自主映画ねっとの管理人の佳代が、宮本拓監督に30年前の自主映画制作状況について語って貰いました。
こんにちは、面白い自主映画を紹介する不定期連載を書かせて頂いております”自主映画ねっと”の佳代です。
第6回めはフリー映像ディレクターの宮本拓監督にインタビューしました。
宮本拓監督の自主映画は30年くらい前に作られたとは思えないくらい面白いです。
このミニチュアはどうやって作ったのだろうとか、爆発シーンはどうやって撮ったのだろうとか考えながら見ました。
『目覚めよと呼ぶ声あり』ダイジェスト版

『砂丘の残像』ダイジェスト版

以下インタビューです。

⚪︎ 映画「目覚めよと叫ぶ声あり」「砂丘の残像」について教えて下さい。

30年くらい前に作られた自主映画とは思えない面白さですが、映画を作る上で苦労した点など話して頂ければ嬉しいです。

———『目覚めよと呼ぶ声あり』は1987年頃から準備を始め、89年暮れに完成させた作品ですが、あの頃は既に衰退していた8ミリフィルムがついに生産停止になるのではないか?と噂されていた時期です。
そのため、10年以上慣れ親しんできて楽しい思い出を作らせてくれた8ミリフィルムに、最後の最後で大輪の花を咲かせてやろうという思いで、仲間達と一緒に異様な熱意で取り組んだ作品です。
とにかく、今まで自分達なりに蓄積してきた8ミリフィルム撮影特有のノウハウをすべてつぎ込んで集大成的な仕上がりを目指していましたので、8ミリ特撮カタログ的な楽しさと、ドラマの融合にいちばん苦労しました。

なにしろ出演者は身近な友達ばかりで、演劇経験の無いズブの素人さんに8ミリ映画としては長編の内容での映像演技をお願いしたわけですから、当然のことながらNG連発で(笑)製作サイドも苦労しましたが、出演者のみんなにも無理難題を押しつけて無理をさせてしまい、大変申し訳なく思っています。

『砂丘の残像』は『目覚めよと呼ぶ声あり』の公開後すぐ準備にとりかかった作品で、内容的には『目覚めよ〜』が“拡散”を目指したのに対して『砂丘〜』は“凝縮”を意識して製作しました。
勘の良い方にはバレてしまいますが、僕の大好きな映画であるハンフリー・ボガート主演の『サハラ戦車隊』とスピルバーグ監督の出世作『激突!』のテイストをミックスしてSF仕立てにしたらどうなるか?という実験作でした。

この当時、日本の自衛隊が海外に派遣されて活動するということはまったくあり得ないことと考えられていた・・・つまり、かっこうのSF作品の題材だったので、それを意識してストーリーを組み立てましたが、撮影を開始した頃、イラクがクェートに侵攻したことを契機としていわゆる湾岸戦争が始まり、その結果、自衛隊の海外派遣が現実のものとなってしまい、これには愕然としました。
一時は製作中止も考えましたが、手伝ってくれた仲間達の努力を無駄にするわけにはいかないと、現実とはかけ離れた描写・世界観という無茶を承知で完成させた作品です。

・・・この作品の8割ほどは装甲車の狭い車内が舞台という、いわば「密室劇」で構成されており、実際に四畳ほどしかない装甲車の車内のセットを作って撮影しましたが、会話が多いので、人物配置とカット割りに苦労した覚えがあります。

特撮に関してはまさに「砂との戦い」で・・・劇中登場する装甲車と戦車は縮尺が約1/15スケールのミニチュアモデルで再現しましたが、本物の砂を使うと粒子がミニチュアに対して大き過ぎて実感を損ねてしまうため、セメントや壁土などを調合した特殊な粉末で微細な砂を再現しました。

真夏の記録的な猛暑の中、屋外に組んだセットの上にこの特殊な粉末を大量に撒き、戦車を疾走させ、爆発シーンなどを撮影していると、大量に舞い上がった粉末が汗で体中に付着して固まってしまい極めて健康に悪い作業になってしまった上に、撮影機材のメンテナンスも困難を極めました。
もう、砂漠を舞台にした特撮は撮りたくありません。頼まれてもまっぴらごめんです(笑)

