昨年のアカデミー賞パキスタン代表となったパキスタン映画『娘よ』が2017年3月25日(土)〜岩波ホールにて公開いたします。

女性監督、アフィア・ナサニエルの初監督作品となる本作は、世界各国で映画賞を受賞し、日本で公開される初のパキスタン映画です。パキスタンの山岳民族間の掟に翻弄される母と娘が、掟から逃れるべく行動を起こす、追う者と追われる者の逃避行。息を呑む絶景を背景に繰り広げられる緊迫のサスペンス。

© 2014-2016 Dukhtar Productions, LLC

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監督からのメッセージ

私はパキスタンで、女性がとても強い家系に生まれ育ちました。私の家族の女性たちは、少しでも明るい未来が子供たちに訪れることを願い、困難な人生に耐え、強く生き抜いた人たちです。家父長制が根付く社会で、日常的に女性が虐げられ苦労するのを見てきました。女性不在の世帯は、社会においてだけでなく、地域住民からも非難の対象になります。女性は男性なくして存在することが許されないからです。
この映画の構想は、パキスタンのある村で起こった実話に触発されています。子供の人生のために母親が娘二人を連れて村を出るという出来事でした。

『娘よ』の物語は私自身と深く共振しているのです。ニューヨークのコロンビア大学で映画監督学を学んでいる時、本作の脚本を書き始めました。母と娘の物語を書きたかったのです。母と娘が逃亡する中、母親がいかにして自身と娘を守ろうとするのかという状況を描きたかったのです。私の中の“作家”が家とのつながりを、そして私の中の“さすらい人”がアッララキのキャラクターを作り出しました。彼女に娘との新たな人生を求める自由を与えることができたのは、このためだと思います。そして私は、三番目に重要な登場人物、トラック運転手を描き始めました。彼は主人公にとって愛の対象となり、かつ葛藤を生むとても重要な存在です。報われない愛、禁断の愛。愛は、パキスタンの詩や言い伝えの中でも語られています。愛と喪失は常に隣り合わせです。

この映画は、ふたつのジェンダーを語ることを通して、幻想的リアリズムという装置を使い、我が国の伝統文学に根ざした愛と勇気の物語を探求したつもりです。
10年の歳月をかけ、この映画を制作した私は、実際に娘を持つ母親となり、幼い少女の結婚問題に目を背けることが出来なくなりました。毎年1400万人の少女が強制的に結婚させられているという事実は、大変受け入れ難いことです。

映画の終盤では、現代社会における伝統やしきたりを考えた時、自由、尊厳、愛のために、一体どれだけの犠牲を支払わなければならないのか、という重要な問題を提起しました。


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 実に構想10年。パキスタンのある村で起こった実話に触発されて制作準備が開始された。
監督・脚本・プロデュースの三役をこなしたのは本作が監督デビューとなるアフィア・ナサニエル。きめ細やかにして大胆な演出が冴え渡る。知られざるパキスタンの壮大な自然のもとで大ロケーションを敢行。山岳地帯に繰り広げられる緊迫感に満ちた母と娘の逃避行を、愛と友情も絡めた大スケールの人間ドラマとして描き、観る者の心を捉えて離さない。

日本で公開される初めてのパキスタン映画となるこの作品、海外ではすでに高い評価を得ている。トロント映画祭(‘14)でプレミア上映され、第87回アカデミー賞外国映画賞にパキスタン代表作として選出された。その後世界20カ国以上で上映。ソノマ映画祭最優秀国際映画賞、南アジア国際映画祭では最優秀監督賞と最優秀作品賞をダブル受賞するなど数多くの賞を受賞、ついに日本公開となった。

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監督プロフィール:アフィア・ナサニエル
1974年8月28日にパキスタン西北、アフガニスタンとの国境に近いクエッタに生まれ、2006年、米国コロンビア大学映画学科大学院を卒業。コンピュータ・サイエンティストから監督に転じ、最初の長編監督作『娘よ』で、2015年の米国アカデミー賞外国語映画賞部門にパキスタン代表作に選ばれただけではなく、世界20か国以上で上映され、映画賞を受賞するなど高い評価を受け、将来を嘱望されている。現在はニューヨークを拠点に、コロンビア大学でシナリオライティングの教鞭を取り、アメリカとパキスタンで監督志望の学生の指導にもあたっている。

