cinefilインタビュー:
新宿ゴールデン街に集う映画人・文化人を見続けてきた俳優、外波山文明

劇団「椿組」を主宰し、新宿・花園神社で32年間、野外劇を続ける外波山文明さん。
テレビ、映画などに数多く出演する一方、新宿ゴールデン街で「クラクラ」を経営し40年以上、新宿ゴールデン街に集う映画人・文化人を見続けてきた俳優。
強面のイメージのある外波山さんに少し緊張しながらのインタビューがはじまりました。

外波山文明
1967 年演劇集団「変身」入団。街頭劇、野外劇を経て 71 年「はみだし劇場」旗揚げ。 86 年新宿花園神社にて立松和平作「南部義民伝」野外劇始める。椿組主宰。 夏の新宿花園神社野外劇と下北沢の劇場でのプロデュース公演を中心に他の劇団への客演 映画・テレビドラマ・アニメ声優等多方面で活躍。新宿ゴールデン街の理事も務める。

■映画体験

僕は、出身は長野県木曽の南木曽町の出身なんです。
小さい頃は、小学校や中学校の体育館に来る移動映画大会で映画を観たり、正月やお盆に近くの中津川という町で2本立て、3本立ての映画を観たりね。
片岡千恵蔵、市川右太衛門、中村錦之助、大川橋蔵なんかが当時のスターでした。
当時のフィルムは雨が降っているようなザーザーしたものも多くてね(笑)
そんなこんなで、映画が大好きになって、高校時代は、年間100本くらい、近くの南木曽町の映画館で観てました。

芝居もね、好きでした。村祭りに来る「どさ芝居」などもよく観に行って。神社の境内の芝居とか、ワクワクしましたね。普通のおじさんたちが、舞台にたって大見栄切って、そりゃあ凄い迫力で。

■ 上京~新宿ゴールデン街

上京は1967年、20歳の時です。成子坂に部屋借りて。
ゴールデン街は、新宿区役所の近くの「小茶」っていうお店、よく行ってました。
ここにたむろしているのが映画人から演劇人、いろいろと面白い人、集まってましたね。
毎晩、呑み歩いて、朝の5時頃には大体「ゴールデンゲート」というお店にみんな集まって、まだ呑むか、なんてね(笑)。
長谷川和彦監督、若松孝二監督、高橋伴明監督、田中小実昌さんとか、戸井十月さんとか、野坂昭如さんとか、いろんな人いたなあ。映画人や文学の人とか。

僕が通い始めた頃の新宿ゴールデン街は、ちょっといかがわしい店も多くてね、ぼったくりもあったし。
きちんと呑める店は10軒くらいしかなかったかな。
70年過ぎたあたりから、役者や作家が店をはじめて、女房にやらせたり、20~30軒くらいに増えて、そこを梯子すると大体、知り合いに会っちゃう。
今みたいに280軒あって、誰がどこで呑んでいるかわかんないようなことなかった。
今はね、新宿ゴールデン街って50メートル四方の中に280軒も店があるんですよ。

■ 1960年代後半~70年代、元気のあった新宿ゴールデン街

上京してはじめて観た演劇は唐十郎さんの「状況劇場」、紅テント。文学座や青年座もいろいろ観たんだけど、やっぱりアングラ芝居がはるかに面白くて。「状況劇場」や寺山修司さんの「天井桟敷」とかね。
で僕が入った劇団が、「演劇集団変身」というアングラ劇団で、3年位裏方やってました。そのあと、「赤い花」という劇団にも参加して、新宿体育館や井の頭公園、上野の不忍の池とかで野外劇したりね。
24歳の時にトラック買って、東北の大船渡で「はみ出し劇場」を旗揚げしたんですね。太平洋側をトラックで旅して、演劇したりね。

そんなことがNHKのドキュメンタリーになって、新宿ゴールデン街で呑んでいて僕を見知っていた神代辰巳監督の目に留まって映画出たりね。
その頃に黒木和雄監督の「竜馬暗殺」に声かけてもらったり。新宿ゴールデンつながりです。原田芳雄さん、石橋蓮司、松田優作とか京都で合宿、呑みながら撮影して、たのしかったなあ。
まあ、新宿ゴールデン街で呑む役者とかは、大スターと言われる人たちよりもちょっと癖のある、ATG映画に出ているような人が多かったのかなあ。

ATG映画ってのは、日本アート・シアター・ギルドっていってね、1968、9年頃から75、6年頃まではいろいろ面白い映画つくってて。新宿に会社あったこともあって、ゴールデン街に役者たむろしてたりね。
ATGは役者を大切にするところでね、小さな役でも名前をクレジットに載せていたりとかしてましたね。
ロマンポルノやピンク映画に若い監督たちがどんどんでてきて撮りはじめる、混沌としてたけど、元気があった時代かなあ。
新宿騒乱やあさま山荘なんかの事件があって、左翼をはじめとする運動に批判が高まって、経済も変わっていく1977、8年くらいまでの間の一時期の新宿ゴールデン街は面白い時代でしたね。

そんな時代を経て、主宰する「椿組」では、新宿・花園神社で野外劇を行っていて。
1985年からだから、もう32年になりますね。

■ 今の若い役者さんたちに

なんでもやることですよね。場数踏むというか。
で、役者に関わらずなんだけど、とにかくね、外に出て人と会うこと。行きつけの呑み屋でも、打ち上げでも、誰かと出会うでしょ。
そこから何かがはじまることってよくあると思うんですよ。
あと、若いんだから、甘える、ということもね大切。媚びる、ということではなく、出会った人に「役者やってます。今度、何かあったら・・」なんてね。

僕ね、1974年に野外劇をやった時にタイトルを三國連太郎さんに書いてもらって、イラストは黒田征太郎さんに描いてもらってるんです。
これもね、新宿ゴールデン街で知り合ってお願いしたから。それから43年間、黒田さんに椿組の芝居のチラシ・ポスターのイラストを描いていただいている。

どこでどう人と出会うかつながるか、出会ったチャンスをどうするか、全部、人生、つながっていきますよ。

■ 俳優として生きる

来た役はあんまり断らない。僕で、ということでご指名いただいているんだから、テレビ、舞台、映画、一生懸命やります。
映画でも規模の大きさはあんまり気にしないです。若手監督のインディペンデント?もよく依頼がありますね。僕たちも自分たちで舞台つくっているんで、その大変さはとてもわかります。
監督と役についてきちんと話せるような現場がいいですね。
「演じる」ということを監督やスタッフと一緒につくっていける現場であれば、作品の大きい、小さいはあんまり関係ない。


ここまで俳優としてやってこれたのは、新宿ゴールデン街に「クラクラ」という店があったからだし、女房や家族がいたからだと思います。
本当に迷惑もかけたし、悪いこともしてきたけど、あ、犯罪ってことじゃなくて(笑)。

生まれ育った土地の原体験、野外での劇が、今でも毎年やれているっていうのは、俳優として生きてこれた、ということは、とても幸せなことだなあ、って思います。

後記:
鋭い眼光で少し怖い人というイメージが強かった外波山文明さんでしたが、インタビュー中はとても優しく笑う人でした。
役者であることをぶれずにまっすぐ生きてきた外波山さんのお人柄が感じられる1時間のインタビュー、ありがとうございました。

最新作
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2017年12月9日(土)~12月22日(金)公開