トラバタンズの庭 今泉力哉
第3章 失明前夜
月末までに仕上げなければいけない脚本があってパソコンに向かっていたのだが、どうにも頭痛がひどいので、翌日、午前中から医者に行った。そしたら眼科を勧められた。眼科に行ってさまざまな検査をしたら乱視だということがわかった。けっこうな乱視。これは疲れますよ、と言われた。あと、別の病も見つかった。緑内障。まだ若いのに、ということだった。これは頭痛にはまったく関係ない。緑内障は白内障と違って手術でどうこうなど出来ない病気だ。日本人の40代の20人に1人は緑内障らしく、まあそういう意味では大した病気ではないのだが、俺はまだ32か33歳だったから、ちょっと早いみたいだった。ほおっておくと失明する病で、日本人の失明原因の1位が緑内障だということもこの時、初めて知った。でも噂でだけど、あの映画監督の瀬々さんも、劇作家のケラさんも緑内障らしいし、大したことはないと思った。手術でどうこうできず、と書いたが、じゃあ治療法はというと、毎日1回(人によっては、2、3回)必ず目薬をする。以上。けっこう面倒くさい。歯磨きですら毎日出来ない俺が毎日目薬をできるだろうか。しかも月に1回、眼科に行かなければいけない。面倒だなあと思いつつもなんだか日々がつまらない自分にとっては、ちょっとしたうきうき物件でもあった。緑内障用の目薬は本当にいろいろな種類があって、効能に大差ないものもたくさんあるみたいだった。さまざまなキャップの色から好きな色を選んでいいよ、って、いや、実際はそんな軽くはないのだが、そのくらいには選べる。そして一定期間同じ目薬を使用してみて、効果がなかったり、慣れてきてしまったら、違うものに変えていく、みたいなことだった。でも、なんか〈毎日目薬をすれば大丈夫な、しかし日本で失明率1位の病になった〉ってちょっと面白くないですか。漠然とした不安とか好きなのです。
3年後の今日も眼科に行った。今、自分が使用している目薬は2種類あって、ひとつは緑内障用の眼圧があがるのを抑える成分がはいったトラバタンズ。薄紫色。もうひとつは単純に普段使いの乾燥を抑えるヒアレイン。水色。眼科に行った帰り、いつも脚本を書いたり、編集をしたり、人と打ち合わせたりする新宿の喫茶店に寄り、ブレンド珈琲を飲みながらぼんやりとしていた。「サッドティー」という映画の劇中の一部分の会話がこのお店での男女の会話からそのまま書かれたというので有名な、いや、そんなことでより、まあ映画や演劇、お笑いの関係者の打ち合わせ、またアフィリエイト(?よく知らないが、ネットのねずみ講みたいなものと認識している)の説明にもよく使われている老舗の喫茶店である。珈琲を飲みながら目を閉じる。映画監督であるのに、目が見えなくなることがそんなに不安じゃないのは、ウディアレンの映画「さよならさよならハリウッド」のおかげかもしれない。俺は目が見えなくなっても映画が撮れる自信がある。映画は「絵」だけでできているものではないから。声や音も映画の要素の半分である。実際に、目をつぶってOKを出したこともある。俳優の声だけを頼りに。意外と、声で表情もわかるものだ。喫茶店で、後方、斜め後ろの男女の会話が面白く(つまりは面白くなく)、聴き入ってしまう。ふたりは演劇関係の仕事をしているようだ。その時、自分がノートにメモした内容を以下に書き写す。その時っていつだ?今はどこにいる?今がいつなのかは俺にもわからない。ものは書いているそばから時が経つ。今、俺はその喫茶店にはおらず京都にいる。秋の京都にいる。紅葉が綺麗だと噂の秋の京都にいるのにパソコンに向かっている。とんだぽんこつ野郎だ。
今日も今日とて、珈琲西武にいる。ロロとか贅沢貧乏の話をしている男女の客はレビューだかプレビューだかを書く話で真剣に話し合っていたのに、途中から、やれ「演出家が美人だから」問題、やれ「藤田さんも男前」問題、などの話で盛り上がっている。美男美女の演出家はなにかと許されるため、問題らしい。
「どこどこの劇団、誰々さんからはウェルメイドって聞いたんだけど違うの?」
「あーでもウェルメイドって言ってもチェルフィッチュみたいなウェルメイドですよ」
「あーなるほど。そういう意味でのウェルメイドか。じゃあ違うね」
とか。「ねもしゅーの本多がだめだった」とか。「せいこうフェスのナカゴーが」とか。
そしてまた話題はレビュー、プレビューの話に戻る。どちらかがウェブか雑誌の依頼主でどちらかが依頼されている人なのだろうか。もしくはどちらも書く人なのか。
男が言う。「いやでも、あれですよ。演劇とかあまり見たことない人向けに書くものだから」
女が遮って言う。「あーそっち?そっちかー」
演劇でも映画でも何でもそうだ。音楽でも。人々は今日を生きているのに、そういう話よりもつくられた世界の話をしていて、その時を楽しんでいる。もちろんつくられた世界も世界と繋がっているから、結局は世界の話をしているし、それは政治の話をすることとも同じではある。「知っていること」「詳しいこと」にどこかで悦を感じていることは悪いことではない。悪いことではないが、なんだろ。なんだろうか。映画について話している映画好きもこんな感じなのかな。昨日、トランプが勝った。KKKが活発になっているらしい。K.K.K.K.K、久々に聴こうかしら。カヒミ・カリィ。
その時の俺は、その男女の会話を聴きながら、正直、かっこ悪いなと思った。そして自分もそういう側の人になっている時がある気がした。映画について語ったり。なんなら殴り書きの文章をカヒミ・カリィで締めている。たぶん、少し酔っている。無論お酒ではなく。くだらない知識などに。なんか〈芸術〉と呼ばれる数多のもの、〈第三次産業〉と言われる数多のものって、〈芸事〉って元々は憧れられる職業じゃなかったんだよなって思った。河原乞食という言葉もあったくらいで。いつからだろう。いや、そんな時代はなかったのかもしれないが、もう少し政治家が尊敬されていた時代があったと思う。先生さまだった時代が。「政治家になりたい」とか「総理大臣になりたい」子供って今どのくらいいるのだろう。いろいろ考えてしまった。秋。京都。目が見えるのにも関わらず、俺は紅葉も見ずにノートパソコンに向かっている。そしてなぜか明日は琵琶湖のほとりのホテルに泊まるらしい。理由は書きたくない。少なくとも女関係ではない。