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主演の美しく若い母親アッララキには主に舞台で活躍し、映画、TVでも活動の場を広げているパキスタンの名女優サミア・ムンタツ。固い意志を秘めた美貌の母親役は正に彼女の真骨頂だ。
幼い娘のゼナブ役には多数のCM作品に出演し、この「娘よ」でスクリーンデビューを飾ったセレハ・アレフ。また、逃避行の母と娘を助けるトラック運転手には舞台出身で、人気実力を兼ね備えたパキスタンNo.1男優モヒビ・ミルツァ。
この他パキスタンを代表する名演技陣が総出演、ドラマに一層の厚みを加えている。

ドラマ全編を彩る印象的な音楽はピーター・ナシェル。ニューヨークをベースに活躍中の作曲家で、テレビドラマでは『ライトウミー 嘘は真実を語る』(‘09)なども手がける実力派だ。

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「娘よ」の舞台と背景について
パキスタンのかたち-国勢・宗教・社会・文化      村山和之

パキスタン・イスラーム共和国の成立
パキスタン・イスラーム共和国は、1947年にインドとともに英領インド帝国から分離独立を果たした。現在バングラデシュとなっている東パキスタンも、1971年に独立するまではパキスタンの片翼であった。

民族 言語

 さて、日本の約二倍の面積を誇る国土に住む、約1億9千万人のパキスタン国民は、大きく五つの民族に分けられる。パンジャービー人、パシュトゥーン人、スィンディー人、バローチ人、そして建国時に北インドから移り住んだムハージル(移住者のこと)である。
 行政区は、イスラマバード連邦首都区、パンジャーブ州、スィンド州、ハイバル・パフトゥンフアー州、バローチスターン州、ギルギット-バルティスターン州、連邦直轄部族地域(FATA)、アーザード・カシュミールの8つからなる。
 主要な四州であるパンジャーブ、ハイバル・パフトゥンフアー、スィンドそしてバローチスターンは、ほぼ優勢民族居住地域ごとにその領土が州になっており、各民族語が母語として話されている。それゆえ、国の共通語はムガル帝国時代(※④)にデリーで誕生したウルドゥー語が採択されたのだ。もし、どれか一つの民族語を国家の共通語にしたら、他の民族集団は絶対承服しないからである。
 パキスタン国土の中央を縦断するインダス河は、太古よりインド世界とイラン世界の境目の役割を果たしてきた。現在でも右岸地域(西部)にはイラン語派に連なるパシュトー語とバローチー語が、左岸地域(東部)にはインド語派に属するパンジャービー語、スィンディー語、カシュミーリー語が、その証しとして人々に話されている。
 北部地域として知られていたギルギット-バルティスターン州では、インド系、イラン系、シナ・チベット系や帰属不明をも含む10を超す言語集団が居住し、分類はより複雑となる。

宗教

 イスラームを国教とするだけあって、その国民の97%がイスラーム教徒(ムスリムと呼称)である。そのなかでも9割が六信五行を奉じるスンナ派(※①)に属し、残りの1割は五信十行を奉じる少数派のシーア派信者(※②)である。
 ムスリムにとって宗教は、生まれた時から死ぬ時まで、個人の信仰はもとより社会生活の根幹をなす重要かつ不可避な存在である。それゆえ、パキスタンの政治には、建国政党ムスリム連盟、民族集団ごとに結成された政党に加えて、イスラーム政党が幾つも存在し、政権運営に対してイスラームの見地から助言をしたり、圧力をかけたりする。
専門的な宗教教育を望む者には、マドラサ(宗教学院)と呼ばれる学校が学び舎となる。有力なイスラーム学派が運営し寄宿舎をもつマドラサから、民家やモスクで開かれる『クルアーン』(コーランのこと)を学ぶ施設としてのマドラサまで、さまざまな形態がみられる。唯一神アッラー(日本ではアラーと呼称することが多いが、現地ではアッラーと言っているので本稿ではアッラーと表記する)を畏れ讃えて愛しながらも、現世での御利益は、モスクでアッラーに祈願してはならない。しかし、辛い浮世を生きる民衆には、日常生活に直結した様々な願い事をきいて叶えてくれる夢のある装置が必要となってくる。

