「ブルックリン」
 ふたつのまちのふたりのおとことひとりのわたし

アカデミー賞の作品・脚色・主演女優 各賞にノミネートされました。アイルランド・イギリス・カナダの合作ですが、原作はアイルランドの小説です。
1950年代初め。アイルランドのエニスコーシー、ダブリンの南100km位のところにある町で生まれ育ったエイリシュ。父は戦後すぐに亡くなり、母と会計士をしている姉ローズと三人で暮らしています。学校を出ても仕事は無く、エイリシュは町の食料品店で店員をしています。このままでは未来はないと、姉はニューヨークにいる知り合いの神父に相談して、エイリシュをニューヨークに移民させることにします。
母と姉から離れる不安でいっぱいになりながら船に乗るエイリシュ。やっとの思いで到着したニューヨークでしたが、思い描いていた夢の新天地とは程遠く、下宿の女の子たちとも仕事場の人々ともなじめず、日に日にホームシックが募るばかり。
そんなエイリシュを見かねた身元引受人の神父が、大学の夜間部・会計士コースを受講させてくれることになります。やっと未来に向かって歩きはじめるエイリシュ。恋人もでき、充実した日々を送るエイリシュに悲しい知らせが届きます。
葬儀のためアイルランドに帰ったエイリシュは、もう以前のエイリシュではありません。そんな彼女に新しい出会いが…。
母がいて、仕事もあって、さらに愛してくれる人もいる故郷…。
私の未来はどこにある?エイリシュのこころはアイルランドとアメリカに引き裂かれます?!

「1950年代。アイルランドの小さな町に生まれた女の子がニューヨークに移住して、自分がなりたいと思った女性になっていく成長物語」と、言ってしまえばおしまい、なんですが、その隅々に描きこまれたディテールが素晴らしい。それをまた、とても微妙な演技で見せる主演のシアーシャ・ローナンが素晴らしいんです。
すべてが、とても、丁寧に作られていて、心地いい、んですね。

主人公に成り代わったり、主人公の家族に成り代わったり、21世紀に生きている観客として観たりと、映画に混ざって心配したり、応援したり、共感したり、忙しい(笑)。
製作者コンビは女性ですが、原作者も監督も脚本家も男性。なのに、ヒロインの気持ちのゆれをなんでこんなによくわかるのよー、といいたくなります。
というか、「女の子ってこうなのよねー、女の子ならわかるわよねー」とあらかじめ思い込んで書いてしまうため、見ていてついて行けなくなることも、女性映画人の作品の場合、けっこうあるんですよね。

でもこの作品を作った男子たちは まず、自分は女の子ではない、自分の好みの女の子像を押し付けない、ということを自分に言い聞かせて作り始めたんじゃないかと思うんです。つまり、この子ならどうする、とヒロインに寄り添い切っているんです。
さらに、「たしかに僕は女の子じゃないけれど、でもこの子は、女の子とか男の子とか関係なく、田舎で抑圧されていたティーンズが、自分がなりたいものになれる世界を求めて町を出て、新しい生活に飛び込み大人になっていくわけで、その時に何をどう選択していくかって話なんだから、女でも男でも同じなんじゃないかな」という考えを持っているんじゃないかと思いました。

50年代ですから今よりも女性に対する締め付けは厳しかったと思います。でもそれを跳ね返すだけではなくて、ヒロインはもっと遠くを見ているんですよ。それがとても、いい。のびやかです。
最初は自信もないし、家族と離れる不安でいっぱいで、縮こまっているのが、だんだんと変わって行く。その変化を、もちろん衣装やヘア・メイクでも表すのですが、繊細な変化を重ねていくシアーシャの演技が何よりも雄弁に語ります。

もう一つ付け加えますと、今、世界中の国が閉鎖的に排他的になっていますよね。それに対して、特にアメリカに対して、そんな国じゃなかったでしょ、あなたたちの描いた夢はどうしたのですか、と、問いかけてもいるんです。
移民に対して使い捨てにしてきたという過去も見せつつ、でも、ヒロインにとってはやはり未来や希望を作り出してくれるところでもある。それがアメリカ、ニューヨークじゃなかったっけ? と言ってもいるんです。そして、それは、やはり、本人の選択とがんばりにかかっている、んですね。

ブルックリン 日本版本予告

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