フランソワ・ロラン・トリュフォー
(François Roland Truffaut、1932年2月6日 - 1984年10月21日)
フランスの映画監督。
ご存知の通りヌーヴェルヴァーグを代表する監督。
まずは、若かりし頃のインタビューの様子ですー
2016年にも『ヒッチコック/トリュフォー』で話題になりましたね。
では、年代順に監督作品を振り返ってみましょうー
監督作品
ある訪問(短編、自主制作) Une visite(1954年)
あこがれ(短編) Les Mistons(1958年)
水の話(短編) Une histoire d'eau
(共同監督ジャン=リュック・ゴダール、1958年)
この作品は、67年前後に、険悪となるトリュフォーとゴダールが二人が共同でメガホンを取った短編作品。
57年に評論家から転身し、自らの製作プロダクションを興したばかりのトリュフォーは、パリでの大洪水を即興で映画にしようとカメラを抱え撮影に乗り出すが、結局まとめることはできなかった。この、そのままになっていたフイルムの編集をゴダールが買って出て、二人の共同監督作としたのが「水の話(UNE HISTOIRE D'EAU)」である。滞在していた地方からパリに出向こうとして、おびただしい水の流れに実際に立ち往生してしまう二人の主演者の生の姿(まだ初々しいブリアリ、はつらつと愛らしいディム)、そこから生まれる真の感情が心浮き立つ感興をもたらす。トリュフォーの優しく流麗な映像に、ゴダールが破天荒で軽快なリズムとジャズ・センスを与えた珠玉の一編と言えるだろう。
大人は判ってくれない Les Quatre cents coups(1959年)
長編第1作となるこの作品で、一躍脚光をあびる。
そして、1959年はゴダールの代表作となる『勝手にしやがれ』が発表され、さらに前後してシャブロルの『いとこ同志』(1959年)、ロメールの『獅子座』(1959年)、リヴェットの『パリはわれらのもの』(1960年)などが続々と公開されたことから、ヌーベルヴァーグの一派が高らかに映画界に登場する年にもなった。
カンヌ国際映画祭
1959年 監督賞『大人は判ってくれない』
1959年 国際カトリック映画事務局賞『大人は判ってくれない』
ピアニストを撃て Tirez sur le pianiste(1960年)
突然炎のごとく Jules et Jim(1961年)
アントワーヌとコレット/二十歳の恋
L'Amour à vingt ans / Antoine et colette(1962年)『二十歳の恋』の一篇
五カ国の俊鋭監督がオムニバス形式で、それぞれの都市の青春を描く競作集。
トリュフォー以外は、下記の4人が参加した。
レンツォ・ロッセリーニ
石原慎太郎
マルセル・オフュルス
アンジェイ・ワイダ
柔らかい肌 La Peau douce(1964年)
華氏451 Fahrenheit 451(1966年)原作 レイ・ブラッドベリ「華氏451度」
黒衣の花嫁 La Mariée était en noir(1968年)
夜霧の恋人たち Baisers volés(1968年)
アカデミー賞
1968年外国語映画賞ノミネート
全米映画批評家協会賞
1969年 監督賞『夜霧の恋人たち』
暗くなるまでこの恋を La Sirène du Mississipi(1969年)
野性の少年 L'Enfant sauvage(1970年)
家庭 Domicile conjugal(1970年)
恋のエチュード Les Deux anglaises et le continent(1971年)
私のように美しい娘 Une belle fille comme moi(1972年)
アメリカの夜 La Nuit américaine(1973年)
アカデミー賞
1973年外国語映画賞
英国アカデミー賞
1973年 作品賞 監督賞
全米映画批評家協会賞
1973年 作品賞 監督賞
アデルの恋の物語 L'Histoire d'Adèle H.(1975年)
ニューヨーク映画批評家協会賞
1975年 脚本賞『アデルの恋の物語』
トリュフォーの思春期 L'Argent de poche(1976年)
恋愛日記 L'Homme qui aimait les femmes(1977年)
緑色の部屋 La Chambre verte(1978年)
逃げ去る恋 L'Amour en fuite(1979年)
終電車 Le Dernier métro(1980年)
アカデミー賞
1980年 外国語映画賞ノミネート
セザール賞
1980年 監督賞
1980年 脚本賞
その他、今作でセザール賞10冠を受賞
隣の女 La Femme d'à côté(1981年)
そして、遺作となってしまったのが
日曜日が待ち遠しい! Vivement dimanche!(1983年)
そして、1984年52歳にして亡くなってしまったフランソワ・トリュフォー。
彼が生涯に制作した映画は25本であったー