聖者

 パキスタンの人々のこの願望を満たしてくれる場所が、聖者廟(ダルガーと呼称)である。生前に奇跡を見せたり、人々によりそって教育や福祉などで活躍した人などのごく一部が、死後、旧恩や畏敬を感じる信者たちによって聖者としてまつられる。聖者に子孫があれば、彼らもまた生き聖者として崇敬される。
われわれ日本人が、良縁や試験合格、商売繁盛に子宝授けといった御利益を、寺や神社に詣でて「お願い」するように、パキスタンの人々もダルガーに参詣して花や砂糖菓子などのお供えを捧げ、自分の話し言葉で私的な願掛けをする。叶えてくれたらお礼に何々をします、と心の中で聖者に約束をする。
御参りのあと、神に愛され神に近い位置にいると信じられる聖者が、廟を通して下される霊力(バラカと呼称)を身につけ、元気になって参詣者は日常生活に戻ってゆく。
 特に、聖者の魂がアッラーと合一した聖者の命日祭(※③)は、ウルス(アラビア語起源の「結婚」を意味する語)の名で祝福され、毎年恒例のダルガー最大の祭典行事となる。この映画の終盤部で描かれる賑やかなお祭りが、まさにこのウルスである。この日に最も強くなると信じられているバラカにあやかろうと、パキスタン中から善男善女が集まる壮大な縁日となり、三日間にわたって民衆イスラームの熱狂的なパワーが爆発する。

アッラー以外への信仰

 アッラー以外の信仰は許されない、と聖者崇拝を非難する厳格なイスラーム学派や、自爆テロで攻撃する過激派も多々ある。しかし、多くのパキスタン人にとって聖者への愛と信頼は、生き聖者にしろ、ダルガーにしろ、イスラーム信仰と不可分な位置にある。同じ地上の俗世間でアッラーに愛され、そばに召された聖者を通して、あまりにも高く手が届かない位置におわすアッラーを、身体的に感じ、信仰しているのである。
 真の意味でのアッラー以外への信仰者としては、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒、スィク教徒、パールスィーと呼ばれるゾロアスター教徒がいる。いずれも宗教的にも人口的にもマイノリティーではあるが、パキスタン社会を支える不可欠な存在である。

FATA~映画『娘よ』の舞台となった地域について 

パキスタンとアフガニスタン国境線に居住する人々

パキスタン-アフガニスタン国境線に沿うように、ハイバル・パフトゥンフアー州とFATA(※⑤)からバローチスターン州北部にかけては、パシュトー語Pashtoを母語とするパシュトゥーン人Pashtun・パフトゥーン人Pakhtun・パターン人Pathanと呼ばれる民族集団が居住する。国境を越えた隣国アフガニスタンの多数派もこのパシュトゥーン人である。本作品の舞台も登場人物も、このパシュトゥーン社会と文化に属する。そこでは、正直で勇敢な個人としての自由と平等を謳歌し、ジルガとよばれる伝統的な長老会議をコミュニティーの権威ある調停機関にいただき、パシュトゥンワーリPashtunwaliという独自の慣習法・掟に基づいた名誉ある生き方が規範として尊重される。

名誉と復讐

「客人歓待」「難民の救済」「血の復讐」「財産・土地の死守」などの主なる規範項目の、すべてを貫き束ねる縦糸のような概念が「名誉(ナングと呼称)」である。ナングに基づいてパシュトゥーン人として名誉ある生き方、そして死に方を全うすべきであり、不名誉な状態が図らずしも引き起こされたとき、汚名をそそぐための復讐が行われる。

代償 Zから始まる三つの財産とは

個人的な諍いが家族、親族、部族集団をも巻き込んで拡大し、血を血で洗う復讐合戦に陥らぬように、ジルガ(※⑥)はまず和解させようと努力する。被告とされている者の「名誉」に当たるものを、犯した罪の代償として原告側へ譲渡させることで、和解を引き出そうと努力する。すなわち、zから始まる三つの財産:女性;ザンzan、金銭;ザルzar、土地;ザミーンzameenが、この順位で、交渉の際に取引されることになる。まずは娘の婚姻による親戚関係作りをもちかけ、次に補償金・賠償金や家畜等の支払いで接点を探り、最後に不動産の譲渡で誠意を見せ、殺し合いにならないよう平和的な解決を図るのである。

復讐の義務

十分に調停を尽くした上で、結果的に手打ちが成立しなかったとき、侵された名誉の復権を賭けた仕返し、つまりパシュトゥンワーリとして復讐の義務が生じる。バダルと呼ばれるパシュトゥーン人の復讐義務は、借金(損なわれた名誉)の返済として、必ず成し遂げられねばならない。たとえば外国のある町で、パシュトゥーン人が一人殺されたとしよう。気の毒な被害者には何の罪もないわけだが、因果関係をたどると、何代か前の被害者の家族が、加害者の家族にとって復讐の対象になっていたことが判明するのである。

当事者の殺害以外に解決法がないケース

名誉を著しく侵害・侮辱されたとして、当事者の殺害以外に解決法が存在しないのが、「不義・密通」である。妻や姉妹は男の財産であり、名誉である。それらが不当に損なわれた駆け落ちなどの不始末ごとでは、姻戚となった両家同士が協同して、自分の親族にあたる男女を死によって処罰する。

