人は、いつの日か、死ぬ。

人間をやってると、40を過ぎると途端に周りの仕事仲間や友人が亡くなりはじめて、哀しみという感情が嬉しいや楽しいと同じくらいの立ち位置でココロの中を征服しはじめる。昨今の日本も少し様相が変わってきた。ちょっと前の晩年をどう生きるといったセカンド・ライフ的な謳い文句よりも、人生の終い方とか、お墓の話が話題の中心となりつつある。今後、こういったテーマで経済活動も含めたあらゆることが蹂躙されていくのだと思う。

ちょっと前、日本は経済はスローダウンするが、その代わりにヨーロッパの一部の国のように文化やライフスタイルを含めたあらゆることが成熟した世界になっていくのかな?って、楽観をこめて、妄想していたけれど、どうもそういうことよりもより、死に向かってゆく哀しい感情の方が凌駕するんじゃないだろうか?って、思うようになってきた。

そして、この作品が現れた。監督は、2000年代以降、人間を描かせると他のどの国の監督たちとも一線を画した独特の生や死生観を描くメキシコ出身の映画監督の次世代監督で本作が2本目の新人、ミシェル・フランコ。本作「或る終焉」を観て、素直にああ、いい映画だなと思った。他の刺激的な作品を観ている内にこの作品のことは忘却の彼方になるのだけど、しばらくすると、またココロの中に戻ってくる。そういうジワジワと刺さってくる映画だ。

この作品を観て、思い返せば、キュアロンもイニャリトゥ等、メキシコ勢の映画監督の人間への一種、ドライな視線は共通する。(ロドリゲスは、きっと亜種)

フランコ監督に「メキシコ出身ということで人間の描き方の違いは出ているのか?」という質問を投げかけたが、出自のメキシコ云々は関係ないよとの答えだった。でも先日、NHK特番で観た世界のご近所付き合いのデータを観たら、人とあまり、もしくは、ほとんど関わりを持たないで暮らしている国民は、日本人とメキシコ人が同じようなグラフで他の国々の人達よりも異様に突出していた。それを見て、日本人とメキシコ人は、人との関わりについての感情が似ているのかもしれないなと思った。かなり、意外だったのだけど。

撮影監督/シネマトグラファー:イヴ・カープ

非常にシンプルな造形で描いてゆくミニマリストな映画「或る終焉」は、ベルギー出身のイヴ・カープの撮影が、とても素晴らしい。カンヌでブリュノ・デュモンの「ユマニテ」にグランプリをもたらした撮影者だ。特に何をするわけではない。眩いロサンゼルスの陽光のもと、非常に抑制の効いた画面構成でただただキャストらがもたらす空気を切り取ってゆく。監督とイヴは、観ている者がそこにいるかのような気持ちになることを第一義に考えて、絶えず相談しながら、撮影を進めたと云う。

このミシェル・フランコという青年監督が作り出す映画の世界は、今後の世界の映画祭の賞取りレースの上位に入ってくるレールの上を走り続けている。そういう意味で、今から追うべき監督であるし、映画がもたらすエモーションとはまた違うベクトルの感情で人生を考えるように揺さぶりかけてくる、本作は、そんな映画。

監督インタビューは、スカイプによるインタビューになり、多少、音声が聞き苦しい部分はありますが、作品世界の神髄に触れることも語っているので、是非、聞くことをお勧めします。

映画「或る終焉」製作・監督・脚本:ミシェル・フランコ インタビュー"

映画「或る終焉」監督ミシェル・フランコ インタビュー

youtu.be

映像編集:Shuji Tsukamoto A.K.A. shutarow @ VOID

映画「或る終焉」オフィシャル・サイト

映画『或る終焉』予告編

www.youtube.com

映画「或る終焉」5月28日(土)より Bunkamura ル・シネマ、ほか、全国順次公開!

監督:ミシェル・フランコ
出演:ティム・ロス、サラ・サザーランド、他
配給・宣伝:エスパース・サロウ
提供:ギャガ
©Lucía Films–Videocine–Stromboli Films–Vamonos Films–2015 ©Crédit photo ©Gregory Smit