フランスの監督として知られるが、出身はドイツ。戦前にドイツで映画を撮り、のちにフランス国籍を取得するもののユダヤ系ゆえにドイツ軍のパリ占領後は、アメリカに逃れてハリウッドでも秀作を残した。それがマックス・オフュルスである。
 いくつもの国で映画を撮りならがらも、彼の映画に詳しい人はそう多くはなさそうだし、そもそも日本での公開作も少ない。生涯に20数本(短編、アンクレジットを含む)を製作しながら、日本で劇場公開されたのは、わずかに8本なのである。
 例えば、ダグラス・サークやプレストン・スタージェス。真の天才なのに近年まで正当に評価されてこなかったこの二人の監督に通ずるものを感じるのだが、それでもサークは16本、スタージェスは15本劇場公開されたことと比べるとやはりあまりにも少ない。

 オフュルス好きは誰もが、流麗なカメラワークのことを語る。おそらく彼ほど流れるようにカメラを動かしながらあまりに自然で優雅な動きによって、カメラの存在さえも意識させないような監督は他にいないだろう。
 そのうえに緻密なストーリーを重ねてゆくのだから、オフュルス作品に凡庸な作品も駄作もない。これまでソフト化されなかった作品を収めたDVD-BOXセットを観て、あらためてその才能に感嘆する。
 DVD-BOXセットは3枚組が二つ出ているが、今回取り上げるのは最初にリリースされたもの。古い作品からでなく、後年のものから逆に辿っていくことにしよう。

ハリウッドで撮った“主婦ものノワール”作品、『無謀な瞬間』

 1949年に製作した『無謀な瞬間』は、アメリカに逃れたオフュルスがハリウッドで撮った作品。ただし、どうしてもハリウッド・システムに馴染めなかった彼はその後、フランスに帰って『快楽』(52)や『歴史は女でつくられる』(56)など、後期の代表作といえる作品を残すことになる。
 この作品は、戦後の中産階級の上あたりの家庭の主婦を主人公にしたフィルム・ノワールである。「主婦ものノワール」などというジャンルがあるわけではないが、そういう変わった作品でもある。

海岸で発見した娘の情人の死体をボートで沖に運ぼうとする主婦、ジョーン・ベネット。

 ジョーン・ベネット演じる主婦が郊外の自宅から80キロ離れたロスにクルマを飛ばす。17歳の娘の恋人らしき中年男と会って交際をやめるように勧告する目的だったが、逆に手切れ金を要求されてしまう。
 その夜、ベネットの自宅そばのボートハウスまでやってきた男は、娘のビーと逢い引きするが、ひょんなことから事故死してしまう。翌朝、海岸で男の死体を発見したベネットは、娘に影響を及ぶことを怖れて死体の隠蔽工作をするのだが、ここからどんどん歯車が狂っていく。
 娘が男に宛てたラブレターを持っているというジェームス・メイスン扮するチンピラから脅迫を受けるが、次第にメイスンのほうがベネットに恋していくあたりは予想外の展開となる。こうしたストーリーが、不在の夫、父や娘と息子らとの日常(=家庭)のなかで緊迫感をもって展開する。

 オフュルスのほとんどの作品に言えることだが、彼のカメラは「主人公」なりのひとりの人間を追うのではなく、そこに他の人間を交差させる。主人公をさえぎり、人が手前を出入りし、カメラはそれを縫って動いていく。
 ほとんどの映画は「主人公」を浮き立たせるために「周囲」を排除する(ヒッチコックの『めまい』でキム・ノヴァクが最初に登場するシーンは、周囲の明度を落として見事にノヴァクを浮き立たせている)が、オフュルスはしない。
 「現実」から引き出した「主」になるひとつのものをフィルムに閉じ込めるのではなく、「周囲」の現実そのものをスクリーンから溢れ出させてしまうのだ。