客人の歓待と難民の救済

客人の歓待:メルマスティヤーと難民の救済:ナナワーテーは、ともに自らの命を賭けて行われる究極ともいえる「名誉の体現」行為である。神からの贈り物として客人を全力でもてなし、生命の危機にあり救済を求めてくる難民や孤児・女性などの社会的弱者を守り抜く掟も日常生活で実際に生きている。この映画でも、主人公たち避難民に対する庇護や歓待、友人を守ろうと掟に反して嘘をつき命を落とす男の場面などがみてとれる。さらには、隣国アフガニスタンから国境線を越えてパキスタン西部に流入した数百万人のアフガン難民が、自然に受け入れられ尊い生命を守られたことがすべてを証明している。

FATA(連邦直轄部族地域) 認められている自治

パキスタンの中でも、このようなパシュトゥンワーリが最も顕著に行われている地域としては、FATAと呼ばれる連邦直轄部族地域が有名である。憲法に定められた行政区のFATAではあるが、パキスタン国会が制定した法律は大統領の指示がない限り適用されず、パシュトゥンワーリに則った自治が認められている特別地域である。

人口は約300万人 

この地に根付くパシュトゥーン人は、あわせておよそ300万人前後の人口をもつ、ユースフザイ、アフリーディ、モフマンド、メヘスード、シンワーリーの五大部族である。他の地域のパシュトゥーン人と同じく、イスラーム・スンナ派の熱狂的な信者である。彼らはペシャーワルを中心に話されるパシュトー語東部方言(パフトー語)を共通語に受容するが、険しい山地や渓谷で隔てられた地域では、言語学的にはパフトー語であっても相互理解が困難な方言を話している。

パシュトゥーン社会の伝統的婚姻とは

パシュトゥーン人社会の伝統的婚姻は、言葉は悪いが、妻を買う形で行われてきた。女性側の家に対して、婚資を納めることなしでは、婚礼は実現しなかった。財産を削ってまで家族に迎えた妻は、夫と夫の家の無形財産であり不可侵的名誉となる。
幼児婚の場合は、基本的には幼少期に婚約が交わされた時からスタートしている。その原因の一つに、女性側が、男性側に対して返済義務の大きい負債を抱えたときの解決法の一つとしての婚約があげられる。幼い女性は婚約者として人質に近い境遇で、夫となる男性の家に預けられて養育されることになる。そして、出産できるところまで成長したとき、機をみて両家で婚儀を交わし、社会的に認知された夫婦が誕生することになる。もちろん、初婚時に女性が処女であることは自明の理である。

パキスタンの音楽

パキスタンはイスラーム国家ではあるが、どの民族集団にしても全体として歌舞音曲が好きである。各民族語による民謡、ウルドゥー語によるポップス、ヒンディー語によるインド映画音楽、パンジャービー語やスィンディー語そしてウルドゥー語による宗教歌謡や神秘主義歌謡などが、好みに応じて選ばれ聞かれている。パキスタンが世界に誇る音楽番組『コーク・スタジオCoke Studio』は、洗練された映像と異種音楽の実験的融合が成功し、インターネットを通じて世界中の音楽好きに評価されて9年目を迎える。

パキスタンの映画

 国家独立の翌年1948年にパキスタン映画としての処女作『テーリー・ヤード(あなたの思い出)』をリリースして以来、映画は大衆娯楽の王様として1970年代まで質・量ともに隆盛をきわめてきた。主にラホール(ロリウッド)とカラーチー(カラウッド)の撮影スタジを中心に映画産業が発展し、ウルドゥー語、パンジャービー語、パシュトー語、スィンデー語などの作品がつくられた。70年代以降、イスラーム政策やテレビ・ビデオの普及により衰退の道をたどっていた映画ではあるが、2000年代に入ってから、復活の兆しを見せ、現在もなお加速を緩めてはいない。2016年度だけでも、実写・アニメによるロマンス、アクション、ホラー、コメディー、伝記等の作品が22本封切られている(11月、12月の予定含む)。
日本で上映されたショエーブ・マンスール監督の二作品、『神に誓ってKhuda Key Liye』(2007年製作/<イスラム映画祭>(2015年)で上映)と『声をあげるBol』(2011年製作/<アジアフォーカス福岡映画祭2012>で上映)は、国内外で大反響を呼び起こし、パキスタン映画の実力を広く知らしめた。
著名なハリウッド映画はウルドゥー語吹き替えで公開される。インドの映画も近年ようやく規制が緩和されて、パキスタンのスクリーンに戻ってきた。しかし、再燃したカシュミール紛争の政治的余波から、再び排斥運動が始まってしまった。
かつて日本総領事館では日本映画の上映会が催されていたが、映画館にかかった日本映画はまだない。

