『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』とリアルヒーローの真実の物語を描き続けてきた巨匠クリント・イーストウッド監督最新作にして新境地。
2015年に起きたパリ行きの特急列車内で554人の乗客全員をターゲットした無差別テロ襲撃事件。
極限の恐怖と緊張感の中、武装した犯人に立ち向かったのはヨーロッパを旅行中だった3人の心優しきアメリカ人の若者たちだった。なぜごく普通の男たちは死に直面しながら、命を捨てる覚悟で立ち向かえたのか!?
勇敢に立ち向かった3人の若者たちを始め、乗客として列車に居合わせた数多くの人が出演し、事件が起こった場所でも撮影に挑んだ究極のリアリティーを徹底追求した前代未聞のトライアル。
87歳を迎えても尚、新たなる挑戦を続けるトップランナーの最新作は、いつ、どこで、誰もがテロに直面してもおかしくない今、当事者の目線から今の時代を生きる私たちに問いかける真実と現実。
「この映画はごく普通の人々に捧げた物語」だと語るクリント・イーストウッド監督のオフィシャル・インタビューが到着しました。
クリント・イースウッド監督が、日本のために取材に応じたスペシャル・インタビューが到着!
3人のキャスティングから、演技論、実話に魅せられた理由、俳優活動までをたっぷりと語っています。
―映画化へのきっかけ、そして主役どのように当事者3人をキャスティングすることに決めたのですか?
CE:スペンサー・ストーンに送ってもらった本を読んだ時、この物語語は興味深いことだと思った。彼らの物語は。僕がかなり前からやっていること(実話の映画化)で、とても興味深く思えたんだ。それから、映画にすることに取りかかった。
3人にはテクニカル・アドバイザーを依頼した。彼らはサクラメントから何度かスタジオにやってきた。同時にこのプロジェクトを進めていて、オーディションで俳優が演じ、事件を演じることが出来た何人かとても良い役者たちを見ていた。でもある時、テクニカルな面の話し合いの中で、僕は彼ら3人に「自分たち自身を演じることについて、あなたたちはどう思う?」と言った。僕は何かを見逃していた。その可能性をね。僕はもっと小さい状況で、役者じゃない人を使ったことはある。多分、見た目がとてもよかったんだ。今回の場合、僕は彼らの顔を見た。彼らの顔はみんなとてもユニークで、とても好感がもてるから、この挑戦はとても面白いものになると思った。もし自分たちがこれをうまくやり遂げられたらね。そしてまた、もし僕らがそれを正しくやらなかったら、ひどいものにもなりえると感じた(笑)。そこから僕らはスタートした。僕はそれについて少しの間考え、そしてやっと「僕らはそれをやる」と決め、トライし、今ここにいるんだ。
――撮影中、事件を経験した3人は演技未経験者です。監督にとって、「演技」とは?
CE:演技は、多くの人たちが異なるアプローチをする。僕の時代のやり方では、僕はいろんな演技の本を読んだ。僕が駆け出しの若い役者だったとき、いろいろ違うテクニックを分析した。主に、自分自身にどうやって演技をするかを教える方法がある。でも、実際にそれをやらないといけないんだ。ほとんどの本は、自分自身に教えるためのものだ。演技は数学のようにやることは出来ない。数学ならまさにそのままで正確だ。でも、演技には何も正確なものはない。それは感情的なものだ。それは知的なアートフォーム(芸術形式)ではない。どちらかというと、内面に向いたものだ。自分自身を持ち出すことを学ぶ。試行錯誤しながら、コーチしてもらったりしながら見つけるんだ。みんなが違う方法でそれをやる。主に彼ら自身の心を通してね。それは考え過ぎることでダメになりえるから、演技についてかなり考えないといけない。でも、それをやり過ぎることでダメにしてしまうことにもなる。だから、その微妙なラインでやらないといけない。十分考えながら、それを分析し過ぎないようにね。
――本編には数多くの当事者たちが参加しています。どのような経緯でキャスティングされたのでしょう。