 ロスの安ホテルの階段から中年男が下りてきて、反対側のバーで待つベネットに向かうシーン。何気ないシーンだが、カットせずに男の登場からバーに消える背中までを「ごく自然に」撮ってしまうことに驚く。よく観れば緻密な計算のうえに成り立ったカメラワークで、ふつうの映画文法では、ここはカットして繋ぐだろう。そんなシーンがどの映画にもいくつも出てくるのだから、オフュルス作品は快楽的でありながら、観る側に緊張感を強いることになる。

娘が情人に送ったラヴレターを突きつけられて呆然とするベネット。

 演出の細やかさは比類ない。ベネットが出張の夫に怒りにまかせた手紙を書くが、彼女はそれを破り捨てて書き直す。このときカメラは便箋を真俯瞰で撮るが、白い便箋に筆圧の跡が残り、いかに彼女が怒って書いていたかを観客に伝えるのだ。その上に彼女は穏やかな新しい文を書く。
 物語は危機的状況に陥ってゆくベネットを、脅した側のメイスンが救うのだが、その終幕が哀切きわまりない。トッド・ヘインズの『エデンより彼方へ』(02)に描かれたサバービアのうつろな幸福に潜む悪夢の原型がここにある。

イタリアで製作した初期の大傑作『永遠のガビー』

モダンなタイポグラフィ。ガビ−が着るサイドに大きなボタンが付いた1930年代特有のリゾート・パンタロン。

『永遠のガビー』(34)は、イタリアで撮った作品であり、後年、スター女優となるイザ・ミランダのデビュー2作目、初主演作品である。
 オフュルスの初期の傑作と言われながら日本では未公開。長くソフト化もされなかった幻の作品だ。しかも公開当時は、オフュルスの名はアンクレジットだったのだから驚く。
 まず、30年代のオフュルスはたいそうなモダニストであったことを確認する。クレジット・タイトルのアールデコ風タイポグラフィの素晴らしさ。当時の最先端の広告に使われたタイポがそのままここに現れる。このあたりのモダニズム感覚はオフュルスが、あるいはエルンスト・ルビッチが一番だったのではないか?(フリッツ・ラングはモダニズムと神話回帰に揺れる)

売り出し中のガビーのポスターが次々と刷られてゆく。

 女優ガビーを大々的に売りだそうという映画関係者とマネージャー。輪転機はガビーのポスターを刷り、監督はセットに到着する。ところが肝心のガビーが見あたらない。セットに集まる人々の間を縫ってガビーを探す助手を、カメラも一緒に人々を縫って疾走するシーンがすでに奇蹟的なロングテイクである。
 
 さらにマネージャーが彼女を捜すシーンが傑作だ。ホテルのいくつもの部屋を通り抜けるところをカメラがそのまま壁を抜けて平行移動するのだ。すべてが緻密に作られたセット。 
 浴室で倒れたガビーを発見して、病院に運ばれ診察台に横たわるガビーに天井から麻酔用の大きな筒が降りてきて彼女の顔を覆い、場面は暗転。ガビーの回想に移る。

ボート遊びをするガビー。一目惚れしたロベルトの父であるレオナルドが車から彼女に声をかける。

 垢抜けないガビー=イザ・ミランダが歳とともに華麗に変身してゆくさまは圧巻だ。彼女はつねに男を虜にし、しかも本人も相手を愛したつもりが、どうにも相手を破滅に追い込んでしまう。それを10代の体験からずっと辿ってゆくという趣向だ。
 ロベルトという伯爵家の青年にパーティに招待されたときの階段のシーン……オフュルス作品はとにもかくにも「階段」なのだ!……やはりカメラはパーティの人々の間を縫ってゆく。
 そしてロベルトの母(ロシア出身の女優タチアナ・パヴロア)と懇意になり、その家に半ば住むようになるガビー。久々に出張から戻り、彼女を見て一目惚れしてしまうロベルトの父レオナルド。このときも話は階段で展開されるのだ。

脚の不自由なレオナルドの妻は、夫の浮気に気づき車椅子で階段を......

