伝説のカルト映画『追悼のざわめき』に主演、80~90年代にかけてピンク映画の世界で、自ら主演・脚本・監督をこなす独自のスタイルを確立した佐野和宏。
代表作『Don't let it bring you down』(『変態テレフォンONANIE』)などドラスティックでメッセージ性の高い作品を次々と発表し、瀬々敬久らとともに「ピンク四天王」と称される。しかし97年以降、メガホンをとることはなく、2011年に咽頭癌を患い声帯を失っていた…。
そんな佐野和宏が18年の「沈黙」を破った。

佐野は闘病の跡が刻まれた体躯をさらし、筆談でスタッフに指示をだし、俳優たちを演出する。
「佐野の映画が見たい!」とプロデュースを手がけたのは映画運動家の寺脇研。
飯島洋一(『狂い咲きサンダーロード』『戦争の犬たち』)をはじめ個性溢れる役者たちが、佐野の復活を祝福するかのように集まった。
映画の中盤、主人公がキャメラに向かって延々と語りかける。
その声は、かすれ、とぎれ、言葉にならない。
しかし鬼気迫る姿から目をそらすことができない。
震える魂の叫びを、なけなしの愛の物語を、ぜひ映画館で!

【映画 予告編】 バット・オンリー・ラヴ

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佐野和宏

1956年静岡県生まれ。映画監督、脚本家、俳優。
明治大学在学中に松井良彦、石井聰亙(現 石井岳龍)らと出会い、『錆びた缶空』(79年)、『狂い咲きサンダーロード』(80年)などに出演。
その後、『変態SEX 私とろける』(80年/渡辺護監督)、『ラビットセックス 女子学生集団暴行事件』(80年/小水一男監督)に出演したことをきっかけに、ピンク映画に関わり、出演作は100本を超える。
82年に自主製作した『ミミズのうた』で脚本、監督、主演を自らこなすスタイルを確立。同作は「PFF1983」に入選、エジンバラ映画祭、アントワープ映画祭などに出品された。
88年に『追悼のざわめき』(松井良彦監督)に主演。89年に『監禁 ワイセツな前戯』(『最後の弾丸』)でピンク映画監督としてデビュー、ドラスティックな作品を次々と発表し、瀬々敬久、サトウトシキ、佐藤寿保らとともに「ピンク四天王」と呼ばれる。
95年には、東京亀有の名画座で「佐野和宏映画祭」が開催され、処女作を除く全監督作が上映された。しかし、97年の『熟女のはらわた 真紅の裂け目』(『ふくろうの夏』)以降、監督作から遠ざかっていた。2011年6月に咽頭癌が見つかり、7月に手術を受け声帯を失う。
本作『バット・オンリー・ラヴ』で18年ぶりに監督に復帰した。