CE:今回のプロジェクトを始まって、3人の若者をキャストし、僕らは実際の場所に戻って撮影を始めることになった。何人かテクニカル・スタッフが、イタリアでいろんなロケーションのセッティングをしていた。助監督と、他のプロデューサーの1人は、事件の場にいた他の何人かの人たちに連絡をとり始めた。僕は彼スタッフにこう伝えた、「彼らに作品に出たいかどうか聞いてくれ」とね。彼らはみんな事件でショックを受けていた。でも、誰みが“イエス”と言ったんだ。そして、負傷したマークと妻のイザベルも加わることになった。すると、あの列車にいた本当の看護婦も事件が起こった場所に戻りたいと「オッケー、いいわ」と返事をくれた。その後、列車に入ってきた全ての刑事たちが作品に引き寄せられるように参加することになって、役を引き受けてくれた。彼らはみんなその場所に戻リたがった。現場では、僕とスタッフ以外はみんなその場にいた人たちだった(笑)。
――当事者たちが再び集まった現場はいかがでしたか。
CE:現場は素晴らしかった。その熱意がね。みんながやったことは基本的に(事件の)レプリカなんだ。何が起きたか、僕らが理解出来る範囲において撮影を進めた。現場では「あなたがしたことをやってくれ。あなたは何をしたの?」とたずね、僕らは彼らがそれをやったように撮影したんだ。だから、それは、自分の横に秘書がいて、助言を与えてくれるようなものだ。そして、みんなに自分たちのペースを与える。もしその中の一人が横になって、何か他のことをしたら、僕はそれをそのまま撮るんだ(笑)。でもみんながそれを楽しんでいた。多くのエキストラの人たちも楽しんでいた。事件はとてもひどい状況になりえた。犯人はとてもしっかり武装していた。ものすごく多くの弾薬を持っていた。2つの銃とひとつのナイフ、カッターナイフでね。それは今までで最悪の出来事の一つになりえた。もし、そのまま(犯行)が続くことが許されていたらね。
――あなたは先ほど、演技とは知的な芸術形式で、感情的な芸術形式とコメントされましたが、もう少し詳しく説明していただけますか?
CE:演技とは何か、あなたがクッキーか何かを作っているように、それを分析することは出来ない。自分の想像力を使って、その元にたどり着かないといけない。もしそれを数学的な形式でやろうとしたら、あなたの想像力は妨げられることになる。それは、物事に対してあなたが感じることであり、キャラクターが物事について感じることなんだ。そして、あなたはキャラクターが感じることを正確に再現しないといけない。今回の場合、彼らにはその問題はなかった。なぜなら、彼ら自身がキャラクターだった。つまり、その真ん中にいる人を飛び越えるんだ。それを説明するのは難しい。なぜならそれは正確な形式じゃない。もしそれがはっきりとした形式なら、説明するのは簡単だ。数学や多くのことを説明するのは楽だ。でもテクニカルなことは、「そういった電話をどうやって作るの?」と言えば、これをして、それをしてとなる。それはいつも同じなんだ。
――『アメリカン・スナイパー』や『ハドソン川の奇跡』、そしてこの映画は実際に起こった事件を基にしています。何が、あなたをフィクションから現実の話に移行させたのでしょう?
CE:なぜかはわからない。なぜ何かをするのかわからない。それはテクニカルには語れない部分だ。「あなたはなぜ何かをするの?なぜこれを今持ち上げるの?」と言えば、それは人がやることだからだよ。でもほとんどのことは、ある考えによって動かされている。
3人の場合は、僕は彼らに頼っていた。彼らは映画のテクニカル・スーパーバイザーになる代わりに、再び彼ら自身になったんだ。少なくともトライすることは理にかなったことのように思えた。同時に、常にバックアップしていた。もし彼らがひどいことになった場合に備えてね。彼らがどうなるか、彼らが何をするか全くわからなかった。最悪の場合、現場に戻って、プロの役者を使ってもう一度撮り直さないといけなかったし、それをすることもありえた。でも、僕にとってトライしないことはありえないことだった。
――テロ事件のバックグラウンドについてお伺いします。ごく普通の人々がテロ攻撃を受け、とくにアメリカはもっと極化していて、お互いを憎み合い、ヘイトクライムすら起きています。こういう状況は、もっとテロ攻撃を生み出すことになると思いますか?
