「生きうつしのプリマ」はインターネットのウェブサイトで紹介された写真がきっかけで、長いあいだ知られていなかった家族の秘密が明らかになっていくという、いかにもネット社会の現代ならではの設定であり、これに普遍的な人間ドラマが融合した作品になっている。

監督はドイツ映画がニュー・ジャーマン・シネマとして世界的に注目されるようになった1970年代中期以降、もっとも活躍した女性監督の一人マルガレーテ・フォン・トロッタ。フォルカー・シュレンドルフ監督と結婚し、「カタリーナ・ブルームの失われた名誉」を夫と共同で監督。以後は単独で「鉛の時代」「ローザ・ルクセンブルグ」「ハンナ・アーレント」と、時代の潮流に逆らいつつも真摯に生きた実在の女性の生き方を描いた作品を多く撮って、異彩を放ってきた。

(c)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

ドイツ。クラブでジャズを歌っている中年女性ゾフィ。歌詞が暗いうえに、華やかさに欠けるせいか、お客が全然聞いていない。オーナーから首を言い渡され、恋人との仲も亀裂が入る。そんなどん底の彼女に、父から電話が入った。「母さんそっくりのプリマ歌手がニューヨークのメトロポリタン・オペラで歌っている。お前に会いに行ってほしい」という。母エヴェリンは一年前に病死しており、喪失感から来た父の妄想と思いきや、ウェブサイトに映ってる写真はたしかに母に似ていた。彼女の名前はカタリーナ。いやいやながら、ニューヨークに向かい、カタリーナとコンタクトを取ることにした。エヴェリンとはどういう女性だったのか、カタリーナの父親の正体は?
 ジャズとオペラーージャンルは違うが同じ歌手である二人の女性、ゾフィとカタリーナの行動を並行して描きつつ、謎がすこしずつ解けていく。

 母とうり二つの女性の正体を探る旅は、知らなかった母の素顔を明らかにし、自分だけでなく、周りの人々を過去の呪縛から解き明かす旅でもあった。犯罪とは無関係だったが、謎が解けていく過程には、まるで推理小説で”真犯人”が指摘され、トリックが説明されたときのような爽快さが感じられる。

 「鉛の時代」「ローザ・ルクセンブルグ」「ハンナ・アーレント」で組んだバルバラ・スコヴァをカタリーナとエヴェリンの二役で起用し、「帰ってきたヒトラー」のカッチャ・リーマンをゾフィ役に配してある。そして50-60年代にドイツ製西部劇(!)の「大酋長ウィネットー 」や、「007は二度死ぬ」「トパーズ」「怪人フーマンチュー」といったスリラーで活躍した美人女優カリン・ドールがカタリーナの母親として顔(今は年老いていたが、十分魅力的だった)を見せていて、しばし見とれていたものだった。

 人間同士のかかわりあい、登場人物それぞれの人生航路を描き、最後にはカタルシスとなにがしかの満足感を観客に与えるのが、正しいメロドラマのあり方であり、本作はその見本ともいえる作品と言えよう。

『生きうつしのプリマ』予告編

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北島明弘
長崎県佐世保市生まれ。大学ではジャーナリズムを専攻し、1974年から十五年間、映画雑誌「キネマ旬報」や映画書籍の編集に携わる。以後、さまざまな雑誌や書籍に執筆。著書に「世界SF映画全史」(愛育社)、「世界ミステリー映画大全」(愛育社)、「アメリカ映画100年帝国」(近代映画社)、訳書に「フレッド・ジンネマン自伝」(キネマ旬報社)などがある。

7月16日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA他全国順次ロードショー