また、この作品の特撮シーンのほとんどは8ミリフィルムで、ドラマ部分はビデオで撮影しましたが、当時は現在のように優れたシネルック・・・ビデオで撮った映像をフィルムタッチに変換する技術が無かったため、編集時に色調補正、画調補正の作業を何度も重ねることによってフィルムとビデオの差を少しでも軽減しようと試みましたが、そのあたりも苦労したポイントでしょうか。

⚪︎ 30年前と今では自主映画を制作する環境も違うと思うのですが、特に変わったなと実感したところなどあれば教えて下さい。

———当時は、フィルムならば8ミリか金銭的に余裕のある一部の方々が16ミリ、そして融通の効かない極初期の家庭用ビデオカメラとビデオ編集機の組み合わせかのいずれかの方法を選ぶ必要があり、どの方法もコストがかかりました。
しかし現在では気軽に使える高機能のビデオカメラとビデオテープまたはメモリーカード収録が可能で、編集もPCソフトで比較的簡単に出来るようになり、資金と時間の両面で驚くほど有利になりました。これは、収録メディアにかかるお金を気にすることなく、また撮影や編集の致命的な失敗を恐れることなく余裕を持ってモノヅクリに挑めるということを意味しています。またこれは作り手の表現の領域を飛躍的に広げたことにもなると思います。

ただ・・・「お金がかかる」と思われていたことが安く済み、「難しい」と思われていたことが簡単にできるようになると、創意工夫を忘れてしまい、お手軽簡単に作品を作って満足してしまう方が増えてしまうのではないかという危惧も感じています。
創り上げて公開した作品は、それを創った本人よりも長生きする・・・このことをくれぐれも忘れずに作品を創って頂ければと、いつも思っています。

⚪︎ 影響を受けた映画監督や映画を教えて下さい。

———国内では、エンターテイメントに徹した作風の中にメッセージ性を入れ込むのが得意だった岡本喜八監督、SF特撮映画とはいえ真摯な姿勢で取り組まねばならないということを教えてくれた本多猪四郎監督、映像美とカッティングの妙で俳優の演技を引き立たせた市川 崑監督です。

海外では、映画ならではの満足感を見せつけてくれたジョージ・ロイ・ヒル監督、娯楽大作になればなるほど繊細な描写が必要だということを感じさせてくれたジョン・ギラーミン監督、今まで見たことが無いものを観客に提供することの重要性を教えてくれたリドリー・スコット監督です。

⚪︎ 自主映画をこれから作ろうとする人がこれは見ておいたほうがいいという映画があればぜひ教えて下さい。

無数にありますが、若い世代の方々向けに・・・(笑)
『プルシアンブルーの肖像』(1986)
CGIをはじめとするデジタルイフェクトがまったく使えなかった時代、シンプルなオプチカル合成とハーフミラー合成などの「現場処理」の組み合わせで、非常にファンタスティックな映像を見せてくれる佳作です。
驚くほど創意工夫を凝らした手作業が多いので、ワンカットごとに「これはどうやって撮ったのか?」と分析する、良い教材になります。
『エド・ウッド』(1994)
実在の人物で“史上最低の映画監督”と言われたエドワード・D・ウッド・Jrの半生を描いた作品で、まったく才能も実力も無いが、映画製作に対する熱意だけは強烈だった彼の生活を細やかに描いています。
その無茶なやり口、情熱にシンパシーを感じるインディーズ作家の方も多いのではないでしょうか。少なくとも僕はそうでした(笑)
『ザ・マジックアワー』(2008)
三谷幸喜監督の、昔ながらの「映画づくり」に対する憧れ、映画人への尊敬が詰まった作品です。自主製作映画を手がけたことがあり、後には職業として映像製作関係を選んだ方ならば、必ず笑えます。
そして、映画は「総合芸術」ではなく「総合職人芸」だということを教えてくれる作品です。

⚪︎ これから撮りたい映画を教えて下さい。

現在製作中の作品はメッセージ性の強い戦争アクション物で、次回作が大人向けの刑事物・・・ミステリーホラー作品なので、その次に撮る機会があるとすれば、親子で楽しめる無邪気な特撮物を撮りたいと思っています。

宮本拓監督、素敵な回答ありがとうございます。
ずっと自主映画を制作してこられてきた監督の言葉はとても勉強になりました。
これからも応援していきます。

自主映画創作30周年記念作品『消滅戦街道』

宮本拓監督のblog『手作り活動屋本舗』

http://tep-motionpictures.cocolog-nifty.com/
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