CE:僕がそれを心配しているか? みんなが心配していると思う。だからこそ、このストーリーを語る価値があるんだ。なぜなら、それは、悪い状況についてだけど、良いエンディングがあるストーリーだったからだ。この数年、僕たちが見てきた多くのことには、良いエンディングがなかった。そして、多くの場合、全くわからないんだ。ただ道を歩いていたら、誰かが突然トラックで轢くと決めるんだ。一体どうするんだい? 間違ったときに、間違った場所にいただけなのに…。
今回の場合は、彼らは、正しいときに、正しいことをやった。彼らは、なぜそれをやったのかわかっていなかった。彼らはただやっただけだ。それが興味深いところだ。何かの後ろに隠れるか、飛び出て何かをやるかのどちらかだ。どちらも危険だ。でも、1つは、少なくとも何かをトライしようというものだった。誰もが、そういう能力があればいいのにと思う。そして、多分、そうするかもしれない。実際にやってみるまで、決してわからない。実際そういう状況になるまでは。彼らの場合、彼らは知らなかったんだと思う。
スペンサー・ストーンが立ち上がって、300の銃弾ととても頼りになる軍用の武器とバックアップ用のピストルとナイフを持った男に、まっすぐ走って向かって行ったとき、それを紙に書こうとすることは不可能だ。でも、それは可能だったんだ。それが、これを語るのに興味深いストーリーにするんだよ。何かとてもひどいことが起きる寸前だった。犯人にとってはうまくいかなかったことは、ストーリーの興味深い側面だよ。もし、それが他の誰かだったら、彼はそれを出来たかもしれない。わからないよ。彼らが立ち上がってそれをやるなんて、誰もわからない。僕たちの誰も、どういうことが出来るかわからない。多分、ほとんどの人々は、当然ながら、テーブルの下や、椅子の後ろに隠れているだろう。それも懸命なことだ。
でも、スペンサーは立ち上がって、まっすぐ走って行ったんだ。最初、僕は彼に尋ねた。「当時、あなたは何を考えていたの?」と。彼は「なにも」と答えた。彼は考えていなかった。彼は、彼が引き金を引いて不発に終わったとき、彼は死んだと思った。でも、それから、不発だったことに気づき、走り続けた。もし不発でなければ、もちろん、彼は生きていなかっただろう。
――犯人の銃が不発だったことをどう思いますか?それは奇跡ですか?
CE:わからない。誰にもわからないよ。違うアングルから考えることは出来る。それは、彼に用意された運命だったんだ。または、多分、そこには何か崇高なる力か何かが「(死ぬのは)今回ではない」と言ったのかもしれない。みんなが多分、違う解釈の仕方をするだろう。僕はただ、不発と解釈した。でも、多分、運命が人生においてある方向に導くのかもしれない。振り返るとね。僕の人生のある時を振り返ると、僕は助けられたのかもしれないと思える出来事が何度かあった。振り返って、それを考え直してみるとね。子供の頃にも、ひどいことになりえたいろんなことがあった。そういうものなんだ。
――子供の頃のあなた自身の経験と、彼ら3人の子供時代に共感を覚えましたか?
CE:彼らの子供時代に?そうだね。それはありえたよ。僕は、経済状態があまりよくない時代に育った。特に、子供の頃は経済がとても悪かった。だから、僕の両親はよく引っ越した。僕はいつも違う学校にいた。だから、僕は30歳代、40歳代までずっと、決まったところに留まることがなかった。僕は、誰のことも2、3ヶ月、6ヶ月以上は知らなかった。それで、物事に違うアプローチをすることを学んだ。
彼ら3人はみんな同じ近所に住んでいた。彼らは崩壊した家庭から来ていたり、いろいろと困難なことがあったとしてもね。彼らは、彼ら自身でお互いサポートしあうことが出来たんだ。グループの中でね。だからみんなが違うんだ。違う時代だし。でも、みんなが運命と、そういう風に取り組むんだよ。なぜ、ある時、ある場所に行くことになるのか?
僕はロサンゼルス・シティ・カレッジで、1単位15ドルでビジネス・アドニミニストレーション(経営管理学)を勉強していたが、どこへ向かっているのかわからなかった。誰かが僕に「一緒に演技の授業に行かないかい?」と誘った。それで「ノーだ。演技の授業には行きたくない。一体それはなんだい」と返事をした。でもその後、ついに演技クラスに行き「これは面白そうだな」と思ったんだ。だから、どこへ行く着くことになるのか、決してわからないものなんだ。その夜、休みを取って、「ノー。そこには行きたくない。疲れたんだ」となっていたかもしれない。そうしたら、人生全体が変わっていただろう。誰もがそういう経験を持っているものだと思う。「なぜ、あのストップサインで止まって、あそこでは止まらなかったのか?」と。そしたら、他の車にぶつかっていただろうとかね。それは、誰もが感情移入出来ることだよ。でも、彼らのように銃に向かって走っていた誰かに感情移入出来るか? それをするのはとても大変だね。
――あなたは、彼ら3人が、ヨーロッパ旅行で楽しんでいる姿をかなり長く描きました。ナイトクラブで踊ったり、飲み過ぎたりしています。それは、ミレニアルが深夜に楽しむリアルな生活です。なぜ、彼らがヨーロッパで楽しんでいるところ丁寧に描いたのでしょうか?