 ロベルトの母は足が不自由で車椅子生活。彼女と湖畔に行ったガビーは一人でボート遊びに興じる。そこに仕事から戻ったレオナルドがクルマから声をかける。進行するクルマとボートを交互に撮るシーンの美しさ! 
 しかもこのシーンの手前では、カメラがガビーをドリー・アウトしながらズームインする、いわゆる「めまいショット」が使われる。これはカメラが退きながら対象をクローズアップするため、人物の大きさは変わらないが、風景だけが変化したような奇妙な感覚を覚えさせる。
 この技法を1934年に使っていたことは驚きであり、この作品がその年のベネチア映画祭で最優秀技術賞を取ったことが頷けるシーンでもある。

タイポグラフィからファッションにまで通底するオフュルスのモダニズム美学

 ガビーのファッションがまた洒落ている。ポケットに大きなボタンが四つ付いたパンタロン姿は30年代のリゾート・ファッションの典型で、それはパリで写真館を営んだセベルジェ兄弟の30年代のリゾート・ファッション・スナップを見ればよくわかることだ。
 結局、レオナルドの恋は歩けぬ妻に知られ「階段」での悲劇を呼び起こす。家にいられなくなったレオナルドとガビーは列車であてどない旅に出るが、レオナルドは経営している会社を放ったらかし。数ヶ月ぶりに復帰するも、役員会で解任され横領の罪で4年の刑に。だが、その役員会が開かれている、まさにそのときにガビーは彼にパリに発つこと、そして別れを告げる。

 数年後、パリで成功したガビーのプレミアショーの日。会場ロビーでみすぼらしい身なりをした男が展示された数々のガビーの写真を感嘆して見て歩く。このときのレオナルド(メーモ・ベナッシ)の演技が素晴らしい。しかもオフュルスの魔法のようなカメラは自在に動いてまったくカット無しで彼の歩き回る様子やアップを捉え、警備員が追い出すところまでのロングテイクとなる。
 これだけでも充分に驚きだが、追い出されてカット!となるのが普通なのに、その場にバッとプレミア上映を見終えた人々が溢れるところまで撮るとなると尋常ではない。「ワンシーンワンカット」という映画用語があるが、これは「ツーシーンワンカット」なのである。

ガビーに恋する貴族然としたレオナルドだが、横領の罪で服役、出所後は右の写真のように哀れな姿に。

 このクライマックスで映画は終わらない。オフュルスはいくつものクライマックスを用意する達人なのだから。
 ガビーは最後にロベルトと再会する。二人は森を散歩しながら、出会いから近況に至るまでを回想するが、ここでもカメラは二人と一緒に動き、止まり、アップを写し、また引いて一緒に動き出し、マネージャーが声をかければそちらにパンしてまた二人に戻る。まったくカット無しの驚異のシーンとなる。
 のちに長回しで有名になる監督、あるいは作品はいくつもあるが、長回しを意識させなかったオフュルスこそが最高の長回し(ロングテイク)の天才ではなかったか。
 筆者はカットによるモンタージュこそ映画の醍醐味と思っているので安易に長回しを肯定しないが、オフュルスのように「自然」に曲芸じみたことをやってのけてしまうと感嘆するほかない。

 オフュルスの人物造形が面白い。まず、出てくる人物がやらたらとモノクル(片眼鏡)をかけている。ボールハットに厚手の大仰なウール・コートを着て片眼鏡をかけたマネージャーなど、どう見ても20年代のベルリン風情であって、イタリア風にはまったく見えない。そう、ドイツ出身のオフュルスのドイツ性がファッションから造型、工業映像にいたるまで、極めてドイツ的に露出してしまっているのだ。発せられる声がイタリア語というだけで。

右のガビーのマネージャーはモノクル(片眼鏡)を。左の映画会社のボスもモノクルをしている。

洒落たロマンティック・コメディ『笑う相続人』

 ならばドイツで製作した映画『笑う相続人』(33)に話を移そう。
 オフュルスが映画界に進出したのはアナトール・リトヴァク監督作品に脚本家として参加してから。そのリトヴァクはウクライナ出身のユダヤ系で1923年から33年までドイツで監督業をしてフランスへ、そしてのちにアメリカに渡った。オフュルスとリトヴァクはドイツのユダヤ人監督の経歴の典型であり、フリッツ・ラングもまた同じ轍を踏んでいる。
 『笑う相続人』は、ライバル同士のワイン醸造家の息子と娘の恋のさや当てが、洒脱なロマンティック・コメディとして綴られてゆく。主人公の、小男だが美男のハインツ・リューマンは、『ガソリン・ボーイ三人組』(31)や『狂乱のモンテカルロ』(31)といった大ヒットしたオペレッタ喜劇映画に出演した人気俳優。彼の演技が冴えていて、その表情だけで笑えるところも多い。