パキスタンの女性

この映画をみると、誰もが「パキスタンに女性歌手なんかいるのですか!?」と驚く。日本では報道されぬだけで、パキスタン女性の社会進出は盛んだ。総理大臣から社会運動家、女優、パイロット、会社社長、軍の将校からスポーツ選手そして詩人まで、あらゆる職種で女性の姿は日本人より目につくくらいである。ただし、頭髪を覆うストールやショールが欠かせないいでたちではあるが。
脚注
① イスラム教スンナ派
この宗派は、イスラム教の指導原理を預言者ムハンマドの言行に求める。善きムスリムの模範としてムハンマド受け入れ、それに従って生きようとする。イスラム教の宗派では最も信者が多い。六信五行とは、ムスリムが信じなければならない六つの信仰(唯一全能の神アッラー、天使マラーイカ、神の啓示キターブ、預言者ラスール、来世アーヒラ、定命カダル)と、五行とはムスリムに課せられた5つの行為(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)を意味する。
② イスラム教シーア派
この宗派は、イスラム教の指導原理を預言者ムハンマドの血統の聖性に求める。ムハンマド、その娘ファーティマ、ムハンマドの従弟でファーティマの夫アリー、彼らの息子ハサンとフサインからなる聖家族とそれに連なる後裔が、聖者のように信仰される特徴がある。特にアリーはシーア派初代の指導者イマーム(最高指導者のこと)であるとされる。スンナ派に次ぐ信者数をもち、ムスリム全体の10~20%を占める。五信十行とは、ムスリムが信じなければならない5つの信仰(神の唯一性、神の正義、預言者、イマーム(最高指導者)、来世)と、十行(礼拝、喜捨(施し) 、断食、 巡礼、五分の一税、ジハード(努力すること)、 善行、悪行の阻止、預言者とその家族への愛、 預言者とその家族の敵との絶縁)を意味する。
③ 命日祭
ウルスと呼ばれ、聖者が昇天した命日の祝祭日。聖者の魂が神アッラーと合一=結婚したと考えられ、聖者の棺には花嫁のベールや、吉祥色の染料ペースト:ヘンナ(メヘンディー)が捧げられ、巡礼者たちによって結婚式を模した大きな儀礼や祭典が催される。
④ ムガル帝国
1526年~1858年。16世紀から19世紀にかけて、インド一帯を支配したトルコ系イスラーム王朝。ウルドゥー語はこの王朝の時代にデリーで生まれたインド語派の言語である。
⑤ FATA (Federally Administered Tribal Areas)連邦直轄部族地域
パキスタン北西部、アフガニスタンとの国境地帯のことを指し、パキスタンのどの州にも属さない。トライバルエリアとも呼ばれている

⑥  ジルガ jirga
 パシュトー語で「会議」「集会」「議会」を意味する伝統的パシュトゥーン社会における最高合議機関。男性だけからなる評定集会のイメージから長老会議とも呼ばれる。部族慣習法パシュトゥンワーリに則って、公正に権威ある裁定を下す機能を維持してきた。伝統的に個人主義が特徴であるパシュトゥーン人社会らしく、ジルガの構成員・評議員は民主的に選出され、徒に部族長の権威や利権を代表してはいない。2013年には、スワート地区で、女性だけのジルガが設立され、警察や政府当局を巻き込んで女性に法的支援を与える活動を始めている。

村山和之  むらやま かずゆき
中央大学総合政策学部非常勤講師。1989年よりパキスタン調査に加わり、1992年よりバローチスターン大学に留学、ブラーフイー語を学ぶ。言語文化と部族慣習法をとおして明らかになる、南・西アジア世界の人々の魅力を発信し続けている。

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(『娘よ』ストーリー)

遥かカラコルム山脈の麓、戦いと融和を繰り返しているパキスタンの山岳民族。
部族間のトラブルをおさめるため、相手の部族長の花嫁に指名されたのは10歳になる娘。かつて同じように若くして嫁がれた母親のアッララキは、部族の掟を破り、幼い娘を連れて必死の逃亡を図るが…。

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『娘よ』予告

『娘よ』予告

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アフィア・ナサニエル監督作品『娘よ』

監督・脚本・製作:アフィア・ナサニエル
出演:サミア・ムムターズ サレア・アーレフ モヒブ・ミルザ
原題:DUKHTAR 英題:Daughter

日本版字幕:松岡葉子
2014年/パキスタン・アメリカ・ノルウェー/デジタル/93分

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2017年3月25日(土)〜岩波ホールにてロードショー!