CE:彼らは楽しんでいるんだ。
それに何か重要な意味があるかどうかはわからない。1人は、何かを再び体験しようとしている。なぜなら、彼(アレク)にはドイツとの縁(ゆかり)があるからだ。スペンサーとアンソニーの2人は「行こうよ。ヨーロッパに一度も行ったことがないんだ」という感じだ。多くの人々、多くのアメリカ人が(彼らのように旅行する)ことをするのを知っている。ヒッチハイクをし、ヨーロッパ中を周り、いろんな人々や、いろんな社会を見たいというのはとてもよくあることだ。その過程では、ひどいときを過ごすことになるとは思わない。または、行かないなんて思わない。ただ、行くんだ。なぜなら、平和な国だから、他の社会がどういうことをやっているのか見に行こうとなる。
彼ら3人も同じことをやっていた。お酒を飲んで、何人かの人々に出会う。出来れば、魅力的な女性たちともね(笑)。彼らはただ男の子でいるだけだ。でももし、彼らが何かを計画して行っていたら、誰かが、銃撃戦があると言えば、多分彼らは「家にいよう」と言っていただろうね。
――あなたが今興味を持っていらっしゃるトピックとかテーマはありますか?それを教えていただけますか?
CE:他の人々を分析すること。それが僕の仕事だよ。僕はただ、それについて考える。この映画のスペンサーのキャラクターみたいにね。彼は、若いときに宗教的なトレーニングをいくらか受けた。だから、彼は祈りの言葉を考えた。本作の後半で、スペンサーはセント・フランシスによって書かれた祈りの言葉を話す。彼は多分、僕はそうだろうと思っているだけなんだけど、自分の行為を彼自身に説明しないといけないんだ。
――つまり、あなたは、実話に基づいたストーリーにもっと興味があるんですか?
CE:その通りだよ。
――あなたはアメリカの新しい世代や未来についてどうお考えですか?
それはタフだ。今はタフだね。アメリカだけじゃなく世界中においてね。その状況はね。こういった状況は起こりえるし、僕らがパリで撮影しているとき、似ている状況があった。スペインでひどいことが起きていた。それとカンヌやいろんな場所でね。僕らは異常な時代にいるように感じる。それを考え過ぎたら、落ち込むことになる。でも前に進まなければならない。この出来事は、そういったことにとても素晴らしい結末をもたらしたし、それは語る上で価値のあるものに思えるよ。
――今後の俳優活動はどうですか? 近い将来、演技することは?
CE:多分ね。いやあ。もし良い役が巡ってきたら、可能性はあるよ。でも、良い役というのはあまりたくさんはないんじゃないかな?たまに何かが巡って来ることがある。だから、僕はいつも作品を探している。でも、僕はゆっくりやっている。僕は歩いていって決断を下す。走っていく必要はないんだ。
今を生きるすべての人々に捧げられた『15時17分、パリ行き』は、3月1日(木)日本公開となる。
■ストーリー
2015年8月21日、アムステルダム発パリ行きの高速列車タリスが発車した。フランス国境内へ入ったのち、突如イスラム過激派の男が自動小銃を発砲。乗務員は乗務員室に逃げ込み、554名の乗客全員が恐怖に怯える中、幼馴染の3人の若者が犯人に立ち上がった――。
原題:『THE 15:17 TO PARIS』
監督:クリント・イーストウッド(『アメリカン・スナイパー』『硫黄島からの手紙』『ハドソン川の奇跡』)
脚本:ドロシー・ブリスカル
出演:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン
撮影:トム・スターン/衣装:デボラ・ホッパー/編集:ブルー・マーレイ/美術:ケビン・イシオカ
原作:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、そしてジェフリー・E・スターン著の「The 15:17 to Paris: The True Story of a Terrorist, a Train, and Three American Heroes」に基づく。
2018年/アメリカ/英語/配給:ワーナー・ブラザース映画
©2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT INC.