『笑う相続人』のポスター。右は列車で商売敵が出会うシーン。ここから二人の恋が始まる。

 リューマン演ずるフランクは大醸造家の甥で宣伝マンでもあるが、その醸造家の死に際しての遺言で1ヶ月間、酒を飲まないことを条件にすべての遺産を相続することになる。それを知った親族らの陰謀や、ライバル会社の令嬢による引き抜きなどの騒動が、テンポ良く綴られる。
 ひとつのエピソードから尻取りのように次のエピソードに繋がれる話の展開は、心地よい。

 フランクは遺産相続者だが、列車で知り合ったライバル会社の社長令嬢ギーナは、彼のそのときの自己紹介である宣伝マンと思い込み、自社に引き抜こうとする。フランクもギーナのことを想っているが、醸造家の後継社長となることを彼女に言えず、そのままライン川で初出航の船での両者の宣伝競争となる。
 奸計をもちいてギーナを出し抜いて、ワイン・サービスを一手に握ったフランク。その船上で、いきなり乗客たちが歌い出してドイツ特有のオペレッタ喜劇映画になるところが当世風。ギターを持つ少年は完全にワンダーフォーゲル運動のスタイルである。

ラストは遺言を守れずにギーナの前でワインを飲んでしまったフランクだが......

 ラストはモダニズム様式建築の禁酒療養所でのフランクとギーナの騒動となるも、ハッピーエンド。ワイン畑やライン川などの土着的光景とオフュルス好みのモダニズム様式が入り交じったこの作品は、ワイマール末期のベルリン(製作はベルリンにあったウーファ映画である)の様相……すなわちのちにナチが公式化する郷土愛(ハイマート)と、都市的モダニズムという対立概念の併存……そのものの視覚化ともなっていた。
 喜劇はテンポである。この作品でもオフュルスは緻密に練られた脚本をもとにシーンのカットも素早い。間然するところがない、とはこういう作品にこそ当てはまるものだ。

 マックス・オフュルスは1957年、54歳で心臓病で死去した。
 日本では『忘れじの面影』(48)や、『輪舞』(50)、『快楽』(52)などが廉価DVDやレンタル化されている。BOXセットまではと思う方は、まずは上記作品をお薦めしたい。ともかく字幕を追うよりもカメラを追うことの「快楽」を念じつつ。

監督: マックス・オフュルス
形式: Black & White
言語: 英語
字幕: 日本語
リージョンコード: リージョン2
ディスク枚数: 3
販売元: ブロードウェイ
発売日 2012/5/03
時間: 252 分

長澤 均(ながさわ・ひとし)
1956年生まれ。グラフィック・デザイナー/ファッション史家。1981年に伝説のインディペンデント雑誌『papier colle』(特集=ナチズム)を創刊。林海象監督の1987年の『夢見るように眠りたい』ではコスチューム・ディレクション(アンクレジット)を担当した。CASIOのデータバンク・シリーズなどのネーミングから川崎市市民ミュージアムでの「BAUHAUS」展のデザインなどデザインの範囲も広い。
著書に『流行服〜洒落者たちの栄光と没落の700年』、『昭和30年代 モダン観光旅行〜絵はがきにみる風景・交通・スピードの文化』、『BIBA Swingin' London 1965-1974』、『パスト・フューチュラマ〜20世紀モダン・エイジの欲望とかたち』、『倒錯の都市ベルリン〜ワイマール文化からナチズムの霊的熱狂へ』などがある。2016年に400ページを超える洋物ポルノ映画の歴史を綴った大著『ポルノ・ムービーの映像美学〜エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』を上梓、すでに重版となって好評である。