのウェブサイトは、http://miyahide.wixsite.com/2016
澤崎 賢一
1978年生まれ、京都在住。アーティスト/映像作家。現代美術作品や映画を作っています。近年は、主にヨーロッパ・アジア・アフリカで、研究者や専門家たちのフィールド調査に同行し、彼らの視点を介して、多様な暮らしのあり方を記録した映像作品を制作しています。現在、撮影した映像素材を活かした新しいプロジェクト「暮らしのモンタージュ」(法人を2018年4月に設立予定)を準備中。
初監督作品であるフランスの庭師ジル・クレマンの活動を記録した長編映画《動いている庭》は、劇場公開映画として「第8回恵比寿映像祭」(恵比寿ガーデンシネマ、2016年)にて初公開され、その後も現在に至るまで、立誠シネマ(京都、2017年)、第七藝術劇場(大阪、2017年)、神戸アートビレッジセンター(神戸、2018年)で劇場公開、アート・フェスティバル Lieux Mouvants(フランス、2017年)などでも上映されました。
・映画《動いている庭》公式サイト:http://garden-in-movement.com/
2018年5月頃に池袋シネマ・ロサで映画《動いている庭》が上映されます。東京で上映されるのは、第8回恵比寿映像祭(2016年)のとき以来!詳細な情報はまた後日掲載しますので、ぜひご来場ください!池袋シネマ・ロサ:http://www.cinemarosa.net/
・旅先の写真をインスタにアップしています。
Instagram:https://www.instagram.com/kenichi_sawazaki/
・個人サイト:http://texsite.net/
・映像制作・記事執筆など、お仕事のご依頼なんなりと
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